◇ 07

 こちらの世界の食事は、独特な味がした。


 皿に盛られた見慣れない野菜のスープに、粗削りな木製のスプーンを突っ込んで、青葉は咀嚼を続けながら考える。味気ない、しかし香料で嗅覚が刺激されることでそれを誤魔化しているように感じる。


 食堂の窓から見える景色から察するに、この町は山に囲まれている。先ほどユラが言っていたように周辺地域との交流が薄いのであれば、自然と自給自足の生活になるはずだ。不作の可能性を考えれば、普段から食物の保存に力を入れるだろう。多分、それに使用されているハーブやスパイスの類が、独特の香りになっているようだ。


 食べたことのない香りではあるが、まあ食べられない味というわけではないし。と、口に入れる青葉に対し、ペルルは青葉の真似をしてスプーンを持ってはいるものの、スープに浸してそれを口元に持って行ってみては器にまた戻す……という動きをしているだけで、食べている様子が無い。


「ペルル、食べないの?」

「……」


 もしかして食べ方が分からないのだろうか。スプーンを持ったペルルの手ごと握り、具材を掬って彼女の口元まで運ぶ。スプーンに乗った具材(多分根菜)をじっと見つめていたペルルは、しばらくしてそれを口に入れた……が、すぐに吐き出してしまった。


「フラン・シュラは食事が必要ない、とかか?」

「うーん……でも人間である以上、何か食べないと体力が持たないと思うんですけど……」


 食事は必要ないというユラは、近くの壁に寄りかかってじっとペルルを観察していた。それから何かに気づいたように、声を上げた。


「味が濃いんじゃないか?」

「え?」

「いや、どうもさっきから動きが赤ん坊みたいだな、と思って。赤ん坊に、濃い味付けの物は食べさせないだろう?」


 確かに、言葉が喋れない、こちらの言動を察せない、青葉の真似をしてはいるが意味は分かっていなさそうなところを見ると、泣いて意思表示をしないだけで赤子のようだった。ユラの仮説のとおり記憶が無いのならば、人間の初期状態たる赤子同然だというのは妙に納得できる。


「ちょっとお水貰ってきます」

「うん。……あ、ちょっと待てアオバ。『水をください』は『××××』だ」

「すみません、ありがとうございます」


 ユラの言葉を厨房にいた男性に伝えると、「はいはい、ちょっと待ってね」といった風に手ぶりをされた後、近くの水瓶から木製の杓でコップに水を注いでくれた。手渡されてすぐに礼を言えば、言葉は通じていないなりに感謝の意は通じたらしく、笑顔を返してくれた。


 席に戻ると店の人から隠れるようにしてスープに水を継ぎ足し、スプーンの裏で具材を少し潰してから、もう一度ペルルの口元に運んでみる。先ほどと同じようにしばらくスプーンの上を見つめた後、口に入れる。咀嚼しているのか、それとも舌が動いているだけなのか判別がつかないが、しばらくして頬が動くのを止め、ペルルは青葉を見上げた。


「食べれた?」

「……」


 うんともすんとも言わないが、ペルルの視線は青葉から皿へと移動する。もう大丈夫だろうか。スプーンをペルルに返し、自分の食事に戻ると、こちらをじっと観察しながら、ペルルはスプーンをスープに浸した。今度は潰れた具材を乗せていた。


***


 部屋に戻り、ベッドの淵に腰かけた。靴下が生乾きなのが少し気持ち悪い。ペルルは大丈夫かと足元を見て見ると、まったく濡れた様子も汚れた跡もない真っ白な靴がそこにあり、深く考える事を辞めた。


小さな窓から、真っ赤な空が見える。まだ夕方なのかと、時間の経過の遅さに驚きながら、そのまま倒れ込む。ゆっくりと息を吐くと、すぐ隣からベッドが揺らされた。


「わっ。どうしたの、ペルル」


 視線をそちらにやると、青葉と全く同じ姿勢でペルルが寝転がっていた。


「真似しただけじゃないか?」

「みたいですね……」


 ユラの指摘に同意する。幼い子供が家族の真似をするように、先ほどの食事といい、ペルルはどうやら周囲の人の真似をしているようだ。とりわけ近くにいる青葉はその対象に選ばれやすいのかもしれない。


 寝返りを打ち、ユラがいる方を見る。壁にもたれかかるようにして窓の方を見つめていた彼女は、視線に気づいて少しだけ微笑んだ。


「どうした?」

「あ、いえ。まだ夕方なんだなぁって、思ってただけで……」

「夕方、ね」


 思ったままを口にすると、ふいにユラの表情が曇った。変な事を言っただろうかと、体を起こし、窓の方を見やる。日が沈むその直前の夕日で、空は赤く、周囲の建物は黒い影を落としている。


