◆2章 導き手
◇ 00
賑やかな会場の端を陣取って、数台のカメラに囲まれた少女がポーズを取った。土曜の朝に放送されている、女児向けアニメの艶やかな衣装を身にまとった黒髪ロングの人物──
「セイラちゃん、目線お願いしますー!」
「はーいっ」
ソプラノの愛らしい声で返事をし、玲は慣れた様子で、今度はまた違うポーズを取った。そして──ローアングルに構えられたカメラから、少し距離を取る。
「おっと。おいたはダメですよ!」
アニメの中で怒る彼女そのものの動きを見せれば、遠くで同じような衣装の少女を撮っていた人物が、興味深そうに近づいてくる。
(お。新規来たかも)
撮られるのは苦ではなかったし、むしろ会心の出来であるこの衣装と、この日の為に衣装に合わせて絞りに絞った肉体を披露したくて、玲は近寄ってきた人物に視線を合わせて笑顔を見せる。
玲はそのアニメが好きだった。対象年齢を十は越え、親にも『その歳になって……』と苦言を溢されても、好きだった。そのキャラクターの衣装を作ったのは、単なる出来心だったが、着用して『案外いけるのでは』などと思ったが最後、化粧を覚え、体を絞り、キャラクターになりきると、憧れのアニメ世界に入り込めたような気がして、あっという間にハマってしまったのだ。
所謂、コスプレというものに。
同士が集まる
しかし、どれほど楽しくとも、人には言いづらいところがあった。コスプレというだけでも、一般人相手ではそこそこ引かれる趣味であり、これだけ気合を入れて化粧をし、更には女児向け作品であるともなると、ドン引きでも生ぬるいだろう。親にすら内緒の趣味だ。同級生に見つかるなんてもってのほか──。
新しいカメラマンを前にポーズを決めた、その時だった。
「……っうえ……!?」
思わず、キャラクターになりきるのも忘れて、間抜けな声が出た。
(ギャーっ! い、委員長!?)
人混みの中に、同じクラスの男が見えたのだ。
眼鏡をかけた知的な印象通りに、クール……を通り越して嫌味な人物だ。アニメ・漫画を否定こそしないものの、ライトノベルですら、教室で見かけると露骨に眉を顰める、オタク趣味への嫌悪ぶりは、学内のオタク仲間の間では、有名である。言いふらされたりはしない……と信じているが、正直な話、校内の誰にもバレたくない趣味だ。
(なんで、コスプレ会場に……あ、そっか。ここ普段は公園か……)
家が近かったのだろうか。見つかりたくないなぁ、という考えはすぐさま少し控え目なポージングに現れる。視線は相手の動きを確認しつつ、どうにか気配を消そうと必死になっていると、委員長はこちらからは離れて、会場を抜けるように移動していく。
(セーフ……なんだ、通り抜けただけか……)
安堵し、周囲を見渡し──すっかりカメラがいなくなってしまった事に気づき、肩を落とす。ちぇ、と呟いて、遠ざかる委員長の背中に視線を戻す。
彼は丁度道路の前まで進んでいた。
「え、ちょ、えっ」
歩道の信号は赤。だが、彼は止まる気配がない。
(う、嘘、マジで!? 自殺とか、シャレになんないって!)
バレたくないという思いより、目の届く場所で知り合いが死ぬ事の恐怖が勝り、玲は慌てて駆け出した。追いつくかどうかは分からない。とにかく声を届けようと、必死になって声を上げる。
「お、おーい! ちょっと待って!」
大声を出す事に慣れていない、なんとも情けない声量を上げながら、人混みをかき分け彼に近づく。その度に焦りからか、目に移る風景がどこかのっぺりとしてきて、絵の具で塗りつぶしたような、濃淡の無い現実味の薄いものになっていく。
まだ、信号の色は赤いままだ。
委員長はもう、道路に踏み出してしまっている。
「危ないって!」
ようやく歩道が見えて来た。頑張れば、どうにか追いつきそうだ。コスプレ衣装の、デザイン重視の動きにくい靴で駆けつけたにしては、上出来だ。
内心で自分を褒めた。
「おい、待てって!」
もう聞こえているだろう距離なのに、相変わらず委員長は足を止めない。そこに、トラックが近づいてくる。前方不注意もいいとこだぞ、と心の中で愚痴りながら、玲は危険も顧みず道路に飛び出した。
真横に影が迫って来る。多分、これは間に合わない。
(二人そろってとか死ぬとか、ありえん!)
