◇ 12

***


「このぐらい、ですかね」


 そう一言溢し、同僚の宮本賢は、ファイリングされた資料をダンボールに詰め込んだ。陽介は「そうですね」と返答しながら、事件名と年代が書かれたファイルの背表紙を眺める。


 並んでしまった『黒野青葉』の文字から目を離せずいると、気まずそうに賢が横から話しかける。


「……そこの並び、嫌ですね。御親族、ばかりで……」

「……ですね」


 少し視線を横にやれば、『怪事件の名称』として使われた、親族一同の名が並んでいた。バラバラ殺人、遺体のホルマリン漬け、生前火葬……常人であればどれも見たくはないものばかりだ。


 話題を変えようと思ったのか、賢は別の棚から引き抜いたファイルを開く。


「それにしても、“若下アヤの死体消失事件”……懐かしいですよね。十年前の連続怪事件は、ここから加速していったと言っても過言ではありませんでした」

「宮本さんもまだまだ新人で、怪現象に驚いてばかりの頃ですね」

「いやぁ、今も慣れてはいませんからね……?」


 苦笑しながらも、賢はまとめられた報告書に目を通す。


 十年前の怪事件、“若下アヤの死体消失事件”の詳細はこうだ。


 十年前の五月。丁度衣替えの時期だった。事件現場からほど近い女子高の生徒らが、繁華街の廃ビルに侵入し、その屋上から二人が転落したと通報があった。通報まもなく、飛び降りた生徒は救急搬送されるも、死亡が確認され、単なる転落事故として処理された。


 ここまでは普通の、ありふれた事故だった。遺体が一人分だった事を除けば。


 飛び降りた二人の内の一人が亡くなり、もう一人は生還した、という話ではない。目撃者の証言では確かに二人が飛び降り、二人とも地面へと叩きつけられた。だが、見つかった遺体は一人分で、もう一人は文字通り消えてしまったのだ。


 これが、“死体消失事件”である。


 この事件は女子高生らによる心中事件として、そして一人が消えてしまったというオカルト要素もあいまって、当時はそこそこ注目を浴びてしまい、中々世間の熱が冷めず、厄介だったと記憶している。


 素人目から見ても怪異が原因だろうと判断され、陽介たちも調査に加わったその結果、当時の状況はこうだった。


 事件現場にいた生徒らは、死亡した生徒を含めて六名。その内の二名、『牙屋 梓』と『二ノ目 鏡花』という校内でも“高嶺の花”と揶揄される少女らがいた。オーラとでも言うべきか、非常に人目を惹く二人は従姉妹同士であり、仲も良く、常に二人で行動していた。


 だが、目立てば快く思わぬ者もいるもので、とある事情から鏡花が学校を休みがちになったのをこれ幸いと、梓はある人物らから嫌がらせを受けるようになった。その主要メンバーが、現場にいた四名である。その中にいた『若下アヤ』という人物が、消えてしまった生徒だ。


 事件があった日、その四名は梓を廃ビルに呼び出した。しかし、やって来たのは鏡花で、梓の到着と同時に、鏡花はアヤを巻き込む形で飛び降りた。


 集団心理による狂気。思春期の不安定な時期、特に占いなどに興味のある女子生徒が混じっていたとの報告もあり、何らかのまじないに手を出していてもおかしくはない──ここまで判明して、美代子の鶴の一声で調査は中止された。


 いじめられていた梓は、美代子の実娘であり、更に飛び降りた鏡花は、美代子の家業の跡を継ぐ予定だったという。


 だが、それだけが原因ではないだろう。美代子はその二人のどちらにも、大して興味がなかった。跡継ぎである鏡花には、多少は家業について話すこともあったようだが、実娘である梓にいたっては娘として認めてすらいなかった。故に、おそらく、他に理由があったと考えるのが道理だろう。陽介たちに探られたくない事が、事件の裏に隠れていた。


「美代子さんは今更、この事件をどうするつもりなんでしょうね……」

「この事件そのものは、おそらく関係ありません。美代子さんが気にしているのは、この事件によって誘発されている怪事件の方……今、我々が相手にしている怪事件は、十年前のこの事件から繋がっている……といったところでしょう」


 それが何かは分からない。


 いや……分からないフリをする。


(おそらくは……過去に妻が見た、“異次元の扉”……世界が複数あるという事実の隠蔽)


 飛び降りたはずの生徒が消えた。それは、地面との衝突の際に、他の世界に転移したと考えれば説明がつく。しかし、美代子は世界が複数存在することを、ひた隠しにしている。それこそ、事実として流布すれば亡き者にする事も厭わないほどに。


 つまり、触れてはならない禁則事項。


 公言して尚、妻が生存できているのは『精神的に不安定で、虚言妄言を吐いてしまう』という診断を、陽介が無理やり医師からもぎ取ってきたからだ。それでも美代子の監視自体は続いている。妻が再び“異次元の扉”を見つけ、誰かに知らせれば──否、見つけただけで──あの女は妻を斬り、存在そのものを抹消しようとするだろう。それはおそらく、陽介であったとしても、同じだろう。


(青葉が接触した怪異が、この十年前の事件と……世界が複数存在する事と、何か関係があるということ……)


 もしかしたら、青葉はどこかでまだ、生きているのかもしれない。肉体は失ってしまっているが、精神や魂と呼ぶ存在が、どこかの世界にいるのかもしれない。ただ、陽介はそこに関われない。