「今、何時だと思う?」

「四時か五時ぐらい……?」


 ユラが肩をすくめる。どうしたことかと思い、ポケットからスマートフォンを取り出した。不思議な記号はこう表示されていた。

 八時二十三分。


「え……?」

「この世界の一日が三十時間あるとか、そういうわけじゃないぞ。本来ならこの世界でも月が出ている時間だ」

「な、なら、どうして?」


 青葉の追及に、ユラが笑った。自嘲的な笑いだった。


「あんな“神様”が好き勝手にしている世界が、正常だと思う?」


 ユラがゆっくりと窓に歩み寄る。銀煤色のユラの髪が、夕焼けの赤い灯りに照らされる。しかし、彼女がこの世界に存在しているという証明たる影はどこにも落ちる事は無い。


「私がこの世界に来た時点で、もう、夜は来なくなっていた」

「どうして夜が来ないようにしたんでしょうか?」

「さあ……? 確かにそうだな。奇病を蔓延させるとかなら分かるが。夜が来ると、あの神様もどきに不都合があるのかもしれんな」


 ベッドから降り、ユラの隣に立って窓から周囲を見る。眩しい夕日で赤く染まった空と、建物の黒い影という強いコントラストの風景が広がっている。


「そういえば、協力拠点でしたか? そこから夕方が続く理由とか、聞き出せたりしないんですか?」

「まったくもって連絡がつかん。そもそも、この世界自体が隔離された状態で、私ですら外に連絡出来ない異常事態だ。だからこそ、拠点が今どうなっているのか視察する必要があるのだが……この状況だと、もしかしたら、拠点としての機能はもう無いかもしれんな……」


 肩を落としてため息をつく。そんなユラを励ましたくて、青葉は言葉を選ぶ。


「だ、大丈夫ですよ! 世界がこんな状況だから、別の事で忙しくて、手が回らないだけかもしれません」


 ツリ目がちな灰色の目がちらりとこちらを見た。


「それに……ラピエルは、理由があって僕を、この世界に連れて来たような気がしますし……」

「ラピエル?」

「あ、僕を連れて来た神様です。そう名乗ってました」

「ふぅん……ランピ・エダル、か」

「なんですか、それ?」

「この世界の言葉で、“連れ去られる者達”、だな。おそらくその言葉からラピエルと名乗っているのだろう。貴方たちを揶揄しているとしか思えんな」


 腕を組み、ふん、と鼻を鳴らしてユラは言い切った。少々機嫌が悪そうに見えるのは、透明人間状態の自分では何もできない事へのいら立ちだろうか。


 観察するように青葉をじろじろと見つめて、ユラは言う。


「言うのが遅れたが、ラピエルは神様ではない。便宜上そう呼ぶが、実情は“神様もどき”とでも言うべきか。全ての命に平等の者が、特定の生命の前にだけ姿を現すのはありえない」

「そう、なんですか?」

「そういうものだ」


 そういうものなのだろうか。宗教にのめり込んでいるわけでもなければ、信仰心が特別深いわけでもない青葉には理解に及ばなかった。


 納得してない表情だったのか、ユラは少し唸った後、頭を押さえてため息を吐き、「あれをまだ神様と信じられるか普通……」とぼやいた。


「アオバ。出会った時にも言ったが、あまり他人の善性を信じすぎるな。余計な事に巻き込まれかねん」


 青葉が口を挟む前に、ユラは矢継ぎ早に「ようするに」と続けた。


「……私に同行すると約束したのだから、約束を反故するような事態は避けてほしい」

「それは……そうですね。気を付けます」

「うん」


 笑顔で返す青葉に対して、どこかまだ不安気なユラを見て、一つ提案をする。何もできない事で不安を感じているようだし、動き回っている方が彼女も少しは気がまぎれるかもしれない。


「まだ散歩ぐらいならできそうですし、ちょっとこの町をぐるっと周りませんか?」

「ん。そうだな」


 ユラの賛同を得たところで、ベッドの淵に座っているペルルにも声をかける。


「ペルルはどうする? お留守番しとく?」


 視線を合わせると、ペルルは青葉の服の裾を掴んだ。どこかに出かけるというニュアンスは伝わったらしい。手を繋ぎなおして、青葉たちは部屋を出た。

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