転生パターン07 銀上陽音の場合。
強くてニューゲームにも程がある 1
魔王ラルダンはとにかく硬かった。
身体強化をほどこしまくった鉄拳でも手刀でも手ごたえひとつない。
むしろ拳の皮がべろりとめくれてしまうほどに。
だから、あたしは叫んだ。
「フラト! あんたのありったけで頼む!」
「任せろ! 『ライストゥング・ヴァルト』!」
左後方からの飛んできた緑の光があたしを覆う。
フラト=ダルマンの放った魔法で、全身に力がみなぎる。
骨の密度、筋肉の密度がともに上昇。
軽い踏み込みで、地面にヒビが走っていく。
「強化倍率は2.6倍、持続時間は450秒! いけるか?」
「じゅうっ……ぶんっ!!」
私が走り始めると同時に、フラトは更に魔法を放つ。
黄色の光が身体を包んでいき、バリアのようなものが張られる。
それと同時に、彼は仲間たちに指示を出した。
「リエは狙撃で奴の気を逸らすんだ!」
「あいあいさー!! チャージはできてる! いくよー!!」
リエ=ネファルキは、いつものように底抜けに明るい声でそう言った。
彼女が構える両手弓には、はち切れんばかりの魔力が溜まっている。
左後方。あたしはサイドステップで射線から逃れる。
と、同時に、魔力の巨矢がまるで高速列車のように奔った。
「絶対必中! 着弾すなわち殲滅確定! 食らえ、『ファイリア・リヒツ』!!」
閃光が炸裂すると同時に衝撃波と爆炎がまき散らされる。
魔王ラルダンに神極魔法は、確かに直撃した。
だが……。
腕どころか、傷一つすらついていない。
ゆうゆうと煙のなかから現れるラルダンは元気いっぱいだ。
その装甲には微かに煤がついているのみ。
なるほど。やはり、この魔王に魔法は効かねぇ。
「あーれー? もしかして腕も落ちてない!? 無駄撃ち! 絶望的無力!?」
もちろん、そうなんだろう。そして、魔法バカのリエにも、あたしにも分からなくても、フラトはちゃんとそこまで予想していた。なのだから、あたしは一欠けらの油断もしていない。この強化された最強の肉体は、すでに肉薄している。
「それで……十分……だっ!!」
回り込むのは完全な死角。
爆炎と轟音に紛れての絶好の位置取り。
このアシストは絶対に無駄にしない。
魔王ラルダン、あたしの仲間を殺したこと。
死んで償え。
死角から、あたしが一撃をぶち込もうとした……
その刹那だった。
ラルダンはまるで背後が見えているかのように振り返った。
っばい!!
よく見れば、魔王の尻尾がこちらに向いている。
その尾には小さな眼球と鋭い棘がいくつも生えていた。
いや、生やしていたのだ。この攻撃を予測して。
「クソトカゲ!!!」
あたしがそう叫んだ瞬間、ラフトのバリアにラルダンの尾が直撃した。
まるでプラスチックを砕くように壊れてしまうバリア。
突き破って迫りくる異形の武具。
あたしは、しかし、ビビってはいない。
針が迫ろうと、拳が迫ろうと、あたしの踏み込みはもう止まらない。
決めたからだ。なにがあっても仲間を信じると。
たとえ絶体絶命の状況でも、あたしの命は、こいつらに預けている。
ラフトが叫んだ。
「ベルナ!! いまだ!!」
「合点! 魔王の首、ここで貰い受ける!!」
野太い声とともに、あたしの更に上から、一人の男が落ちてくる。
両手には赤熱する長刀。二刀流の剣士ベルナ=オラニエ。
男の振るった斬撃が、一瞬で魔王の尾をバラバラにする。
そして、凶暴な返拳を十字の構えで受け止める。
「ぎぃ……! 流石に魔王、力比べでは分が悪いか!」
「ベルナ! 大丈夫か!?」
「気遣い無用! この腕は相棒どもが引き受ける! お主は、殺れ!!」
任せとけっての。あたしは深く踏み込んだ。
軸足を大地に固定して、腰を思い切り回転させる。
「やれ!! ジーナ!」
「ぶん殴っちゃえー!!!」
「迅く!! 撃て!!」
仲間の声が重なる。あたしは捻った拳を思い切り叩きつけた。
「おらぁあああああ!!!」
轟音と共に土煙が舞った。
「殺ったか!?」
いいや、ラルダンは生きていた。
無傷ではない。だが、表皮からは鮮血ひとつこぼれていない。
かすり傷。それがあたしの攻撃の結果。
「ありえない……ジーナの拳が効かないなんて」
