◇ 09

「う──ッ!」


 くぐもった声がして、赤い日差しで煌めく何かが宙を舞った。それは弧を描いて、その人物の後ろに落ちた。


「リコル様! ご無事ですか!」


 リコルとその人物の間に、ピンクブロンドのツインテールを風になびかせ割って入った彼女は、普段の可愛い子ぶった様子とは打って変わって、真摯な騎士らしい声色で問いかけると、細い刀身を素早く構え直した。


「テルーナ……! どうしてここに……」

「アオバ君が夜中にうろちょろしているのが見えたので、連れ戻しに来ただけでしたが……リコル様の危機に駆け付けられて、幸いです」


 そういえばペルルが後ろを気にしていたな、と思い出す。後を付けられていた事に驚きながらも、テルーナが向かい合う人物に目を向ける。


「ルファ!? 何をしているんだ!」

「この子……やっぱり、この子だ。私が見かけた子だ」


 リコルが追いかけたのはやはりルファだったようで、姿を確認して安心したのも束の間、様子がおかしい事に気づき、顔をしかめる。


 ルファは背を丸め、よたついていた。片腕はだらりと力無く下げて、もう片方の腕は腹部を押さえている。


「リコル様に刃を突き付けるなんて……これはもう、処刑ですよ、処刑!」


 憤慨するテルーナの言葉を聞いて、先ほど彼女が弾き飛ばした物を見た。果物ナイフだろうか。小型の刃物が落ちていた。


「ま、待ってください! 様子が変です!」

「人を殺そうとする輩なんて大体、気が変なんですよ!」

「そうじゃなくて! 宿屋の子です! その子、テルーナさんも泊っていた、ゲーシ・ビルの宿屋の子です!」

「えぇ……あれれ、本当だ」


 気の昂りが少し治まったのか、テルーナはルファを見据えると小首を傾げた。


「むー……ルファちゃん、でしたか。私の声、聞こえます?」


 武装は解かず、警戒したままテルーナがルファに声をかける。よたついていたルファはその呼びかけに応えず、浅い呼吸を繰り返しながら耳を塞いだ。


「こ、ころ……ゆ、ゆ、ゆるさ、な……あ、ああ……ッ!」


 吃音交じりの言葉に、リコルの表情が固まった。そんな彼を守ろうと、テルーナが一歩前に出る。


「リコル様、もう少しお下がりください。貴方にもう、傷一つつけさせはしません」

「……」


 間があって、リコルはその場を動かずに顔を上げた。怯えよりも、わずかな落胆と負けん気を含んだ表情で口を開いた。


「守られるばかりの頃合いはとうに過ぎたっ。それに、あの子は私に用があるのだろう? 要件を聞こう!」


 やや投げやりにも聞こえる言い方で声高らかにそう言うと、ルファに視線を向けた。


「君が、ラピエルか?」


 その問いかけに、ルファはピクリと反応したかと思うと、口から黒い靄のようなものを吐き出し始めた。大きく口を開けてゆっくりと天を仰ぎ、全身を痙攣させて悲鳴を上げた。


「あああああ────……ッ!!」

「ルファ!」


 靄に見えたそれは、実体化した“黒い霧”だった。誰の何の思いによって形を得たのか不明なそれが、ルファの全身から放出され切ると、ルファはその場に倒れた。


 周囲を漂う“黒い霧”からリコルを遠ざけようと、テルーナが退くのとは正反対に、アオバはルファに駆け寄った。近づくたびに視界を奪う程の濃い霧を、ユラが薙刀で振り払って道を作ってくれたおかげで、難なく彼女の下までたどり着いた。


 一歩遅れてペルルが後ろを追いかけきた足音を聞きながら、ルファの肩を叩いた。


「ルファ、しっかりして! ルファ!」


 滲んだ汗が冷えて、少しの湿り気とひんやりとした肩を遠慮がちに揺さぶるが、反応がない。


「アオバ、落ち着いて。生きている」


 ユラの言葉に少し落ち着き、ルファの口元に耳を寄せる。確かに呼吸はしている。運びやすいように膝の裏に腕を回して抱き上げて、その場から離れながらもとにかく状況確認をしようと視野を広げれば、少し離れた先にテルーナが弾き飛ばしたナイフが、赤い日差しを鈍く反射させて転がっているのが見えた。


(ナイフ……じゃない。研いで小さくなった包丁か!)


 食堂で、包丁を無くして怒られていた男性を思い出し、頭を抱える。と同時に、目を覚まして以降、ルファを見かけていなかった事に気づいてしまった。


(ネティアたちと一緒にいるって、顔も見てないのに勘違いしてた……! あの時点で気づけていれば……)


 見落としていた。気づかなかった。



 



「……ぁ」


 ピクリとルファの瞼がわずかに痙攣し、薄くその目を開けた。


「ルファ、よか──」

「おにぃ、ちゃ……ん……」


 こちらの顔も目に入っていない様子で、呼びかけすらもその耳をすり抜けて、ルファはぼんやりとした表情のまま手を天へと伸ばした。


「え」


 不意に、頭上から影がかかった。


 目を見開いて見上げれば、顔の無い何かがこちらを見下ろしていた。ソレは、いつの間にかアオバから滲み出ていた後悔に反応し、輪郭を得ていた。


「──頭を下げろ!」


 突如響いたユラの鋭い声に、反射的に頭を引っ込めた。瞬間、周囲の木々を薙ぎ倒さんばかりの突風が吹き、形を得ていた“黒い霧”を消し飛ばした。


 恐怖の対象が消え去ったにも関わらず、ユラが舌打ちをする。


「ダメだ、通っていない!」


 ユラが言い終わる前に、消し飛んだはずの“黒い霧”は再び集合し始め、覚束ない様子でゆっくりと、リコルの方へと方向転換をした。


「こ、こ、こ、ころ……す、オマエ、だけ……は……」

「……っ! り、理由を聞かせてくれないか」

「ころ、こ、ころ、すす、す、す」


 決して逃げずにリコルは問いかけるが、会話にならず、“黒い霧”は一方的に言葉を発し続ける。


「オマエ、だけは……オマエ、だけが……どう、して、ワタシが……どうし、て、っふ、フフフフ、アハハ!」


 のそりと細長い体を揺らして笑いだしたかと思うと、“黒い霧”は突如走り出し、テルーナを飛び越えリコルの目の前に地面を抉って現れると、彼に向かって長い腕を振り下ろそうとした。


