終末の放課後、君と別れたら
たった十日で終わった世界規模の戦争。それは僕たちから全てを奪い去った。
家族も家も町も、過去も未来も何もかも。
戦争が終わって残ったのは瓦礫の世界だけ。その中で辛うじて形を留めていた高校に生き残った者は集まった。
他に行くところもない。僕たちは昼間には学校に集まり、夜にはそれぞれの寝ぐらへと帰っていくという日々を送ってきた。
それから五日。初めは二十人ほどが集まっていた学校にも、気がつけば一人、また一人と人が減っていった。そして気がつけば今日は四人だけ。
来なくなったものは、恐らく一足先に死んでいるのだろう。
そして、それは僕たちの遠くない未来の姿でもある。
「それでも、ここまで生きることができて良かったよ……」
丸一日、四人で思い出を語り尽くしてから木戸がそう呟いた。
僕はただ、頷くことしか出来なかった。
「夕陽……」
「綺麗……だな」
いつしか陽が西に傾いていた。
それを眺めながら、木戸と優香は二人の世界に入り込んでいく。二人とも、もう昼からずっと床に伏せたまま。身体を動かすことも出来なくなっているようだった。
「ふうか」
「……うん」
橙に染まるふうかの頬にはキラリと輝くもの。それに気がつかないふりしながら問いかける。
「そろそろ、帰るか?」
「うん…………そうだ、ね」
逡巡の末に、ふうかは頷いた。
彼女も分かっている。二人きりの最期を邪魔するわけにはいかないということを。だけど同時に、ここで別れたら二人にはもう会えないということも分かっていた。
離れたくない--そんな彼女の心の痛みが手に取るようにわかって、息が出来なくなる。
「おいおい、また朝みたいに湿っぽくなってるぞ!」
「そうだよ! ほら、こんな時こそスマイル!」
不意に木戸と優香が二人の世界から
いつものように明るく笑う二人。けれど、ただ寄り添い地面に伏せたまま笑顔を浮かべる二人を見ていると、余計に胸の奥から迫り上がるものを抑えられなくなる。
「だって……だってぇ……」
悲しみの雨がふうかの頬を叩いた。
「もう……会えなく……そんな……」
泣きじゃくるふうか。そんな彼女の頬を、優香が精一杯腕を伸ばして撫でる。
「……ありがとう。私のために泣いてくれて。私のことを想ってくれて」
「うぅ……うぇぇ……」
「ありがとう……ありがとう……でもね、最期は、ふうかちゃんの笑顔を見せて。私の笑顔を、覚えて。良い?」
「うっ、うぅ……うん……うんっ……」
「ありがとう。それだけで私は幸せだよ……」
ふうかを抱きしめ、そして優香は大粒の涙を零しながら僕に目を向ける。
「ふうかちゃんを、よろしくね」
「ああ。優香こそ木戸を頼むからな」
「へへへ。任せてよ」
「言われるまでもなく、俺たちは二人で一つだ。これまでも、これからも……」
木戸が割り込み微笑んだ。
「〜〜っ!」
二人の笑顔とふうかの涙。
堪えたはずのモノが溢れそうになって、言葉が出てこなくなった。
「……うん、そうだな……お前らは最高の二人だ……」
辛うじてそれだけを返事し、真っ直ぐに二人を見つめる。
いつまでも降りやまない雨に、それでも僕は二人の笑顔から目を離したくはないと思った。
**
「きっと、二人で帰るこの道も今日が最後かもね」
学校を後にして、ふうかと二人で歩く瓦礫の道。
その道中で、彼女はポツリと呟いた。
「奇遇だな。俺も同じことを考えていた」
二人とも、足元がおぼつかない。
昨日よりも今朝、今朝よりも今。確実に、そして急速に身体が弱ってきている。
僕らにも死が近づいていることは前から気づいていた。だけど、木戸と優香との別れで、残っていた気力と体力が一気にすり減ったように感じる。
「今別れたら、次に会うのはひょっとすると黄泉の
「だね」
「うん」
「……」
「……」
いつになく会話が続かない。
最期になるかもしれないのに、いや、最期になるかもしれないからこそ、何を話していいのか分からない。
「この辺……」
突然ふうかが立ち止まった。
「確か川だったよね?」
