◇ 06

『少しの間、一人にしてください……』


 呆然とした顔のままそう告げたコーディアを置いて、アオバたちは部屋を後にした。ぞろぞろと廊下を歩く集団の最後尾で、壁に手をついて歩いていると、ビッカーピスが「抱えましょうか」と手をこちらに差し出してくれたが、声が出ないなりに手振りでそれを遠慮した。さっきよりは歩ける。


「変な暴露話に付き合わせちゃってごめんなさい……」


 ため息交じりに、セイラが言う。振り返った彼は真剣な面持ちでこちらを見つめた。


「アオバ。その……」


 セイラが何か言おうとしたその時だった。前方から小柄な少年が歩いてくるのが見えた。アティだ。合流していたような気はしていたが、あの時は強烈な眠気と戦っていてやや記憶が曖昧だったので、顔が見られて少しほっとする。彼はこちらに気づくと、険しい表情を崩した。


「起きたか。おはよう、アオバ──どうした?」

「ちょ──と……ね」


 すぐに挨拶を返そうとして音が出ず、口をパクパクと動かしたのを指摘される。ぐっとお腹に力を入れると、少しだけ声が出た。しかしそれっきりで、壁に手をついて困ったように笑うアオバを見て、アティは眉根を寄せた。小柄ながらも威圧感のある彼に、おそるおそるセイラが「実は……」と切り出すと、無言でこちらを呆れたように睨みつけた。身長差のせいで上目遣いになっているというのに、刺すような鋭さがあり思わず身を縮こませる。


 声が出せないまま、ごめん、と口だけ動かすと、大げさなため息を吐かれてしまった。


「削れる身は有限なんだ。ある程度は使う場面を選ぶべきじゃないのか」

「ごめんなさい、私が無理を言ってしまったから……」

「……で、これから揃ってどちらに?」


 朱色の大きな目が、半眼になってこちらを見つめてくる。すっかり委縮してしまったアオバやセイラに反して、特に気にしていない様子のリコルが素直に「そういえば」と考え込んだ。


「予定らしい予定は無いな。アオバ君は病み上がりだし、部屋で安静にした方がいいかもね」

「そ、です……ね」

「なら、俺が──」


 部屋まで連れて行こう。と言いかけたアティの言葉を遮って、ビッカーピスがアティの名をぎこちなく呼んだ。長い前髪で顔を隠すようにやや俯いて、アティは「何だ?」と他人行儀な口調で彼女の方を見る。


「ケルダ高次官殿が、お呼びです。貴方様を見つけ次第連れてくるように、と」

「……拒否権はあるか?」

「その場合はこの場で、その剣を検める許可を得ています」


 短く舌を打ち鳴らし、アティは背負っていた剣を守るように手を回し、渋々といった様子で「分かった」と答えると、近くにいたリッキーに視線をやった。意図を汲んだのか、ビッカーピスも彼と目を合わせたかと思うと、顎でアオバを指した。


「後は任せる」

「うぃっす」


 アティたちが去って行くのを見届けてから、リッキーは「じゃあ」とこちらに向き直る。


「お子様が眠る時間も近づいて来てるし、部屋まで案内しますよ」

「私はデックの様子見てから部屋に戻るから、お客様たちだけお送りして」

「はーい」


 セイラの提案をすんなりと受け容れて(セイラが男だからだろうか)、リッキーは片腕でアオバを雑に抱え上げると、歩き出した。そんなアオバを見上げながら、ペルルがついて来る。


「アオバ」


 不意に、セイラが呼び止めた。顔を持ち上げて彼を見やると、可憐な乙女そのものの姿をした少年が、静かに頭を下げた。


「ありがとう」


 顔を上げて、ニッと笑う姿は少年らしさが残っていて、もう彼が聖女セイラのフリを辞めた事が窺えて、こちらも笑顔になる。手を振り返すと、その間にも遠ざかっていく彼は満足気に踵を返した。


 静かな廊下に、大人たちと、一人分の子どもの足音が響く。少々の眠気を堪えて周囲に視線を配るが、ユラの姿は見当たらない。壁の様子を見に行っているのだろうか。その内合流してくれるだろうとぼんやり思っていると、沈黙に耐えかねたのか、単純に暇だったのか、リコルが口を開く。


「そういえばリッキー、いつの間に副隊長になったんだ?」

「ん? あれ、報告したと思うんすけど?」

「ああ、いや。私は後継者候補から降ろされているから、聖騎士の異動は詳しく知らないんだ」


 貴族の家では聖騎士の誰がどこに所属しているなども、知っているものなのだろうか。それともリコルの家が聖騎士と繋がりのある家系なのだろうか。二人の会話を聞きながら浮かんだ疑問も、声が出ないと中々聞けず、もやもやとしているアオバを他所に、リッキーは納得したように「あー、そっか」と頷いた。


