◇ 10

 どこか嬉しそうにリコルが再び歩き出そうとした、その時。ビュンッ、と風を切る音がして、彼の足元に剣が突き刺さった。夕空色に輝く透けた刃から、遅れてペルルを庇いながら一歩後退するアオバとは反対に、慌てた様子でウェルヤがリコルの前に飛び出し、身を案じる。


「す、すみません、大丈夫ですか、リコル様」

「ああ、平気だ。それよりこれ……」


 体調不良を理由に咄嗟に動けなかった事を謝罪するウェルヤに気を遣いつつ、リコルが地面に深々と突き刺さった剣を見下ろしていると、間隔の長い足音が聞こえてきて、つむじ風でピンクブロンドのツインテールをはためかせて、テルーナが目の前に現れた。おそらく飛ぶようにして走って来たのだろう。川幅を飛び越えられる聖騎士の脚力ならではの芸当だ。


「や、ややややっぱりリコル様!? 大丈夫ですかぁ!? お怪我はありませんか!?」

「テルーナ。うん、どこにも当たってな──」

「ちょっと待っていてくださいね! この剣の持ち主、処しますので!!」

「テルーナ? 大丈夫だから、落ち着いて」


 剣を抜き取り、飛んできた方向を睨みつけるテルーナに、リコルは「落ち着いて」と手振りをして見せた。その間にも、おそらく剣の持ち主であろう聖騎士の男が近づいて来て、リコルやアオバの顔を見るやいなや、いかにもどうでも良さそうに、やれやれと肩をすくめた。


「鍛錬場の近くは、一般人には危険ですよ」


 そう言って、彼はテルーナが持つ剣に手を伸ばした。ピクリとテルーナの片眉が引きつり、瞬間、彼の首元に剣を突き付けた。


「……何のつもりでしょう、六番隊副隊長殿?」

「それはこちらの台詞です。庇護対象を危険に晒しておきながら、謝罪の言葉一つも無いとは、一体どういう了見ですか」

「ちょ、ちょっと、テルーナさん……」


 いくらなんでも刃物を突き付けるのは危険すぎる。思わず割って入ろうとするアオバを、慌ててウェルヤが止め、ユラが薙刀の柄の部分で肩を押した。


「強靭な聖騎士の喧嘩の仲裁に入るのは、やめておけ」

「う……」


 人を一人二人抱えて疾走できる体力や川幅を飛び越えられるらしい脚力を考えると、さすがにしり込みをしてしまう。それでも気になって、チラチラとテルーナたちに視線を送るが、喧嘩は止まる気配がない。


「副隊長ともあろうお方が、私情でご高説垂れるとは恐れ入りますね。顔だけの無能者に、犬の様に尻尾を振ったところで、大して得るものなど無いでしょうに」


 口先だけで煽りながら、男は少し汗を滲ませて半歩後退した。武器をテルーナが持っている以上、手が出せないにも関わらず、彼は持論を曲げずにテルーナに投げつける。


「ああ、男に媚を売るのは貴方の得意分野でしたね。そうやってリペリン氏にも取り入って、義理娘にしてもらったんでしょう? 邪教の白け色風情が」

「──」


 澄んだ明かりの中で、テルーナのピンクから水色のグラデーションがかかった秋の夕空色の目が光を帯び、柄を握り締める音が異様に大きく聞こえた。……あとほんの僅かにでも間があれば、テルーナは斬りかかっていたかもしれない。それらを遮る絶妙のタイミングで、間に一人の男が割って入った。


「おっ? 六番隊の隊長殿に喧嘩売るなんて、度胸あるっすね~?」

「っリ、リッキー! い、いや、俺は……」

「いやいや、そーいうことでしょ、今の。若い女に鼻の下伸ばしてるって言ったの、君っすよ。いや~あのお堅く真面目で、王族の信頼も厚い愛妻家をそう言ってのけちゃうの、君ぐらいだな~」


 動揺する男の肩に肘を置き、にやつきながらリッキーは長い前髪をかきあげた。少し離れた所で、ビッカーピスが睨むようにしてこちらを見ている姿が見える。


「し、しかしだな……白け色の邪教徒が、あの精霊信者の六番隊の副隊長だぞ!? おかしいと思わないのか!」

「そこまで言うなら、やり合ってみればいーじゃん」

「は?」


 思わずと言った風に、テルーナが短く反応する。それを受けてリッキーは「力を疑われてるんすから、力を示せば一発っしょ」と指を振りながら軽々しく提案する。


 問題が起きているという判断か、あるいは単純に鍛錬をサボっていると判断されたのか、キビキビとした足取りでビッカーピスが近づいて来たのを確認し、リッキーは男をビッカーピスに無理やり向き直らせ、ヘラヘラとした笑顔を浮かべた。


