第34話 『汚い爆弾』<ダーティ・ボム>
「急げ、急げ! 早くしないとリーゼルがやられちまう」
一方その頃、辺理爺さんは岩平とともに、電気屋のトラックを爆走させて、リーゼルが墜落したであろう場所へと急いでいた。助手席の岩平は鎖の替えを右手に巻きながら、隣で運転してる爺さんを急かそうとしている。しかしいくらスピードを上げても、いかんせんまだリーゼルの場所までは距離があった。
「なんだぁ? アレ……!?」
そうこうしているうちに、爺さんと岩平は駅前の高層マンション下の辺りからの青い閃光が発せられるところを目撃してしまう。
「また、爆発!? あれもフォノンってヤツの能力なのか!?」
「いや……、コイツは少しさっきと気色が違うわい……。だとしたら、これはフォノンじゃない誰かの……?」
そこにまで考えが至り、少々嫌な予感がした爺さんは自身の懐の中をまさぐる。確かめてみるとやはり、そこに在るべきはずの物が忽然と消えてしまっていた。
「あーっ! やっぱり! 『統計力学(スタティスティクス)』の書を盗られてる! すまん岩平、儂とした事が油断した!」
「えぇーッ!? 何だってジジイ! マジか!? せっかく手に入れた俺のプレゼントが……っ」
爺さんの衝撃の報告に岩平は唖然とする。苦労して手に入れた三冊目の本が盗られただけでも十分痛いが、それが少し前にリーゼルへ散々カッコつけて差し出した品物となると尚更だ。
「そんなッ……! じゃあ、熱力学書は……ッ!?」
「熱力学書は無事じゃ、盗られたのは統計力学書だけじゃよ。これは、どう考えてもアイツの仕業と言うべき他にあるまい……」
爺さんには心当たりがあった。実は、この車に乗りこむ前に、爺さんは倒れたフェルミを介抱してたのである。気を失っていたので木陰に運びこんでいたのだが、もし盗られた可能性があるとしたらその時以外にありえないだろう。
「あんのフェルミの馬鹿者めが……、傷も限界だから、木陰で大人しく休んでろと言うたのに……、死ぬぞアイツ!?」
そう、フェルミはただ復讐の為だけに本を取り戻し、再び立ち上がったのである。その為ならば、もうフェルミは自分の身体がどうなろうとも構わなかった。
※※※
フェルミはエンゼルハイムマンションの屋上へと登って、狙撃銃を構えていた。息遣いも荒く、身体の保持の限界もすぐそこまで来ていた。それでも、フェルミがまた物理演算(シミュレート)を使えるようになっていたのは、自分の本を取り戻せたからであった。『自分で自分自身の存在を計算』して、本を通して自らに計算資源(リソース)を供給する事で、一時的にだがネゲントロピーを発生させる事が出来るのである。
狙撃銃の弾道計算は、はるか彼方先のフォノンを確実にロックオンしていた。距離にして約3キロ―――それはもはや狙撃の領分をとうに超えている。だが、フェルミは極度の集中状態(トランス)によって、瞬間的にその針の先のような物理演算(シミュレート)のナノ単位精度を可能にしていたのである。
「……波美……」
フェルミはその名を呟いた。それは三年間ずっと自分を支えてくれていた者の名だった。失って初めて気付いた大切な人の名前だった。その時、フェルミは初めてその人の名前を、今まで取り繕っていた他人行儀を取り払って叫ぶ。
「波美ぃぃいいいいいいいいぃぃぃっっっ!!!!」
叶えてやれなかった愛しき人の願い――――その無念を晴らさんが為に今、二度目の引き金が引かれた―――――――。
「ガンバレル式プルトニウム弾――――『汚い爆弾』(ダーティ・ボム)!!!!」
発射された弾頭は、臨界に達して熱々になった燃料棒だった。今までと違うのは、プルトニウム針の真ん中に、黒鉛材質がサンドイッチされているという点である。青い火球となって飛翔する弾は、当然ながら黒鉛部分が焼き尽くされてしまって、次第に先側と後ろ側のプルトニウムが近づいてゆく。そして目標地点の間近で、完全に接触してしまった二つのプルトニウム塊は、その場で青白い閃光を放ちはじめるのだった――――――――。
※※※
「フン、『汚い爆弾』(ダーティ・ボム)か……。品性の欠片も無い設計だわねぇ……」
フォノンとリーゼルは、一度目の爆撃を生き延びていた。それどころか、無傷だった。フォノンは自身の所有する演算子の能力で、爆発の威力を受け流していたのである。
「ワタクシが言うのも何だが、街のど真ん中で放射性物質をバラ撒くなんて、いいテロリストじゃない。まぁ、どうせ物理演算(シミュレート)だから、放射能も解除すれば消えるだろうけど……」
フォノンは羽箒(はそう)剣の演算子を構え、その物理演算(シミュレート)を発現させる。すると、フォノンとリーゼルの周囲大気が歪み、渦を発生させてドーム状の防御壁を形作った。
「渦度(かど)ベクトル演算子―――rot(ローテーション)『ω(オメガ)』!!!」
フェルミの『汚い爆弾』(ダーティ・ボム)が炸裂するが、その爆発の威力は全て、渦によって後方の上空へと受け流される。大気までをも屈折させてしまうから、閃光さえ中には届かない。