 不意に、重い空気の部屋にそぐわない拍手が、狭い空間に反響する。


「ご名答です」

「美代子さん……」

「それ以上、余計な事を仰らないでくださいね。便利な協力者を減らすのは、私共としましても痛手です」


 顔に布をかけ、椿柄の着物を着た女性が、扉を開けた先に立っていた。


 『貴方の妻が、禁則事項に触れている事は知っていますよ』という無言の圧力に、『分かっていますよ』と肩をすくめて見せる。


「資料はまとまりましたか?」

「はい。こちらに」

「まあ。助かります」


 手を重ね合わせ、美代子は誰かを呼ぶように、手を叩いた。パンパン、と乾いた音がして、彼女の背後から軽薄そうな男が出てくる。


「あれ、今日はヤクと一緒なんですね」


 珍しい組み合わせに、思わず口をつくと、美代子は「ええ」と頷きながら、書類の山を軽々と抱えたヤクを見つめる。彼が荷物を持って部屋を出ると、美代子は恭しくこちらに頭を下げた。


「ご協力感謝致します」


 そのまま椿柄の着物の袖を翻し、立ち去ろうとする美代子に、陽介は声をかける。名を呼びかけると、少し遅れて反応し、相変わらず若々しく見える口元が振り返る。


「何か?」

「梓ちゃんは、お元気ですか」


 十年前の連続怪異事件に関わった、美代子の実娘の名を上げる。こちらを牽制する美代子に対しては(美代子は梓を娘として扱っていなかった事もあり)藪蛇かとも思ったが、どこか穏やかにほほ笑んだ。


「大学を出てからは、企業の受付に就職しました」

「あの梓ちゃんが受付ですか……」


 思わず、素直すぎる感想が口をつく。陽介の記憶にある梓は、常に俯いて眉尻を下げた、気の弱さが全身から醸し出されている少女だったからだ。人と話すのが苦手で、視線が合った事は両手で数えられる程度。そのくせ妙に頑固で、内弁慶なところがある。人目を惹く美貌と雰囲気を持つものの、とても接客が出来るタイプには見えなかった。


 視線を天に投げても想像できずにいると、向かいで賢が笑った。


「黒野さん、普通の人にとっては、十年は大きいですよ。そりゃあ、成長しますって。うちの娘だって、二年前と今とじゃ趣味も違いますし」

「まぁ、そうでしょうけど……」


 机に腰をもたれさせ、腕を組んだところで、美代子が口を開いた。


「ところで、黒野さん」


 話題を打ち切り、穏やかな声で美代子は続けた。


「ご子息様が通われていた高校の現状、ご存じでしょうか」

「……今のところ、応援要請はされていませんが」

「ええ。決定打がありませんので。ですが──この数日で校内の『転落事故』発生数が、十二件。幸い死亡者は出ておりませんが、これから先もそうであるとは保証しません」


 ちらりと、賢が視線をこちらに寄越した。陽介たちが所属する怪異事件捜査課は、基本的には他の課から応援要請を受けて調査に加わるが、怪異が関わっているとこちらが判断した場合、調査に介入する事が許可されている(当然、現場からはあまりいい顔はされないが)。


 強引に介入して、事件の原因が怪異であれば、こちらの領分として処理し、そうでなければ無駄に現場をかき乱した挙句、報告書を作成する手間が増える。慎重に判断しなくてはならない方法である。


「──被害者たちに、共通点が無い。怪異と結び付けるには、情報が足りない。……と言いたいのでしょうけれど、私が何故、直接貴方に、この事を伝えたのか、よくお考えになってくださいね」


 にこやかに言う美代子に対し、その後ろで軽薄な男──ヤクが、小声で「嫌味な言い方」と呟くのを合図に、二人は去って行った。


「……宮本さん、被害者リストは手元にありますか?」

「手書きでよければ」


 こちらの問いに、賢は普段から懐に忍ばせているメモ帳を振って見せる。それを見て、陽介はポケットから、画面の割れたスマートフォンを取り出した。


 青葉が転落時に、ポケットに入れていたものだ。画面を点灯させれば、ロック画面が現れる。適当に同じ数字を連打すると、すんなり開いてしまうセキュリティ概念の薄い息子の考えに今更ながら心配しつつ、すっかりため込まれてしまったメッセージアプリやメールの受信数に目を落とし、少し迷ってからタップする。


「……佐々波徳斗、会田正巳、上島瑠子」

「あ、いますね。上島瑠子、最初に転落事故を起こした子です」


 陽介が画面に表示される名を読み上げると、メモ帳のページをめくっていた賢が声を上げる。


「まず一人、か。ええと、谷本高雅、春宮りんご……」

「はい。いました」

「次──」


 名を呼ぶたびに、賢の「ありました」という声が上がる。


 それを何度か繰り返し、転落事故として処理されていた十二件の全ての被害者の名を見つけ終えると、陽介は静かに頭を抱えた。それを見て、賢が恐々と声をかける。


「あの、もしかしなくても、青葉君って、相当顔広い感じですか?」

「広く浅く、でしょうね……」


 メールやメッセージを遡ってみれば、どうも学校外や、年代の違う人間とも連絡先を交換していた痕跡があり、眉間の皺が濃くなっていく。


(あー、そうか、犬猫拾った時に、里親募集していたからそれで……)


 過去を思い出し、納得してからも頭が痛くて溜息を吐いた。


「怪異に巻き込まれなかったとしても、長生きはしなかっただろうな……」


 これだけの人数と薄くも接点があるのならば……仮に今校内で起きている転落事故が青葉の死亡が原因であるのならば、これから先どれ程の人間が、その怪異に巻き込まれるか分かったものではなかった。


 額を押さえてため息をつくと、その様子から大方察したのか、賢が苦笑した。


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