第6話 真理論争という名のクソゲー
金曜の夜の学校で、島本水無瀬とケルヴィン卿に襲われてから一夜が明け、岩平はいつも居候している辺理爺さんの家へと戻って来ていた。
この安高のすぐ近くの山ノ手一番街にあるこの家は、昔から地域の電気屋『ヘンリー』も経営していて、岩平はここで毎日バイトもさせてもらっているのであった。
「ふあああ眠い……」
土曜の朝8時から店番をさせられている岩平は欠伸をかいてしまう。昨日の襲撃で散々な目に遭った疲れのせいか、十時間睡眠をしてもまだ眠い。
「ふおおおお……これが二十一世紀のエレクトロニクスとやらか……」
隣の電子部品の棚でおさげを揺らしながら感嘆して奇声をあげているのは、昨日の自称物理学者のリーゼルだった。本人曰く、1900年代の物理学者らしいので、現代の技術である電子工作にも興味津々らしい。
「ええわよ。どうせワタスの趣味の在庫だし、誰も買わんし、お嬢ちゃん可愛いからあげる」
その様子を見て、喜んでリーゼルに布教しているのは辺理(へんり)舞子(マコ)の婆さんだった。孫娘でもできた気分なのか、もう今年で86なのにもかかわらず、年甲斐もなくはしゃいでしまっている。ていうか、長年なんでこんな地元の人しか利用しないような電気屋にこんな秋葉原にあるような細かいパーツが所狭しと揃っているのかと疑問だったが、全部婆さんの趣味だったのか。
「オイ、舞子(マコ)バァさん。あんましソイツを甘やかすなよ」
「アラ、いーじゃないの。どうせこのシャッター通りじゃ、お客なんて来やしないんだし」
さして気にもせず、舞子(マコ)婆さんはあっけらかんとした顔で言う。ホントどうなってんだこの店の経営は……。
「にしても、リーゼルもまた順応早ぇなぁ……」
出会ってここに来てからまだ二十四時間も経っていないというのに、堂々と上がりこんで、晩飯をご飯三杯も喰い散らかし、挙句の果てには岩平のベットまで奪って寝る始末である。おかげでソファで寝る羽目になった岩平はまだ首が痛い。
それでもまだ、落ち着いた方なのである。昨日の一触即発だったあの時に比べれば……。
※※※
ケルヴィン卿との戦闘の後、そこにはまだ焦げっぽい臭いが立ち込めていた。リーゼルと辺理爺さんは夜の学校の技術室裏で、互いに睨み合ったまま対峙する。
「貴様は何者だ! もしや敵の演算者(オペレーター)か!?」
リーゼルは既に手に槍斧を構えて臨戦態勢に入っている。しかし、辺理爺さんはそんな大げさな様子を見て、失笑しだした。
「ん? ああそうか、この本が欲しいのか?」
リーゼルの意図に気付いた辺理爺さんは、熱力学の赤い本をさっさと手放し、リーゼルに投げてよこす。
「ホレ、やるよ。お前らの戦果だろ?」
どうやら別に爺さんは本を狙ってる訳でも無ければ、敵意も無いようだった。それを理解したリーゼルは槍斧を引っ込めて臨戦態勢を解く。
「儂は演算者(オペレーター)ではない。独自にこの真理論争の行く末を調査し、『神』を追いかけている者だと信じてもらえるかの?」
「ジジイ……やっぱりアンタただの教師じゃなかったんだな……」
なんとなく爺さんには隠し事があると感じていた岩平だったが、こうなる事を知っていたのかと思うと、やはりショックだった。
「ああそうじゃ岩平、特にお主は儂の恩師に面倒を見るように遺言で頼まれていたのでな。つまりはお主の両親、我妻岩(いわ)砕(くだき)と我妻楓(かえで)からじゃよ」
その名前を爺さんの口から聞いた岩平は驚く。
「そう、あの二人はかつて儂と同じSERN(欧州原子核研究機構)の研究員であり、この真理論争の参加者じゃった。それぞれ、『電磁気学のマクスウェル』と『量子力学のシュレーディンガー』の物理学者(フィジシャン)を使う強力な演算者(オペレーター)じゃったよ」
「電磁気学に量子力学だと!? 父さん母さんが演算者(オペレーター)!?」
「その通りじゃ。しかし、十年前に真理論争はある『不正行為』が行われて、一時休戦状態になる。それが今だに隕石のせいだとされている『枚片(ひらかた)大爆発』の正体じゃよ」
次々と驚愕の新情報を告げられて、岩平は頭が追い付かない。狼狽しながら思考を整理する。
「……ちょっと待て……。アレは隕石のせいじゃなかっただと……!? じゃあ一体何が原因で……」
「お前もおかしいとは思わなかったか? 本当に隕石ならば地盤ごとめくれる筈、だがコイツは空中で爆発して被害をより広範囲にしてる。あれは紛れもない『核爆弾』じゃよ。日本人ならよく知っている筈のな」
