◇ 09
星詠みとすれ違う時はなるべく距離を取り、玄関ホールに戻ると、荷を壁際に下ろしていた運搬屋、デックがペルルの周りを唸りながら回っていた。
「……あの?」
何をしているのかと困惑の声を出すと、その光景を見つめていたリコルがこちらに気づいた。思案から顔を上げる動作すら、絵画のような計算された美しさに気圧され、思わず「おおう……」という声が漏れ出てしまい、誤魔化すように咳払いをする。よくある反応なのか、リコルは小首を傾げはしたものの、然程気にしていない様子ですぐに笑顔を見せた。
「ああ、おかえり、アオバ君」
「遅くなってすみません。ええと、デックさんは、何を?」
「ペルルを見て、『何かに似ている気がする』と言い出して、それが何かを思い出している最中」
「はぁ」
曖昧に相槌だけ打ち、視線をペルルに戻すとほぼ同時に、デックが耳をピンと立てて「あーっ」と声を上げ、ペルルを指さした。
「そうだ! タッタン人形! 似てません!?」
既存の人形に似ているのだろうか。「あれ綺麗ですよね〜」とうっとりした様子で言うデックに、「へー」と声を漏らし──“人形”の部分が引っかかって、固まった。ペルルの姿は、洞窟に落ちていた人形を元にしていたはずだ。
「あ、あの、タッタン人形、というのは?」
「五歳の誕生日に贈られる、白磁の人形だよ。ふむ、そうか。私は男の子の人形だったから、見覚えが無くてピンと来なかったんだね」
リコルの口ぶりからして、性別に合わせて人形の見た目も違うらしい。
(ま、まあ、まさかフラン・シュラが人形の姿に似せて、人型になったとまでは見抜けはしないだろうけど……)
ペルルの正体に言及されるのではないかと、ヒヤヒヤしてしまう。話題を変えてしまおうと、無理に会話を振ることにした。
「デックさん、星詠みの方は来られませんでしたか? 荷物、床に置いちゃってますけど……」
「あっ、はい。来られましたよ! とりあえず、引き取りの準備が整うまで、隅っこに降ろして置いてくれと言われました。いやー、お客さんにお手数おかけしちゃって申し訳ないです」
ふと、思い出したようにデックはポケットを漁り、水晶のようなものをこちらに投げ寄越した。
「わっと」
「ご迷惑かけちゃったお詫びです。星詠みが多いこの地域じゃ、売れないもんで……ああいやその、在庫処分ってわけじゃないですよ?」
「あはは……これ、なんですか?」
茶目っ気たっぷりに小首を傾げるデックから、視線を手元に移す。五百円玉より一回り大きい水晶のような透明な鉱石の中に、黒っぽい糸屑のような物が入っている。光に透かせて見ていると、その糸屑は黄色や緑に色を変えた。
「んにゃ? 羽結晶ですよ?」
「ええと……」
「石の中に、糸みたいなものがあるだろう。それが『精霊の羽』と呼ばれていて、所持者の一番近くにいる精霊の機嫌を色で判断できるんだ」
よく考えずとも、この世界の住人でも精霊の気配に疎いものはいるわけで、そういった人用の道具があるのは当然だった。
リコルの説明に興味が湧き、「へぇ~」と言いながら水晶を眺める。羽は黄色と緑を交互に染めている。
「精霊の羽って、目視可能なんですね」
「?」
不思議そうにリコルが首を傾げたのを見て、何か変な事を言ってしまったらしいことを自覚する。理由が分からずに困惑していると、ユラが口を挟んだ。
「精霊が使い終わった物は人間の目にも見えるようになるみたいだな。貨幣は精霊の卵の欠片だし、この羽はおそらく、脱皮した時に捨てたものなのだろう」
精霊が捨てたものを、人間が再利用している。それがこの世界の常識だと少しは慣れたつもりだったが、うっかり忘れていた。
(精霊って羽生えてるんだな……いや、そう人間が主張しているだけで、案外これは髪とか爪なのかもしれないけど)
摘まむように指先で、光が当たる角度を変えてみる。興味を引いたのかペルルが近寄って来て、真珠色の目でじっと羽結晶を見上げている。
「精霊の気配がよく分からないので、こういうのあると便利でいいですね。ちなみに色って、どういう分け方がされているんですか?」
「黒が周囲に精霊がいないか、こちらに興味を持っていない時。緑が落ち着いている時で、黄色は興味を引いている時。ようは何かしら楽しんでいる状態だね。赤が警戒で、赤いままこの結晶そのものが熱くなったら怒り状態ってところかな」
説明しながらリコルは隣から水晶を覗き込み、色を見る。
「今はえーと、緑……と黄色か。冷静ではあるけれど、ちょっとそわそわしている感じかな。アオバ君に一番近いのは、呪いをかけている精霊だろうから、これは呪いの進行状況を見るのにちょうどいいかもしれないね」
