この二人の少年、鬼頭葵日きとうあおひ鬼尾椿おにおつばきは古より続く、二つの特殊な一族の末裔だ。

 遥かな昔、修験道の開祖であり、かの大陰陽師安倍晴明の師、賀茂忠行・保憲親子と同じ賀茂氏の人間でもある、役小角えんのおづのという術者がいた。伝説によれば、彼は二匹の鬼を従えていたという、曰く前鬼ぜんき後鬼ごき

 そして鬼頭と鬼尾は、人の血を混ぜながら、その二匹の血を守って来た。鬼頭は前鬼、鬼尾は後鬼の血を受け継ぐ一族だ。

 その二つの家の嫡男である葵日と椿は、今日大きな節目を迎える。





 二人は引き戸の中、控えの間に入った途端口を噤む。状況判断が出来ない程、二人は子どもではない。

 二人の顔が緊張の為、引き締まる。その緊張が空気にも伝わる。

 硬質の沈黙が立ち込める中、二人の前の観音開きの扉がゆっくり開き出し、光の線が差し込む。

「いよいよだな」

 硬い声で葵日が言うと、同質の声で椿が返す。

「あぁ」

 その光の線が段々広がり、控えの間を満たした。

 扉が開かれた正面には老年の男性が二人、それぞれ葵日と椿の面影がある。二人の祖父だ。

 二人は、各々の祖父の前へと進み出る。部屋の両脇には、母や姉弟たち。部屋の全員の視線が、二人へ注がれる。

「よく、無事にこの日を迎えてくれた」

「しかし、今日は始まりに過ぎないことを、お前たちも解かっているだろう」

 先代の前鬼が、そして先代の後鬼が厳かに口を開く。

「解かっているだろうが、お前たちはまだ前鬼・後鬼と名乗ることは許されない。

 今からお前たちに最後の修行を申し渡す」

 緊張感が頂点に達する。葵日は、思わず唾を飲み込んだ。

十種とくさの宝を守れ」

 先代後鬼の言い渡した言葉に、葵日と椿の上に疑問符が浮かぶ。葵日が腕を組みながら椿に訊ねる。

「十種の宝ってなんだ?」

「……普通に考えるなら、生玉いくだま足玉あしだま死返玉まかるがえしのたま……」

「ハハハ、その十種の宝ではないよ」

 椿が十種の神器を挙げるのを笑い声で割り込んで、先代前鬼が言う。

「何でも良い、お前たちが宝だと思うものならば、静物だろうが、生き物だろが、土地だろうが、意志を持っていようがな。

 とにかく、お前たちが宝だと思ったものを十種。期間も、それぞれお前たちが必要だと思った期間、守れ。無事十種守りきれた暁には、前鬼・後鬼と名乗ることを許そう」

 先代後鬼が捕捉する。それに葵日が噛み付く。

「なんだよそれ、それじゃあ修行終わるの何時になるか解かんねぇじゃん!!」

「仕方無いだろう、前鬼と後鬼は守るのが本分。守る力が無ければ、前鬼・後鬼と名乗る資格なぞ無い。

 守る力を見極めるには、それなりの数をこなさねばな。それに、守るものを見定める力も、見なけりゃならんし。

 諦めろ葵日、これは先祖代々続いて来た仕来たりだ」

 先代前鬼の言い分に、椿が納得した声を出す。

「なるほど、前鬼・後鬼となるにはどうしても必要な修行、というわけですか」

「その通りだ」

 孫の理解力に頬を緩め、肯定する。

 先代前鬼が苦笑をしながら切り出す。

「と、こんなことを言っておいて何だが、実は最初にお前たちに守ってもらいたいものは、決まっているんだ」

「は?」

 葵日と椿の声がハモる。





「お前さ、通信の高校行くんだって?」

 葵日の祖父の運転する車の後部座席で、頬杖をついて窓の外を見ながら葵日は問う。

「あぁ、おれはまだ学校という場で学びたい。中学まででは、おれの知識欲は満たせない」

 反対側の窓の外を見ながら、椿が答える。葵日はちらりと椿を見て、再び窓の方に視線を戻して言う。

「物好きだな。そんなひまあるのか? 通信つっても、スクーリングはあるんだろう?」

「あまりに無理な様なら、高卒認定に切り替えるさ。お前なんかに、迷惑なぞかけてやらん」

 二人の様子をバックミラーで見ていた葵日の祖父が、可笑しそうに口を挟む。

「ハハハ、良いじゃないか、若いうちは好きなことをすれば良い」

 そこで一度切り、少し真面目な顔になって続ける。

「こんな家だからな。特に嫡子たるお前たちには、実に自由の無い青春を送らせてしまうことになる。

 だから、葵日も出来る範囲で好きなことしろよ」

 葵日の祖父の方を向き、聴いていた葵日がくすりと笑いながら言う。

「気にし過ぎだなぁ、じじ様は。

 大丈夫だよ俺は、前鬼になる為の修行がやりたいことなんだからさ」

「そうですよ、前鬼のおじい様。おれだってやりたくて修行しているわけですから。

 ただ、おれの様に頭の良いやつの最終学歴が、中学なのが嫌なだけです」