勢いをつけて地面を蹴り、腕を伸ばした。指先に委員長の背が触れた。
(こいつだけでも!)
力いっぱいに相手を押し出し、彼が歩道まで出たのを見て安堵すると、迫ってきたトラックに目が向いた。
運転席には、誰もいなかった。
「──」
目を見開いた、はずだった。糸を切ったように視界が消えて、気づけば真っ白な場所に寝転がっていた。……コスプレ衣装のまま。
「え、何っ、なんだ!? どうなった!?」
勢いよく体を起こし、周囲を見渡す。霧がかっていて見辛いが、何もない空間というわけでもなく、ところどころに石畳のような感触がした。スカートの裾を直しながら立ち上がる。数歩歩いてみれば、すぐ近くに白っぽい石の柱が均等に並び、崩れかかってはいるものの天井もあるらしい。遺跡のような空間にキョトンとしていると、
「死後へようこそ、
柱の中央に鎮座した金色の椅子に座った、中性的な人物が声をかけてきた。ぎょっとしてその人物をまじまじと見つめる。頭の上に、棘ついた円盤が浮かんでいた。その次に目についた獣のような耳が生えた、紅色の髪が不思議で魅入っていると、少年とも少女ともつかない容姿と声で、その人物はにこりと笑い、椅子から降りると、ゆっくりと歩み寄ってきた。金色の丸い装飾が、腰の辺りでシャランと音を鳴らした。
「ワタシの名はラピエル」
「あ、どうも……玲です……え、あの、死後って? え、死んだ? マジで?」
「うん、マジだよ」
マジかぁ。と、ぼんやり呟く。つまり、トラックに轢かれて、そのまま意識が戻らず死亡した、ということだろうか。持ち込んでいた衣装鞄の中に、保険証を入れたサイフや学生証が入っていたはずなので、身元はすぐに分かるだろうが……。
(じゃああれか……母さんたちは、コスプレ姿の遺体とご対面したのか……)
なんともいえない絵面を想像して、げんなりするこちらを他所に、ラピエルは笑顔を崩さずに椅子から降り、こちらに歩み寄る。
「その様子なら、亡くなる直前の記憶はありそうだね。さて、若くして亡くなった、可哀想なキミに、チャンスをあげよう」
「チャンス……」
「記憶をそのままに、別の世界で生まれかわるんだ。さあ、手を貸してごらん」
言われるがままに右手を差し出すと、ラピエルがその手を両手で包み込んだ。すると、包まれた手がふわりと淡く光り、しばらくして収まると同時に、ラピエルは手を解放した。
「え、何」
「目を合わした全てのものに、ときめきがあると嬉しいだろう? 楽しい日々の為に、特別な力をキミにあげたの」
「ありがとうございます……?」
完全に相手のペースに飲み込まれ、玲は疑問を感じながらもお礼をする。詐欺っぽいなぁ、と思いはするものの、状況が状況なだけに、そういうものなのかもしれない、と、無理やり納得させていると、ラピエルは真鍮で出来たグラスをこちらに寄越した。中には赤い液体が並々と入っている。
「これを飲んで。次に行くために、必要なんだ」
「は、はぁ……」
問答無用で推し進められ、玲はグラスの中身をしばし見つめた後、意を決して喉に流し込んだ。果物のような甘酸っぱさと青臭さがあったが、不味くはない。
玲が飲み切ったのを見届け、ラピエルはにっこりと笑顔を浮かべた。
「全ての者が、一つしかないモノに目を奪われた時、何がおこるのかな」
こちらの言葉には耳も貸さず、ラピエルは玲の背中を押した。軽やかな動きに反して、強い力で突き飛ばされたかと思うと、突然足元から床が消えたように玲は前のめりになって落ちていく。思わず身をよじって振り返る。
にやーっとした、嫌な笑みを浮かべたラピエルが、こちらを見下ろしていた。
(絶対騙された!!)
