□ 03

「助かったよ、セイラ。手伝ってくれてありがとう」

「これぐらいなら全然。私、立ってほほ笑んでいただけだし」


 収監施設を出て、話しながら馬車を停めた場所に向かう。記憶通りに停められた馬車に乗り込むと、馬車は隣町であるラメランディカルに移動を開始する。セイラは窓にかかった布を少し指先で避けて、流れていく街道の風景を眺め始めた。


「屋敷からちょっと離れただけで、全然知らない景色になるんだね」


 しみじみとそう言ってカーテンから指を離すと、彼はこちらに向き直った。


「アオバはこれからシャニアに戻って……その後はどうするの?」

「ええと……」


 協力拠点という名称でいいのだろうかと、ユラに視線を送ると、彼女は「“ロディチェ礼会本部”」と、短く答えた。若干胡散臭さを感じる名称に思わずこめかみの辺りが引きつったが、ユラと同業者らしい例の聖女の子孫らが運営を続けているのであるならば、宗教団体のような名称なのは道理であるのかもしれない。


「ロディ、チェ……? 礼会の……本部に、向かう予定」

「王都聖騎士の支持母体か」


 距離を取って(といっても狭い馬車の中では限りがあるが)隣に座っていたアティが言った。「そうなの?」と思わず聞き返すと、「なんで向かう場所の事を知らないんだ?」と逆に聞き返されてしまった。


「え、ええと……そこに行くように言われただけで、どういう場所かまでは聞いて無かったなぁと」

「……その内口の上手い奴に掴まって、高額負債を抱えそうだな」


 高校の友人らと似たような事を言って(『何かを契約する時は弁護士でも連れて行った方がいいぞ』などと茶化された事がある)、アティはため息交じりに説明をし始めた。


「ロディチェ礼会は王都聖騎士設立時に、多額の支援金や四国重鎮への根回し、土地の権利交渉から何まで請け負った団体だ。礼会のおかげで設立出来たと言っても過言ではあるまい。その功績こそ称えはすれど……あまり信用はおけない」

「どうして?」

「礼会に所属している聖騎士の卵エイ・サクレを名簿に載せないからな。どう考えてもあの赤い目と高い身体能力は聖騎士だというのに、認めようとしないし、どうも精霊以外の何かを信仰しているようだ。全体的に胡散臭くて信用に欠ける。まぁ……無理に名簿登録しようものなら、支援金を打ち切られるだろうから手が出せないのが現状だ」


 赤い目の聖女はおそらくこことはまた別の世界から来ているので、目の色に関しては精霊の加護では無く、単なる遺伝だろう。身体能力に関してはよく分からないが、『不死』や『鳥の姿になった』という伝承から考えるに、特殊な体質ではあるはずだ。それを世間に曝け出したくないのかもしれない。


 今の聖騎士の信用度なら、一つの団体が支援を渋ったところで、他の貴族や利害が一致している団体からの支援で賄えそうに思えるが……。説明を求めてユラに視線を配ると、彼女は苦い顔をした。


「……精霊の加護を受けていないのに、聖騎士だと誤認させる程度には精霊を味方に付けている連中だぞ。そうじゃなくとも権利交渉やら根回しやらが出来る顔が広い連中に逆らってまで、“迫害されるほど恐れられている対象”を保護する人間はそういない──いたところで物理的に潰されているだろう」


 最後に小声で付け足された言葉で、ぞっとした。目的の為に他は犠牲にしても良いというその思考が、個人ではなく団体として存在している事に恐怖を感じる。


(ユラさんと同業とはいえ、皆が皆、ユラさんみたいに優しいわけじゃないのか……仕事だって割り切ったら、そんなものなのかな)


 彼女たちはこの世界の為だけに存在しているわけではなく、数多の世界の為に働いている。割り切っていないと大変そうだな、と同情的にユラを見ると、彼女は居心地が悪そうに視線を逸らして口を引き結んだ。


 その代わりに──ではないが──セイラが口を開く。


「この国にも支部があった気がする」

「三つ程ありますね」


 コーディアの補足で、曖昧な情報が確かなものに変わる。支部では駄目なのかとユラの方を見る前に、彼女は小さな声で「支部は聖騎士の支援が主だ。本部じゃないと、仕事の話が出来ない」と答えた。


