◇ 07

 思わず閉口し、静寂が訪れると気まずい空気が漂う。一度口を止めてしまえば、小さな怒りはただの熱に変わり、ユラなら受け止めてくれるだろうという甘えに気づくと、その熱は気恥ずかしさと後ろめたさになり、アオバはため息交じりに俯いた。手前にいたペルルの方に額を預ける形になったが、その重みも気にしていないのか、ペルルは微動だにしなかった。


 無遠慮に扉が開いたのを機に顔を上げると、リコルがいた。


「そろそろ食事終わって──あれ、食器はどうしたんだい?」


 部屋に上がった彼が周囲を見渡す。アオバが動けないのを見て、わざわざ取りに来てくれたらしく、アオバは頭を下げる。


「す、すみません、自分で食堂まで行って、返してきました」

「そうだったのか。ああいや、取りに戻ると伝えてなかった私が悪いね。そんなに謝らないでくれ」


 途中で転んだりしなかったかい。などと朗らかに言いながら、リコルは隣に腰かけ、足を組んだ。


 黙っているのも間が持たなくて、アオバは口を開く。


「あー……ええと、リコルさんは、テルーナさんとはどういう御関係なんですか?」

「へっ?」


 長い睫毛に縁取られた青い目を丸くして、リコルはやや声を裏返した。それから頬をかき、質問の意味が分からないと言いたげに眉をひそめた。


「い、いえ、その。テルーナさんが探していた人って、リコルさん……ですよね?」

「あっ、そういうことか。テルーナとは付き合いが長いんだ。十二年前に、聖騎士の仕事にお忍びでついて行った、テルーナの地元で会ったのが最初だったかな。テルーナはあの頃からずっと、カッコいいんだ」


 幼馴染というものだろうか。リコルは穏やかに続けた。


「私は今回、人探しの命を兄から受けて外に出たのだけれど、通行規制で定期報告が家に届いていなかったみたいで……それに気づいたテルーナが、名乗りを上げてくれたそうだよ」

「そうでしたか……ちなみに探している人というのは」

「私の憧れの存在だ。そうだ、アオバは見てないかな。長身長髪で、三十代直前の……聖騎士、なのだけれど」


 言いながら、リコルは自身の頭一つ上のあたりに手をかざした。リコルの身長はアオバより少し高い、百七十と数センチ……それより頭一つ高いとなると、百九十近い長身になるだろう。見ていない、と首を振れば、リコルは「そっかー……」と肩を落とした。


「失踪されたんですか?」

「いや……一応、休暇の申請はされているんだ。真面目なお人柄だから、戻って来るとは思うのだけれど。ただ、その方は十年間無休で働き続けていたものだから、休暇が三年分程溜まっていて……いつ戻ってくるつもりなのか、そもそも今どこにいらっしゃるのか……」


 困り果てた様子で、リコルは頭を抱えた。憧れの存在が突然行方知れずになったのだから、当然の反応である。


 カタカタと、地面が揺れる。


「……うーん、まだ揺れるか」

「この町に着いてからずっとだと、聞きましたが……」

「うん。嫌な予兆でなければいいのだが」


 そう言うとリコルは少しだけ、考え込むように黙り込んだ。伏し目に艶やかな金髪がかかるが不潔さは無く、全てが美しく見えるよう計算されて描かれた絵のようだ、などと能天気に考えるアオバの横で、リコルは躊躇いがちに口を開いた。


「少しだけ、私の話を聞いてくれないだろうか。できれば……御使い様として」

「! わ……分かりました」

「ありがとう」


 こちらの返答に視線を持ち上げ、少しぎこちなくほほ笑むと、リコルは祈るように俯いた。


「貴方たちと出会った洞窟で、地響きがあったのは誰かから聞いているだろうか」

「はい」

「そうか。保護区の中心部は空洞になっていて、あの洞窟はその空洞の上にあるそうだ。崩落の危険を考え、地響きがする中、我々は地下街道を通じてこの町へと撤退した。……だから、もしかしたら、聞き間違えかもしれない」


