◇ 03

 朝食を済ませ、宿を出たところでルファに声をかけられた。食堂の手伝いは終わったのか、掃除道具を持っている。


「どこに行くの?」

「ドライオさんのところに」

「ええっ。昨日怒鳴られたのに、よく行くね……」

「その事も謝ってなかったな、と思って。それに、片付けも途中で出て来ちゃったから」

「そっかぁ」


 本来の目的であるラピエルの事については話せないながらも、ドライオへの謝罪と片付けについては本音だ。どれも中途半端にしてしまっていて、気になっていた。


 律儀ね。と言うルファに手を振り、ドライオの家へと向かう。


「アオバは律儀というより、なんだろうな……配慮をし過ぎているような」


 ルファの姿が遠くになると、ユラは小さな声でそう言いながら、持っていた薙刀の柄の部分で自身の肩を二度程叩いた。小言は言いながらも無理に止めないあたり、反対はしていないようで、その人の良さに思わず表情を緩めるアオバに、ユラは呆れたような表情を浮かべた。


 ドライオの家が見えてくると、扉の前に人が立っているのも見えた。やせ型の中年男性は、しきりに扉を叩き、ドライオの名前を呼んでいる。


「どうしましたか?」

「えっ、あ、君、昨日ドライオと保護された……」


 後ろから声をかけると、男は驚いたように振り返った。昨日、宿屋で目を覚ました時にドライオと一緒にいた男性だった。アティが英雄批判をしかけた時、瞬時に反応した人物でもある。


 自己紹介(とペルルの紹介)をすると、男は『レベゾン=アンリョ』と名乗った。濃い紫色のたれ目が、印象的だ。


「い、いや……ちょっと暇だったから、話そうかと思って。でも、何度声をかけても、反応が無くて」

「出かけているんでしょうか?」

「うーん、どうかな。あいつ、遅くまでよく飲むから、午前中は大抵寝てるんだけど……」


 普段なら電話をかけたりするところだが、この世界にはそういった技術はまだ無さそうだ。どうしようかと思っていると、ペルルが無造作に扉を開けた。


「こ、こら、ペルルっ」

「?」


 何故怒られたのか分かっていない様子で、ペルルが取っ手にぶら下がったまま首を傾げた。強制的に扉から引きはがし(想像よりもあっさりと離れてくれた)、視線の高さを合わる。


「人の家の扉を、勝手に開けたら駄目なんだよ」

「どして?」

「その家に住んでいる人が、嫌がるかもしれないでしょ? 軽く扉を叩いて、『どうぞ』って言われるまで開けちゃ駄目」

「どーぞ?」

「そう。どうぞ。分かった?」

「うん」


 ほとんど考え込む間も無くペルルは頷いた。本当に理解したのか少し不安になったが、再度同じ事をしたときにまた注意すればいいかと切り替え、すんなりと開いてしまった扉の向こうを見る。


「鍵かけてないんですね……」

「酔っぱらってて、忘れたのかもなぁ。おーい、ドライオー?」


 遠慮がちに、レベゾンは家の中に一歩入った。後に続いてアオバも家に上がらせてもらい、寝ているドライオの事はレベゾンに任せ、昨日片づけの途中で帰ってしまったリビングに視線をやる。ラピエルがいたように思えた場所には腰ぐらいの高さの棚があり、聖書が置かれていた。


「ユラさん」

「ん。今やっている」


 小声でユラに声をかける。彼女は注意深く周囲に目を配っていたかと思うと、なるほど、と頷いた。


「うん……ここは少しだけ、ラピエルの気配が強いな。でも、ここよりもっと……」


 ユラが何か言いかけた時だった。奥の部屋を見ていたレベゾンが戻って来て、「おかしいなぁ」とぼやきながら、僅かに焦った表情を浮かべて頭をかいた。


「寝室にいないんだ。どこかに出かけちまったかも……」

「ええっ」

「今日は町に聖騎士がいるってのに……俺、ちょっと探してくる。君も、もし見かけたら家まで連れ帰ってくれないか?」

「わ、分かりました」

「ありがとう。それじゃあ」


 小走りでレベゾンが家を出るのを見送った後、アオバも遅れて外に出る。きっちりと扉を閉めようと、取っ手に手をかけたその時、閉じ行く扉の隙間から、やはりラピエルが見えた。


