03-2 不等なる代償

◇ 01

 急ぎリコルが休んでいる部屋の戸を叩くと、まだ寝ていなかったどころか転寝すらしていなかったらしい青い目が、テルーナを見、それからアオバを見た。


「どうしたんだ、こんな時間に二人で……」


 困惑したような気まずそうな表情を浮かべたリコルがそう言った途端、すっとペルルが挙手をした。『私もいるよ』と言わんばかりの無言の挙動が目に入り、リコルはぎこちない笑顔を取り繕った。


「ごめん、見えていなかった……」


 一応謝罪の言葉が入ったからか、ペルルは一つ頷いて手を下げた。


「そ……それで、どうしたんだい?」

「申し訳ありません。ウタラちゃんとエイーユを見失いました」


 普段よりも真摯なテルーナの態度を見ても然程リコルの態度は変わらず、「図書館から出てしまったということか?」と穏やかな調子で聞き返したその時、隣室の扉が開いてアティが顔を覗かせた。


「どうした?」

「ウタラとエイーユが外に出てしまったらしいんだ」

「エイーユ?」


 知らない名前にアティは少し首を傾げたが、すぐに「そういえば知り合いが来た、みたいな事を言っていたか」と思い出したようにぼやいた。


「アオバの知り合いだったか」

「うん。前に話した、森を通る時に同行してくれた人」

「……崖から突き落とした犯人か?」

「僕がうっかり落ちちゃっただけだって」


 アティとそのようなやり取りをしていると、リコルは長い睫毛に縁取られた青い目を瞬かせた。


「崖から落ちたと、突き落とされたでは随分印象が変わってくるのだけど……」

「僕が一人で落ちただけですよ」

「いや、突き落とされている。話を聞く限りでは、当時アオバはいくらか金目の物を所持していて、それを狙われたと思われる」


 アオバとアティ、それぞれの言い分のどちらが正しいか判断しかねていたリコルは、その場でペルルと視線の高さを合わせて屈み、「どっちが正しいと思う?」と尋ねた。ペルルはちらりとユラに目をやり、「あの場で聞いた事をそのまま言ってみなさい」と耳打ちされると、むぐむぐと唇を動かした。


「『なんだぁ、たいしてのこってないじゃん~』『こっちはたかくうれそぉね~』……て、ゆってた」


 聞いた瞬間、テルーナは自身の眉間を揉んだ。それから深くため息を吐くと、半眼になってじろりとこちらを睨んだ。


「そうでしたぁ……アオバ君は、人の良いところしか見ない……悪意も善意に変換して受容する人でしたねぇ……」

「現場を見ていない以上、証言だけで決めつける事はできないが……人攫いの犯人たちと接点を持っていた点も含めるとね……」


 両腕を組んで考え込んでいたリコルは、自身が休んでいた部屋を振り返って窓を見た。


「この雨だ。せめて雨が弱まってからじゃないと、探しに行くのは危険だ。ウタラの行動目的は分からないが、エイーユは旧都に向かった可能性が高いわけだし」

「い、今すぐは駄目ですか? 雨上がりを待って二人に何かあったら……特にウタラは、御祖母さんの世話をしていますから、明日……いや、もう今日ですけれど、帰してあげないと。ロゼさ……エイーユさんも、無茶をしていないか心配ですし……」


 風も雨脚も、夕時よりも強くなっているのは承知の上で告げると、リコルはより悩んだ表情になった。


「うーむ……アティ、何か良い案は無いか。このままだとアオバ君が一人で飛び出してしまいそうだ」

「それはそうだが……ここから旧都に向かう近道は、足場が悪い。俺とテルーナで先に探しに──」


 アティがそう提案した瞬間、彼の背後から手が伸ばされ、羽交い絞めにするようにして後ろからアティを抱きしめた。


「駄目」


 吐息交じりに女性に囁かれたアティの動きが止まった。急速に顔に熱が昇った彼は、耳や首まで真っ赤にして口をパクパクとさせた。


「……す、すぐ、戻る」

「嫌」


 よわった。声にはせず、アティは唇だけをそう動かしたように見えた。困った様子でどこか疲れた印象がある生気の薄い朱色の目が、ちらりとこちらを窺った。その視線を受けて、リコルは頷く。


「ああ、分かった。元々、彼女に関しては無理を言ってここまでついて来てもらっているんだ、知人宅とはいえ一人にするのは忍びない。私たちで探そう」


 そう言って、彼は「ウェルヤを起こしてくるから、玄関で待っていてくれ」と部屋へと一束にまとめた艶やかなブロンドを翻した。主人より先に従者が寝ている事を不思議に思ったが、図書館に着いてから管轄外の細かな業務を行っていたからだろうと考えて、テルーナと共に玄関に向かう。