「たーいちょっ。エディベルがテルーナと手合わせしたいって!」

「その前に、今発生した問題について報告しなさい」

「こいつとテルーナの勝敗が決まればスパッと解決するんで! おなっしゃーっす!」


 ちらりと、ビッカーピスが黄色がかったオレンジ色の目をテルーナに向け、その目はすぐにむき出しの剣に移された。


「聖剣は聖騎士である誇りと証。すぐに所持者に返しなさい」

「……ふん」


 隊長格に言われると従わざるを得ないのか、テルーナは不満げに剣を男に投げ返した。それを後ろ手で受け止め、男は姿勢を正してビッカーピスに頭を下げる。


「俺からも、お願いします。一戦だけ、やらせてください」

「……分かった。テルーナも、構わないな?」


ビッカーピスの問いかけに答えず、テルーナはリコルに視線をやった。もしや止めて欲しいのではないか、と邪推するアオバを他所に、リコルは興奮気味に目を輝かせ、力強く拳を握って見せた。


「聖騎士の手合わせか。久しぶりに見てみたいな」

「えっ、と、止めないんですか、リコルさん!?」

「え? どうしてだい?」

「い、いやだって、危ないんじゃ……」


 相手……確かエディベルと呼ばれていた男は、剣を突き付けられてもほとんど怯まなかった。それだけ戦い慣れている相手なのではないか? そもそも、いくら強靭な肉体を持っているとはいえ、男女間ではどうしても体格差がある。同じ聖騎士同士となれば、テルーナが不利ではないのか。


それらを含めてそう返せば、リコルは心底不思議そうに、目を瞬かせた。


「テルーナが負けるはずがないじゃないか」


 なんだその自信は。


 思わずあんぐりとするアオバを押し退けて、テルーナは嬉しそうに表情を緩めてにやにやとした顔でリコルの目の前で右拳で左胸をドン、と叩き、恭しく一礼した。


貴方の騎士として仰せのままにユレィズ・シュナ・ディスピーレっ。リコル様がお望みとあらば、私は決して負けません!」

「うん! 頑張れ、テルーナ!」

「はいっ」


 先ほどのテルーナの視線は、リコルから応援の言葉が欲しかっただけらしい。にやけ顔のままテルーナは対戦相手に向き直ると、先ほどの不機嫌さはどこへやら、上機嫌で「では、場所を移しましょうかぁ」と歩き出した。その変わり身に、喧嘩を吹っ掛けたエディベルは若干引き、仲裁に入ったリッキーは乾いた笑みを溢した。


「ゆ……ゆれ、しゅな……?」

「『騎士として主の命に従います』って意味だよ。古代語が混じっているから、分かりにくかったかな」


 首をかしげていたペルルに、リコルが答える。何度か預けたおかげか、リコルに懐いているらしいペルルは、羽結晶をやや振り回しながら、「んへー」と間延びした相槌を打った。


「てるぅな、りこるのきし?」

「ああ、いや……そういうわけじゃ、ないんだけど。なんていうかな……あくまで、その期待に応えます、ぐらいの言葉というか……」


 説明し辛いのかしどろもどろになるリコルと共に移動する聖騎士の後を追いかけ、鍛錬場に着くと、隊長も副隊長も抜けていたせいか、ややだらけた様子だった隊員が、ビッカーピスの姿を見るや否や、慌てた様子で取り繕った。


「総員、止め。リッキー=ラ・セリュオ副隊長の提案により、エディベル=ベスカと、テルーナ=リペリンの試合を行う。場所を空けなさい」


 ビッカーピス隊長の言葉に従って、隊員たちは手早く片付けをし、「鍛錬なんかより、こっちの方が有意義だよな」などとぼやきながら脇に寄った。


 そんな彼らと入れ違うようにして、テルーナとエディベルがそれぞれ剣を抜いて中央で向かい合う。互いに握る夕空色に透き通った刃が、地面に真っ黒な影を落としている。


「あの剣、聖剣っていうんですね」


 先ほどのビッカーピスの言葉を思い出しながら、リコルに話しかける。ぐったりし始めたウェルヤに肩を貸していたリコルは、爽やかな笑顔のまま頷いた。


「うん。聖騎士と認められる為の試験を合格した者だけが、所持を許されているんだ。試練を見た精霊が、その人の特性に合わせて作るらしくて、テルーナの聖剣は正確な突きに特化した細い剣で、相手は……」


 青い瞳に相手の剣が映る。その刀身はやや反った片刃で、指先から肘ほどの長さだ。


「うーん……かなりの近接型、かな。僅差で、テルーナの方が攻撃範囲は広いか」


 武器を扱った事のないアオバには、見ただけでそういった事まではよく分からなかったが、ユラが訂正しなかったのでそういうものかと、とりあえず頷いておく。


「どちらかが負けを認めたところで終了とする。──始め」


 淡々としたビッカーピスの良く通る声が響くとほぼ同時に、両者の剣がぶつかり合った。雷が落ちたような閃光が周囲を一瞬照らす。仕切り直し、と言わんばかりにエディベルに押されたテルーナが、数歩下がり、僅かに体勢を崩し──不自然に右に逸れた。