 パタン、と。目の前で扉が閉まる。


「……」

「アオバ?」


 ユラの呼びかけを耳に入れながらも、もう一度扉を開けてみる。片付け途中の、乱雑な様子の部屋の中には誰もいない。


「……また見えたのか?」

「はい……でも、なんか……ちょっと雰囲気が違うような……」


 ユラの問いかけに応えながら、一瞬だけ見えた風景を思い返す。アオバの記憶では、ラピエルはいつも楽し気だ。あまり気持ちの良い笑顔ではないが、鬱憤を晴らすように遊んでいる、そういう雰囲気を持っていた。でも、今見えた気がしたラピエルは、目を伏せ、暗い表情だった……ように見えた。


(この場所に、ラピエルにとって不都合な何かがあるのか……?)


 少し戸惑ったものの、もう一度家の中に入り、聖書が置かれた棚まで歩み近寄った。聖書を手に取り、ページを捲る。ページはどこも日に焼け、手垢で色がついていた。この世界の文字が分からないので断言はできないが、以前見た物と変わらないと思う。多分これはラピエルに関係ない。


 元の場所に戻そうと視線を棚の上に戻すと、小さなテーブルマットの位置がずれていた。聖書を手にした時に、わずかに動いてしまったのだろう。直そうと触った瞬間、紙を潰した音がした。端を摘まんでマットを捲ると、部分的に茶色く変色した紙が畳み置かれていた。


「……血痕か」


 ユラが眉根を寄せて呟いた。紙を破かないように開くと、綺麗な文字が綴られている。


「ユラさん、なんて書いてありますか」

「…… “今まで育ててくれてありがとう。神様の下で、世界の為に祈ります。僕の名を忘れないでね。どうか、お元気で”」


 淡々と、ユラは読み上げた。あまりに短く、素っ気なくも思える文章だったが、間違いなくこれは遺言書だった。


 この遺言は、ドライオにとって救いになったのだろうか。純朴な子を失ってしまったと、悲しくなるだけではないのだろうか。贄に選ばれた子供は、怪物にただ食われただけだったなんて、知りたくなかったんじゃないのか。だからマットの上から聖書で押さえてまで、見ないようにしていた。でも、捨てられなかった……。


 読めやしない文字を指でなぞり、


(あれ……?)


 その感触に違和感を覚えた。血痕の無い場所も、紙がまばらに固まっている。


(一度濡らした……? いや、そもそも、どうしてこの手紙は血で汚れているんだ? それにこの傷跡……)


 一か所が気になると、次々と不審点が目につき、目を皿のようにして、違和感の正体を探ろうと手紙を凝視する。


「どうしたんだ?」


 横からユラが口を挟む。手紙をユラにもう一度見せ、アオバは口を開く。


「子供の文字に見えないな、と思って……」


 一つ目の違和感の正体は、筆跡だった。文字こそ読めないものの、以前役所で見たような、大人の筆跡に近いと思ったのだ。十五年前の手紙なら、ドライオは二十代、子供はそう大きくないはずだ。


「誰かに代筆してもらったんじゃない?」

「あ、そっか、代筆もあるのか……」


 つい、誰もが文字を読み書きできる前提で物を考えてしまった。なら、他の違和感も説明がつくものだろうか。


「アオバ。気づいた事があれば言いなさい。不要かどうかは聞いてから決めよう」

「ユラさん……」

「私はあまり視野が広くないから、言ってくれた方が助かる」


 自信を失くしかけたのを感じ取ったのか、ユラはアオバの肩を叩くような動作をした。アオバが頷きやすいよう、言葉を選んでくれたのが分かり、それに甘えすぎないように頷いた。


