■少閑 巡拝模方

□ 01

 長くまっすぐな黒髪を一束にまとめ、少女──のように見える恰好をした少年、セイラは、「じゃじゃーん」と口で効果音を付けて、アオバの目の前に皿を置いた。白い平皿に盛られているのは、薄く輪切りにされた根菜を揚げたもので、淡い黄色をしていた。


「……え、何?」

「前に言ったでしょ、こっちの料理が合わないなら、私が作ったものを食べさせてあげるって」


 言っていたような気がする。長時間意識を失うという、あまり無い経験をし続け、尚且つ嫌な夢をよく見ているせいか、時々記憶が曖昧になる。記憶を探り……言っていた、と再確認をして、「ああ、そういえば」と頷く。


 ケルダを遺跡まで連れて行き、それからもう一度屋敷に戻って来て、少し休憩にしようかなどと話していた矢先に姿を消したかと思ったら、料理をしていたらしい。


「……まあ、料理ではある……か」


 おかずではないけど、と内心で付け足す。どうみてもポテトチップスに見えるそれを前に、習慣から一度手を合わせてから、指先でつまんで口に放り込む。


「おぉ」

「な、な? ちょっと安心するでしょ?」

「分かる。日常を思い出す」

「それな!」


 味もしっかりとポテトチップスだ。市販のスナック菓子とはさすがに違うが、手作りならこんな味になるだろうな、という素朴な塩加減だ。前世では何気なく買って、時々つまんでいた物だからこそ安心感があり、特別好物という程のものでもないがつい表情が緩む。


 横からじっと見ていたペルルと目が合い、一欠けらだけ渡してみた。ペルルには濃いだろうな、という予想は当たりで、ペルルは「んえー」という妙な呻き声を出し、すぐに近くのコップを手に取り、水をぐびぐびと飲んだ。


 やっぱり駄目かー。と苦笑しつつも、セイラと「懐かしいね」「やっぱこの味だよな」などと和やかな会話をするアオバを、聖女の側役たるコーディア代次官は変人を見る目で見ていた。この世界の住人には、この塩加減は美味しいものではないらしい。


 後からユラに聞いた話だが、この世界では自然物に精霊が宿っている為、野菜や肉、魚といった食材全てにおいて、“香草中和”という手順を踏む必要がある。それは名称通り『香草を用いて、精霊に食材から離れてもらう』というものだそうで、これがこの世界の料理がとにかく様々なハーブ系の香りがする理由だ。


「作り方いる?」

「欲しい」


 今はまだユラとの約束や、先にやるべき事があるので料理を嗜む余裕はないが、いずれ落ち着いたらペルルが食べられるものも作ってあげたい。元いた世界の料理を完全再現とはいかずとも、ペルルの中にいる誰かの記憶のどこかに引っかかってくれたら嬉しい。その為には料理上手な精霊と波長を合わせる必要があるが……それはまた別で考えておこう。


 頷いたアオバを見て、セイラはレシピメモらしき紙切れをこちらに差し出した。全てこの世界の文字で書かれており、一瞬戸惑って固まると察してくれたようで「ああ、そうか、翻訳……」と呟きながらセイラはチョークのような棒をコーディアから受け取り──


「……」


 書こうとして、困ったように「ええと」と声を漏らしたっきり、紙切れの隅をチョークでつついて止まってしまった。


「……あー、えっと、大丈夫だよ。読める人もいるし……この機会に覚えるよ」

「そ、そっか。じゃあ、はい」


 レシピを受け取ると、ユラが後ろからそれを覗き込む。そして一言、「香草は無しか」と呟いた。


「これ、香草使ってないんだよね?」

「うん。倉庫にしばらく保存させておいて、精霊が離れた頃合いを計って料理に使ってるよ。まぁそれでもやっぱり、不安だから食べたくない、ってのが一般的な意見っぽいよ」


 へぇ。と相槌を打ちながら、ちらりとリコルの方を見ると、何にでも興味津々な彼は物珍しそうに料理を見ており、反対に従者であるウェルヤと護衛であるテルーナは引き気味だった。


「た、食べてみてもいいかな……?」


 わくわくとした表情を隠さずに、リコルが言う。当然の如くウェルヤに「やめておきましょうよ」と止められるが、「気になるじゃないか」と穏やかな声で一蹴し、「よければ皆さんもどうぞ」とセイラに差し出されたそれを控え目に口に入れた。


「うん……塩味の……油……?」


 リコルは脳内の語彙を探りながら、そのような感想を溢した。食べられないわけではないが、普段とは違う味付けに戸惑っている様子で、ちびちびと少量ずつ齧るようにして食べ続けている。それを見ていたテルーナも皿に手を伸ばし、舌先に乗る程度の量を咀嚼し、眉根を寄せた。


「んぅ……やっぱり、香草が無いせいかぁ……物足りないっていうかぁ……それにしても味が濃くないですぅ? これ全部食べたら、舌がおかしくなっちゃいません?」


 彼女らにとっては、本来あるはずの香りがしない料理(鼻が詰まった時の食事のような状態)になっているのだから、口に入れても美味しくないのだろう。それでもリコルが食べ続けているせいか、テルーナは齧った分だけでも食べようとしかめっ面になりながらも飲み込んだ。


