◇ 02

 城門の隙間をくぐり、敷地内に足を踏み入れる。手入れを忘れた広庭の中央まで行くと、前方と左右にそれぞれ建物があるのが分かる。正面は一際大きな建造物なので本館だろう、左右は……。ペルルの手を引きながら考えていると、視線を追ったユラが少し考えるような素振りをしてから口を開いた。


「本館に……兵舎と、温室かな」

「温室……ですか?」

「珍しい植物を愛でながら、お茶をするというのが貴族内で流行った事があったようだから、それじゃないか」


 前方からリコルがそう口を挟み、彼は一足先に本館の玄関にたどり着くと、肩を払う動作をした。遅れて屋根がある場所に着いたアオバや他の面々はすっかりずぶ濡れだというのに、彼一人だけは小雨に降られた程度で服の色がちっとも変っていなかった。


「リコルさんの家にもあるんですか、温室」

「ああ。母が主催する小規模なお茶会で時々使うけど……貴族宅にはあってしかるべき、なんて形骸化してしまって敷地内にあるだけ、というところも多いんじゃないかな」

「なるほど……」


 一般家庭で育ったアオバはどうしても備え付けのサンルームのようなものを想像してしまったが、もっと大がかりな、植物園規模のものが個人邸にあるらしい。霧雨に目を凝らして見てみれば、確かに他の建物よりも硝子張りの箇所が多い。そのようなものを『お茶会で時々使う』とさらりと言うあたり、やはりリコルは住んでいる世界が違う。


 雨に濡れないようもう片方の建物を見てから、説明を求めてユラの方を見ると、先ほど意図せずリコルに役割を奪われてやや拗ねたような顔をしていた彼女は、素っ気なく「守兵と近衛騎士、後は聖騎士辺りの待機所でしょうね」と答えた。


「ウェルヤ、周囲の様子はどうだ?」


 両開きの玄関扉の半分だけを開けて、リコルは一歩ずつ確認しながら屋敷内に立ち入った。続いてウェルヤ、テルーナ、最後にアオバとペルルが入る。室内は雨が無い分、少し暖かく感じる。


「……苛立ってはいますが、攻撃の意志はまだ無いようです」

「今の内、ということか。テルーナ、二人の姿は見えたか?」

「ん~……壁が多くて分かんないですぅ……」


 役に立てずに少し落ち込んだテルーナを覗き込んだリコルは、朗らかに笑みを浮かべた。それに精霊が反応したのか、彼を取り巻く空気が煌めく。


「元気を出して、テルーナ。先に進めばきっと見つかるよ」

「はい……!」


 顔を上げたテルーナは目を輝かせながら、祈るように指を組んだ。それを冷めたような、興味のない茶番劇を見せられてうんざりしたような表情を浮かべて眺めるウェルヤに苦笑しつつ、ホールを見渡した。


 もう何百年と人が入っていない証明のように、空気は全体的に埃っぽく、生暖かな湿気も相まって呼吸がし辛い。大きな正面階段も手すりも、どこに繋がっているのかも分からない数々の扉も、劣化が激しく崩れかかっている。壁紙や絨毯、ドアノブに額縁といった装飾の一つ一つが、素人目にも丁寧に作られたものだと分かるだけに、かつての輝かしき栄光の衰退を目の当りにしているようで、侘しい気持ちになる。


 ペルルが転ばないように足元に注意しながら、二人の痕跡が無いかとうろついてみると、小石が道なりに落ちていた。何気なくそれを折ってみると、正面階段の脇にある扉の前で止まった。扉には覗き窓がついたがあり、奥に通り庭があるのが分かる。


「何か見つけたかい?」


 庭の奥に何か建物とは違うものがあるように見えて少し首を傾げると、真後ろからリコルの声がして思わず飛び上がった。埃と汚れで見辛い覗き窓に映りこんだリコルも、少し驚いたように目を丸くさせている。


