◇ 12

 鼻をすすっていたのはテルーナのようで、彼女に羽交い絞めにされているペルルは動けず、ずっとアオバに助けを求めていたらしかった。


「い、いつからその状態なんですか……?」


 何となく小声で尋ねると、テルーナはペルルの後頭部に顔を押し付けたまま涙声で「十時間ぐらい前」と呟いた。目だけを動かし、ユラの姿を探すが見当たらない。外に出ているのだろうか。


 いつもは不満があると唸る癖があるペルルが、アオバの名を呼ぶ機械と化しているのは、唸り疲れる程長時間拘束されているから、かもしれない。ペルルが顔を上げたので目が合ったが、腕ごと抑え込まれているのか、肩を少し持ち上げるのが精いっぱいな様子で、無表情ながらも早期救助を求めている雰囲気を醸し出している。


「あのー……とりあえず、その、ペルルを離してあげてもらっても、いいですか?」


 ぐずりながらも無言で聞き入れたテルーナは、そっとペルルを解放した。体に自由が戻って来ると、ペルルはベッドに上がり、アオバの後ろに回った。


「てるぅなのぎゅう、ながい」

「十時間は長いどころじゃない気がするな──んひっ!?」


 背中に張り付いたペルルに構っていると、膝上にテルーナが頭を乗せた。不意打ちの感触に変な声が出てしまったのを咳払いで誤魔化し、まだぐずっているテルーナに視線を下ろした。いつもは綺麗にまとまっているツインテールが、今日は乱れがちだった。


「どうしたんですか、テルーナさん。リコルさんの怪我、ちゃんと治ってませんでしたか?」


 それならもう一度治しに行かなくてはならない。今度は倒れないようにしないと……。そう考えたのも束の間、テルーナは無言のまま首を横に振った。彼女の額が膝上に押し付けられているせいで、首を振る動きが内腿に伝わり、足の裏までざわざわとした感覚が走る。


「そ、ですか……あの、それくすぐったいんで、ちょっと加減してもらえると助かります……」


 そもそも足元に人がいる事自体落ち着かない。一旦テルーナとペルルに離れてもらい、同じようにクローゼットとベッドの隙間に入り、隣同士になるよう座り込んだ。いつもならペルルも倣って隣に来そうものだったが、今は解放された自由を満喫するが如くベッドに転がっている。


「リコル様の御怪我は……傷跡が、残っちゃって……ぐす……っ私が、あんなに近くにいながら……」

「痕ぐらいなら、その内薄く……って、そういう問題じゃない、ですよね」


 リコルが刺されたのは背中だ。人前で脱がない限りは見えようがない位置であり、当人も相当無茶な姿勢を取らないとその痕を見る事はできない、ほとんど気にする必要は無いであろうもののはずだ。だが、リコルは高貴な身分であり、テルーナはそんな彼を探し、家まで護衛する役目を負っていた。怪我をさせたという事実だけでも、責任問題が発生するのはすぐに理解できた。


 それ以上に、テルーナにとってリコルは、ただ仕事として庇護対象としているだけではなく、好意を寄せている相手でもある。それが自身を庇って怪我を負ってしまったともなれば、泣きたくもなる。


 こすり過ぎて真っ赤になった目元を隠しもせず、テルーナは鼻をすすって、頭を下げた。


「さき……先に、感謝を。ありがとうございます……アオバ君の力が無かったら、リコル様の御怪我を治せませんでした……っ私じゃ、怪我は……治せません、から……盾になるしか、できないのに、盾にすらなれません、からぁ……っ」

「あっ、あぁ、泣かないで、そんなに自分自身を責めないでください……!」


 手ではぬぐい切れない程、ボロボロと涙を溢すテルーナの前でオロオロとし、結局何もできないまま、アオバは彼女の隣で気まずそうな表情を浮かべるだけになってしまった。


「えと、そうだ、リコルさんは、今どうされているんですか?」

「……ぐす……昨日のお昼までお部屋で安静にされていたのを最後に、会ってないので……分かんないです……多分、あの聖騎士の処分を軽くするように、話に行かれてると思いますよぉ……」

「ああ、確かにやってそう……」

「ついでに私の処罰を死ぬほど重くしてほしい……リコル様が望むなら首を飛ばしてもいいのにぃ……ッ!!」


 後ろ向きに過激な発言をするテルーナに思わず苦い顔をしつつ、あのリコルがそんなことを望むとはとても思えないなという感想を抱く。まだ彼とはあまり会話をしたわけではないが、基本的に穏やかというべきか、寛大なのだ。特に聖騎士に対する敬意は、短い付き合いでも明確に感じ取れる。テルーナに対しても、幼馴染であるからこそ砕けた態度だが、『聖騎士のテルーナ』には羨望の目を向けていたように思う。


