第一話

 その人は美しい女性だった。

 あくまでも細い体幹、長い手足、大きな瞳と小さな頭、輝くようなプラチナブロンド。女性の美の到達点だ。

「ふわあ、綺麗な人」

 お茶を給仕にきたリリィが息を飲む。

 白いワンピースに身を包んだその姿はまるでこの世のものではないようだ。体重すら感じさせない。

「ダベンポート先生、お助けいただきたいのです」

 通されたリビングのソファでふわりと身を乗り出す。

「もう、ダベンポート先生以外にはお頼りできる方がいないのです」

「その、ダベンポートっていうのはやめませんか?」

 ダベンポートは鼻白んだ。

「僕は医者でもなければ教師でもない」

「ならばダベンポート様、お助けください」

「お助けくださいと言われてもですなあ」

 ダベンポートは嘆息した。

「跳べないバレリーナなんてどう考えても魔法の域外だ。エリーゼさん、お医者様にお行きなさい」

「お医者様にはもう行きました。魔法院のお手紙ならここにあります」

 エリーゼはハンドバッグを開くと、魔法院の封蝋の施された書状を差し出した。

「ふん」

 ダベンポートは鼻息を漏らした。

 何を思って魔法院は書状を寄越したのだろう。これがあるということは魔法院が魔法の影を感じたということだが……。


 エリーゼの悩みは本番で遠くに跳べないことだった。練習では飛べるのに、本番では跳べない。着地点が狂ってしまう。持ち前の演技力で誤魔化してはいるが、バレリーナにとって跳べないのは致命的だ。


 魔法院の寄越した書状には医者の診断書が添付されていた。それも五通。内科、外科、耳鼻科、リウマチ科、神経科、なぜか薬屋の処方まで入っている。

 これだけ医者を回って結果が出ないのでは、絶望する気持ちがわからないではない。

「しかし、なぜ僕が医者の真似事を……」

 とりあえずエリーゼをソファに寝かすと、ダベンポートは足の様子を見てみた。

「失礼しますよ」

 魔法院で人体の構造は叩き込まれている。だからダベンポートは少し膝や足の付け根を動かすだけでどこに異常があるかどうかを知ることができた。

「……ふむ、足はスムーズに動くなあ。これで異常があるとは思えない」

 筋肉のついた白い足はしなやかで、ダベンポートの手の動きに素直に追従する。痛みを訴える様子もない。

「器質的な異常はなさそうだなあ」

 ダベンポートは首を捻った。

「狭くて申し訳ないが、そこでピルエットを回っていただけますか」

「はい」

「ただし」

 ダベンポートは普段着の茶色いツイードの上着のポケットからチョークを取り出した。

 床の上に直径五センチほどの円を描く。

「ここからはみ出ないように。できますか?」

「問題ありません」

 エリーゼはカバンから取り出したトウシューズに履き替えた。白いトウシューズ。先端に白い意匠が縫い付けられている。

 エリーゼはその場で腕を組むとピルエットを綺麗に描いた。

 二回、三回、四回……。白いワンピースが綺麗な円を描く。回転の軸は全くずれない。

 十五回ほど回ってもらってからダベンポートはエリーゼを止めた。

「素晴らしい。さすがは王立芸術劇場のエトワールだ」

「跳べないエトワールはただのゴミです」

 エリーゼが俯く。

「その、跳べない理由を突き止めましょう。医学的に異常がないなら確かに魔法院の出番だ」


 白い毛皮のコートを纏い、白いうさぎの毛皮の円筒形の帽子をかぶってエリーゼはダベンポート邸を辞去した。ちゃんと芸術院の白い豪奢な馬車が待っている。重要人物の証だ。

 しかしわからん。

 馬車を見送りながらダベンポートは首を捻った。

 器質的に問題は何もなかった。

 膝には問題がない。足首もスムーズに動く。

 だが、エリーゼは本番で着地する時だけ飛距離が狂う感覚があるという。


 飛距離が狂う?


 ダベンポートは考え込んだ。

 バレリーナの動作は繊細だ。それがたとえ一センチであろうとも、飛距離が狂えばその後の演技に影響が出る。

(飛距離が狂う……それが恐怖感の原因か)

 ダベンポートは書斎に引き返すと、早速インデックスを調べ出した。


「綺麗な人でしたね」

 ビーフのローストを上品に食べながらリリィはダベンポートに言った。

 今日の夕食はマッシュドポテトに乗せたローストビーフのスライスだ。ビーフはロゼ色に焼き上がり、その上にはたっぷりのグレイビーソースがかけられている。最後に胡椒を挽いたローストビーフはいつものように素晴らしい。

 さらにリリィは付け合わせにオイスターのフライまで作っていた。一人六個。グレイビーとビーフ、それにオイスターのコンビネーションは驚くほど美味だった。

「このオイスターの付け合わせはリリィの発明かい?」

 ダベンポートはリリィに訊ねた。

「はい。カーペットバッグステーキが美味しかったので、それならこれも合うのかなあと思って」

「素晴らしい発想だよ。これは素晴らしい」

 オイスターとビーフを交互に口に運びながらダベンポートは感嘆のつぶやきを漏らした。

 だが、リリィはどことなく浮かない様子だ。食事は楽しんでいるようだが、表情が暗い。

「……どうしたね、リリィ?」

 ダベンポートは訊ねてみた。

「……綺麗な人でしたね」

 もう一度、リリィがエリーゼの事に触れる。

「エリーゼかい? 彼女はお化粧しているから、そりゃ綺麗だろう」

「そうですけど」

 しまった。リリィの自己評価が不当に低い事を忘れていた。

「リリィ?」

 ダベンポートは優しくリリィに話しかけた。

「はい、旦那様」

「リリィは、エリーゼみたいになりたいのかね?」

「いえ、そういう訳ではないんですけど」

 リリィは俯き気味だ。

「でも、エリーゼさんは凛としていらっしゃって、とっても綺麗でした」

「僕にはリリィの方が綺麗に見えたがなあ」

 何気ないダベンポートの言葉にリリィがハッと顔をあげる。

「え?」

「ああ、リリィの方が綺麗だ」

 ダベンポートはマッシュドポテトをローストビーフに包むと口に運んだ。

「いいかいリリィ、女性の美には色々な種類がある」

 優しくリリィを見つめながらダベンポートはリリィに言った。

「エリーゼの美はある意味、作られた美だ。彼女は確かに美しい。だが、彼女の美は言ってしまえば陶磁器だよ。生きているバラには敵わない。僕にはリリィの方がずっと美しく見える」

「そんな、旦那様」

 リリィは赤面した頰を隠すように両手で押さえると身をよじった。

「そうさ、リリィは僕にとってはとても美しい女性なんだ。自信を持てとは言わないけど、もう少し自分を評価してあげてもいいと思うよ。リリィは美しい。そうでもなければあんなに頻繁にグラムが来る訳がないだろう?」

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