◇ 08

 宿の外は相変わらず、夕焼けで赤く染まっていた。日が沈まないのならば、朝はどうやって来るのだろう、などと考えつつ散策を開始する。


 さほど裕福とは思えない町だが、限界集落と呼べる程人がいないわけではなく、元いた世界で言うと片田舎ぐらいだろうか。文字は読めずとも通貨は流通しているあたり、国の管理は行き届いている方のように思える。


 観察していて気づいたが、服装は近代に近いようで、まったく違う世界の衣服を身にまとっているはずの青葉も浮かずに済んでおり、正直少し安心した。


「結構人が出てますね」

「まあ、これだけ明るいと、寝るに寝れないだろう」


 もう一つ、気づいた事を口にした。


 遅い夕食中の人、仕事から帰宅する人、それらを除いてもそこそこ多い人数がうろついている。誰か一人ぐらいに話しかけて情報の一つでも欲しいところだが、疲労の色が濃い町民に、ユラの通訳を挟むせいでテンポの遅い青葉との会話は強いたくない。


(ずっとユラさんに翻訳してもらうのも限度があるし、言葉を覚えるか翻訳機か何かが欲しいよなー……)


 ぼんやりと考え事をしながら(はっきりと見た目や機能を想像できていないからか、ラピエルから貰った能力が発動する事はなかった)周囲を観察していると、路地裏に幼い男の子がうずくまっているのが見えた。ぎょっとして足を止めてそちらを注意深く見ると、うずくまっているのではなくしゃがみ込み、何かを隠しているようだった。


「こんばんは。何してるの?」


 うっかり言葉が通じないことも忘れて話しかけていた。うろたえる少年を見て、彼らから見れば不思議な言語を話しているのは自分の方だと気づき、頬をかいた。困ってユラの方を見ると、盛大なため息をついた後、翻訳を手伝ってくれた。


 片言なりに敵意も無ければ怪しい者でもないと理解してくれたらしく、少年は「内緒にしてね」と言って隠していたものを取り出した。


「……うわ」


 出てきたのは、箱に入れられたフラン・シュラだった。箱の中で蠢いているその泥は、かろうじて犬か猫のような小動物の姿をしていたが、物を溶かす特性はあるようで、入れられていた箱はほとんど木屑同然にまで溶けていた。


「ずっと家の庭で隠れて飼ってたんだけど、一昨日お母さんにバレて、早く捨ててきなさいって言われた。だと」

「あー……まあ、そうでしょうね」


 フラン・シュラが家の庭にいるのを発見した母親はさぞ驚いたことだろう。とはいえ、こういう動物を飼う・飼わないという話は世界共通なのかと考えると、微笑ましい話だ。……その動物が物を溶かす特性さえなければ、尚よかったのだが。


 苦笑する青葉だったが、少年の助けを求めるようなキラキラとした大きな目に見つめられていることに気づいてしまい、後頭部をかいた。


「ユラさん。フラン・シュラって……」

「元に戻す方法は知らん」

「ですよね……」


 悩みながら、できる事は無いかと情報を整理する。フラン・シュラは、本来は人間だ。転生先の肉体に対応できず、崩壊した人間たちが、溶け合わさったもので……。


「……そういえばなんですけど、なんで転生先に対応できなかったら泥になるんですかね?」


 今更ながらの質問に、ユラが答える。


「正しい手続きを踏んで転生したわけではない場合、肉体と精神の結びつきが異常に強くなる事がある。そのせいで、精神崩壊と同時に、肉体も壊れてしまう。……と言っても、そういう事がある、程度で、こんなに頻繁に溶け落ちる者がいるのは不自然だ。普通は廃人状態になるぐらいが妥当のはずだ」

