◇ 08
ノックされたかと思うと突然開けられた扉に、テルーナは驚いた顔を見せた。彼女らが座る目の前には、何かが置かれていたであろう空っぽの皿が並んでいる。
「あれれ。皆してどうされましたかぁ?」
にっこり笑顔を浮かべて、テルーナが立ち上がる。
「じゃあ私たち、人探しの最中ですから、休憩はこのぐらいにしましょうか~」
「な、え、何とも、ないんですか?」
「何がですかぁ?」
小首をかしげ、テルーナは「わかんなーい」と分かりやすく可愛い子ぶった。何とも無さそうだが、毒といっても即効性があるとは限らない。後から急に、吐血してしまうかもしれない。心配するアオバを他所に、テルーナは振り返り、壁際に立つ衛兵に視線をやった。
「あれ、久しぶりに食べました~。懐かしかったですぅ」
「いえいえ! 喜んでいただいて何よりです!」
隣の椅子に座っていたグランも立ち上がり、テルーナの後ろにつく。
「何も、俺の分まで食べなくったって……」
「え~、だってグラン君、食べようとしたでしょうぉ?」
「駄目なんですか!?」
アオバの後ろから部屋に上がりこんだアティが、鼻をひくつかせていたかと思うと、手の甲で鼻を押さえた。
くすくすと笑い声が響いてくる。衛兵だ。
「お口に合ったようで何よりです、二つも食べていただけるなんて思ってもみませんでした! どうぞ、死に絶えるその時まで、その毒で苦しみ続けてください!」
「毒……?」
事態を飲み込めたのか、最後尾で話しを聞いていたレベゾンが、驚愕の表情になった。
「が、ガシェン! な、なな、なんてことを……!」
じっと衛兵を見ていて、アオバは気づく。この衛兵もずっと、ドライオの近くにいた。保護区から保護された後もいた。だが、沈黙していた事と、保護された人物の近くに衛兵がいても普通のことだと気にしなかったのだ。今朝の騒動の時も、この人物はドライオの後ろから出てきたうえに、この部屋に案内したのも彼だ。
毒物と聞いて、グランが慌ててテルーナの表情を窺った。
「て、テルーナ様! は、吐いて、吐いてください!」
「もう飲んじゃいましたよ~。大体毒って言ったって、聖騎士は寿命以外じゃ死なないんですから……」
「能天気な事言ってないで、ほら、早く!」
両肩を掴まれで力いっぱいに揺さぶられ、テルーナは「あう、あう」と言葉にならない声を溢した。その様子を見て、ガシェンと呼ばれた男はほくそ笑む。
「この機会を、どれだけ待ったか……! 毒で弱った聖騎士なら、人間でも抑え込める! 苦しめ! 苦しめ!! お前たちさえいなければ、俺の子は贄になんてならなかった!!」
土贄の儀を説明したルファが、何故あんな言い方をしたのか分かった。『毎年一人。多い時は三人、四人』……。
(三人目の贄……!)
この町で、土贄の儀の話題をしてはならないと暗黙の了解になったのは、何もドライオに気遣ったからだけではなかった。一人でも十分な犠牲なのに、三人も贄に出されていたのだ。
「貴方が来てくれて本当に良かった! 王都聖騎士、六番隊副隊長、テルーナ殿! 英雄に次ぐ昇進歴を持つ天才! 貴方からの連絡が途絶えれば、他の聖騎士が確実に探しに来る!! もっと多くを苦しめられる!」
テルーナにそんな肩書があったのか。道理でグランがかしこまるわけだ、と、余裕もないのにそんな感想が浮かんだ。子を失った苦しさは、実感せずとも理解はできる。だけど、それを他者を攻撃する理由に転嫁させていいわけがない。
「だ、だからって! 関係のない人を巻き込んで……」
「うるさい!! ガキは引っ込んでろッ! お前みたいな、中途半端に善意を押し付けてくる奴が一番嫌いなんだよ! ラオもそうだ! ガキの癖に説教なんかしやがって!!」
「っ!」
ガシェンが声を張り上げる度に、空気がビリビリと揺れる。面と向かって怒鳴りつけられた事がそう無いアオバは、怯んでしまって声が出ない。空気が重く感じる。
「俺が俺の子を守って何が悪い!! 自分の子が大事で何がおかしい!? あの年の儀式はもう終わってたんだ! 聖騎士さえ来なければ、あの子は生きてたのに! 役立たず!! コワムゥも、ファラウすらも、贄の役目を全うできないなんて!!」
「は……は? なんだ、それは。俺の子が、なんだって」
自身の子が悪く言われたからか、圧されていたレベゾンが我に返った。それすらも、血走った目で睨みつけて黙らせると、快活そうな衛兵は声を荒げて封殺した。酸素が薄く感じるほど、息が苦しい。
「言った通りだ! 愚図な子を育てやがって! 真面目で勤勉だと評判だったから、贄もやり遂げられるだろうと選んだのに!」
「!? おい、どういうことだ! 贄は、王家が精霊との対話で選ぶ決まりだ! お前に決める権限はない! お前まさか」
ぎょっとして、アティが声をあげた。
「自分の子が贄に選ばれたと知って、通告書を改ざんしたのか!?」
通告書……。ちらりと視線をユラに投げた。この場の一連の言動を追いつつもテルーナを気にしていたユラは、気づくのに遅れたが、目が合うとはっとした様子で説明した。
「土贄の儀の贄は、王家からその町の役場に贄の名前が書かれた書類が届くんだ。それが通告書。役人は町民名簿から贄となる人物を探し出し、準備をさせる。連れて行く役目の聖騎士、もしくは聖騎士の卵も同じように通告書が届けられ、対面時に互いの書類を確認する決まりだ」
そんなものが改ざんされたら、儀式がおかしくなってしまう。否。実際、おかしくなったのだ。
(贄が三人も出たのは、選ばれた贄とは違う子達が連れて行かれたからってことか……!)