 悲しそうに、リコルは言う。


「“許さない”と、声がした……気がした」

「……恨まれるような覚えは」

「無い……わけでもない。私は……多くの命を見捨て、無視してきた。いざ自身が同じ立場に立たされた時、泣いて怯えて、蹲って……助けてもらった。私だけが。他の誰もが同じように縋っても、助けもしなかったのに」


 ぽつり、ぽつりとリコルは語る。自信に溢れているように見える彼も、ほの暗い後悔を背負っていて、それを気にかけていた。それを聞くことが自分に出来ることならと、アオバは一言一句聞き漏らしまいと、丁寧に言葉を拾っていく。


「私には、助けてもらえるほどの価値は無いのに。父や兄なら分かる。だけど、私にはそんな価値は無い。だからせめて、この命は他の為に、誰かの役にと、そう思って行動してきたけれど」

「……」

「それも結局自己満足でしかなくて、人に迷惑をかけてばかりだ。だからその声が……聞こえてしまったのかもしれない」


 どこか、自分と被るものを感じて、リコルの言葉を真摯に受け止める。彼が言葉を切るまで聞き終えると、気に障らないようにしながら質問をする。


「他の方には、聞こえてなかったということですか? ウェルヤさんとか……」


 従者である彼の名前を出してみれば、リコルは首を横に振った。


「何も聞こえなかったそうだ。やはり幻聴だろうか」

「そう……ですね。後悔や思い込みが、幻聴に繋がる事もありますが……」


 ちらりと視線をユラにやる。ユラはツリ目がちな灰色の目を伏せ、一拍置いて口を開く。


「おそらく……ラピエルの声だろう。あの地鳴りとほぼ同時に、ラピエルの気配が急速に強まったからな。リコルが“運命を司る者”である故に聞こえたか、もしくは……リコル自身が、ラピエルと何らかの関わりを持っている、か」


 今までラピエルの姿や声を認識できていたのはアオバだけだ。それは死後、ラピエルと接触した事が理由だとすれば、リコルも何かの形でラピエルに接触している可能性は否定できない。


「……リコルさんは、ラピエル、という人物を知っていますか? 中性的な……歳は僕と同じぐらいの、ラバという種族の特徴を持った人物です」

「いや……」


 思い当たる節が無いのか、リコルはキョトンとした顔になり──不意に顔をこわばらせた。


「ラピエル……? ラバ族の……?」

「な、何か知っていますか?」

「い、いや! 何も! そ……その人が、なんだい? 声の主なのか?」

「推察でしかありませんが……今現在、保護区を中心に存在を強めている人物です。フラン・シュラの出現にも、大きく関わっている……と、思います」


 話を聞く内にリコルは慌てて取り繕い、口元を覆うように指を当てた。何かを思い出すように視線が動き、次第に表情は険しくなっていく。


「アオバ。念のために聞いておくが……そのラピエルというのは、連れ去られる者達ランピ・エダルの事じゃないだろうね?」

「え? さぁ……そう名乗っていた、ぐらいしか僕は知らなくて」


 いつだったか、ユラにラピエルの名を言った時に聞いた単語が返ってきた。ランピ・エダル。この世界の言葉で、『連れ去られる者達』を意味する言葉だ。


 アオバの返答に、リコルは「そうか……」とあまり納得をしていない表情で返し、しばらくして「よし」と顔を上げると、立ち上がった。


「少し調べる事ができてしまった。湿っぽい話を聞かせて、悪かったね」

「え、いえ」

「私は、私が出来る事をする。それは変わる事が無い、心に決めた事だと、再確認した。アオバも、御使いかどうかは置いておいて、君自身がやりたい事をして欲しい」


 そう言ってリコルは部屋を出ると、「今は安静に、だよ」と残して去って行った。扉越しにウェルヤを呼ぶ声が聞こえ、少しずつ遠のいていく。


「連れ去られる者達、か……」


 ぽつりとユラが呟く。その言葉を反芻し、アオバは思った事を口にする。


「この世界だと、土贄の儀で選ばれた、贄の事でしょうか……?」

「そんな気はするが……だとしたら、ロレイヤたちの家の前にいたのは何だったんだ? 誰かを待っていた……リコルが近くにいた? だとしても……何故、あれだけの量のフラン・シュラを侍らせておきながら、すぐ近くにいたロレイヤたちを襲わなかった? ドライオの家にいたというラピエルも、人を襲わなかったし……」