フェルミの核爆発は不完全なものだった。そもそも、プルトニウムはガンバレル方式では無く、爆縮方式でなければ点火させる事が出来ない。塊全部が連鎖反応しきる前に、プルトニウムの自発核分裂のせいで、破片が弾かれて飛散していってしまうからである。フェルミ自身もそれは分かっていた事だったが、限界ギリギリの今のフェルミでは、膨大な計算量を必要とする爆縮方式を再現させるのは無理な相談だった。フェルミに残された力では、この不完全な核爆弾を作るのが精一杯だったのである。
「マンハッタン計画の頃からちっとも成長していないわねぇ、フェルミ……。これだから、早世の科学者は憐れだわぁ……」
そう独り言のようにぼやくと、フォノンはプルトニウム弾の軌道から逆計算した方角へと手をかざす。
「たとえ貴方が、いくら必死こいて計算尺回したりしても――――。貴方は、ワタクシの『暗算』にさえ敵わない―――――」
フォノンが展開した行列計算式(マトリックス)から新たに生成されたのは、対艦ミサイル『ハープ―ン』だった。発射された対艦ミサイルはあっという間にマッハ7を超えて放物線軌道を描き、3キロ先のフェルミの眼前へと迫り行く。
「ウ……、うおおおおおおおああぉああぁぁっっ……っ!!!」
あっという間の出来事だった。ミサイルはフェルミの手前で爆発し、そのえげつない爆風は、フェルミの身体をバラバラに引き裂きさいて粉々にし、マンションの屋上部分ごとこそぎ取ってしまう。
その跡に残されたのは、屋上が削れて瓦礫まみれの建物と、フェルミの千切れた右腕だけだった―――――――――――――。
※※※
「マンハッタン計画だと……っ!?」
フォノンの一連の行動を見ていたリーゼルはうち震えながら、目の前の女を驚愕の眼で見つめる。中でもとりわけ注目すべきなのはその発言だった。その言葉の中にフォノンの正体を推理する重大なヒントが隠されていたのである。
「その化物じみた暗算力に、精緻な爆轟波計算……。まさか、アンタの正体って……っ!」
しばらくフォノンはフェルミ撃破の煙を確認して、「キャハハ♪、軌道計算当ったり~❤」とか言ってはしゃいでいたが、リーゼルが自分を見つめている事に気付くと、リーゼルへと振り返って向き合う。
「近代人類最強の応用数学者―――『フォン・ノイマン』!!」
「ピンポーン♪ せいか~い❤」
隠す気も無いフォノンは、不敵な笑みを浮かべてあっさりとその事実を認める。リーゼルの口から出たその名は、20世紀中でも最大の計算力を誇る、とあるハンガリー人数学者の名だった。その偉大な業績はあまりにも多岐に及び、数学や物理学はもちろん、計算機科学や気象学、果ては経済学や心理政治学にまでその名を轟かせている。ノイマンが雛型を設計した現在のコンピュータは全てノイマン型と呼ばれてるし、気象予報の数値流体力学を切り開いたのもノイマンだ。さらには、アメリカ軍の軍事顧問としてミサイル開発や原爆開発にまで関わっている。
とはいえ、ただひとつ疑問があったのは、元は男の筈の数学者が何故か女になっているかという点だった。
「根本はあくまで数学者なんでね。物理学者(フィジシャン)のような基底となる『物理定数(コンスタント)』を所持していないのだよ。なのでワタクシは仕方なく、経済学者であるワタクシの娘マリーナの肉体情報を借りている訳さ」
「娘の身体を借りているだとっ……!? そんな……、そんな事が……っ!?」
リーゼルはフォノンの屈託なく笑う言葉を聞いて、背筋に寒気が走る。数学者が真理論争に参加してきただけでなく、父親が娘の身体を借りて現界するなんて真似が許されるというのか。
「偉大な父の為に、娘が尽くすのは当たり前じゃない? 貴方もそう思うでしょう? リーゼル・アインシュタインちゃん❤」
どうやらフォノンはリーゼルの過去まで知っているらしい。皮肉たっぷりに当てつけられて心を抉られたリーゼルは、どう答えていいかわからず頭の中が真っ白になってしまった。
「……あー、もう来ちゃったか――――」
ちょうどその時、どこからともなく大量の鉄球がフォノンの周囲へと降り注ぐ。それは辺理爺さんが投げた不意打ちの砲丸だった。それでもフォノンはさして振り返りもせず、さっきと同じように大気の流れを作ってそれらを弾いていく。だが、彼女の予想だにしない事に、飛んで来る砲弾の上には、ある伏兵が潜んでいたのだった。
「おおおおおおッッ!!!」
「なっ!? 砲丸の上に……っ!?」
「がんぺーっ!?」
そこにいたのは岩平だった。砲丸が弾かれた直後に突入して、フォノンの眼前へと迫りゆく。おそらく爺さんの飛ばした砲丸の上へと、磁力を使って乗ってきたのだろう。
「極磁拳ッ―――――――!!!」
そのまま岩平は、強大な磁力を乗せた鎖の拳をフォノンへと振り降ろした。
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