直感的にそう考え、相手に向かって手を伸ばすが、指は何にも引っかかる事なく空を切った。視界はいつしか暗闇に染まり、死を予感しながらも必死にもがく中で小さな光が見えた。
(死にたくない、死にたくない、死にたくない……なんでもいい、誰か……っ)
思わず、それに向かって手を伸ばした。
指先に光が触れた。ほんの少しの温かい空気に、不思議と安堵した瞬間──周囲を包み込んでいた紐が解かれたように視界が明るくなり、玲は見知らぬ場所の床に座り込んでいた。
「……え、な、何、どこ……?」
理解できない事の連続に呆然としながらも、現実である確認の為に声を絞り出す。何気なく目に入った、右手側の壁に顔を向けると、見た事の無い紋章が描かれた布がかかり、その両脇には植物が大きな花瓶に生けられていた。
天井は無く、夕日で赤い空が見える。床や柱は年期が入っているものの、手入れはされているらしく、埃っぽくはなかった。
「××××!?」
「んあ?」
顔を向けていたのとは反対方向から、男の声が上がった。まったく聞き慣れない言語に困惑しつつそちらを向くと、二十代後半ぐらいの(それなりに整った容姿の)精悍な青年が、驚いたように目を丸くしてこちらを見ていた。
(チッ、イケメンかよ。ファーストコンタクトは可愛い女の子が良かった……)
内心舌打ちをしつつも、自身の袖口を見て我に返り、しおらしくなる。色鮮やかな、巫女風の衣服……コスプレ衣装のままだった。
今、玲が着ているこの服は、土曜の朝八時半から放送されている、女児向け変身アニメのキャラクター『
つまるところ、初対面の男に対して舌打ちもしなければ、訝し気な表情も浮かべないのである。設定は大事だ。それに加え、『コスプレ中は、いかなる場合においてもキャラクターになりきる』という信条もさることながら、か弱い少女のフリをした方が、親切にされるだろうという打算もあった。
「あの……すみません。私……」
キャラクターになりきれば、話下手な玲であっても見知らぬ相手に声をかけられるのだ。
おずおずと立ち上がり、まずは現在地を聞こうとしたその時だった。足に上手く力が入らなかったのか、バランスを崩してしまった。
「っと、と……」
「×××!? ××、××?」
慌てて青年が駆け寄り、玲を抱き留めた。身長差は頭一つ分と言ったところだろうか。相手の図体の大きさに、やはり内心で舌打ちをしつつも、肩越しに男の背後に視線をやる。
青年以外にも人がいたようで、こちらも驚いた様子で目を白黒とさせていた。
(なんだ? 何かの儀式場か?)
周囲がどことなく神聖な場のような雰囲気がする。教会のような、宗教的な毛色の強い遺跡のような、そんな空気が漂っている。
「×××……?」
玲を抱き留めていた青年が、おそろしく丁寧に玲から体を少し離した。視線を青年に向けると、至近距離で青年と目が合った。
瞬間、胸の辺りが強く光った。目をそちらに向けずとも、眩しい程だった。
ぴたりと、青年の動きが止まった。
「──」
予想していなかった謎の光に、思わず玲も肩を揺らし、『わっ』と声を出した──はずだった。
(!? 声が出ない……? なんで……い、いやそれより、何で光った? 誤魔化せるか?)
内心冷や汗をかきながらも、青年の顔色を窺う。相手の呼吸すら止まっているのではないかと心配になる程、青年は玲と目を合わせたまま微動だにしない。何となく見つめ返していたものの、いくらなんでも顔が近いと身をよじるが、固まってしまった男の腕を解くには非力すぎて、しょうがなく玲は困ったように相手に微笑みかけた。
どのみち言葉も通じないのだから、表情で察してもらうしかなかった。
途端、青年の顔がみるみる赤く染まり、腕の力が緩んだかと思うと、唐突に玲を抱き上げた。
「!? ……!? っ!?」
「×××××! ×××!!」
すっかりキャラクターになりきるのも忘れて、素で困惑する玲を他所に、青年は周囲の人々の下へと走り出す。人々も歓喜の表情で玲を抱き抱える青年を囲みだした。そしてふと、ラピエルの言葉を思い出す。
──目を合わした全てのものに、ときめきがあると嬉しいだろう?
(それって、まさか……)
おそるおそる、すぐ近くにある青年の顔を見つめる。視線に気づいた青年が目を合わせ、照れ切った表情でほほ笑んだ。
声を上げようにも、まるで絞り出せずに口をパクパクさせるしかなく、玲は祝福ムードの中、屋敷へと連れ去られた。
その日、『リヴェル・クシオン連邦に聖女が現れた』とお祭り騒ぎになっていた事を玲が知ったのは、言葉を理解し始めた二年後の事である。
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