第13話 論理的思考のチャンネルが合わない

『「論理的思考」の文化的基盤』、という本がある。

いわゆる一般的に論理的思考、と呼ばれるものが、実はアメリカ型の経済的論理的思考、と呼ぶべきものではないか? みたいな提起をしているらしい。


そこから考えると、日本の「和を以て貴しとなす」というのが、日本的な論理だよね、と。一定レベルの、みんなが共有しても、悪くならない空気にするにはどうするか、という論理に思考が費やされている。


ほら、和を乱す、ってめっちゃ嫌な空気になってそれがだめだ、と暗黙知で理解するようなのが、日本的論理思考ではないかと。

イスラム圏の、コーランから引用して、それに類似するパターンだからこう解釈すべし、的な論理とはまったく違うじゃないの。


なぜそういう話をしているかというと、異世界ファンタジーの話。


異世界には異世界なりの合理的な論理による、社会が作られているわけで、そこに現代日本の価値観を持ち込めば、当然衝突があるわけで。

普通に、タイムリープもので、100年前の日本に転移しても、価値観がずれているわけで、異世界ともなれば、異世界の宗教観とかが論理的思考に含まれている、と考えるのが自然。


日本みたいに、江戸時代から識字率が高い文化って訳でもないので、印刷技術もなければ宗教が絶対だ、という話にもなってくる。


アフリカとかの、子どもが家計を支えてるのが当然、みたいな価値観があったとしたら、異世界で教育をするようにしたら、反感をされて暴動が起きたり。日本の一揆が、実は日本的反乱で、上のやり方に反発しているだけで、政権交代を狙ってやっているわけではなかった、という。アラブの春みたいな感じといえばいいか。アラブの春はSNSで発生した蜂起ではあったけど、指導者がいなかったから、新政府、みたいなのが立たなかったという話。日本の一揆も、車連判状とかいって、結局誰も責任を負わない、というやり方がでてきたりしたので。


日本は和を以て貴しとなす、という価値観なので、当時としては、上に逆らう、というのは空気に逆らう、という感覚だったかもしれない。

貴人と平民の違いは、穢の差、という認識の自分からみたら、政をする貴人の和を乱す行為である一揆は、どうなんだろう。


ここまで書いといてなんだが、歴史的な思考の基準が30年くらい前になっている。当然、学術的にはもっと進んでいるわけで、教科書を勉強しないと、そのところの感覚は、現代でも若者と中高年の学力の鮮度のズレとして表出しかねない。


つまり何が言いたいかというと。


成人以上が考えるファンタジーは、ちょっと大人で、ちょっと古い価値観が混ざっている、というふうに若者には見えているかもしれない、と思った。それが国際的に進出すると、価値観のズレはさらに大きくなる、それ自体がファンタジーの要件をみたしているかもしれない、とか思ったり。

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