01-4 カミサマの玩具箱

◇ 01

 まどろみの中で、アオバはぼうっとしていた。車内に差し込む朝日は少し眩しくて、画面の明るさ設定を低めにしていたスマートフォンの画面が見えない程だった。


 到着駅のアナウンスが流れてしばらくすると、ガタン、と大きく揺れて、車両が止まる。両開きの扉が開き、そもそも空いているとは言い難い車内に人が流れ込むと、アオバと同じ制服を着た男子生徒が目の前に立った。


「よ。おはよ、青葉」

「おはよう、佐々浪」


 初見も、そして友人として関わり合いが増えてからも、爽やかな青年という印象が変わらない佐々浪が、人に押されながら挨拶をしてきた。使っている線が同じだと判明してから、登校時にはよく顔を合わせる。


 いつもの光景。だが今は、不思議と懐かしい。


「小テストの範囲、なんだっけ」

「え? なんの?」

「世界史」


 鞄を探ろうとして、満員電車の中ではそれも叶わず、アオバは苦笑した。


「ごめん、降りてからでいい?」

「あれ、青葉が覚えてないの珍しー」

「あはは……最近ちょっと、勉強する暇なくて……」

「ん? 塾は?」

「いや、ホント……最近行けてないんだ」


 なんで? と言いたげに佐々浪が目をぱちくりとさせた。……そういえば、なんでだっけ?


「まあ、世界史だしなぁ……ある程度暗記してるし、いっか……ああでも、国旗とか出してくるんだよなぁ、あの先生」

「国旗は確かに分かんないよなー……そういえば、シャニアとか、サネルチェって国旗あるのかな。見てないや」


 後でユラに聞いておこうかな。ぼんやり考えるアオバを、覗き込むようにして佐々浪は言う。


「何それ? どこ?」

「え? ほら、保護区を囲むようにして、北西がシャニアで……」

「保護区? 青葉、何の話してんだ?」

 あれ……?


 寝ぼけてんのかー? と、あまり気にしていない様子で佐々浪が笑うのを、アオバは違和感を覚えながら視界に入れる。ふと、周囲を見る。吊り下げられた広告は、雑誌の宣伝、新しく始まるドラマや映画のポスター、脱毛やら新築マンションやらととりとめが無い。書かれているのは見覚えのある文字のはずなのに、何故か上手く処理しきれず読み取れない。


「そういやさぁ、昨日の、優麻ゆうまのドラマ、見た?」

「えっと……」


 確か春先から宣伝していた、人気女優の新作ドラマ……の話だろうか。今はテレビなんて見られる環境ではない。話についていけず、曖昧に笑って誤魔化した。


「そ、そうなんだー……」

「え、何、見てなかった? 悪い、ネタバレしちまった」

「ううん。大丈夫」


 何か変だ。何かおかしい。そもそも、彼と話していること自体が、おかしいのではないか? だってアオバはもう……。


「青葉」


 穏やかな声が、アオバを呼びかける。


「もう降りるぞー」

「あ、うん……」


 電車が止まる。扉が開き、降りる人を待たずに乗り込んでくる人に流されて、アオバは車内の奥に押し込まれる。人と人に挟まれて、潰されそうになるアオバの腕を、佐々浪が掴んだ。


「なあ青葉、あのさ──俺たちの事も、忘れんの?」

「え……」


 ぎくりとして、彼の顔を見た。


「わ、忘れたりなんか……」

「本当に?」


 ただ一言、佐々波の言葉に心臓を鷲掴みにされたように、胸が苦しくなった。ずっと覚えていられる保証なんてどこにもないのに、自分の返事のなんて頼りの無いことか。


「青葉──」

「──」

「────」


 声が、別の声に重なってかき消える。掴んでいた腕が消えて、声はどんどん遠ざかっていく。彼の言葉の続きを聞こうと、もがいてみるがどうしても体は前には進まない。雑音は増え、ついに佐々波の声は聞こえなくなってしまった。


「──ぃ……み、し……しろ」


 背後から、誰かの声がする。いや、誰かじゃない。今さっきまで、目の前で話していた佐々浪の声だ。それを認識した途端、さっきまで何ともなかったのに、何故か懐かしくて、涙が出て来て、声がする方に──後ろに向かって、流されるままに足を向ける。


「君、しっかりしろ! 私の声が聞こえるか!?」


 今度こそはっきりと、言葉が聞こえた。


(……私?)


 一人称が違う。疑問を感じた瞬間、意識が浮上した。


***


 目を覚ました。柔らかい朝日が窓越しにアオバに差し掛かり、少し眩しい。置いた椅子に人が座っていた。


「……」


 柔らかそうな金髪が、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。少女と見紛う程の美貌に戸惑ったが、細身だが筋肉の付き方からして男だろうと判断する。その人物は簡素な造りの椅子に座り、頭を壁に預けるようにして寝ていた。


(え、誰……?)


