◇ 04

「えーと……は、ハロー……?」


 いくら相手の見た目が日本人離れしているとはいえ、英語じゃないよなぁと思いながら、挨拶をしてみる。女性の形の良い唇がきつく結ばれる。どうやら通じていないらしい。


 まさか言語の壁に阻まれるとは思っておらず、少し考える。やはり、最初は名乗っておくべきだろうか。


「あ、アイム、アオバ」


 自分を指差して、言う。


 その時、何かに気付いたように、「待て」と言わんばかりに女性が手のひらをこちらに向けて、数回咳払いをした。


「これで通じるか?」

「わ……え、凄い。喋れるんですか?」

「言語の経路を合わせているだけだ。実際に話せているわけではない」


 こちらの問いかけに対して、女性が答えるが、意味がよく分からなかったので青葉が首をかしげると、「気にしなくて良い」と付け足した。


「あ、あの、もしかしてなんですが、さっき助けてくれましたか?」

「さっき?」

「えと、泥が巨大化した時に……」

「……ああ。少しだけな」


 憶測が当たっていたことに少し喜んでいると、女性は続けた。


「逃げると思ったのに、逆に近づいて手を負傷した上に、フラン・シュラを人の形にして従えるとは思っていなかった。予想外すぎる」


 呆れているのか、ため息交じりに言う。


「それより、どうやって私を認識した? 私がいる階層は貴方が見ている層より浅いはずだが」

「え、ええと……階層とかはよく分からないんですけど……」


 女性の目の前で手を握ってみせて、先ほどと同じように念じてみる。胸が淡く光り、同時に何か硬い感触がしてから手を開いてみると、同じような耳飾りが手の平に乗っていた。


「こんな感じで、見えるようになる道具が欲しいなぁって考えたら、できたというか……」


 言いながら、先ほどから不思議そうに青葉を見つめている少女にもつけてあげようとするが、耳が見つからない。おかしいな、と首をかしげると、少女は青葉の耳飾りと手の平の耳飾りを見比べていたかと思うと、ふるふると首を振り、最初からありました、と言わんばかりに耳を見せた。頭を振っている最中に、にょきりと生えるところが見えた気がしたが、見なかったことにして、青葉は耳飾りをつけてあげた。


「お礼が言いたくて」


 女性が見えるようになったのだろう。少女がじっと女性を見つめる姿を横目に、青葉は丁寧に頭を下げた。


「助かりました。ありがとうございます」

「……子供が、被害に遭うのは寝覚めが悪い。……そういうものだろう」


 女性はちらりと少女の方を見た。


「さっそくだが、アオバだったか? その子は置いて行きなさい」

「え……」

「人型になっているとはいえフラン・シュラだ。いつまた人を襲うか分からん。それを人里には連れていけない」

「でも」


 反論しようと口を開いて、女性が手にしている武器に目が行った。周囲の青い光を鈍く反射させる刃物に、体が硬直する。


「で、でも……今は、人っぽいですし……」

「人っぽいも何も、それらは元々人だ」


 少女に出会う前の、頭上から落ちてきた『頭だけが残された泥』を思い出し、眉根を寄せた。そう、これは人だ。それは青葉も理解している。


「だが、人を襲う。すでに何千人もの命が奪われている。危険だ」


 少女を見る。少女も青葉を見た。縋るわけでもない、おそらくこちらの言葉も理解してはいないだろう彼女は、じっと青葉を見つめていた。


 この手を離してここから出るのが最良なのは、何となく分かっていた。少女があの泥に戻る可能性はゼロではない。そうなれば今度も青葉の言う事を聞く保証はなく、周囲の人間を巻き込み、溶かしつくしてしまうかもしれない。


 それでも。


「だ……ダメです。置いていけません」


 女性から少女を隠すように立つ。女性が何か言いたげに青葉を睨んだ。


 だが、青葉の信念を曲げるには至らなかった。誰も傷つけたくない、誰かが泣くところも見たくはない。目に見える全てが幸福でなくては、青葉は安心できない。


「約束したんです。元に戻すから、待って欲しいって」

「貴方が一方的に宣言しただけだ」

「で、でも……」


 ずっと見ていた、とラピエルは言った。そのうえで、青葉を滑稽だと笑った。きっと、ラピエルはこういうところを笑ったのだ。青葉だって自分でおかしいことは分かっていた。それでも、募る不安を緩和するには、これしか方法を知らない。


 直接の死因である帽子を取り損ねた事でさえ、青葉は後悔していた。落ちる前に取るべきだった、持ち主にちゃんと返してから、死ぬのはその後にしなくてはならなかったのに、そうできなかった。青葉自身にはもはやどうしようもなかったはずなのに、後悔した。だからきっと──。


「僕はきっと、今この子を見捨てたら死ぬほど後悔します。だから……い、嫌、です」


 青葉を思って言っているであろう女性の言葉を、否定する。それだけでも胸が痛い。相手を傷つけてはいまいかと心配になる。逆上して切りかかられた方がマシだが、そうすると残された少女はどうなってしまうのだろうか……。


「……アオバ、貴方」


 女性が口を開く。何を言われるかと緊張し、何を言われてもこの主張は変えないぞと決心して顔を上げる。相変わらず輪郭がぼやけて曖昧にしか見えない女性が、目の前で腕を組んでいた。


「貴方、捨て猫を見つけたら、拾って最期まで面倒を見る性格?」

「えっ、ええ、まあ……」

「だろうな……」


 どこかしみじみと言う女性に拍子抜けしつつ、慌てて青葉は訂正する。


「里親探して引き取ってもらったのが何度かあっただけで……」

「何度かって……ああ、いい。指折り数えるな。何周する気なんだ」


 三周目に差し掛かったところで、「やめろ」と手ぶりも込みで止められた。女性はため息をついて、首を振る。


「貴方の性格は分かった。こちらもこれ以上は無理強いしない」

「い、いいんですか……?」

「うん。貴方たち転生者の命の保証や、この世界の生命の保護は、私の仕事ではないから」

「あ、はい」

「その代わり、貴方にお願いしたいことがある」


 あっさりと提案を取り下げた事に驚くと、女性は次の提案だと言わんばかりに言葉を紡いだ。


「しばらくの間でいい。私に同行してくれないか」

「いいですよ」

「考えるフリでもいいからしてくれないか。即決されると若干不安になる」


 そう言われて、青葉は苦笑した。


「それはお互い様では……。ついて来てほしいってお願いは断る理由がありません。それと……貴方は良い人だと、思うので。この子と引き離そうとしたのも、僕や他の人たちに危害が及ぶ可能性を考えたからかなって」

「私が言うのもなんだが、初対面の人間を善人だという前提で見るのはやめておいたほうがいいぞ……? 私は、貴方が私を認識できないままだったら、後ろからそのフラン・シュラを斬るつもりだったんだからな」


 それに、と女性は続けた。


「今貴方の目の前にいるのは、貴方を素手で切り裂ける化け物かもしれない。それぐらいには警戒すべきだ」


 呆れたような声色で、女性は一応の警告をしてくれた。「善処します」と返した青葉に、女性はより深くため息をつく。


「ユラ=アポステル。私の名前だ。適当に呼んで」

「はい。ユラさん、ですね。よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げる青葉を見つめた後、ユラはため息交じりに黒いスカートを翻した。

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