第4話 「神」を引きずり降ろす科学

 岩平は三年前の出来事を思い出していた。それはまだ岩平が中二の頃、どうしようもなくワルで暴力的で手が付けられない頃の話である。抜群の戦闘センスで鷹月市のナワバリのほとんどを手中に収めた彼は、上級生相手だろうがなんだろうが、向かうところ敵なしの存在となっていた。欲しいものは何でもすぐに手に入れたし、文句を言う奴はすぐに力でぶちのめした。岩平が枚片市出身だからとか言って差別してきた奴らも全てである。


 しかし、そうして築き上げたと思った猿山の地位も、一人の男の登場によって突き崩されることとなる。


「やーっと、見つけたわい。お主がここいらのガキ大将ってやつかい? 坊や」


「あん? テメェ誰だ?」


 廃ビルにある岩平のアジトを訪ねて来たその爺さんは一風変わった人物だった。服装は作業着にウエストポーチを着けて、額にはゴーグルを装着した、いかにも町工場の職人といった体であったが、白髪の長髪の下の彫りの深い顔はどこか外国人のようにも見えた。


「儂の名は辺理砕十郎。ただの教師だよ、我妻岩平くん」


「なッ、何故俺の名を!?」


 それは岩平の両親が死んだ時に捨てた筈の名字だった。過去に目の前で閃光とともに黒炭となって消えて行った両親を思い出さない為に意図的に名乗るのを避けてきた名字である。巷では『鎖輪の岩平(チェーン・リング)』として名の通っている存在ではあるが、不良仲間に名乗ったことは一度もなかった。


「そりゃー枚片(ひらかた)市を襲ったあの隕石大災害から生き残った人間は数える程しかいないんでね。調べりゃ簡単に分かるわい。その後、全てを失くし、孤児となった君は遠い親戚をたらい回しにされ、援助金はふんだくられ、グレたお主はこうして非行に走っているという訳か。なんという転落人生なんじゃろーか?」


 ベラベラと個人情報を喋りだす爺さんに我慢がならなくなって、岩平は爺さんの方へと駆け出す。黒い感情はいくら向けられようが一向に構わなかったが、哀れみを向けられるのだけは耐えられなかったのである。


「さっきから黙っていりゃテメェ……。半殺しで身包み剥がれる覚悟はできてんだろーな! ジジイ!」


 だが、次の瞬間、岩平は床の上の埃を見ていた。何が起きたのか一瞬分からなかったが、後から来た痛みが、凄まじい早業で床に叩きつけられたらしいことを物語っていた。


「ぐっ、んな……、何しやがったジジイ!」


 慌てて飛び起きて、体勢を立て直し、岩平は爺さんへと殴りかかるが、砕十郎はそれら全てをヒラリヒラリとかわし、まるで当たらない。しまいにはその力を利用され、一本背負いを喰らう始末。


「ぐ、クソッ……。こ、こんなッ……」


 その後も、幾度となく何十回と床に叩きつけられた岩平は、流石にもう疲れ果てて、爺さんの前にへたり込んでしまう。それは岩平が初めて敗北した瞬間だった。


「……奪おうとして何が悪い……。全てを奪われた俺が、恵まれたヤツから奪おうとして何が悪い。あの地獄より酷い場所が脳裏に焼き付いて消えやしねぇよ。のうのうと日常を生きているヤツらがどうしようもなく憎い。世界が憎い―――。『神』が憎い――――――――!!」


 敵わないと知り、開き直った岩平は目を閉じて、砕十郎の前で仰向けになってしまう。


「さっさと殺せよ。こっちはこんなくだらねぇ世界に飽き飽きしてるんだ。早くあの世にでも行って、『神様』ってクソヤローをぶん殴ってやりたいんでね―――――」


 だが、砕十郎は一向に攻撃してくる気配は無い。それどころか、岩平の手を取って上体を起こさせる。


「……フン、あの世なんざに行かなくても、いずれ『神』なんざ観測できるようになるわい。じゃから、その為には世の中を知れ、世界の理を知れ。そうすればおのずと『神』とやらを探し出す術も見つかるじゃろうて……」


「へェ、面白ェ……。お前が教えてくれんのか?」


「ああ、そうじゃ。この宇宙から『神』を引きずり降ろす科学――――。それが『物理学』じゃからな――――――」


 砕十郎はあくどい悪戯小僧のような笑みを浮かべて、岩平へと語りかける。だが岩平にはその声が不思議と悪い気がしなくなっていた。


 ※※※


 朦朧とした意識の中、岩平は少しずつ黒い本へと手を伸ばす。島本水無瀬は技術室校舎が炎上しだしている様子をしばらく楽しそうに眺めていたために、若干の隙が生じていたのだ。


 ―まだだ……!


 ―まだ俺はアイツから何も教わっちゃあいない!


 ―やっとアイツのいる高校にまで入れたのに……、ここでまた失う訳にはいかねーんだ!


 しかし、ここで急に島本水無瀬は思い出したかのように振り返り、岩平へと赤い本を向ける。


「十分楽しんでくれたかい? 岩平くぅん。じゃあ次は、『楽(たの)死(し)んで』みてもらおうかなぁ……?」


 ケルヴィン卿の構えた演算子(えんざんし)『F』(ヘルムホルツ)のふいご口から溶鉄のような紅い閃光が漏れ始める。やがてその輻射は巨大な炎となり、岩平を焼き尽くそうと迫って来た。


 許さねェ……。


 許さねェ……。


 許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェ許さねェッ!!!!!!!!


 その瞬間、岩平の手が黒い本へと届き、本が眩い輝きを放ち始める。やがて、光の塊が本から飛び出したと思うと、迫りくる火炎弾と衝突し、辺りはとてつもない閃光に包まれて、目を開けていられなくなる。


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