 知り合いではない。何人か端正な顔立ちの知り合いを思い出してみたが、ここまで目を惹く美貌の持ち主はいなかった。


(どこだ……洞窟……そう、確か洞窟に連れて行かれて……それで、ええと……)


 保護区からサネルチェ公国に連れて行かれ、その後の事を順序立てて思い出していると、壁をすり抜けて黒いロングワンピースの女性が部屋に入ってきた。彼女はアオバに目を留めると、驚いたように目を見開き、ゆっくりと片手で顔を覆うと急いでベッドの脇にまで駆け寄った。


「あお……アオバ……っ、目を、よか……よかった、本当に……!」

「ゆ……っげほ! ケホ……っぺ、る……は」


 パサついた喉が引きつり、アオバは咽込んだ。ユラがいるならきっとペルルも無事だろうと思いながらも、所在を聞こうとして声が出ず、喉を押さえていると、ユラは慌てて扉に駆け寄って顔を突っ込み、ペルルを呼ぶ。


「ペルル! み、水! 水持ってきて!」

「うー?」

「そこの湯呑を取って、そうそう……」


 二人が廊下の方でやり取りをしている間に、アオバの咳が聞こえたからか、美しい青年が目を覚ました。長い睫毛に縁取られた青い目を、手袋をした手でこすり、アオバと目が合うと、ぱっと笑顔になった。


「ああ、よかった。目を覚ましたんだね」


 穏やかな声だった。聞く人全てを自分の調子に巻き込んでしまうような──聞き覚えのある声。


「!? ど、どうしたんだい!? どこか痛むのか?」

「──ぇ……」


 無意識にボロボロと涙が零れていた。


 見知らぬ美形から、佐々浪と全く同じ声が出ていた。ちぐはぐな印象よりも、もう聞くことは無いだろうととっくに諦めていた懐かしい声に、涙腺が緩んでしまう。意識が覚醒し始めると、確かに体中が痛かったが、心配をかけまいと乱暴に涙を拭って首を振る。


「っみ……ずみ、ませ……ゲホッ」

「おっと。待っていて、水を……」


 彼が立つと同時に、扉がノックされた。部屋を出るついでといわんばかりに青年が扉を開けると、ペルルが慎重な手つきで湯呑を持って立っていた。


「ちょうどよかった。君のお兄さん、目が覚めたみたいだよ」

「おにさん、ちがうー」

「あれ? 違うのか?」


 首を上下に揺らさず、ペルルは綺麗に横に振った。青年が扉を支えて中に入るよう促すと、ペルルは湯呑いっぱいに入った水を、溢さないようにゆっくりと動いてそれをこちらに差し出した。


 軋む体を起こして受け取る。さすがに水面張力が出来るほど限界まで入れられた水を溢さず飲む事はできず、シーツに溢してしまった。


「あぁ……」

「拭くものを貰ってくるよ。ついでに、皆にも君が起きた事を知らせて来よう。ああそうだ」


 部屋を出ようとして、青年は一歩だけ戻って来ると振り返り、静寂を促すポーズをとった。


「私が居眠りしてしまった事は、内緒にね」

「あ、はは……はい」


 アオバが頷くと、青年はにこやかな表情を浮かべて、部屋を出て行った。視線を持ち上げ、ベッドの脇に屈んだユラと顔を合わせる。


「あの……今のは」

「リコル、だそうだ。途中で合流した」

「そ、ですか……あの……連れ去られた子たちは……」

「全員無事だ。先に脱出を試みたという者も、昨日アティとグランが見つけ保護してもらっている」


 よかった。結局こちらは手伝えなかったな、と思いながらも彼女らの無事に安堵し、今度はアオバが直接傷つけてしまった人物で、気がかりだった『誘拐犯側』の事を聞き出すと、わずかな沈黙の後、ユラは言う。


「足の負傷と錯乱状態は見受けられたが、憎々しいことにこちらも全員無事だ」

「よかった」

「……」

「あの、若い男女は……ええと、女の子の方は、獣耳なんですが、近くにいませんでしたか?」


 言われるがままに外に出した二人の事が気になっていたのだが、そちらは保護できなかったようで、ユラは首を横に振った。


 無理強いをしてでも、ユラたちが来るまで待機させた方がよかっただろうか。今も無事でいてくれることを願っていると、不意に、ユラの眉間に皺が出来た。それから、今度はユラから質問が投げられる。


「……アオバ。保護区に連れて行かれてから何があったのか、覚えてはいるか?」


 髪の本数でも数えるかの如く、アオバの細かな挙動をじっくり観察しながら、ユラは付け足す。


「二日前の事だから、もしかすれば曖昧かもしれないけど……」

「…………二日?」

「あおば、ねてたよ。ずっと」


 思わず聞き返すと、ベッドに上がっていたペルルが大きな目にアオバを映して口を挟んだ。二日間眠っていたということなのか、と確認を込めてユラを見やれば、彼女はぎこちなく頷いた。


「あぁ……どうしよう、朝になる前にドライオさんの家、戻るつもりだったのに……」


 怒っているかなぁ、と思わず口をつけば、少し呆れたようにユラは口元に笑みを浮かべた。しかし、それもすぐに伏せられ、彼女は苦し気に俯いた。


「今回は、私の判断が遅かったせいで、貴方を追い込んでしまった。……ごめんなさい」

「え……い、いえ、ユラさんのせいではありません。僕が力もないのに、首を突っ込み過ぎて……」

「貴方の判断を無視してでも、奴らの腕を斬るべきだった」


 それはちょっと、極端なような。物騒な話に困惑していると、ユラは首を振った。


「貴方が気に病む必要は無い。これは私が……いや……」


 ツリ目がちな灰色の目が持ち上がる。何か言いたげに彼女の唇が動いたが、躊躇い、結局は感情を抑制した、淡々とした声になった。


「……ごめんなさい」


 俯きがちなユラの顔を見ていられなくて、目を逸らす。すぐ目の前のいる彼女が悲しむと、どうしようもなく不安になる。


「僕に何か、出来る事は……」

「今は何も」


 短く答え、ユラは一旦立ち上がり、ベッドの縁に腰かけた。そして子供を寝かしつけるような優しい口調で、


「貴方が眠っていた間の事を、話そう」


 そう切り出した。

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