「やっばいよ! 全滅必死!」
レベル355、加護を上乗せして攻撃力1万5千。
パワーを極めたこのあたしが破れないなんて。
この魔王の防御力は、この世界の何よりも高いに違いない。
だけどそれでもあたしは、ここで諦めるわけにはいかなかった。
すでにラルダンによって仲間を一人失っている。
彼の命を、無駄にするわけにはいかない。
それに、ここで負ければ、失う仲間の数はもっともっと増える。
レベルカンストのあたしが通用しないなら、誰にもこいつは倒せない。
「破れないなら、破れるまで、撃つ!! ユフィルの仇……死んで償え!!」
あたしは裂帛の気合とともに正拳突きを更に叩きこむ。
やはり手ごたえはない。ではもう一発。もう二発。
手ごたえがあるまで、殴り続けるだけだ。
「ジーナ!! 一度下がるんだ!! こいつは硬すぎる」
「ダメだ!! 止まっちまったらもう勝てねぇ!!」
フラトの言葉は、正しい。
だが、正しいだけではこいつには負けてしまうだろう。
「ジーナ、援護は我らに任せるがいい!」
ベルナが言う。ラルダンがわずかにうめき声をあげ、その怪獣のような腕が振るわれる。硬質の鱗がかすって右肩がすり下ろされそうになるが、あたしの突きは止まらない。四発、五発、攻撃を見切りながら、同じ場所に打撃を蓄積させていく。
ラルダンは、確かに強力な魔獣だ。
この世界の魔王となる存在だというのも頷ける。
だが、どんなに強い存在として生まれたとしても、
知能がなければ、対人の経験がなければ、それはただ硬いだけの的。
大振りを紙一重で避け、踊るように一撃を叩きこむヒットアンドアウェイ。
あたしが前世で学んだ代物だ。
「なんという奴だ……! この俺以上の武をここで発揮するか!」
「るせぇぞベルナ!! 口より剣を動かせぇ!!」
「かすり傷ひとつで死ぬ戦いなどやってられるか!!」
そう言いながらも、ベルナは左腕と尾をけん制し続けている。
遠距離から撃ち込まれるリエの矢も、着実にダメージを与えているはず。
そしてフラトの魔法が、あたしの身体を着実に強化していく。
「もっとだ! もっと魔法を寄こせ!」
「できない!! これ以上はジーナの身体が壊れてしまう!!」
「ここで躊躇ったら勝てねぇ! 最大で魔法をかけろ!」
くそ、という声と舌打ち、それと共に大量の魔力が流れ込んでくる。
感じたことのない力で、身体が、なにかに飲み込まれてしまいそうだ。
フラトが必死の形相で叫ぶ。
「強化倍率は更に10倍、持続時間はわずかに5秒!!」
だが、それでもダメだ。
それじゃ勝てるイメージが湧かない。
もっと。もっともっと力が必要だ。あたしには。
「0.001秒で構わねぇから、もっと寄こせ!!」
「……一瞬だ!! 一瞬で片をつけるなら君にすべてやる!!」
「あたしに任せて失敗したことが一度でもあったかよ?」
フラトの返事は、訊かない。前だけを見る。
拳が突きこまれるたびに、鱗にはかすかな罅が入っていた。
あたしは骨がむき出しになった拳を遠慮なく、そこへ打ち込んだ。
当初は壊せないと思ったほどの装甲が、ついに砕ける。
「今!」
ベルナが剣を振りぬく。
魔王ラルダンの、怪物の尾と腕がおもいきり弾き上げられる。
がら空きの内臓。ぷくりとした軟質の赤。
ここに拳を撃ち込んだら、いくらなんでも無傷ではいられまい。
「ここだぁッ!!」
深々と拳が突き刺さる。
小気味いい音とともに、みちり、腕がめり込む。
打つたびに強さを増すあたしの打撃が、ラルダンを打ち抜いたのだ。
異形の魔王が血反吐を吐き、その動きが、ついに止まった。
「ジーナ! 今だ!!」
声と同時に、フラトから緑の光が飛んだ。
意識を持っていかんばかりの衝撃。
とてつもない量の魔力に、聴覚と嗅覚が飛ぶ。
かろうじて保った視界の端でフラトが膝をつき、あたしは叫んだ。
「おるらぁああああ!!」
「ぐぎゅるぐごりゅぎぁぁ」
「うるせぇぞ、デカヤモリ!!!!」
こいつを倒すために六年かけたんだ。
その全てを、ぶちこんでやる。
あたしは今までにないほど大きく、軸足を踏み込んだ。
全身全霊の突きがまるで一本の槍のように奔る。
すべての力が拳に集まり、見たこともないほどのエネルギーが生まれる。