「えーと……本部じゃないと、駄目みたいです」

「そっかぁ……じゃあ本部に行って、その後は?」

「んー……その先は聞いてないや」

「いや、マジで騙されてるとかじゃないよね? ……じゃなくてさ、その……アオバは住むところとか、決まってないけど、どうするのかなって話」


 中々踏み込めずにいたセイラは、思い切った様子で言った。


「もし良かったらさ……色々片付いて、落ち着いた時に……住む場所がまだなかったら、相談してほしいなって。本当は屋敷の空き部屋に~とか考えたんだけど、連日精霊が騒いだら星詠みが大変そうだし。伝手はあるから、安心して頼って」

「うん。ありがとう」

「もし別に住む場所が出来たって時は、その時はその時で連絡して。そのぉ……××××」


 目線を泳がせて、セイラは急に引っ込み思案になったように口をもごもごとさせた。『セイラ』を演じなくなったとはいえ、『人見知りな少年』の部分が消え失せたわけではないのだろう。翻訳機である耳飾りを外し、どこかオドオドとしながら言う、セイラの言葉に耳を傾ける。


「連絡、取り合いたいなって……──あ、いやキモイ理由じゃなくてね? やっぱり、話題が色々通じるのは楽っていうか……最近、あの……言葉を、忘れちゃいそうで……」


 文を書く動作をして、セイラは目を伏せた。元いた世界の文字を思い出せなくなっている、そう言いたいのだと察し、「そうだね」と相槌を打つ。


「……文字は、書かないと忘れるよね」

「そう……それ。もう使わないと言えば、使わないんだけどさ。ストゥロがたまに、手紙送って来るから」


 文学をこの世界に広めようとしている、おそらく転生者であろう作家の名前が急に出てきて、少し驚く。交流があったのか。


「ストゥロさんと連絡取り合っているの?」

「うん。こっちの言葉よく分かってない頃に、急に屋敷に届いて、手紙で文字を教えてくれたよ。後は情報共有かな。精霊の事とか、常識とか文化的な事とか色々ね。御使い様の事も、ストゥロの手紙で知ったんだよ」


 なるほど、セイラが三年もの間、言葉が分からないにも関わらず精霊の怒りを買わずに済んでいたのは、協力者がいたからだったのか。合点がいって思わず頷くアオバに、セイラは「だからね」と続けた。


「アオバとも交流が続いたらいいなーって、思って」

「うん。そうだね。じゃあ、色々終わったら、連絡取るよ」

「約束」


 ほっとしたような笑顔でそう言って、セイラは小指を差し出した。同郷に出会えた懐かしさもあって、童心に返ったつもりでこちらも小指を出し、絡めた。


 互いの調子を合わせる為にゆったりと、わらべ歌を口ずさむ。


 随分と久しぶりの歌に、何故だかおかしくなってくすくすと笑い合うアオバとセイラを、コーディアたちは不思議そうに見つめていた。


 車輪が回る音を背景に流しながら、わずかな時を惜しむように語り合い──できれば日常的な話題だけにしたかったが、互いの立場上そうもいかず、オーディールの役割やお祈りの効果についても話しておいた──ついにその音も停止した揺れと共に止まった。御者が外から声をかけてきたのを合図に、アティが扉を開放し、外の爽やかな光が車内に差し込む。アティがペルルを抱えて先に降りる姿を追って、アオバも外に出ようとして、呼び止められる。


「アオバ、ちょっと待って」


 セイラは懐から、短剣のようなものを取り出した。本物の刃物ではないようで、全体的に装飾が華美でゴテゴテとした印象だ。彼は「儀式用のものなんだけど……」と言って、短剣をアオバの額にかざした。


「汝の旅路に、精霊の加護がありますように」

「すごい。聖女様っぽい」

「何言ってんだ、聖女様だよ」


 聖女と呼ばれ続けた三年間、きちんとお祈り等々はしていたのだろう。中々様になっている、とどこから目線なのか分からない評価をして、互いに顔を合わせて一通り笑ってから、アオバは馬車を降りた。