 テルーナが態勢を崩した段階でその隙を見逃すまいと攻撃態勢に入っていたエディベルの攻撃が、修正間に合わず空いた左側に打ち込まれる。


「……ほう。良い判断力だ」


 感心したようにユラが呟く。その間にもテルーナは体勢を立て直そうとする。そうはさせまいと、エディベルが再び攻撃態勢に入った。夕空色の透き通った刃が沈みゆく夕日の如く輝き、それと連動するように彼の目も赤い光を帯びる。


(! テルーナさんが前に“黒い霧”に使った技か?)


 聖騎士固有の能力なのだろうか。エディベルが剣を振るい、やはり先に身を逸らしていたテルーナを空ぶった。


 リコルいわく、体力を消耗する技だ。一度外したのなら、相手は疲労し、当然テルーナにも有利に働く。対戦相手の顔色を確認し──平然と次の攻撃に入っているのを見て、首をかしげる。一、二回使えば肩で息をする程疲れるものなのかと思っていたが、単純にテルーナの体力不足だろうか。


 何度も何度も相手はその技を使い、テルーナは舞うようにしてそれを避ける。その光景に、聖騎士たちがざわつく。何事かと周囲を窺うアオバを見かねてか、ユラが口を開いた


「あの避け方、予知の領域に片足突っ込んでるぞ」

「え?」

「相手の男が攻撃体勢に入ってから、攻撃に移る僅かな間に、攻撃の方向を予測して既に回避行動に移っているんだ」


 言われてから注視して見ると、確かに先回りして動いているのが分かる。先ほどユラが褒めていた通り、高い判断力の賜物だろうか。「すげー」と思わず小声が漏れ出ると、ペルルが繋いでいた手をぐいぐいと引いた。何かと思って少し屈んでペルルの方に顔を寄せると、ペルルはずっと握っていた羽結晶をこちらに見せて来た。結晶の中に封じ込まれている精霊の羽は、黄色に染まっており──テルーナに攻撃が迫ると赤く発光し、攻撃を躱すと再び黄色に染まるのを繰り返している。


 ──あの方は、精霊に大変好まれております。その彼が、貴方を気にかけておいでですから、精霊たちも貴方にちょっかいをかけないでいるのでしょう。


「……」


 思わずリコルの方を見る。彼はただでさえ美しい青い瞳を、興奮でキラキラと輝かせながら試合を見つめている。


 精霊に大層気に入られている人物が、ただ気にかけているという理由だけで呪いを抑制してしまうのだ。リコルが『かっこいい』と思っていて、『頑張れ』と応援している人物が、どのような恩恵を受けるか、計り知れない。


 テルーナは、精霊の気配を察知して──星詠みが精霊の気配を呼んで“お告げ”をする要領で──攻撃を先読みして回避していた。とはいえ彼女は今朝から敷地内で起きている精霊酔いを起こしていないところを見るに、正確に精霊の気配を追えているわけではないのだろう。ただ無意識に、何となく、聖騎士という高い身体能力を使って、予知に近い回避行動を取っているのだ。


 エディベルの近距離攻撃を剣で受けながら、レイピアのような細い刀身が夕空色に輝いた。相手の重心を崩すように攻撃を流すと、首元に剣が触れる事を恐れたエディベルが仰け反り、すぐさま体勢を立て直そうと地面に手をつき──背中を踏みつぶされた。


「ッ!」


 そのまま地面に押し付けられたエディベルの首のすぐ横に、テルーナの剣が突き刺さる。


「……そこまで。テルーナの勝ちだ」


 ビッカーピスの終了宣言に、息をのんでいた聖騎士たちが疎らに拍手をする。ぱらぱらと途切れ途切れな手を叩く音の中、テルーナが剣を収め、リコルを振り返った。褒めてくれと言わんばかりに上気した彼女にリコルが(ウェルヤをこちらに預けて)駆け寄るのを、秋の夕空の色をした目に映し、技の発動一歩手前だったその目から静かに光が収束していく。


 テルーナは肩で息をしながら、一歩こちらに向かって足を出し、よたつき、丁度目の前まで駆け付けたリコルに支えられた。


(やっぱり、テルーナさんの体力少ないのかな)


 テルーナの後ろでゆらりと立ち上がったエディベルが、息一つ乱れていないのを見て、つい比較してそう思う。そんな余計な事を考えていたせいか、彼が土埃を払おうとせず、剣を構えたのを見ても、反応が遅れた。


「!? テルーナさん──」


 アオバの呼びかけより一拍早く、テルーナが振り返った。


 夕空色の剣が振り下ろされる──。


「──止まって!」


 その場にいないはずの、聖女の声がした。

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