「アオバ君は、ここで待ってていいですよぉ?」

「え?」

「本来なら寝ている時間でしょぉ? さすがに今回は私の責任ですからぁ……まぁ、もうちょっと早くさっきの情報が共有されていれば警戒度数は違ったとは思いますけど」

「なら、僕にも責任がありますね」


 後半の愚痴っぽいぼやきにそう答えると、テルーナは目をぱちくりとさせてから、眉尻を下げた。


「アオバ君って、何をしたら怒るんですかぁ?」

「えーと……無理に怒らせようとする必要は、無いと思いますよ……?」

「それはぁそうですけどぉ。でも、時々でもいいから怒るとか暴れたりしないとぉ……ある時急に、ぶちっ、て限界に達しちゃいますよぉ」


 適度にストレスを発散しておけと、そう言いたいようだ。テルーナから見てアオバはそれほどに精神的に危ういのだろうかと、内心首を傾げる。主に身近なユラに心配をかけない為にも笑顔を努めていただけに、もしや上手く笑えていなかったかと頬をさすると、テルーナは玄関扉の前で止まり、壁にもたれた。


「特に君は、御使い様だなんて仰々しいものになろうとしているんですからぁ……ある程度我を出して、要求を通す強さを持っていないと、役割でがんじがらめになって動けなくなります」

「それで誰かが幸せでいられるなら、僕は構いませんよ」

「死を望まれてもですか?」


 薄く唇に弧を描いて、テルーナは言った。


「良い子でいても、得るものなんて何もないですよ」


 自嘲気味にそう吐き捨てて、テルーナは姿勢を正した。振り返ると、丁度リコルが来たところだった。その後ろには寝ぼけ眼なウェルヤがいて、珍しく欠伸をしていた。


「ウェルヤさんすみません、起こしてしまって」

「いえ……ああ、これが熟睡していた人を起こした時の態度ですよ、リコル様、ほら、見習ってください」

「よし、ウェルヤもしっかり目覚めたようだな。旧都に向かおう」

「酷いと思いませんか御使い様、あの人叩き起こして置いて『行くぞ!』しか言わないんですよ」

「ええと、では……道すがら説明しますね」


 慣れのせいか非難というよりは若干茶化し半分に聞こえるウェルヤの文句を宥めている間に、リコルが扉を開けて一歩外に出た。横殴りになっている霧雨が、不自然にリコルを避ける。


「……私が先頭を行こう。テルーナ、旧都までの道は分かるか?」

「はいっ」

「案内してくれ」


 先を行くリコルたちを追いかけようとして、コート掛けに引っ掛けたままのロゼの外套が目につき、手に取った。この雨の中外に出たなら、濡れて冷えているはずだ。外套はまだ湿っていたが、羽織って暖を取れるだけ無いよりマシだろう。


 この雨の中でも足早に移動する先頭を追いかけながら、先に言った通りウェルヤに事情を説明した。


***


「エイーユはあの少女に何か吹き込んでいたようでしたから、旧都の噂に関して利用しようと企んでいるのかもしれません」


 旧都にたどり着いてもまだ見つからない二人の事を、ウェルヤはしかめっ面でそう言った。


 残るは後回しにしていた精霊溜まりぐらいなもので、突入前に一呼吸入れようと、人の手が入っていない、すっかり荒廃した建造物の中でもまだマシな軒先で雨宿りをしつつ、周囲を見渡す。かつては都だったと言うだけあって、多くの建物が立ち並んでいる。この辺りは露店のような形状の建築物が、一本の広い道に向き合うように陳列していた。


 道の先には門があり、そのさらに奥に石造りの三階建ての屋敷が見える。どちらも雨風に曝されて、崩壊寸前だ。


「うーん……やっぱり、王城を中心に精霊溜まりがあるっぽいですねぇ……肌がぴりぴりしますぅ」

「王城?」


 相変わらず水を弾くペルルの頭や肩に乗った露を払いつつキョロキョロしてみると、どこを探しているのかと言いたげにリコルが門の奥にある三階建ての屋敷を指さした。


「あれだよ?」

「あれ!?」


 予想外の回答に声をあげてしまった。星詠みの屋敷よりは確かに広い敷地を有していそうだが、母国のものとも海外のものとも一致しない、城というよりはこの辺りを治める領主の屋敷と言われたほうが納得できる出来だった。


(城は防備施設のはず……櫓も無いし、攻められる事をまるで考慮していない造りのこれが、王城……!?)