「二年前っすよ。それまでずーっと、十番隊は副隊長不在で、隊長が一人で率いてた形っすね」

「王都招集の後ぐらいか」

「そっすね。その時、前隊長と話す機会があって、十番隊の現状をちょろっと話したら、『君が立候補したらどうだ』って」


 解説役がいないので、何の話か分からない。わざわざ口を挟む理由も無いかと、アオバは大人しく話を聞くに徹した。


「ラドーさん来ていたのか」

「周りが褒めそやす程の豪傑には見えなかったっすねぇ。豪快なおっさん、って感じ。だからその勢いに飲まれたっつーか……──嗚呼、こんな人の心が折れた所見たら辛いよなって、初めてその時隊長に同情したんすよ」


 軽い口調のまま、リッキーは続けた。


「思えば十番隊が前隊長の引退と同時に半ば解散状態になって、何思われたのか新人の面倒ばっかり見せられて……そら落ち込むわなって。まぁ、その流れがあったから、俺も面倒見てもらって、そこそこ戦えるようにしてもらえたんすけどね。感謝感謝って感じ」


 隊長本人がどう思ってたかは知らないけど。と付け足して、リッキーは嘆息する。


「んでまあ、なんつーか、皆して隊長の事好きすぎて、隣に立つなんてとてもとても~……みたいな空気ができちまってて、誰も副隊長やりたがらなくって」

「それが十年以上続いていたのか……一番隊とは真逆だな。あそこは常に、隊長、副隊長にふさわしいのは誰かと試合をしているぞ」

「あそこは実力主義っすからね。別名、脳みそまで筋肉集団」

「怒られるぞ?」


 十番隊は聖騎士至上主義、六番隊は精霊信仰が強く、一番隊は実力主義……同じ組織とはいえ、隊ごとに毛色が違うようだ。他の隊にも興味を沸かせながら、それぞれの特色を頭の中でメモしておく。


「って感じで、十番隊の悪い慣習を打破したのがこの俺、って事っすね。隊長はもっと俺に優しくしてくれてもいいと思うんすよね、具体的にはこの後予定されているテルーナの鍛錬を免除するとか」

「相変わらずの鍛錬嫌いだね」

「やったところで、これ以上伸びしろねーし。無駄、無駄」


 ある一室の扉を開けて、リッキーはズカズカと無遠慮に上がった。テーブルの上で倒れたトランプタワーを見て、アオバが使わせてもらっている部屋だと認識する。


 ベッドの上に降ろしてもらい、感謝の言葉を言おうと口を開いた瞬間、頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でられた。


「っえ……の……?」

「言ったり言われたりすんの、好きじゃねーんだわ」


 言われるのも好きじゃないのか。変わっているなと思いつつ、まあ本人がそう言うのなら、と納得して頷いておく。


 ぴょんっと飛び込むようにして、ペルルがベッドに飛び乗り、額をアオバの肩に押し当ててぐりぐりと動かした。構って欲しいのだろうという雰囲気を察し、動きが少しマシになった手で構う。


「じゃ、俺はこれで。役に立たない鍛錬、受けてきまーす……」

「いってらっしゃい。あまり意味も無くテルーナを口説かないようにね」

「うぃーっす」


 にこやかに釘を刺されたリッキーは、部屋を出ようとして半歩戻ってきた。


「そうそう。さっき頼まれた事なんすけど。人遣わせたんで、その内来るとだけ」

「分かった。後で会いに行くよ」


 リコルはリッキーが部屋を立ち去るのを見届けた後、視線をこちらに戻した。そのタイミングで、話しかける。


「なに、たの……んで……?」

「うん? ああ、ちょっとね。今の聖女様に必要かと思って」


 聖女関係なら、アオバは関係ない話か。そう結論付けて、ならいいか、と頷く。それを見てリコルは穏やかにほほ笑んだ。


「何か用事があったら、遠慮せずに言ってくれ。先日の騒動では、私はあまり役に立たなかったからね」

「そ、な……こと、ない……です、よ」


 テルーナのなけなしの一撃を、“黒い霧”の急所に当てたのはリコルの功績のはずだ。あれがもし外れていたら、アオバたちは何らかの別の策を考えなければならなかったし、ソレにアオバの能力を使っていたら、聖騎士を全員治癒する前に疲れて眠っていたかもしれない。結果論とはいえ彼はきちんと役に立っている。……と言いたいのだが、如何せん声が上手く出せない。思わず眉根を寄せたアオバを見て、リコルは首を振る。