そして、その瞬間、
ずずずずず。
ラルダンがずるゅりと首を伸ばした。
「ずりぃぞてめ、ぇ、ぶっ、っつがぁっ」
「ぐぁやぁぁぁぎゅるぎゅるぎゅる」
あたしの拳が魔王の腹に突き刺さると同時に、開いた口があたしの頭を薙いだ。
その牙は、驚くほどに滑らかにうなじを斬り裂き、首を、飛ばした。
らしかった。
すでにあたしは、あたしの身体を見ていた。
頭を失ったそれが、どしゃりと崩れ落ちる。
あ、これはもうダメだ。蘇生もできないかもしんない。
「そんな……! ジーナ!!!」
「ジーナさん!!」
「まさか! ジーナァ!」
声が、遠い。
眼前で、魔王ラルダンが爆散して光の粒になった。
花火みたいだ。虹の粉があたしたちに降り注ぐ。
ラルダンは、跡形も残らなかった。
なんなんだあの野郎。最悪なあがき方しやがって。
ヤモリのくせに牙なんか生やしやがって。
ここまできたのに、ここまでたたかってきたのに、
あたしは、なんの、ために。
「コングラチュレーション」
――意識がなくなる刹那。誰かの声がした。
〇
「強くてニューゲームぅ?」
それは世界で一番甘美な響き。
プリンから苦いカラメルを捨てて、
単なる甘さに浸るだけの夢物語。
6年をかけて世界を救ったはずのあたしのまえに現れたのは、
そんな魅惑の言葉だった。
「イエス。勇者ジーナ、いえ、銀上陽音さん。あなたには2つの未来があります」
目覚めたばかりのあたしに、美しい顔の女はそう言った。
なんとなく、事情は分かる。
あたしは死んだ。そしてこの神の世界に戻された。
死んだ。死んだ。
魔王を倒したのに死んだ。
考えるよりも先に、あたしの口から言葉が出る。
「未来なんていらねぇ。あたしを生き返らせろ」
治まらない苛立ちをそのままに、なかばヤケクソで詰め寄る。
「あたしは生き返りたい。あいつらのところに帰りたい」
「もちろんそれは分かっていますよ。しかし、それはできません」
「神様のルールってやつか?」
悲しそうな顔で頭を横に振るので、あたしは間髪入れずに問うた。
女神は、問いに対して神妙な顔をして見せると、大きく頷いた。
「イエス。ある意味ではそのとおりです」
「でもそれじゃ、なんであたしはここにいるんだよ?」
そう言いながら、あたしは両腕をめいっぱい広げる。
もちろんそんなものでは表現できないほど、この空間は広かった。
だだっ広く白い部屋。女神が言うところの『狭間』だ。
6年前に、はじめてこの女神に会ったのもここだった。トラックに轢かれたあたしをたまたま拾ったというこの神様は、この部屋であたしにわけのわからないことをごちゃごちゃと話すと、身体強化の魔法だけを教えて、放り出した。
そして、ラルダンと相討ちになったあたしの前に、この女神はふたたび現れた。
「あなたがここに飛ばされたのは、あなたが望んだチートのせいです」
「チートだぁ? あたしは何ももらった記憶なんかねぇけどな?」
そう言うと、女神はやれやれとばかりに首を振る。
「ノー。あなたはこう言いました。『あたしは馬鹿だからさぁ、あんたの言っていること全然わかんねぇ。とりあえず一回行ってみるからさ、もし負けたら戻してよ。それからもう一回チャレンジしてみる感じでいいんじゃん? ほらあれだよ、強くて最初っから? みたいな。そんな感じのやつできるだろ!?』と……」
まるでボイスレコーダーを再生するかのように、あるいは原稿を読むアナウンサーのように、すらすらと女神はあたしの言葉を語った。張りつけたような薄ら笑いから流れた声は、まぁ驚くほどにあたしそっくりに仕上がっていた。
とはいえ、その内容にはまったく覚えがない。
なにせ、6年も前のことだ。会話なんて記憶にすらない。
「あなたが望んだから、『強くてニューゲーム』のチートを与えたんですよ」
「は?? なんのことだよそれ?」
「はぁー。本当に理解力のない勇者ですね」
強くてニューゲームってなにをするんだ。昔、ゲーセンでやったゾンビのゲームでは、一度死んでもお金さえ入れれば、続きからやり直すことができた。それと同じようなもんなんだろうか。それなら、少しは嬉しいかもだけど。
「イエス。あなたは死ぬ際に転生をやり直すことができるのです」