「何か細工してあるとか?」

「そうだな。例えば、この世界に来る前に、精神と肉体を強く結びつける術を付与する、なんてものが考えられる」


──新しい世界に行く為の準備だよ。


「……あれか」

「何か心当たりでも?」

「実は……」


 ここに来る前に、ラピエルが青葉に飲ませようとした赤黒い飲み物の事を簡潔に話すと、ユラはなるほどと頷いた。


「飲まなくてよかったな。それが原因だとすると、その赤い液体を分離させれば……いや、もうひと手間必要か」

「どうすればいいんですか?」

「……」


 食い気味に聞く青葉に、ユラは一瞬黙った。それからペルルの方を見て、小さなため息をつき、視線を青葉に戻した。


「フラン・シュラは多数の人間の複合体。複数の命を持ちながら、肉体は一つのまま……いや、複数の肉体を一つに変えてしまう。しかし規則上、命は一つの体に一個までだ。フラン・シュラを正常な生き物に戻すということは、フラン・シュラの中にいる複数の命から一人だけを選ぶ、ということだ」


 言葉が詰まった。そんな青葉をまっすぐに見据え、ユラは言う。


「貴方が持つあの不思議な力を使えば、フラン・シュラに付与されている術を破壊し、一人分の命だけを残して後は外に押し出すことで、普通の生き物に作り替える、そういう道具も作れるだろう。その道具があれば、この世界で呻く、多くのフラン・シュラが普通の動物になる。だが、それは……」


 ユラは一度、そこで言葉を切った。続く言葉を推測して固まる青葉を見据え、ユラは言う。


「貴方に、命の選択をする覚悟があるの?」


 返す言葉が見つからない青葉を、ペルルと少年が不思議そうに見つめている。少年が青葉の袖を引いた。『どうにかできないの?』と不安そうに眉を下げている。


「……僕も含めて、転生者たちは本来、この世界にいるべき存在ではない、ですよね」


 青葉の小さな声を拾い、ユラが返す。


「まあ、そうだな」

「肉体を、増やすっていうのは……」

「それは神の領域だ」

「……です、よね。……僕たちのせいで、この世界に異常が起きていて……この世界の人たちが迷惑しているのなら、それは……よくない、です、ね」


 最後の方はほとんど独り言になっていたせいか、ユラは何も答えなかった。


 青葉は、誰も傷つけたくない、誰かが泣くところも見たくはない。目に見える全てが幸福でなくては、安心できない。こうして目の前で困っている少年がいて、自分にそれをどうにかできる力があるのならば(仮に無かったとしても)、手を差し出さなくては、きっと後悔する。


「……なら、やります」


 決心して、頷いた。命を奪う事は当然やりたくないが、それでも目の前に命があるならそれを選ぶべきだ。


「……分かった」


 何か言いたげな表情のまま、ユラは静かに承諾した。それから少し考えるような素振りを見せる。


「アオバの能力は、身近な物に力を付与する、というのが扱いやすいようだな。なら、そうだな……アオバは音叉って知っているか?」

「U字型のあれですか? 金属で、高い音がする……」

「そう、それ。確か、ひーりんぐ・ちゅーなー? とか言って、浄化の道具として使われることがある」


 そうなのか。カタカナ言葉がたどたどしくなったことには言及せず、青葉はユラの言葉に耳を傾ける。


「音叉の音が、人が放つ音を調整する、らしい。乱れた音を調律し、正しい波形へと整える。アオバが今から想像するものは、このフラン・シュラの肉体と精神の結びつきを一度解き、一人分の命の音だけを正す音叉だ」


 目を閉じて、ユラの言葉だけに耳を傾ける。胸の前で握った手の平が、じわりと温かくなる。


「正された命は記憶を失うが、たった一つの肉体と正しい形を得、一つの生命として誕生する。分離した赤い液体は消え去り、残された他の命は、その音に導かれて天へと還る」


 閉じた瞼の裏越しに、淡い光が見えた。そっと目を開けると、握っていた手の中に、手の平より一回り小さな銀色の音叉のような物があった。それを箱の中で蠢くフラン・シュラに近づけてみた。