「リコルさんは多分、テルーナさんが傷つくような事は望まないと思いますが……」

「そんなことは分かってます! 知ったような口を利かないでいただけますか、あの方がお優しいのはこの世の真理なんで!!」

「あっ、はい」

「だからこそ……っ! 私はリコル様の優しさに甘えてはいけないんです! 私が聖騎士として生まれたのは、リコル様をお守りする為!! この力はリコル様が幸せになるためのもの!! なのに……っ」


 立ち上がって抗議のように声を荒げたテルーナは、再びしゃくりあげて泣き始めた。


「なんで、私が守られているんですか……っ!?」


 頬を伝って落ちた涙が床を濡らす。腰を上げて、顔を覆ってしまったテルーナを、ベッドの縁に座るよう促す。座っても尚肩を震わせているテルーナを、ペルルが不思議そうに横から顔を覗き込んでいる。


 目をこするテルーナの手をやんわり止めて、熱くなった目元に手をかざし、少しだけ力を使う。それを受け入れて、テルーナは鼻をすすった。


「リコルさんに、ごめんなさいはしましたか?」

「言い足りないけれど止められるぐらいにはしました……」

「怒ってました?」

「……いいえ」

「なら──」


 言いかけた言葉は、ノックの音で止まった。音に反応して、ペルルが扉の方に顔を向ける。


「はい」

「お目覚めでしたか、御使い様。テルーナ=リペリンはこちらにおられますか?」


 一言一句はっきりと言葉を正確に発する女性の声が、扉越しに聞こえて来た。ビッカーピスだとすぐに分かり、一度テルーナに視線を送る。彼女が頷いたのを見て、「いますよ。どうぞ」と声をかけると、やや食い気味に扉が開けられた。


「失礼します。ああ、やはりここだったか」

「何か御用で……」


 鼻をすすって振り返ったテルーナは、ひく、と喉に何かが引っかかったような音を出したかと思うと、素早くアオバの背後に回った。


「な、なん、な……っ」

「ん。ああ、部屋の前で入り辛そうにされていたので、連れて入ってしまったのだけど……駄目だったか?」


 ビッカーピスの後ろから、気まずそうにリコルが顔を覗かせた。傷は塞がったとはいえ、出血が無かった事にはならない為、少しだけ顔色が悪く見える。


「すまない。その……話声がしたから、邪魔してはいけないかと……思って」

「い、いいいいえ!! リコル様が邪魔だったことなどこの世に生を授かった時から一度としてありません!!」

「構わないなら、このまま話を続けるぞ」


 アオバを盾にしたまま遠巻きに会話する二人を、冷めた目で見ていたビッカーピスはそう言って、部屋に上がった。それから静かに、頭を下げた。


「本件は、私の指導不足が招いた。同胞テルーナに、試合外で剣を向けたばかりか、要人を手に掛けた事、詫びさせていただきたい。誠に、申し訳ありませんでした」


 垂れたショートボブを眺めながら、その行動に少し驚く。聖女相手でも臆せず意見をする彼女が、聖騎士相手ならば年下であってもこうも真摯な応対をするのか、と。腰をかがめてアオバの背に隠れていたテルーナは、居心地が悪そうな顔になった。


「いえ……顔を上げてください、ビッカーピス様。ラドー様から十番隊を預かった貴方が、若輩者に頭を下げれば士気に関わりますぅ……」


 テルーナにそう言われ、ビッカーピスは顔を上げた。眉根を寄せた彼女は、どこか苦しそうに見えた。


「元より、私の実力不足が原因ですからぁ。白け色だと侮られる事を分かっていながら、副隊長の任命を断らなかったのは、私ですし……」

「あの」


 二の腕の辺りを掴まれているせいで、ぎこちなく挙手をする。「なんだ」と、ビッカーピスの短い返答と鋭い視線を同時に受けつつ、疑問を口にする。


「その、白け色、というのは?」

「……目の色の事です」


 ため息交じりに、ビッカーピスは続けた。


「我々聖騎士は、空に輝く光の精霊の加護を受けています。その加護の強さは、目の色に現れる。一般的には、夕空の色として表現されますが、その色が濃ければ濃い程、聖騎士の力を発揮できます」