たった一人の、愛する子を守りたいという思いだけで、二人の子が犠牲になってしまった。
「ああ、そうだ! だってそうだろう! 俺の子だ! 俺たちの子だったんだ! なんで知りもしない神様とやらにやらなきゃならない!? それなのに、ラオめ、気づきやがった、馬鹿のくせに、素直なだけが取り柄のくせに……!」
また、空気が重くなった。視界がわずかに明滅しているように見える。少し気分が悪くなって額に手を当てると、ペルルが裾を引っ張ったので、アオバは抵抗せずに数歩、後退した。
「なるほどねぇ……」
ぽつりと、テルーナが口元に笑みを浮かべて呟いた。額に脂汗を滲ませて、自身を抱きしめるように両二の腕を掴む手が震えている。明らかに先ほどよりも顔色が悪い。毒が効き始めているのかもしれない。
「でもちょーっと、大事な事忘れてませんかぁ?」
その場にそぐわない明るい声色でそう言って、テルーナはガシェンを指さした。
「死者のお名前を、連呼しすぎですよ」
「あ……?」
少し離れてみたことで、“ソレ”がはっきりと見えた。霞のようなそれが、先ほどまでアオバの視界を遮っていたのだ。“ソレ”に酸素なんてものは無いのだろう。空気中が“ソレ”で埋め尽くされれば、人は息絶える。精霊でなくとも嫌がるだろう。
“黒い霧”が、部屋に蔓延していた。
「う……ッ!?」
ガシェンが黒い霧を認識した。途端、ソレはガシェンを締め上げた。呼吸器官に繋がる穴を丁寧に塞ぎ、この世に存在する肉体を圧縮する。見えない誰かの怒りと蔑みの視線が、遠巻きに増えていく。
ガシェンのうめき声が響き──、“黒い霧”は形を得た。
「えぇ……うっそぉ……実体化するの早すぎません?」
テルーナののんびりとした、しかし焦りが含まれた声が聞こえてくる。毒は刻一刻と、テルーナの体を蝕んでいる。早く手当てができる落ち着いた場所まで行かなくてはならないのに、事態はまったく落ち着く様子を見せない。
その時、ぱちん、と。まるでレコーダーの停止ボタンでも押されたかのように、空気が停滞した。何度か体験したからこそ、この空気が何を表すのか分かる。
「ラピエル……」
弱々しく、アオバはその人物を呼んだ。その声に呼応するように、周囲が一瞬ぐにゃりと歪み、濃淡のないのっぺりとした世界にその人は素足で降り立った。円形の金色の装飾が、シャランと音を立てた。
目だけで周囲を窺えば、アオバとラピエルだけがその場にいて、近くにいたはずのペルルたちの姿はどこにもなかった。
「いつもみたいに、やっすい言葉で胸糞悪く救ってあげなよ。キミの声が届くならね」
そう笑って、ラピエルは悲し気な目を細めた。その中性的な顔半分に、頭上に浮かぶ棘ついた円盤が落とす影がかかる。
「助けてやるって、言ったのに。結局、自分のことばっかり」
にこやかに、悲しそうに。何度も顔を合わせる内に、ラピエルのその表情が、複雑だと知る。ただの愉快犯ではない。きっと何か理由がある。
「救われたいんだね。勝手に背負ったんだから、さっさと降ろして忘れちゃえばいいのに。不幸に酔って、誰かに『もういいよ』って言われたいんだろう? 誰だってそうだ。お父さんも、お母さんも。お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、妹も、弟も」
ラピエルはガシェンが立っているはずの場所にまで静かに移動すると、装飾品を揺らし、指を鳴らした。
「……キミも、そうなんでしょう?」
ぱちん、と。世界がまた動き出す。
ラピエルが消え、目の前に“黒い霧”に纏わりつかれてもがくガシェンと、戸惑うレベゾン、グラン、武器に手を伸ばしているアティにテルーナ、ユラ。そしてアオバのすぐ傍で、こちらを見上げているペルルたちが戻って来る。
「あ、ぐ……」
ガシェンの呻き声がかすかに聞こえる中、実態を得た“黒い影”に、見覚えがあった。
髪の長い女性が、寝転がった姿を、そのまま立たせたような不自然なシルエット。手足と思しきものが四つずつあるが、どれもあらぬ方向に曲がっている。
知っている。見た事がある。路地の影の中に、家具の隙間で、教室の窓の外に。アオバが後悔をしたその瞬間を逃すまいと言わんばかりに、常に近くにいた、見ないように無視をして、意図的に忘れようとしてきた、ガシェンを締め上げるそれは、
「……え」
アオバの僅かな声を聞いて、首を想像させる部位をぐりん、とアオバに向けた。
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