ふうかの言葉に釣られて辺りを見る。そこにはどことも変わらない、一面瓦礫の世界が広がるだけ。
「どうだろう」
「ほら、遠くのあの山の形、見覚えない?」
町の痕跡は残っていない。地形は大きく歪められ、どこに何があったのかはぱっと見では分からない。
けれど毎日のように学校への道を通い続けた僕たちには、記憶がある。ふうかの示す景色の彼方の山と記憶の断片から僕は頷いた。
「あぁ……確かにあの山だ。ここにかかっていた橋から見えた、山だ……」
両岸には緑が溢れ、清き流れに
ここにはかつて、確かにそんな風景があった。
「昔はここに……」
そう言いかけた瞬間、僕の身体がびくりと跳ねた。
身体が固まり視界は暗く狭くなる。世界がガラリとその姿を変えていく。
「『夢』……」
過去を思い出した。
そのことが引き
「あっ……」
灰色の世界が急速に薄れ、代わりに広がるのは麗らかな春の景色。
空は青く、遠くには所々若草色に染まった山がゆったりと構えている。
穏やかな川の流れの両岸には明るい色の草花が生き生きとして、その周りを蝶々がゆったりと踊っている。
「あはは! 冷たい!」
声が聞こえた。
振り返るとそこには靴を脱いで川に入っている一人の少女。
「ふうか……?」
「きもちいい! あはは!!」
それは僕の持つ中で最も古い少女の記憶。
ありふれた日常の中でふと見かけた、影のない輝くような笑顔だ。
それを初めて見たあの日、僕は彼女に恋をした。
「っ!」
ズキリ。
心の奥が痛んだ。
僕はこの笑顔が消えることを知っている。
この子が感じる哀しみを知っている。
この子が抱える痛みを知っている。
「守れなかった……!」
彼女の笑顔は失われた。あの審判の日々を生き延びた親友を失って以来、彼女の笑顔にはどこか影が差すようになった。
僕は、彼女の笑顔を守ることが出来なかった。
その現実を思い出した途端、一つずつ景色が消えていく。
景色が色褪せ山が霞む。流れる水が泡のように形を失い、草花と生き物の気配が消え失せる。
「あの笑顔を守れなかった!」
最後に残った少女。
その顔にはずっと見ていたかった笑顔ではなく、この数日の間に脳裏に焼きつくほどに見た表情が浮かんでいる。
その哀しげな影のある微笑に手を伸ばしながら、僕は呟く。
「君を……守れなかった…………」
消えゆく少女。
見ていられずに思わず目を閉じる。
「ありがとう」
「!」
暗闇の中に響く聞き慣れた声。
手に何かが触れたような気がして目を開けると、そこには消えたはずの
「ありがとう、私をそこまで想ってくれて……」
「ふうか……」
「あぁ……あったかい……」
そう言ってふうかは手を離し、僕を優しく抱きしめた。
彼女の身体の温かさが優しく僕を包み込む。そのぬくもりに思わず想いが溶けて流れ出す。
「……『夢』を見ていたよ」
「うん」
僕の言葉にふうかは優しく頷く。
「君の『夢』だった。昔の、君」
「昔の?」
「変わらないと信じていた、ずっとこんな日が続くんだって思っていた、あの時の記憶……」
そんな僕の呟きにふうかは体を離す。
「拓海くん」
「……」
「私ね、君が『夢』を見ながら呟いた言葉が嬉しかった。そこまで私のことを想ってくれてるんだって。そして、同時に悲しくも感じたの。私の痛みと苦しみを拓海くんも同じくらい強く引き受けてくれている。そのことが申し訳なくて……」
少女は再び僕を抱きしめる。
「拓海くんは……あなたは優しいから、私の事まで気にかけてくれる。それが嬉しくて、でも申し訳なさと悲しさで胸がいっぱいになって……でもやっぱり嬉しいの」
少女は立ち上がった。
「『夢』を、見たんだよね?」
「うん」
「私の、『夢』?」
「……うん」
頷くとふうかは微笑んだ。
「……
悠里はふうかの親友だった少女。僕と同じように『夢』を見て、囚われ、そして最後は『夢』に死んだ。
彼女が自らその命を絶った時、ふうかは我を失うほどに取り乱した。ふうかが『夢』を見たいと言うようになったのも、その頃から。
そんな彼女が自ら親友の話をする事など、悠里が死んでからは初めてのことだった。