「元気でね、アオバ」

「セイラも。あ。連絡、いつになるか分からないけど……なるべく早くに出すよ」

「あんまり遅いと、一通目が愚痴になるから早めにね」

「あはは……」


 歯を見せて笑って、セイラは名残惜しそうに閉じられた扉の窓にかかったカーテンを少しだけ開けて、周囲の視線を気にしつつも手を振ってくれたので、それに応えるように馬車が角を曲がるまで手を振り返した。馬車の姿も遠く小さくなり、車輪の音も雑踏のざわめきでかき消え始めた頃になってようやく、さて、と切り替えるように伸びをした。まだ体のあちこちが痛い。


「アーオバっ」

「わっ」


 宿に近い場所とはいえ、迷子になっては困るからとペルルと手を繋ごうとしたその時、背中に何かがぶつかった。体勢を崩しかけたアオバをアティが片腕で支えている間に、青年が後ろから慌てて駆け寄ってきた。


「ネティア! 勢いで行動するなって言ってるだろ! 早くごめんなさいしろ」

「ごめんなさいね! アオバ!」

「あー……はは、ネティアとグランか。びっくりした」


 ぶつかったというよりは、飛びついたのだろう。ネティアが斜め後ろから顔を覗かせた。赤いカチューシャがずれていたので、少しだけ直しておいた。


「早かったね。リコルさんたちは?」

「町の散策に出たわ! あの三人も素敵ね、良い案がいっぱい出て来ちゃう!」

「仮眠とっただけとは思えない元気の良さだね……」


 こちらの返しは聞かずに、ペルルに構い始めていたネティアに代わり、グランが申し訳なさそうに謝罪した。「大丈夫だよ」と手振りをして顔をあげてもらい、「二人はいつ帰るんだったっけ?」と首をかしげる。


「三日後だ。他の被害者たちとは別で、学校から聖騎士を派遣してもらう事になったんだ」

「えっ、凄い。じゃあ、僕たちより先にシャニアに着くかもしれないね」

「そうかもな。……ああ、そうだ。ネティア、あれ、言っておかないで良いのか」


 振り返ると、いつの間にかペルルを抱きしめたままアティを凝視しているネティアが目に入った。アティは顔を隠すように俯き、視線をそらしている。


「気のせいかしら?」

「何が?」

「どこかで会ったような気がするのよね。最近じゃないけど……一、二年前とかに、どこかで……うーん?」


 首をひねっても思い出せず、アティの顔を覗き込もうとしていた彼女をグランは引きはがし、「アオバたち、近々シャニアに戻るんだって」と、話題を戻した。


「ああ、そうだったわね! ねえ、アオバ。貴方、アタシにお代の代わりに何かないか~って話したの覚えている?」

「うん」

「考えたのだけど、アタシはやっぱり服を作るのが一番楽しいのよ! だからね、シャニアに着いたら会いに来て、また服を作らせてほしいの! ──だって頼まれて作るのは窮屈なんですもの! 『戦闘用だから頑丈に』、『舞踏会で着る為に位にあった品がありすぎず、低すぎずに』、『可愛いすぎずに』、『気取り過ぎずに』! 必要なのは分かるけれど、周囲の目なんか気にせずに、アタシはその人に合った服が作りたいわ!」


 異論は許さないと言わんばかりに早口でそう捲し立てて、ネティアは満面の笑みを浮かべた。


「アオバとペルルちゃんを見ているとね、たくさん案が出てくるのよ! 貴方はもしかしたら御使い様なのかもしれないけど……今はまだ、そうとは決まっていないでしょう?」


 争いも品格も気にせず服を着てくれる人なのだと、ネティアは遠まわしに伝えて、ペルルを別れ際に一度ぎゅっと強く抱きしめて解放し、グランの隣に並んだ。


「御使い様になる前に、会いに来てね!」

「王都の寄宿学校だから、王都内で聞けばすぐ場所は分かると思う」


 グランも代金の徴収にはあまり頓着していない様子で(そもそも初対面の時点から、金銭面で口を挟んできた事は無かったように思える)、足りていない情報を足した。断っても押し問答が続くだけで、押しが強いネティアに負ける未来が見え、アオバは諦めて「分かった」と頷いた。


 会いに行く時は、何か裁縫関係の手土産を持参しよう。菓子や玩具よりも喜んでくれる気がする。


「じゃあ、次に会うまで元気でね」

「ええ! 溜まってるお仕事全部片づけて待ってるわ!」


 にこやかにネティアたちに別れを告げる。


 “やり残した事”も、残るは後二つだ。

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