「あ、すまない。近かったか」

「い、いえ……その距離にいると気づかなくて吃驚しただけです……」


 ドアノブを回して開く事を確認したリコルは、無警戒に扉を開けた。手前には周囲をぐるりと囲むような廊下あり、中庭だと思われていた箇所は半径十メートルを越える大きな池だった。池の中央には東屋がぽつんとあるが、橋どころか飛び石すらも無い為、聖騎士でなければ到達できそうにない。


 池の上に作られた東屋からは、一本の道が伸びていて、建物の狭間に作られた教会のような場所へと続いている。建物にして三階相当の吹き抜けに飾られたステンドグラスはまだ美しさを保っていて、曇天の鈍い光に色を付けている。正面の壁を全て取り払い左右の建造物の屋根を跨ぐようにしてかけられた天井から、複数のガラス玉のようなものが下がっており、ステンドグラス越しの色とりどりの光りを反射させていた。


「あれなんですか?」


 不思議な造りをしたソレを遠目に見ながら声を上げると、ウェルヤが「祈祷堂ですね」と答えた。


「王族が精霊と対話、また祈りを捧げる際に使用する空間です。王家は領主邸を訪ねて領民の平穏を祈る仕事もあるので、各貴族の屋敷にもあります」

「へぇ……あの天井から下がっているのは何ですか?」

「これかな?」


 聞き返しながら、リコルは胸ポケットから懐中時計のような硝子の蓋がついた円盤を取り出して見せた。円盤の中では青い花びらが時折ゆらりと揺れる。ラメランディカルでラピエルと対峙した際、オーディールを大量に呼び出した何かが宿っているものでもあり、ユラが横からまじまじと観察を始めた。


「もしかして、同じものですか?」

「ああ。これは祈祷堂の装飾に使われていたものを、兄が旅のお守りとしてくれたものだ。装飾されている理由は、精霊の声を聞こえやすくするため……らしい」


 何がどのように作用してそのような効果を発揮するのかは分からないらしく、リコルは曖昧に結果だけを理解していない顔で答えてくれた。


「この花びらは……?」

「サリャの花だよ」

「ああ、毒にもなる花ですね。独特の渋みがあるとか……」


 ゲーシ・ビルでの一件を思い返しながら呟くと、リコルは意外そうに「詳しいね」と目を瞬かせた。素直に「テルーナさんが教えてくれて」と返すとリコルは彼女の方を見、テルーナは自然さを装ってさっと顔を逸らした。普段の鈍感さが嘘のように、リコルは隠し事の気配を察して端正な顔立ちをしかめた。


「……アオバ君。念のために聞いておくが、それはただ毒の話をしていた延長で聞いただけかい? それとも、現物があった?」

「え? えーと……現物があったというか……色々あって、テルーナさんに振舞われた食事の中に、毒が混じっていて……」


 そこまで告げた途端、珍しくリコルの表情から穏やかさが消えた。“黒い霧”を相手にしていた時ですら、不思議なほど物腰柔らかい印象が残っていたというのに、不機嫌を通り越して静かに怒り心頭な様子だ。顔が整っているだけに、普段が穏やかな事もあいまって険しい表情に迫力がある。


 見ずとも幼馴染であればその凄みは分かるようで、テルーナは青い顔に汗を滲ませ始めた。


「食べたのか?」

「……た、食べてました」

「そうか」


 嘆息を飲み込んでリコルはそっぽ向き、テルーナから少し距離を取った。それから大きく深呼吸をして、ぎこちない笑顔を浮かべて向き直った。


「テルーナ」

「は、はいっ!?」

「もうしないで」

「……はい」


 他にも何か言いたげだったが、リコルは一言モノ申すだけに留めて、彼女の返事を聞くとぎくしゃくとした雰囲気を薄っすらと残しつつ、気を取り直そうとしたのか自らの両頬を軽く叩いた。


「さ。この話はここまでにしておこう。ウタラたちを探さないとね」

「そうですね……」


 思わぬ地雷を踏んでしまったようで、やってしまった不安感から激しい動悸がする。


(うっかりしてた……リコルさんはテルーナさんが傷つくのを嫌がっていたんだから、毒を食べたなんて話をしたら怒るに決まっているよな)