 叩いたわけでもないのに、キーン、と高く細い音がした。想像していたよりも細く、耳に残る高音だったが、不快ではない。


「あ……っ」


 少年が声をあげた。フラン・シュラが溶け始めていたのだ。少年が不安そうに見つめる中、黒い泥は気泡を立てて、少しずつその体積を減らしていく。やがて子犬の形を残し、泥はあっという間に無くなった。


 薄紅色の体に、うっすらと白い毛が生えた子犬が、箱の中で眠っている。


「……」


 しばらく、目を張って固まっていたが、ふいに少年がフラン・シュラだった子犬を抱きかかえた事で我に返った。


「×××××! ××!」

「えっ? ああ、うん……」


 ぱぁっと笑顔を浮かべて、少年は元気よく何かを言って走り去って行った。多分『ありがとう』とか『お母さんに見せてくる』とか、そういう言葉だろう。曖昧にほほ笑むが、少年の姿はもう遠く、こちらを見てはいなかった。


「上手くいったな。ペルルは……変化無しか」


 ユラの言葉に反応してペルルに視線をやる。変わらず無表情の彼女は、フラン・シュラが入っていた箱をぼんやり見つめている。


 ほっとして息を吐く。


(これはペルルには使えないな……。元の人に戻すのと、たった一人だけ選んで後は殺すんじゃあ約束と違う。それに……)


 言葉に出さず顔をしかめていると、不思議そうにユラが顔を覗き込んでくる。


「どうした? 顔色が悪いが」

「あ……い、いえ。何も……」


 一瞬だけ言うべきか躊躇った。ユラは心配してくれるかもしれない。気のせいだと笑い飛ばしてくれるかもしれない。しかし、それが事実だと肯定されるような気もして言えなかった。


 音叉が鳴ったあの瞬間、フラン・シュラの泥が消えて行く中で、数えきれない程の光の粒が舞い上がったのを見た。音叉を持つ手を掠めて、赤い空へと昇っていくそれは、選ばれなかった命だったのではないか、と。そう聞くべきかどうか迷ったのだ。


(僕が、殺した命……)


 考える間も無く、寒気と共に皮膚が泡立った。こちらの我儘で殺した罪悪感と、命を奪った嫌悪感、そうしなければいつかあの少年はフラン・シュラによって溶かされ死んでしまっていたかもしれないという言い訳が、一斉に主張を始めた。当然すべきだったという正義感がその思考を止めようとするが、それは独りよがりな感情でしかないと横やりが入る。


 音叉を強く握ってそれらを飲み込み、ユラと顔を合わせる。


「あの、ユラさん。お願いが……わっ!?」


 そう切り出した瞬間、強い力で背後から腕を引かれた。驚いてそちらを見ると、目を輝かせた背の高い青年がいた。歳は青葉と同じか、いくつか年上だろうか。身にまとう衣服は薄汚れ、サイズがまるで合っていない。彼は興奮した様子で、青葉を見下ろす形で話しかけているが、身長差のせいで若干脅されているような気分になる。


「え、えっと、あの……?」

「××××××! ××、×××××!?」

「う、うん……?」


 何かを確認しているような雰囲気を感じ取り、よく分からないまま頷いた。瞬間、ユラが「あっ」と声を漏らすが、それとほぼ同時に青年が青葉の腕を引いてどこかへ連れて行こうとする。


「ちょ、ちょっと!? え、なんで!?」

「馬鹿! 言葉が分からんのに簡単に頷くな!」

「ごめんなさい!」


 ユラの正論に謝罪をする。それから怒られるのも重々承知の上で、この人物が何を言っていたのかを聞くと、ユラは盛大にため息をつきながらも翻訳をしてくれた。


「貴方を『御使い』なのではないか、と聞いていたんだ」

「み、みつかい……?」

「天使とか、神の遣いの事だ」


 まさかそれに頷いて返してしまったのか。ユラの翻訳を待つべきだったと、酷く後悔した。

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