確かに、と頷いて、デックに丁寧に頭を下げた。よく分かっていなさそうな雰囲気のまま、ペルルもつられて頭を下げた。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「い、いえいえ。故郷に帰る前に荷を軽くしよーと思って、いらないもの押し付けちゃったのに、そんな風に言われると、ちょっと罪悪感が……」
「いつもこっちで売り切ってから、帰る感じですか?」
羽結晶を、未だに興味深々で目で追いかけるペルルに渡し、何気なくデックと雑談を続けると、彼女は困った様子で頬をかいた。
「いえ、普段は本店に戻って、物品背負ってまた別の町に~って感じなんですけど、ほら、なんでしたっけ、ラピエル? あれがねぇ……」
「ラピエルが、何か?」
まさかその名前が出てくるとは思わず聞き返すと、デックは『もう笑うしかない』と言わんばかりに、顔に笑顔を張り付けた。
「聞いた話によると、例の全人類を贄にするーって言った神様、ラバ族の姿をしていたそうで。胆略的な連中が、『ラバ族が人間を滅ぼそうとしている!』って追いかけまわしてるって情報が入ってまして」
「え……」
「イヴェオンは出稼ぎのラバ族も多くて、他の商人とも交流がありますし、何と言っても聖女様の御膝元ですから、困った事態にはならないと思いたいのですが……何かあったら家族も困りますし、事態が落ち着くまでは運搬業はお休みして、一旦故郷に帰っちゃおうかなと」
療養しろと宿に押し込まれていた一週間の内に、世間ではそんなことになっていたのかと驚愕する。「そうでしたか……」と少し落ち込んだ声色で返すと、大丈夫だと言いたげにリコルが背を叩き、顔を覗き込んできた。至近距離で見る青い目にも慣れて、どこまでも純粋な透明感ある瞳を見つめ返す。
「事態の早期収束の為に、聖女様も動いてくださっているだろう。そう落胆することは無いよ」
「うーん……そ、そうですよね」
当の聖女が、今まさにその職務を放棄したがっているとは言いづらい状況になり、無理に頷いて見せた。それが距離の近さを口に出来ず遠慮していると捉えられたのか、ウェルヤから「リコル様、近いですよ」と声をかけられ、リコルは「えっ、そうなのか?」と溢しながらも素直に一歩離れた。
運搬業と言っても商人である事に変わりないデックも、アオバの声色から気の落ち込みを察し、ニッと元気の良い笑顔を見せる。
「そうですよ! なんといっても、我らには聖女様がついています。聖女様がいる限り、リヴェル・クシオンは安泰ですよ!」
「デックさんも、聖女信仰をされているんですか?」
「信仰というより……昔からリヴェル・クシオンでは優秀なお方を『聖女』と呼称するんですよ。セイラ様のおかげで、この国は随分活気が戻りましたからね。特別な力など無くとも、存在するだけで功績を生んでおられる事から、そう呼んでいる人も多いんじゃないかと。特に商人周りはね」
そういう理由で慕われているという部分もあるのか。「へぇ」と相槌を打って返すと、会話の合間に思い出したのか、デックは「そうそう」と言葉を紡いだ。
「ケルダ高次官殿も、セイラ様が来られる前までは『聖女』と呼ばれていましたよ。大層優秀な星詠みで、“お告げ”の的中率が九割を超える程でしたから」
それから声を潜め、彼女は言った。
「ここだけの話、ケルダ様はセイラ様の事を殺そうとした、とか」
「え……っ」
「セイラ様が現れた事で、ケルダ様は『聖女』の称号を失いましたから……逆恨みをしたんじゃないか、とか。真偽は定かではありませんが、ケルダ様は当初から、セイラ様を聖女として扱う事を反対していましたので、信ぴょう性は高いんじゃないかなーって思ってます」
先ほどのケルダの言葉の意味が、少し変わって聞こえてくる。『美しさをひけらかすな』『悪意が目の前に現れるから、危険だ』というのは、自身の加害性を指していたのだろうか。『美しいものを加害してしまうから、私に見せるな』と。
(でも、ケルダさん、優しそうだったし……)
何か別の意味があるのだろうか? 考え込むアオバを見て、ユラが嘆息を堪えたような表情を浮かべたのが視界の端に映った。
難しい顔になっていたであろうアオバの緊張を和らげようとしてくれたのか、デックは真剣な表情からにっこり笑顔に表情をころりと変えて、「お客さんも気を付けてくださいね」と言って、アオバの首元を指さした。
「御使い様も、その例に漏れないとは限りませんからね」
音叉を手で隠すと、デックは口元を隠しながら小さく笑い声をあげた。