 そういえば、と思い返す。確かに聖騎士は皆、夕空を思わせる赤っぽい色の目をしていた。聖騎士の卵であるアティも同様に、朱色だ。ちらりとテルーナがいる背後に顔を向けると、ピンクから水色へのグラデーションという、秋の夕空を思わせる淡い色の丸い目と視線が合った。


「テルーナのように霞みかかった色を“白け色”と呼び、その淡い色の者は、聖騎士の能力を多用することが難しいのです。故に、最前線に出る隊長格になる事は滅多にありません」

「副隊長は隊長が退職後に後を継ぐ事が多いんでぇ、白け色は基本的に一般隊員に徹するんですよぉ。でも、一般隊員って上の都合であっちこっちに異動させられるんで……」


 その説明である程度納得した。たった一度の力の使用で息を切らしてしまう白け色が隊長格にふさわしくないというのは、聖騎士の中では暗黙の了解だったのだろう。それを知りながら、リコルの傍にいたいという私欲の為に、異動の少ない副隊長の任命を断らなかった事を、テルーナ自身も『良くない事』だと認識していた。だから、先ほどから彼女はリコルを傷つけたエディベルに対して不満を漏らさなかったのだ。全て、自身の選択が招いた結果だと考えたからだ。


 他の隊員に嫌がられると分かっていながら、リコルを守る事を優先し、その上で守り切れなかった。テルーナが自身を責めるばかりだった理由が分かり、少しすっきりした。


「だから私……力を使わなくても戦えるように、英雄様に頼み込んで鍛えてもらったのに……なのにぃ……」


 また泣き出しそうな顔をしたテルーナの名を、リコルはおずおずと呼んだ。


「私は大丈夫だ。傷だって、アオバ君のおかげで塞がったわけで──」

「私はもう二度と、貴方に傷を負わせないと誓ったんです……!!」


 叫んだ拍子に力がこもったのか、掴まれている二の腕がミシッと音を立てた。ヒビが入っているアバラじゃなくてよかったと思う。そう安心したのも束の間、後ろから抱きかかえるようにして、テルーナはその腕を腹部の辺りに回した。次叫ばれたら折られる。


「その誓いを破らせてしまったのは、本当にすまなかった。だけど、咄嗟で……」

「わ、私は聖騎士なんです。聖騎士、なんです……! リコル様よりずっとずっと丈夫で……怪我ぐらいじゃ死なないんです! 貴方を守れるのなら、傷なんて一つも痛くはありません!!」


 ミシリ、と嫌な音と共にアバラの辺りに痛みが走った。じわりと首元に汗が滲むアオバに気づいていない様子のテルーナに、リコルは困ったような、悲しそうな顔をして口を開く。


「……それでも、君が傷つくのは嫌だ」


 リコルにとっては、テルーナは聖騎士であること以上に、付き合いの長い友人なのだろう。友に危険が迫ったから庇っただけ、というのも、『普通の人間とは違う』聖騎士として生きて来た彼女には通らないだけで、ごく自然な考えだ。


 理解できないと言いたげに額を押さえて、ビッカーピスは静かにため息をつく。


「話が逸れてしまったが……エディベルは、リコル様の嘆願を受け、反省文の提出のみの処分となった。異論があれば受け付けるが、テルーナはどうする」

「……異論はありません」

「いいのか?」


 片眉を上げて、ビッカーピスはテルーナの顔を窺った。聖騎士同士の私闘に、こちらの想像以上に責務を感じているビッカーピスに対し、テルーナはあっけらかんとして答える。


「十番隊は教育熱心と評判ですからぁ。私から望む事はありません」

「…………分かった」


 間を開けて、ビッカーピスは頷いた。「私からは以上だ」と彼女が部屋を出ようとするのと同時に、リコルが数歩こちらに歩み寄って来たのを見て、テルーナは素早く近くの窓を開け、「ごめんなさい!」と叫びながら飛び降りた。


 大きく肩を揺らして固まったのはアオバだけで、リコルは窓に駆け寄って着地点を確認すると、慌てた様子で(こちらは普通に扉から)部屋を出て行った。


 部屋を出そびれたらしいビッカーピスが、大きくため息をついた。


「全く……あんな顔だけの男に、よくもあそこまで肩入れできるものだ……」

「リコルさん、良い人ですよ」


 なんとなく同意が欲しくてペルルを見ると、意図を汲んでくれたのか「ねー」と、ベッドの上で転がりながら応じてくれた。それらは子供の戯言と受け取ったのか、ビッカーピスは嘲笑気味に短く息を吐いた。


「志だけで物事は成り立たないのですよ、御使い様」


 去り際にそう呟いて、彼女は後ろ手で扉を閉めた。

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