 最初こそアオバの言葉に対する返答だったが、次第にぶつぶつと独り言へと切り替わり、ユラは数秒の沈黙の後、「わからん!」と声を上げた。


「出来うる限りで調べてみるか……少し外に──」


 窓に向かって歩みだし、ユラは言いかけて振り返った。


「……アオバ、私が戻って来るまで留守番は出来るか?」

「そんな小っちゃい子じゃないんですから……」

「貴方、今までどれだけ、私との約束を忘れてうろちょろしたか、覚えていてそう言っているのか?」

「……ごめんなさい」


 言われるまでもなく、『じっとしていろ』というユラの言葉を何度破ったかを数え、素直に謝罪した。


 ユラは薙刀の柄の部分でアオバの頭を控え目な加減で叩くと、「次は無いぞ」と言って窓をすり抜けて行った。追いかけるようにペルルが膝の上から降り、窓を覗き込み、不思議そうにユラの後ろ姿を見つめている。


「あおば、いかないの」

「お留守番だよ、お留守番」

「おるすばん」

「ここでじっとしておく、って意味」


 会話の合間にペルルが戻って来て、ベッドに寝転がると、枕を占拠した。


「あんせー」

「そうだね」


 ペルルに倣ってベッドに寝転がり、天井を見上げる。後頭部に鈍い痛みが走り、腹部も力を入れるとズキズキとした痛みを感じる。少し頭を持ち上げて服の裾を捲り上げると、くっきりとした青紫色で、靴の底の跡が腹部に浮かんでいた。


(見ない方が良かったかもしれない……)


 そういえば、強めに蹴られたんだったな、と思い出せば、意識していなかった数秒前に比べて、痛みが増してしまった気がする。


 体の力を抜いて、改めてシーツに全体重を任せ、目を閉じる。


二日も眠ったのだから、さすがに転寝すら難しいだろう。そう考えて間も無く、アオバは眠りについた。


 ──。

 ────。


「×××、×××」


 舌足らずな声が耳に届き、アオバは薄く目を開けた。声の主は、赤い日差しに照らされた部屋の窓辺にいた。真っ白な髪や肌、服を日差しの色に染め、少女の姿をしたソレは窓の縁を掴み、踵を浮かしたり下ろしたりしながら、歌うように同じ単語を繰り返している。


「×××、×××」


 寝起きで遅い動きながら、自身の耳飾りを外す。


「とうべ、とうべ」


 自動翻訳の機能を失った耳が、遠くに聞こえる聞き慣れない言語の中で、はっきりとペルルの言葉を聞き取る。


「とうべ」


 だが、その言葉にどんな意味があるのかは、わからなかった。どこかで聞いた言葉を、そのまま口にしているだけなのか。ペルルの中にいる誰かの記憶の断片なのか……全く判別がつかない。


「とーおべ」


 一定間隔で繰り返される言葉が、またアオバを眠りに誘う。


「とうべ、とうべ」


 舌足らずな声が、ぼんやりとした頭の中に響く。とうべ、とうべ……とうべ……。


 聞き慣れない言語の小さな騒めきが、街角の雑踏のようだった。聞き取る事の難しい、数多の声の中──手拍子が聞こえる。


 ああそうだ。丁度、ペルルの声の間隔と、よく合うような手拍子だった。囃し立てるような声が、反響していた。


「とうべ」


 女性の声だった。複数人の、女性の声だった。どこからか分からない声は、手を引かれて歩いている内に、近づいていた。おそらく、すぐ近くのビルで、声を上げていたのだろう。


 だからあの日、アオバは顔を上げた。どこから聞こえているのか、気になったのだ。絵具で塗りつぶしたような真っ青な空に、白い帽子が浮かんでいて、女性らの声は未だ反響し続けている。


 とうべ。


 とうべ。


 ……。


 不意に、手拍子が消えて、囃し立てるような声も止まった。アオバが帽子を掴み損ねたその瞬間に……影が、落ちて……。


「…………飛べ……?」


 ふと、その言葉を口についた。寝起きの掠れて低い自身の声が、思いのほか部屋の中に響く。


 ピタリと、ペルルの声が止まった。

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