「ここなんですけど……」


 手紙の文字の上にあるへこみ傷を指さし、言う。


「この傷、筆圧が強くて出来てしまったものじゃないかなって。もう一枚上に紙があって、そこにも何か書かれていたんじゃないでしょうか」

「別の誰かに宛てたものの可能性もありそうじゃない?」

「それも考えたんですが……もしこの手紙がドライオさんの子の遺書なのだとしたら、なんというか……短すぎる、と思って……」


 アオバの尻すぼみな声を聞いて、ユラは再び手紙の文字に視線をやった。


「その……ドライオさんの家族がどの程度まで仲が良いかも、子の性格も、この手紙を書いた状況も分かりませんから、これぐらいで普通だと言われたらそれまでなんですけど」


 ユラが読み上げた瞬間から思っていた。あまりに短い。素っ気なさすぎる。


「昔、遺書を読んだ事があるんです」


 記憶を探るアオバの隣で、ユラが静かに視線を上げた。


「その時の遺書は、もっと長かった。家族や友達を気にかける言葉があって、死を望む理由が書かれていて、それだけでも一枚は使っていたんです」


 あの時の遺書は、全部で三枚だった。ノートの切れ端ではなく、縦書きの便箋が使われていた。


「誰かを守る為に死を決意できる人なら、自分の死を引きずらないように、もっと書くことがあるはずなんです」


 ぴくりと、何かに反応してペルルがアオバを見上げた。


「それに……遺書なら、もっと丁寧に扱いませんか? こんな血まみれのまま渡すとは思えません」

「うん……それは確かにそうだな。つまり、あったはずの遺書が、ラピエルが気に掛けている何かってこと? なんでアイツが贄の遺書なんか気にしているんだ……」

「そこまではちょっと……」


 ユラは指を顎に当て、考え込んだ。


「では、誰が遺書を持って行った?」

「内容からして、書かれたのは贄に選ばれた後でしょうから……贄を連れて行く役目だった、聖騎士とか……」


 ──聖騎士が正しい奴らみてぇに扱われるのが我慢ならねぇんだよ。あいつらこそ、怪物だろうが。人みてーな姿した、心の無ェ怪物だぁ!


 ドライオが聖騎士に対してあたりが強かったのは、アオバと同じ結論にたどり着いていたからだろうか?


 ──彼は罪の意識のようなものを持っていて、『何故俺は死ねないんだ』と、よく愚痴っていた。


(でも……だとしたら、アティから聞いた人物像とズレるような……)


 アティから聞いたその人物は、真面目な人のように聞こえた。わざわざ遺書を抜いて渡すようには思えない。


「……アティなら、何か知ってるかな」

「ああそうか、アティの知り合いだったな。だが、聞いたところで我々に教えてくれるようなものか?」

「ですよね……」


 ユラに言われるまでもなく、それはアオバにも分かっていた。仮にアティがその人物から何か聞いていたとしても、遺言なんて他人にそう簡単に言えるものではない。それを聞く権利は、ドライオにしかないのだから。


 何故ラピエルはこの手紙を気にしているのだろうか?


「……ユラさん。さっき、何か言いかけませんでしたか?」


 手がかりになるなら何でも欲しい。『ここよりも、もっと』という発言を思い出してユラに向き直ると、彼女は眉根を寄せて首を振る。


「……いや。あまり確証が……」

「教えてほしいです。僕もあんまり、視野が広いほうじゃないので」


 一瞬、ユラが意表を突かれた顔をした。徐々に表情が緩み、「お互い様だな」と呟いて、遠くを指さした。


「ドライオの家よりも、ほんの僅かだがラピエルの気配が強い家がある」

「案内をお願いできますか」


 口元に笑みを浮かべながら、こくりと、ユラは大きく頷いた。

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