「“黒い霧”だけなら、私たちだけでもどうにかなっただろう。でも……腕や首の取れた人間を元通りに治してしまうなんてことは、他の誰にもできないよ」


 それを言われると、反論が難しい。アオバが生まれ持った能力ではない、自然の法則を無視したこの力を比較に出されては、どんな言葉も慰めにならない気がする。何か良い言葉は無いかと頭の中を探っていると、リコルは穏やかな声で「君が落ち込む必要はどこにもないんだ」と、付け足した。


「私が、羨ましかっただけだ」


 貴方には、世界の命運を選択する力があるのに。


 言ったところで伝わらない文章を飲み込んだ。アオバ自身も半信半疑で現実味の無いその役割を、リコルが納得して受け入れるとは思えない。だけど、何とかしてあげたい。いつもにこやかな彼が少しでも暗い顔をしていると落ち着かない。ただでさえ目の前にいる人が幸福でなければ不安になるのに、後悔を抱えてしまう恐怖心が、いつもより強い。


(セイラが……コーディアさんを見捨てられない気持ちがちょっと分かるかも……)


 この世界で生まれ育った、正真正銘この世界の住人という“役”を得ているはずのリコルは、自身の“役”が何か知らないのだ。配役を知らない、という共通点を持つ相手を、見て見ぬふりをするという行為は自分自身の一部も無価値なもののような気分になる。セイラもきっと、そうだったのだろう。


 考えてみれば、リコルがどこか自信が無さそうな面があるなんて、至極当然だ。分かって当然の精霊の気配が分からない。だからこそ、精霊に愛されているという最大の強みを生かせない。貴族の家庭に生まれながら、後継者候補からは外されている。取柄の美貌は『顔だけの無能』と蔑まれ、守りたい人物よりも強くはなれない……。そのような環境下で自信に満ち溢れている方がどうかしている。


 与えられる言葉が何もない。だからと言って、何もしないなんて事は出来ない。今のアオバは、御使いなのだから。誰も見捨ててはいけない。御使いに見捨てられるということは、神様に捨てられるのと同義だ。


「貴方、は……強い……です。僕、は……怖く、て……あの時……見てる、だけ、でした」


 お腹に力を入れて、声を絞り出す。未だ痕が残る腹部の傷に、針で突かれたような痛みが走り、じんわりと首元に汗が滲む。


 いくら剣の腕に自信があったとしても、彼が持っているのは模造剣だ。あれほど巨大な“黒い霧”に模造剣一つで立ち向かえたのは、ひとえに彼の強靭な精神力に他ならない。アオバはラピエルから貰った力があるからこれまでどうにか出来ていたが、リコルのそれは完全に努力と天性のものを磨いてきたからこそのものだ。


 無鉄砲で、考えるより先に行動してしまう人間性なだけかもしれない。だけど、これは彼だけの強みだ。


「僕は……貴方、が……羨、まし、い」


 途切れ途切れに話すだけでも、息が上がる。彼がどんな反応をしているのか、怖くて見れない。今の言葉は御使いとして正しかっただろうか。それを口をを動かしながらでも考えられる程度には回復してから、この話はしたかったかもしれない。ゆっくりと息を吐いて呼吸を落ち着かせていると、窓硝子に小石が当たったような音がした。少し肩を揺らして顔を上げ、窓の方に視線をやるとほぼ同時に、ウェルヤが窓を開けた。


「やあ、やあ。そちらに、不思議な形の首飾りをした少年はいるかな?」


 窓の外の、更に下の方から、どこか胡散臭い青年の声が届く。「伝言を預かっているのだけど、聞きたくないかな?」と続いた言葉に、旅商人の男だと確信を得た。宿屋の近くにいた彼とは、また違う人物なのだろうか。


「聞、く」

「──では邪魔するよ」


 聞こえるはずの無いアオバの返答にそう答えたかと思うと、窓からびゅうっと風が吹き込んだ。思わず目を強く瞑り、次に瞼を開いた時には、先ほどまではいなかったぼさぼさ頭の一人の男が目の前に立っていた。


「日用品から娯楽に情報、何だって揃う! 旅商人の、フィル・デ=フォルトを、ご利用ありがとうございまーす」


 高らかに、歌うようにそう言って、フィル・デは唯一さらけ出した口元を、にやにやとさせた。

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