その単語を聞いた瞬間、岩平の中の何かが切れた。脳裏にあの地獄より酷い焦土の光景がフラッシュバックする。
「……どこのどいつだ……。そんなイカれたもんを故郷に落としやがったのは……。一体何万人もの人がのたうち苦しんで死んだと思ってんだ……。今すぐ行って、ブチ殺して八つ裂きにしてやる! 犯人は誰だ!」
激昂した岩平は、爺さんの襟首を掴んで八つ当たり気味に問い詰めようとする。
「さぁな、儂にもわからん。だから調査を続けているんじゃ」
辺理爺さんはいたって冷静に、岩平の手を振りほどいてその質問に答えた。
「儂の知る限りでは、少なくともあの爆発で電磁気学と量子力学の本は焼失。他にも確認できたのは、統計力学のボルツマンに素粒子論のファインマン。熱力学の本もおそらくその時に一度焼けてしまったのだろう。だが本来、真理論争ではルールで本は燃やしてはいけないと決められている。こうした無差別攻撃を防ぐ為にもな。その場合、物理学書は新しくどこかの図書館に生成され、次の物理学者(フィジシャン)とふさわしき演算者(オペレーター)が出そろうまで延期となる。今回現れた彼女のようにな」
「じゃあ、今日俺が図書館であの量子力学の黒い本を見つけたのもジジイが計算した事だったのか?」
一旦冷静になろうと、胸の動悸を抑えながら岩平は聞いた。
「その通りじゃ、その為に儂はお前を今まで鍛えてきた。そうすれば、あとは図書館が資格を持つ者の前に物理学書を出会わせてくれる」
「何故俺なんだ? 俺は物理学の知識なんてほとんど無い。ジジイの方がよっぽど向いてるじゃねーか」
「すまんがそこは、今はまだ詳しくは話せない。儂には演算者(オペレーター)をやれないある理由があるのじゃよ」
いまいち要領をえない返事だった。研究員というからには、機密情報の守秘義務があるやつだってあるのだろう。仕方ないので岩平は質問を変えることにした。
「そもそも物理学者(フィジシャン)とかって何なんだ? リーゼルもそうだが、とても普通の人間とは思えない力を使いやがる。いつから、物理学者ってのは魔法みたいな技を使うようになったんだ?」
「魔法ではない、れっきとした物理法則に則った物理演算(シミュレート)術式じゃよ。一般には知られていないが、近代におけるニュートン力学発明以降の一流物理学者たちなら誰もが使っとる技じゃ。おそらく、『神』とやらも言っていただろう? 物理学者(フィジシャン)とは、それぞれの学問分野で歴史に名を残した偉大な物理学者の脳を、物理演算(シミュレート)で再現したものじゃ。それも、方程式を基にして演算者の脳の計算資源(リソース)を使った術式じゃよ。いわば、『神工(じんこう)知能』じゃ」
そう爺さんが説明すると、今まで黙って聞いていたリーゼルがようやく口を開く。
「その通りだ。身体の基本構成物質は人間と変わらないが、アタシ達は戦う為に強靭な力と物理演算能力が与えられている。仮初めの命ではあるが、『万物理論』に記録されし記憶を受け継いだ脳は、生前のアタシと同じものだ」
それを聞いた爺さんは、今度はリーゼルへと向き直る。
「ただ一つわからない事がある。お主は何者じゃ? 幼い女子の物理学者なぞ、儂でも聞いた事がないわい」
「……それはあまり答えたくないな……。何よりアタシはあの『忌まわしき名』を口にしたくないんでね」
その事は岩平も気になっていたが、彼女は言いたくないらしく、口を閉ざしてしまう。
「まぁいいわい……。あのエルヴィン・シュレーディンガーに次ぐ実力者である事は確かなようじゃしな。いずれ明らかになることじゃろうて」
そう結論付けた辺理爺さんは、背を向けて裏門へと歩き出す。
「……とまぁ今はそれより、そろそろ逃げた方がいいぞ」
そう言われて岩平は、正門の方にサイレンの音が近づいてきているのに気付く。きっとケルヴィン卿の炎や技術室校舎の煙を見た近隣住民が通報したのだろう。炎はもう消えていたが、一部が燃えてしまった事には変わりがないし、物理学者のせいだとかいう説明も信じてもらえるワケがない。
「とりあえず、儂のバアさんとこの電気屋に逃げるぞ」
「オ……オウ……」
そうして、俺たちは暴れ回った跡の残る学校を後にして、いつものバイト先へと逃げ込んだ訳であった。
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