「リコル様に、触るなッ!」


 言うが早いかテルーナがその目と同じ夕空色の刃を、“黒い霧”に突き立てた。刃は空を染める赤に等しい輝きを放つと、風圧で刀身の二回り以上の穴が広げ、“黒い霧”の全身にヒビを入れた。


 “黒い霧”は穴を中心にヒビが入ると、爆風と共にはじけ飛び、破片が石碑や近辺の地面に深々と突き刺さった。


「っはぁ……はぁ……リコル様、ご無事ですか……っ」

「あ、ああ。大丈夫だ。テルーナこそ……」


 二人の安否を確認し合う様子を見ながら、アオバはその場にへたり込んだ。


(こ、怖……何にもできなかった……というか、割り込んだら、死ぬかも……)


 アオバには、ユラの周囲の木々を傾ける風圧を生む程の力も無ければ、テルーナのような反射速度も剣技も持ち合わせていない。うっかり彼らの間に立っていたら、首が飛んでいても気づかない程の展開だった。


「ぅ……」


 腕の中でルファが呻く。見下ろすと、眉根を寄せて、苦しそうにしている。


「ルファ、大丈夫か? どこか痛い?」

「うぅ……」


 体内に“黒い霧”をため込んでいたせいだろうか? まだ体の中に、“黒い霧”が残ってしまっているのだろうか? 気休めにしかならないだろうとは思いつつも、ルファの手を取り、想像した。


「……っ」


 吐き気を押さえるように、ルファが体を丸め、口元に手を当てた。彼女の体から少量ずつ黒い靄がにじみ出ては、空気中に紛れて消えて行く。


「ソレは、誰の、何の思いなんだろうね」


 少年とも少女ともつかない声が、背後からした。


「誰もが口を閉ざし、話題にする事を禁じたあの町で、どうして彼女は知っていたと思う?」


 何の話だ?


 能力を使用しながら、その声に耳を傾けてしまった。


(土贄の儀の事か……? でもそれは、父親から聞いたってルファが……)


 いや、違う。子供らに話す事を、大人たちは躊躇い、禁じた結果があの町じゃなかったのか。十五年前に起きた、三人連続で町の子が贄に選ばれるという出来事を、掘り返さないために──


(…………あれ?)


 本当に、三人だったか?


「さあ、思い出して、賢い青葉。贄の役目も果たせないと、罵られた子は、何人だ」


 まるで文章題でも出すように、歌うようにラピエルが問いかける。完全に何事かに誘導されていると理解しているのに、二日前の出来事を探り始めていた。


(あの時ガシェンさんが呼んだ名は、ラオ。コワムゥ。ファラウ……の、三人……)


 子の罪を被ろうとしていたガシェンが、己の子の名前をそこに加えているとは考えにくい。


 更にルファは、夕飯時にアティにこう言っていた。『お兄ちゃんが帰ってきたみたい』と。十五年前の出来事ともなれば、ルファは生まれているかどうかも定かでない頃の話で、『貴方には兄がいたんだ』と、両親が語り聞かせていてもおかしくなかった。


 ルファが『嘘でもいい』と言ったのは、『なんでも本当だったらいいわけではない』と答えたのは、


「ああ、でも残念! せっかく形を得たのに、壊れちゃった。生まれてからずーっと、こつこつ積み重ねて作り上げた“理想のお兄ちゃん”だったのに!」


 彼女自身が、その執念染みた妄想を、否定したくなかったのだ。


 考えてみれば、あの宿屋の倉庫にオーディールがいた時点で何かがおかしいと思わねばならなかった。オーディールは祈りと供物があって、はじめて存在できるものなのだから、つい最近にも近隣の誰かが神へと祈り、供物をささげ続けていたという実績があったという事実に他ならない。遠い町の噂でしかない御使いを信じ、すぐに祈り場を表に出すほどの信仰深さは、“かつて神に捧げた子の安らぎ”を求めていたからだと考えれば納得がいく。


 耳元で、中性的な声が囁いた。


「ねえ、青葉。壊れちゃったんだよ──直してあげないの?」


 言葉を聞き遂げると、ほとんど自動的に能力が行使されていた。


 胸の辺りの光が、普段よりも強く輝く。洞窟の権限を精霊から強奪したあの時よりも、一際強く光を放っていた。


「アオバ、貴方何をして……!」

「! あ、あれ、なんで……勝手にっ!?」


 ユラの声で我に返ったものの、時すでに遅く。石碑に突き刺さっていた“黒い霧”の欠片が、石碑を黒く染め上げて飲み込むと、これまでにないほどの激しい揺れと地響きと共に、目の前の地面が割れた。少し離れた山々で鳥の大群が逃げるように飛び去る中、広い亀裂の下から、空を覆う程の大量の“黒い霧”と同時に巨大な壁が、道を塞ぐようにせり上がってきた。



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