◇ 05

 かつて守れなかったものを、今なら守れると、無意味な証明をしようとしている──。


 『アオバを守らせてほしい』と言った時、ユラはそのような事を言っていた。それが自分の為になるから、と。


 彼女は十年以上に渡り、己を嫌悪していた。大事な者を守れなかった無力な己を。本来守るべき者を拒絶して、無関係な他人を守る事を誓った己を。……それすら果たせないでいる己を。


 ──貴方自身が、心から望まない選択を強いたくない。


 他ならぬ過去の自分と同じ目に遭わせたくないと、言葉少なに言っていてくれたのに、どうして気づけなかったのか。過去を話せば、アオバが余計な想像をして能力が行使されてしまう事を危惧していた。気を遣わせたくない。心配されたくない。こんなに近くにいて、ユラの思いに全く気付けなかった。


 こんな事だから、ロレイヤやディオルを傷つけたのに。ガシェンの悪意を見抜けず、ガシェンの子を天に還すことすらできなかったのに。全く成長していない。


 そうっと布団から手を出して、触れられないのを承知で、銀煤色の頭を撫でる。顔を上げた彼女は大人びた作りだというのに、まだどこか幼い色を残していた。


「……怖くはないの。私は人を殺したのに」


 苦々し気に、ユラは言う。彼女はまだ、その惨劇の日から抜け出せないのだろう。忘れようと記憶の隅に追いやっても、暗い過去はいつまでも背中にぴったりくっついていて、いつも記憶の蓋をこじ開けようとしているのだ。


「私はきっと、貴方と私のどちらかしか助けられないとなったら、私自身を選んでしまう」

「いいですよ」


 一拍遅れて、ユラが驚いた顔をした。


「僕の為にユラさんが死ぬなんて、駄目です。僕を捨てて貴方が生きられるなら、捨ててください」


 笑顔を努めて、言う。


「それでいいです。僕は一度死んだ身だから。今生きている貴方が、これからも生きる事の方が、意味がある」


 頭に添えていた手を、ユラがやんわりと掴んだ。感触は何一つ得られていないが、彼女の手の動きに合わせて静かに腕を降ろす。アオバよりも少しだけ小さな手が、この手を包むように指を丸めた。


「……私が怖くないか」

「ユラさんは優しい人ですよ」


 少し俯いて、ユラは鼻で笑った。そんなはずないだろう、という自嘲のように感じたが、そんなはずはあるのだと、こう付け足した。


「だから、傍にいてくれると安心します」


 顔を上げた彼女と目が合って、少し照れてしまった。今のではまるで、告白ではないか。


「……安心しすぎて甘えちゃって、良くない……ですね」


 ぎこちなくそう付け加え、手を引っ込めた。触れているわけでもないのに、顔の火照りが手から彼女に伝わってしまうような気がしてしまったのだ。耳までチリチリと熱が行くのを感じながら、布団で顔を隠した。


「すみません……」

「い、いや。甘えられるなら、甘えていい。身寄りが無くて不安だろうし……その、なんだ。私はあまり、頼り無いかもしれないが……子供をあやすのなら、得意だぞ。同時に六人までなら、寝かしつけに成功したこともある」


 布団から目だけ出すと、さも業務実績かのように語るユラが目を細めてこちらの頭を撫でているのが見えた。


「寝る前に暗い話を聞かせてごめんなさい」


 穏やかさを装いながら、焦りを含んだ声でユラがそう声をかけてくる。頭を撫でていた手は肩のあたりに移動し、一定のテンポで指先がトントンと動いている。……これは幼児を寝かしつける時にする行動ではないかと、内心複雑な思いを抱きつつ、指摘するのもどうかと思って黙り込む。


「貴方は気を遣い過ぎるから、できれば話さないでいようと思っていた。今も、言うべきではなかったと、思っている」

「……言わせてしまいましたか」

「話したのは私自身だ。貴方が気に病む必要はない」


 少し間を開けて、ユラは続けた。


「でも、そうだな……一つだけ、約束して。私が恐ろしく感じたのなら、いつでも拒絶してほしい」

「……しませんよ」

「こう言っておかないと、貴方は気を遣って私の傍に居続けてしまう気がするから。いつでも逃げていい。無理に私の良いところを見ようとしなくていい。ただ、最初の約束だけを果たしてくれれば、それでいい」


 協力拠点に行き、ユラに代わってそこにいる人物と交渉をする事。出会った当初、ユラがアオバについて行くと決めた最大の理由だ。


「どんなところなんでしょうか、拠点って」


 これ以上この話題を続けていたら、ユラが再び事務的な応対に戻ってしまう気がして、逸らしてしまった。少しだけ重くなった瞼に抗うアオバを見つめていたユラには、勘づかれたかもしれないが、彼女はその話題変更に乗ってくれた。


「……大抵の場合、宗教施設の形をとっている事が多いな。後は養護施設だったり、学校、私塾のような形態のところもある。とにかくその世界に自然と混じっている場合がほとんどだ」

「やっぱり活動資金とかが、必要だから……?」

「それも勿論あるが、人との繋がりを持てば、リコルのような“運命を司る者”の情報を収集しやすい。それに、ラピエルのような脅威が出現した際、権力者との縁があれば協力体制を取りやすい、というのもある」


 話していく間にユラの雰囲気が少し落ち着きつつあり、こちらも安堵する。彼女はああ言ったが、言わせてしまったのは間違いなくアオバの責で、気を使わせてしまった事を悔いていた。どうにもユラに対しては、気遣いが足りなくなるというか、甘えすぎてしまうところがある。それだけ彼女の存在と、『守る』という言葉の意味はアオバの中で大きかった。


 だからこそ、あまり迷惑をかけたくないのに──繰り返しそうになった思考に、待ったをかける。深く考え込んでしまうと、再び後悔が形を得てしまう。それではまたユラに頼りっきりになってしまうではないか。


 僅かな寒気と肌がピリつく感覚を、深呼吸で振り払う。緊張が解けると、押しとどまっていた眠気が勢いよく全身に流れ込んだ。体温で温かくなった布団の中で、小さく欠伸をする。


「もう寝なさい」


 優しい声色で、ユラが囁く。


「何かあれば私を呼べ。必ず駆け付ける」


 眠たいせいか、思ったまま「かっこいー……」という独り言が口から漏れ出た。一瞬キョトンとしたユラの表情を最後に、瞼を閉じた。


 ペチリ、と。カードが一枚、机の上に置かれる音がした。

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