 王城と呼ばれた屋敷を見て驚愕していると、不思議そうにテルーナが目を瞬かせた。


「どぉしたんですかぁ?」

「あ、いえ、え……あれ、王城……にしては、ちょっと……外敵に弱そうだな、と……」

「……外敵?」

「えっと……あんな背の低い城壁……民家の塀と変わらないですし……有事の時使えないのでは、と……」

「有事……?」


 よく分からない、と言いたげにリコルがその美貌に少しずつ渋い色を乗せていく。よく分からないのはこちらもなので、互いに渋い顔になっていく。


「ですから、戦争の時にとか……」

「戦争になった時点で居住は諦めて手離すしかないだろう?」

「抵抗とかなさらないのですか?」

「無茶を言うな。相手は精霊だぞ」

「……ん?」

「うん?」


 何か食い違いがあるようだと互いに気づき、一旦会話を止めた。この世界の国々が思惑はどうあれ精霊と戦争をしたのは聞いていたが、もしや人間同士で争った事がないのだろうか?


「戦争って、精霊以外とは……人間同士でやり合ったりとか……」

「貿易戦争の事か?」

「いえ、普通にこう、武器を持ってやる……大がかりな喧嘩と言いますか……」

「喧嘩両成敗で呪われるだけだ。現に、リヴェルから王族がいなくなったのはそれが理由だ」


 そういえば、この世界で剣以外の武器(狩猟用等で飛び道具はあるかもしれないが)を見かけた事が無い。貴金属や火、薬物が存在し使用されている世界なのだから、爆薬ぐらいはあるものだと勝手に思っていたが、“精霊の機嫌を損ねる行為”は利便性に優れていても使えないという大前提をすっかり忘れていた。


 この世界において戦争は、精霊の怒りを広範囲で買い一方的に蹂躙される行為を指し、人間同士のいざこざは喧嘩、国同士での争いは貿易が主なのだろう。リヴェル・クシオンが精霊と折が合わないといった話があったが、精霊と対話できる王族がいないという条件の下、内乱という精霊が嫌う広範囲の喧嘩を繰り返していたのが原因だった、ということか。


「すみません、僕の前提がおかしかったみたいです……」

「御使い様としてはぁ、人間同士で血みどろの争いしているのがぁ普通ってことです?」

「……はい」


 自分としては平和主義のつもりだっただけに、当たり前だと思っていた発想がこの世界基準だと物騒な思考だと指摘され、差別を反対しながら何かを見下しているような、抱えた矛盾に肩身が狭くなる。


「ふぅん。王都には聖騎士がいるんですからぁ、人間同士で争ったところで……って感じですよねぇ」

「言われてみればそうですね……」


 各国の主要都市には、一人で何十人と相手出来るだろう聖騎士が隊を組んで駐屯している。その聖騎士は独立組織に属しているものの王族に忠誠を誓っている。王家一強の体制が完成されているのだから、外敵に対する危機感が薄いのは納得だ。


 ──王都の周りばっかり固めて、俺たち田舎者の事は捨てたくせに!


 ──王族はこれまで、“精霊と対話ができる”って理由で、贄に選ばれることは無かったんだけど……。


 精霊が全てのこの世界で、他の追随を許さぬ才能を持った王家は、“他”の全てを犠牲に、徹底して守られてきたという証拠でもある。国家という大きな括りを先導する王家が、それでいいのだろうかと俯いて黙り込む。


「だがそのしわ寄せが、民に全て押し付けられてしまっていて、現状ではとても王族の務めが果たせているとは言えない。国とは、王家だけが在れば良いというものでもないのだから」


 きっぱりと、リコルは言い切った。心の内を読まれてしまったような気がして顔を上げると、彼はウェルヤの方を向いて話していた。堂々と理想を口にしたリコルは、肩をすくめてため息を吐く。


「とはいえ代案を出せる程広い目を持ってはいないし、押し通す力も無いのだけど……」

「志だけは高いんですけどね」

「ソレだけがあってもな」


 風が少し弱まって、視界が先ほどよりもマシという程度ではあったが見やすくなった。


「精霊がすこぉしだけ警戒を解きましたねぇ……?」

「今の内に王城に近づいてみましょうか。リコルさん」

「ん……ああ。行こう」


 声をかけると天候の僅かな変化に気づいたようで、リコルは先陣を切って霧雨の下に出た。目だけちらりと青い目がこちらを一度振り返り、すぐに進行方向に戻された。


「強さだけでは駄目……志だけでも駄目、か……」


 ぽつりと、友人に似た声が呟いた。


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