「悠里のいない現実を受け入れられなくて、だから悠里がいるかもしれない『夢』の世界に行きたかった。こんな悲しみだけの世界を捨てて幸せに満たされた『夢』の世界へ……。でも、拓海くんは満たされた世界の中で『夢』の私に出会ってなお、『夢』の中で『現実』の私を慮って苦しんでいた……」
その目から大粒の雨粒が降り注ぐ。
「
彼女は目を腫らしながら、キッとその目を据えた。
「私は
「ふうか……」
「そして、これからも私はあなたと過ごしたい。この終末の世界であなたの隣にいたい。--『夢』から醒める間際の拓海くんの言葉でそんな自分の想いに気づいた瞬間、もう私に『夢』の世界は必要ないって分かった。大切な人を苦しませるような『夢』の世界に憧れはもうなくなってしまった」
--ふうかは、『夢』を見ない。
どんなに目を凝らしても、彼女の目の前に広がるのはただ瓦礫の世界だけ。
そんな彼女は最近口癖のように同じことばかり言っていた。
私も『夢』を見てみたい、と。
彼女もまた僕とは違う意味で『夢』に囚われていた。だけど、その檻から彼女は自力で抜け出した。
「……僕も、この時間を生きたい」
そして、そんな想いを秘めた少女の強さは、僕にも伝染する。
「もう過去から目を逸らさない」
これまで僕は過去を見ないふりをし、辛い日々に目を背け、心を閉ざしてただ生きてきた。その結果、向き合うことも清算することも無かった過去がゾンビのように衝動的に蘇っていた。
きっとそれが『夢』の正体。
「だけど、向き合わなくちゃ……」
容易なことではない。
見たくもない過去に向き合うことはとても苦しく残酷なこと。
その苦しみから逃れようとする人間の弱さは、むしろ人が人である所以だろう。
けれど、その逃避の末に自らの意思で過去に向き合うこともまた人間の強さだと思った。
「僕も……ここにいるよ」
「うん」
「この数週間、色んなことが起きた。でもその結果、僕は君の隣にいることが出来ている……」
「うん」
「これまでも、今も、そしてこれからも、こうしていたい……」
たとえ終末までの残り僅かな時間でも、ふうかと同じ景色を見ていたい。
過去と向き合い、そして自分の想いに向き合った瞬間、目の前に広がるモノクロの世界が突然光に包まれた。
「あ……」
終末の世界に色がつく。
空は橙、たなびく雲は朱に染まる。地面は赤地の中に灰色や緑、黒、青というった色とりどりのガラクタが花を咲かせている。
そして、その世界の中心には何よりも美しく儚げな一人の少女の黒髪と白いセーラー服。
「ふうか……」
「うん?」
「世界の終わりって、こんなにも綺麗だったんだな……」
それまでモノクロに見えていた終末の世界が、色鮮やかに染まる。
総天然色の世界はあまりにも儚げに美しく、けれども寂しくはない。
僕はもう、美しい幻想にも着色料で染まった過去の思い出にも囚われなくなっていた。
「……すっかり遅くなっちゃったね」
東の空には、夜が迫っていた。
「もう、帰らないと……」
「そうだね……分かってる」
分かっている。
だけど…………。
『--この終末の放課後に別れてしまえば、明日はもう会えないかもしれない』
そんな想像に身体が支配されて動かない。
ただ放課後に別れるだけのことが、ただ恐ろしく感じて不安に飲み込まれそうになる。
『--お前も終末に後悔だけは残すなよ』
だからだろうか、木戸に言われたことを思い出した。
「ふうか」
「うん?」
「もう少しだけ、君といたい……」
終末の時を、ふうかと共に過ごしたい。
ただ、それだけを願う。
「……うん、私も」
ふうかはそれを、ただ受け入れてくれた。
その様が愛おしく、彼女への想いが溢れ出す。
もう、堪えることなど出来ない。
「ふうか」
「はい」
「愛してる」
「……」
「愛している。誰よりも、いつまでも。君を愛している……」
放課後の夕方。
僕はふうかに想いを伝えた。
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