「ようするに、あたしは蘇れるってことか?」
「ノー。すこし違います。魔王の死は不可逆事象ですので一応は確定済です」
「あぁ? 意味が分かんねぇ。じゃああんた、あたしをどうしたいんだ?」
あたしがそう訊くと、女神は優しげな笑みを浮かべた。
「世界を救ってほしいのです」
「だぁから救ったろうが!」
「ノー。あなたが救ったのは、世界のわずか一試行にすぎません」
そう言いながらも女神の野郎の眼は、こちらをちらりとも見ちゃいない。まるでもっと他に関心が高いものがあるとでも言わんばかりに、ちらちらと自分の手のひらを覗いている。おおかた、あの手の中には面白いもんが映っているのだろう。
まともな答えが返ってくることは期待できない。
あたしは、もうこれ以上、こいつに情報をせがむのをやめた。
「こりゃだめだな。あんたじゃ話にならねぇ」
「はぁ。奇遇ですね。私も同じことを考えていました」
強気に出てみたつもりが、女神はこともなげにそう言った。
その笑みはすでに凍り付いていて、左手は指を慣らせるかたちにある。
あたしが好きにしろよ、と思うと同時に、その指がぱちりと鳴った。
「――召喚『勇者ベイン』」
瞬時に、目の前に大きな穴が現れる。
この狭間から、異世界に送られるときにも見た覚えがある。
だが、あのときとは違って、穴の向こうは大草原と古臭い村じゃない。驚いたことに、穴の向こうにはアスファルトとガラス、コンクリートが広がっていた。人気のないビルの屋上だろうか。そびえたつ高層ビルがいくつも見えた。そしてそれら建造物の後ろ、青空を貫くように伸びているのは、見覚えのある赤い電波塔だ。
「おいまさか、これって東京じゃねぇのかよ」
「はて。蛮人の村に興味はありません。これを開いたのは、人を呼ぶためです」
そう女神が言うが早いか、穴の向こうで人影が動いた。青っぽい作業着を着た男だ。年齢は20代後半くらい。中肉中背で、顔は至って平凡な感じの温和さに満ちている。顔立ちと気だるげなうめき声からして、間違いなく日本人なんだろう。スマホ片手に現れた男は、すこし不機嫌な様子で、腕時計をちらりと見る。
「あーぁ。また呼び出しかよ……」
「事情はすでに共有済みですから、適当にどうぞ」
女神が片手をひらりと返して、話を促した。
男は、面倒くさそうに唇をゆがめながらも無理やりに笑みを作った。
というのが、あからさまに分かるような感じの表情を浮かべた。
「あー、まずはようこそ狭間へ。俺は勇者……」
だが、男が話し始めたそのときだ。
あたしの頭にびびびびと電流が走った。
「お前、知ってるぞ?」
あたしは思わずそう言っていた。
なぜだか強い確信があった。
「なぁ、どっかであたしと会っただろ?」
「おやおや、勇者ベイン、もしやお知り合いなんですか?」
「い、いやぁ? き、気のせいじゃないかなぁ」
そう言った男は、苦虫を噛んだような表情で唾を飲み込んでいる。
明らかに狼狽えているらしい。何でそんなにダメージを受けているんだか。
よく分からないが、今や、男の額からはいく粒もの汗が滴り落ちていた。
「お、俺は勇者のひとりで、お前の先輩みたいなもんだ。まぁ初対面だな!」
「クソ、どっかで見たんだけどな。だーめだ。思い出せねぇ」
「俺も全然思い出せないから、たーぶん勘違いじゃないかな、あはは……」
ひとしきり乾いた笑いを響かせたのちに、男はすぅはぁと深呼吸をした。
女神はその様子を見ながら、にこにこと微笑んでいた。
どうやらあたしのよく知らない事情がこの二人にはあるらしい。
「では勘違いということでどうぞ」
女神が左手をすこしだけ構えた。
するとその途端に、男が表情を引き締める。
「まぁ仕方ない。とりあえず、そうだな、説明を終わらせるとするか」
男は、額の汗を拭って、それから、話を始めた。
「えぇとまず、勇者ジーナ。君には第二の人生……じゃない。第三の人生が与えられてしまったらしい。君は世界を救えたんだから、本当ならそこで役目は終わりになるはずだった。だけど、運悪く死んでしまったから、こうして続きがある」
男はどこか気だるげにそう言った。
まるでこうしたやり取りを何度もやってきたみたいだ。