 双方ともけして「マズイ」とは口にせず、リコルは考え事をしている様子で言った。


「これが聖女様や御使い様にとって普通の味付けなら、普段出されている食事はすごく薄味で、逆に香りが少し邪魔かもしれないな」

「といっても、香草中和した方が早いし楽ですからねぇ。あんまり倉庫に食材放置してると、精霊がそれ使って遊びだしたりしちゃいますしぃ」


 冬なんて倉庫内が氷漬けなんてザラですよぉ。と付け足して、テルーナはウェルヤに視線をやった。リコルと幼馴染という事はウェルヤとも付き合いは長いのだろう。目配せだけでも食べるよう勧められたと察した様子で、彼は「結構です」という手振りをした。それをにこやかに眺めつつ、リコルは言う。


「塩も貴重だしね」

「あ、やっぱり、精霊の領域とかなんですか?」


 世界の九分九厘は精霊のものらしい、というのは聖書を読んだユラから聞いていたので、海という自然そのものはやはり精霊のもので、人間は立ち入れないのだろうかと気になっていたのだ。こちらの想像を肯定するように、彼は頷く。


「ああ。……と言っても、私は見た事がないんだけどね。殻の向こうは水音がしていて、大量の水があるのではないかと、言われている」


 説明が今一ピンと来ずに首をかしげると、黙って話に加わらずにいたユラが口を開く。


「この世界の海は表面が殻に覆われていて、外からは見えないんだ。大地が海よりも小高い位置にあって……海蝕洞の上に人が住んでいるような状態だ。海の全てが殻で覆われているというわけではないが、海そものが見える“果て”は精霊の領域だから誰も近づけない。唯一精霊の領域に隣接している洞窟から海水が染み出ていて、そこで塩を採取している」

「なるほど……?」


 説明されても尚、少々想像がつかないところがあったが、海を覆う殻とやらは精霊によるもので、強制的に内陸のような状態になっており、塩は貴重品として扱われている、ということだろう。とりあえず海産物は期待できそうにないという事は分かった。


 テーブルに置かれた塩瓶を手に取る。スーパーに行けば一キログラム数百円で買えるものが、この世界では一握りでも手に入れるのだって大変貴重な代物なのだ。世界が変われば、物の価値も変わる。同じ世界でも環境によって物の価値は変わるのだから、当然の話だというのに、時々それをうっかり忘れては違う常識を叩きつけられて驚いてしまう。


(精霊かー……)


 元いた世界にも、精霊信仰というのはあったけれど(付喪神や八百万という発想もそれに近いと思う)、常識と呼べる程浸透しているかというと少し怪しい。精霊が実在する世界というのに慣れるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。


 扉がノックされ、銀灰色の頭の少年がひょっこりと覗き込む。彼は室内の人数の多さにやや驚いた様子だったが、視線が合うと近づいてきた。


「どうしたの、アティ」

「いや、いつ頃この国を出るのか聞いていなかったなと思って。特にリコルは、帰るなら早めに帰った方がいいだろう」

「そうだな。父さんたちにこれ以上心配はかけられない」


 アティの言い分に頷いて、リコルは共に行動する面々の顔を順に見た。


「やり残した事は無いかい? それを済ませたら、出発しよう」


 にっこり笑顔を浮かべてリコルがそう声をかけた途端、テルーナが挙手をした。


「ちょ~っと、気になって気になって仕方ない事がありまぁす」


 言いながら、彼女はアティを指さす。アティは顔を隠すように俯きがちになりながら、そっとアオバの後ろに隠れた。


「アティちゃん。その髪、整えさせてもらえません?」

「……は?」

「その後ろ髪ですよぉ。なんですか、それ。自分で適当にジャキジャキ切ったでしょぉ? これからリコル様としばらく共に行動するというのに、そんな頭許されると思ってるんですかぁ?」


 ズカズカと近づいてくるテルーナに戸惑い、アティは困惑した表情を浮かべて自らの後頭部に触れた。その拍子にざんばらな銀灰色の髪が、少し乱れる。


「い……いや、俺は別に気にしてないから……」

「鋏ってどこにありますぅ?」


 アティの言い分は無視して、テルーナはどうにかポテトチップス一枚を飲み込み、手を布巾で拭いながらコーディアに散髪用の鋏を要求した。不服そうな表情でアティがこちらを見上げてきたが、アオバから見ても刃物で雑に切っただろうというのが分かるその頭はどうかと思う。


「そもそも、どんな切り方したらこうなるの?」

「う……き、切るのを随分と忘れていて、伸ばしっぱなしだったのが邪魔になったから、こう……一掴みにして、ざくっと」

「あぁ、確かにそんな感じだね」


 長髪であるという前提でアティはうなじの辺りで手を握り、左手を腰の辺りで振った。まさかと思うが、今背負っている大剣で切ったのだろうか。


「どうしても嫌なら、止めるけど……」

「……そこまで駄々をこねるつもりはないぞ」


 そうこうしている間にコーディアが鋏を持って戻ってきた。それをテルーナが受け取り、威嚇でもするように刃を開閉した。金属が擦れる、ショリショリ……という音が聞こえ、アティは諦めたように自ら頭を差し出した。


 切った髪が床に散らばらないよう準備を済ませ、散髪を眺めながらセイラと共に懐かしい料理を食べる。ペルルはテルーナのすぐ傍でしゃがみ込み、興味深そうに切られていく髪を見つめている。


「アオバは、何かしたい事は無いの?」

「うーん……そうだな……」


 セイラからの問いかけに、少し悩む。あるにはあるが、面会謝絶中なわけで……。ふと、思いついた事があって玲を無言見つめる。彼はキョトンとして自身の顔を指さした。


「え、何?」

「や。ちょっと手伝って欲しいことがあって」


 声を潜めて相談をすると、セイラは納得したように頷いて快諾してくれた。

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