◆1章 尋ね人

◇ 00

 晴れた空の下、高校の制服を着こんだ五人の少年らが、画面の端からやって来る。荒い画像からは表情までは見えないものの、動きはどこか軽快だ。道行く人々はそれぞれの進行方向を向いて歩いており、何人かは手元のスマートフォンに視線を落としている。


 不意に、誰もが足を止めた。止まれ、と誰かが笛でも吹いたかのように、全員がぴたりと歩みを止める。そして、揃って空のある一点を見つめ、ゆっくりと、全員で何かを目で追っていく。視線はやがて、一人の少年の方へと流れ、その少年もまた、皆と同じように空を眺めながら後退し──ガードレールの隙間から、落ちて行った。


 喫茶店の隅の席にノートパソコンを広げ、黒野陽介は頬杖をついてその映像を眺めていた。洗練された優男の風貌だが、彼を取り巻く空気は高校生の子供がいるとは思えない若々しさだ。普段はセットしてあるはずの癖毛の黒髪は、ここ数日の忙しさで手入れされず、幼く見える要因の一つである大きな茶色の目は、息子である黒野青葉の最期を捉えた防犯カメラの映像を漠然と映していた。青葉が落ち、人々が駆け寄るところで映像は終わり……ループ再生に設定していた為、また最初から映像が流れ始める。何度目か分からない映像を視界に入れていると、横から手が伸ばされ、映像を止められた。


 顔を上げ、隣に視線をやる。


「止めましょう。これ以上は」


 共に来ていた後輩の宮本賢が、やるせない表情で首を振った。三十代後半になった彼は、仕事を組むようになった頃から変わらない実直さが滲むその顔に苛立ちを浮かべながら、ため息をついて正面に顔を向ける。


「非道です。子を亡くした親に見せる映像ではありません」

「あら」


 陽介の向かいに座っていた女性は、口元に笑みを浮かべ、困りましたね、とでも言いたげに肩をすくめた。


 顔に布がかかった女性だ。その一瞬では、そこまでしか認識できなかった。顔に布がかかっていて、彼女の存在は瞬きしている間に消えてなくなりそうなほど(そして記憶には一切残らないだろう)、酷く曖昧だった。だが、彼女と出会うのはこれが初めてではない。


 彼女とは、何度となく仕事をしてきた仲だ。表沙汰にはできない事件の数々が彼女の手によって、解決し、処理され、消されてきたのを、陽介は知っている。いや──正しくは、『歴代』の彼女の手によって、と言うべきか。


 その女性の髪は混じり気の無い黒で、ポニーテールにしている。目の色は茶色で、その顔には少女らしさが残っているはずだ。服装はおそらく着物で、白地に墨で描いたような椿の柄、のような気がする。記憶を手掛かりに意識して見れば、彼女はその通りの姿で目の前に座っていた。


美代子みよこさん。こんなものを黒野さんに見せて、どうしようって言うんですか」

「息子さんの最期の姿、見たいかと思いまして」


 悪びれず、おっとりと彼女は言った。木ノ坂きのさか美代子みよこ。歳は……もう五十代に入るぐらいのはずだが、認識妨害を受けている現状では、出会った当時の若々しい姿で目に映る。


「よかったですね。遺体が四肢切断とか、ホルマリン漬けじゃなくて」


 世間話のような調子で言う美代子に、賢が何か言いたげにテーブルに手をついたが、それを「結構です」という意味を込めて陽介は手を振って制止した。そもそも気にも留めていないだろう美代子は、目の前のカップに手を伸ばし、口を付けている。


「うちの親族の不審死はいつものことです」


 不満顔で座り直した賢を尻目に、止められてしまった映像を再生する。見れば見る程、これは不審な事故だ。普段の癖で、疑問を一つ一つ口にしていく。


「今回も怪事件とまではいきませんが……傍目から見れば、この事故は妙ですね。まず、この場にいる老若男女問わず全員が、一斉に足を止めた点……」

「やめましょうって、黒野さん。仕事じゃないんですよ」

「……でしたね」


 再び賢に止められて、ため息交じりに頭をかいた。やめておこうと思ってはいるのだが、やはり気になって動画を見つめてしまう。その場にいる人々は、何かを目で追いかけているように見える。


「この……周囲の動きはなんでしょうか」

「証言なら取れていますよ。“帽子”が風で舞い上げられていたそうです」

「帽子ですか」

「ええ。ただし──証言された帽子の色や形、種類はバラバラでした」


 美代子の解答を頭に、もう一度映像を見る。確かに、青葉は両手を胸よりも上の方に上げて、何かを捕ろうとしているように見える。怪訝な面持ちでありながらも、ついてしまった癖が抜けないのは賢も同じようで、いつの間にか取り出した手帳にペンを走らせ、書き上げたメモに視線を落とす。


「……これは例の事故と同じ幻覚……いえ、怪異なのでしょうか」


 ここ数年、各地で起きている不審な事故を、陽介たちは”怪異“ではないかと疑っていた。一見すれば、なんてことはない事故だ。故に、マスコミやネットで大きく取り上げられることは無く、せいぜい交通機関が影響を受けた時に関心を寄せるが、自らの人生に関与せねばすぐ忘れる。それでも現場処理を行う人間からは、『何かおかしい』と声があがる。


 『危ない』と叫んで線路に飛び出した女がいた。──線路上には何もいなかった。


 廃墟で人が亡くなっていると、通報した男がいた。──駆け付けた警察が見つけた遺体は、ついさっき警察と通話した履歴が残った携帯を握っていた。


 誰かを見つけたのか「おーい」と言いながら道路に出た少年がいた。──彼と知り合いと思しき人物は現場にいなかった。


 明らかに幻覚が見えているとしか思えない行動を取る被害者たち。しかし彼らをいくら調べても、危険な薬物に触れた事も無いような、一般人ばかり。そんな事件が確認出来うる限りで30件は発生していた。


 ……風に煽られた帽子を、監視カメラには映らなかった何かを掴もうとして、転落した少年の件もそうかと賢が尋ねれば、美代子はあっさりと「ええ」と頷いた。


「事故の怪我も軽傷で、それが悪化したわけでも、他に異常が見つかったわけでもないのに、被害者も含めて、 “怪異”ですね」

「その期間であれば、被害者らは息を吹き返す事は可能でしたか?」

「勿論。本人にその意思があったなら、ですが。大方、既に葬儀は行われているだとか、諦めるように誘導されたのでしょう。少し前から、私の仕事仲間がこの案件の調査を行っていますが、こちらも連絡が取れなくなりましたし、随分と賢い怪異ですね」


 カップを置き、美代子は両手を膝の上に重ねた。その表情は相変わらず薄く笑みを浮かべていたものの、今にも舌打ちでもしそうなほど、彼女は不機嫌だった。彼女からすれば、少し席を外している間にテリトリーを荒らされたのだから、面白くはないのだろう。


「これは、としての仕事ではなく、私個人からの依頼なのですが」


 そう前置きして、美代子は変わらない笑顔で言う。


「そちらで把握している限りの、不審死の詳細をまとめて頂けますか。特に──の、若下の、“死体消失事件”以降のものを、重点的に」


***

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