いや、事実そうなんだろう。
きっとこいつは、異世界の案内人みたいな奴だ。
「まず言っておくけど、ここでのんびり死ぬまで暮らす、なんて気はねぇからな」
「安心しろ。君はもう一度世界を救わなきゃならない」
「さっきの世界ならもう救っただろ。いい加減にバイト代でも出せよ、てめーら」
「失ったはずの命がここにある……ってのじゃあ、不十分だよな?」
男が遠慮がちな様子でそう言った。これが女神なら偉そうに言ってきたんだろうから、なるほど、女神の選択は正しい。あたしは怒ってはいたが、それをこの男にぶつけるつもりにはならなかった。それ以上に、疲れをひどく感じていた。
「あたしはもう疲れた。正直、もうセカイとかどうでもいいぜ」
「それは困る、と言いたいところだが、実際そうなるのは分かる」
うんうん、と男は頷く。本音では、日本に、東京に返せ、と思わないでもないが、直感的にそれは無理なのだと自分には分かっていた。どうせあの街に戻っても大して良いことはないし。ヤバい連中に追われて、撥ねられて、死んだんだから。
「だから……」
もう終わりにしたって構わねぇんだけど。
と言おうとしたそのとき、男が苦笑いを浮かべた。
「ひとつだけ、やる気のでることを教えてやれる」
「なんだよ?」
やる気なんて簡単に出さねぇぞ、オラ。
そう息巻いてはみたが、男と女神はその点で一枚上手だった。
男は一息で言った。
「世界を救うなら、君はもう一度、ベルトリアに行くことができる」
「!! てめぇら、やっぱりあたしをおちょくってんのか」
「いいや本当だ。君はまだあの世界を救いきれていないらしいからな」
「んなわけねぇ、あたしはちゃんと殺ったぞ……」
仮にも6年を過ごした異世界だ。救えるものなら救いたい。
だが、なぜ救いきれなかったんだろうか。
ラルダンは、魔王は確かに殺したはずなのに。
「それは行ってみればきっと分かるのではないでしょうか……?」
「勇者ジーナ、君が命を賭けた世界だ。救ってくれないか」
畳み掛けるように二人が言葉を重ねた。
こいつら、どれだけあたしに世界を救わせてぇんだよ。
他人の命だと思って、ふざけやがって。
でも……悔しいことにあたしはもう、その気になっている。
動揺するのを隠すことは、できなかった。
「ずりぃなてめぇら」
あたしがそう言うと、女神が小首をちょいと傾げた。
「というか、最初の一度でご納得いただけなかったのが残念です」
「クソババ女神! あんな説明で分かると思ってんのか!?」
「はいはい、お黙りくださいねー」
あーくそ。もうここには一秒たりとも長居したくねぇ。
とっとと異世界でもどこにでも、行ってやる。
「そのおっさんもあたしに付いてくんのか?」
「おっさんじゃねぇし、俺は悪いが別の仕事があるんだよ」
「仕事だぁ? こんな妙ちきりんな場所に来るようなやつが?」
「俺には俺で、いろいろあるんだよ」
そう言って男は、作業着をちょいちょいと引っ張ってみせる。
なんのパフォーマンスかは分からないが、嘘は吐いていなさそうだ。
服装からして、工場の作業員か、あるいはなにか……、
そう思った瞬間、あたしの記憶になにかが引っかかった。
そうだ。
やっぱりあたしは出会っている。
この作業着には見覚えがある。
この男を、狭間に来る直前に、見た気がする。
確か、顔だけ。でも、どこで見たのかは思い出せない。
通りすがりにすれ違った? 電車のなかに乗っていた?
いや、違う。あれは車だったような気がする。
あたしはこいつが、車に乗っているところを、見たんだ。
「なぁあんた。どっかで運転手やってたことはねぇか?」
「運転手!? いや、ないない。金輪際、神に誓って、ないって!! ない!!」
あたしが聞くと、いきなり男は落ち着きを失くしたように唇を震えさせた。
怪しすぎんだろこいつ。
なにかやましいことでもあるのかよ、と思ったとき、
指パッチンの音が、真っ白な空間を黒に染め上げた。
あ、と思ったときには身体が落ちていた。
最後の瞬間にあたしが見たのは、
やはり口が裂けたような笑みを浮かべる女神だった。
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