 リコルにとってテルーナは数少ない友人だ。自らを盾にしてでも傷つく事を是としないのだから、いくら毒に耐性があると言っても心配するのは当然だろう。考えが及ばなかったのはかなり迂闊だった。


 謝罪した方が良いだろうと意気込んで顔を上げると、リコルは気まずさからか一行から離れて探索をし、テルーナも一定の距離を取りながら彼を追いかけるようにして周囲を見渡していた。完全にタイミングを逃してしまった。


 何とも言えないぎこちない空気に頬をかいていると、祈祷堂を熱心に眺めているユラが視界に入り、小声で声をかける。


「何かありましたか?」

「前にリコルが持っていたアレに、魂が入っているという話をしただろう? 同じようにあれらにも魂が宿っているのかと思って……まぁ、何も入っていないようだが」

「リコルさんが持っているものは特別って事ですか?」

「うーむ……この王城が手放されて長い、というのも関係しているかもしれない。他の貴族邸や、現役の王城にある祈祷堂の装飾と比べてみないことにはな……」


 条件が違うのだから比較しようがないようだ。リコルも貴族の生まれのようだし、彼の家にある祈祷堂を見せてもらえないか頼んでみようか、と考えながら祈祷堂を観察していると、ステンドグラスの下で何かが動いた。


「あ……っ」

「どうしましたぁ……──あー! ウタラちゃん!!」


 アオバの小さな声に反応してテルーナがこちらの視線を追い、すぐさまそれがウタラだと見抜いて声を上げた。池を飛び越えて行かねばならない都合上、テルーナしかその場に向かえないのだが、リコルの傍を離れても良いものか即決できずに彼女は彼とウタラとを交互に見た。


「テルーナ、行ってくれ!」

「は、はい!」


 返事をすると同時に、テルーナは池を軽々と越えて東屋に飛び移った。着地の際に足を挫いたのか彼女は一瞬変な動きをしたが、気にも留めてはいられないと言わんばかりに、そのまま一気に祈祷堂に駆け込もうと地面を蹴った。その時だった。


 ちゃぷん。と、池に何かが放り込まれて、水面が大きく波打った。


「!」


 間髪入れずに吹いた突風に押されてリコルが池から数歩離れたその時、池が津波のようにせり上がったかと思うと、意思を持ってアオバの腕に絡みついた。


 そのまま池の奥へと引きずり込もうとした水を、ユラが振るった薙刀が斬り裂く。飛び散った水しぶきは目の前でまとまると、再びアオバに掴みかかり、素早くアオバとユラの間に水で壁を作りあげると、彼女の攻撃を一度防いだ間に今度こそアオバを池の底へと引きずり込んだ。


「アオバ君──」


 咄嗟にリコルがこちらに手を伸ばそうとしたが、精霊が暴れた影響か、彼の足元が崩れて態勢を崩した。


 そうこうしている間にも視界は濁った水で何も見えなくなっていく。


(息が……っ)


 精霊に捕まれているのか、腕の自由が利かない。口から大きな泡が零れ出ると、一気に意識が飛びそうになる。


 その時遠くで、どぼん、と大きな物が水中に飛び込む音が周囲の水を揺らした。音の正体を探ろうと薄く目を開けると、白いものがこちらに向かって落ちて来ていた。


(ペルル!?)


 薄まりかけていた意識を引き戻し、ペルルに向かって手を伸ばした。


 水圧に抵抗して腕を振り回すようにして水をかき分けて、ペルルに触れた。手を掴み、引き寄せる。きっと、いつもの調子でアオバを追いかけてしまったのだ。助けてあげなくては。そう強く願った途端に体の奥が鈍く痛み、吐き気に襲われて顔をしかめる。


(こんな時に、呪いか……!)


 せめてペルルを地上に上げてからにしてくれと思っている間にも痛みは増し──突如として、周囲の水が凍った。

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