「──デックさん! 荷物、こっちにお願いします」
丁度会話の切れ目に、近くの扉から星詠みが出てきて、デックにそう呼びかけた。返事をしながらデックは一度こちらに会釈をし、荷物を指に引っかけるようにして、顔色の悪い星詠みの下へと駆けて行った。
「聖女信仰、か……少し心配だな」
穏やかな声でそう言いながら、リコルが玄関扉を開ける。外の明るさが差し込むと、ペルルの興味は羽結晶から外に向き、リコルの背後に張り付くようにして外を覗き込み始めた。
外に飛び出したくてうずうずしているペルルに先を譲り、リコルは最奥にいたアオバも出るよう視線で促した。それに応えて小走りになって先に外に出させてもらい、羽結晶を握って周囲を見ているペルルと手を繋ぐ。
「力を示さなくてはならない状況が来たら、共倒れになりそうですもんね……」
「いや、“黒い霧”に関しては、聖騎士がいるから問題ないはずだよ。大地の豊かさについても、これまで通り星詠みが精霊の気配を読んで適切に判断していればいいわけだし」
「? 他に何か問題が……?」
その部分が問題なのだと考えていたが、違うらしい。行く先も決めずぶらりと歩き出すリコルの後ろ姿を追いかけながら問いかけると、彼は手袋をはめた指で自身の顎先をつついた。
「王家の無いリヴェルにとって、聖女は権威在る者として担げる唯一の存在だからね。近い将来、信用の担保として使い始めるだろう」
「リヴェル・クシオンは過去に、他国との条約を、国の分裂や統合を理由にうやむやにした事が何度か──意図的、非意図的に問わず──あるそうだ。結果としてこの地全体で信用を無くし、外交が上手くいっていないという状態だ」
横から入ったユラの説明に頷く。それは確かに信用を無くす。
「でもそれって、セイラに務まるんでしょうか。三年前に急に現れた少女ってだけですよ?」
「国民から絶対的に支持される存在というのは、国も無下にはできないよ。情勢を考えると──シャニアは王家と英雄様がいて、サネルチェ公国はシャニアに付き従っているし──」
リコルの息継ぎに合わせてユラが、サネルチェは元々シャニア領だからな、と付け足す。世界地図を思い出しながら、相槌のように頷く。
「──クレモントは王家に絶対的な主導権がある王政に加え、王族信仰が根強い。外交の札が無いリヴェル・クシオンの立場が弱すぎる。そこに、聖女が現れたとすれば、それがただの人だとしても、使いたい。それほどリヴェル・クシオンの現状は厳しいんだ」
「なるほど……」
「それで、まあ。英雄様みたく圧倒的な強さがあれば、本人が望まない無理強いは避けられるわけだけど……セイラはそういった力が無いし、先ほどのケルダさんの話が本当であれば星詠みと連携が取れているようでもない。その割に周囲の期待に応えようとしてしまう性格のようだし、ちょっと危ない気がするな。小さな歪みで内部からこう……潰れてしまいそうな気がする」
ゆったりと歩いていたリコルが、ふと視線を脇道に逸らした。視線を追ってみれば、手入れがされた花壇の先に開けた空間があり、聖騎士達がビッカーピス指導の下、鍛錬を行っているのが見えた。
「……力さえあれば、と望むのは浅慮かな」
同じ方向を見ている事に気づいたのか、リコルは困ったような笑顔をこちらに見せて、「正しく使えるかなんて分からないのにね」と付け足した。そんなこと無いと、アオバは首を横に振る。
「望み憧れる事は、笑われるような事ではありませんよ」
「……」
「それに、正しさは人によって変わります。酷い行いのように見えても、誰かにとっては正しい事、です」
「それが、誰かを傷つける事だったとしてもかい? 例えば、さっきケルダがセイラを殺そうとしたという話が、事実だったとしても?」
はい。と頷けば、リコルは目を丸くしてこちらを凝視した。
「ケルダさんの正しさに……優しさに基づく理由があると、信じます。その行いが他の誰のものであったとしても、僕は信じます」
「……私だったとしても、赦してくれるか?」
「勿論です」
言い切って、あれ、とリコルの言葉に内心首を傾げた。信じるか否かの話をしていたのに、リコルは赦しを乞うたのだ。だが、それを聞き返す前に、気が緩んだようにリコルがほほ笑んだ。
「そうか。ならば私も、御使い様の正しさに沿えるよう、もっと強くならねばならないね。うん。聖騎士と肩を並べられるくらいに!」
それは目標が高過ぎはしないか。そう思ったものの、妙に納得して決意を固めた風な彼に水を差せず、アオバは黙り込んだ。
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