 椿が顎に手を当てながらそう言うと、葵日は引いた視線を、横目で椿に送りながら言う。

「うわ~、ナルシーだぁ、変態だぁ、俺の横に変態がいるぅ」

「んだと!? お前なんか、脳まで筋肉だろうが!!」

「あのなぁ、俺だって平均点くらい取ってたぞ!」

「平均点だろう? 悪いが、平均点は真ん中くらいの順位が取れる点数って意味じゃないぞ」

「あっ!? そうなのか!!?」

「ほれ見ろ、だぁほ」

 二人のやり取りを見ていた葵日の祖父は、突然笑い出した。

「なんだよじじ様、あんたの可愛い孫が悪く言われてんだぞ!?」

 椿も、怪訝そうな目をする。

「いやぁ、お前ら仲悪いなぁと思ってな。わしらも仲は良くなかったが、お前ら程ではなかったぞ」

 目元の皺を深くしながら言う。

「前鬼・後鬼は、代々性格が正反対なことがほとんどだからな。仲が良い方が珍しいのかもしれんな。……当代は、随分仲が良かったがな」

 葵日と椿の祖父はすでに前鬼・後鬼の座を次代に譲った先代、二人本人はまだ見習い。当代は、数年前にこの世を去った二人の父親のことだ。

「そうだな、父上たちは仲が良かった」

「あぁ」

 しんみりとした空気が流れる。しばしの沈黙。

 その空気を、葵日の祖父が壊す。

「あ、見えて来たぞ、あそこが目的地だ」





 とっくにアスファルトの無くなった道路の向こうに、巨大な日本家屋が見えて来た。春の新緑に囲まれたその門の向こうは、山の中ということも相まって、まるで隠された秘境の様だった。

「すげぇ、でけぇ」

「此処は?」

 予想以上のその場所に、目を見開いて思わずといった風に呟く葵日と椿を見て、悪戯っ子の様な顔をしながら、葵日の祖父は簡単な説明をする。

「此処は国家レベルの霊的一族の本家だ」

「国家レベル!?」

 その言葉は葵日たちの想像を超えていた。

「とは言っても、国と直接関係していたのはかなり昔の話で、今では存在を認知しているだけだがな。まぁでも、鬼頭と鬼尾合わせても太刀打ち出来ない様な一族ではあるわな」

「ほわぁ」

「葵日、その阿呆面止めろ」

 祖父の話と、潜った門の内側の様子に感嘆した声を上げた葵日に、椿が鋭く言う。

「んな顔してねぇよ!」

「してた、かなりの阿呆面だったよ」

「してない!!」

「してた!」

 そんな低レベルの言い争いが、雅な前庭に響く。

「前鬼様、後鬼様でございますね」

 二人の言い合いを遮る様に響いた声の方を振り返ると、黒と赤の振袖を着た二人の女性が立っていた。女性たちは、お手本の様な四十五度の礼をすると、「ご案内いたします」と言って、くるりと背を向ける。

「では、わしは行く。しっかりやれよ、二人とも」

「任せといてくださいよ、じじ様」

「此処まで送って頂き、有り難うございました、前鬼のおじい様」

 案内役が来た為、荷を渡し、葵日の祖父は車に乗り込み帰って行った。二人は受け取った荷を持ち直し、葵日は柄の長く、刃の妙に小さい斧を、柄の先を地面に当てて持ち直す。刃には、誤って物を切らぬ様にさらしがぐるぐると巻かれていた。椿は玻璃(水晶)の数珠をじゃらっと音を立てながら首にかける。

 二人の用意が整ったのを感じ、女性たちはちらりと二人の方を見て、進む意志を伝え、歩き出す。





 しばらく進んで木造の小屋の前に着くと、女たちは入口を挟んで立ち、二人に言った。

「では、こちらで沐浴をして身を清めてください」

 二人は、一度顔を合わせると、湯殿へ入って行った。

 中には脱衣所が一つ、浴場が二つあり、脱衣所には身体を拭く為の清潔な布が置いてあった。

 二人は荷物を置くと、服を脱ぎ始めた。

 服を脱ぎ終えた椿が、葵日に言う。

「覗くなよ」

「覗かねぇよ、男の風呂なんざ覗いたって、何も面白くねぇじゃん。

 ってか何で釘刺すんだよ……」

 そこまで言って、葵日は思い付いた様に言う。

「ハッ、まさかお前包け……」

 椿は皆まで言わせず、法螺貝を思いっ切り葵日に投げつけた。

「いってぇ……」

「お前には羞恥心ってものが無いのか!? だいたい下品だろう、このだぁほっ!!」

 椿はそう怒鳴ると、浴室の片方に入って行った。

「ったく、冗談の通じない堅物め」

 葵日はそう愚痴ると、貝を投げつけられた頭を撫でながら、もう片方の浴室に入って行った。





 しっかり身を清めた二人は、葵日は黒の鈴懸、椿は白の鈴懸に身を包み、さらしを取った斧を持ち、首に数珠をかけ、湯殿から出る。外には先ほどの赤と黒の女と、後ろには同じ色の袴を着た男が二人いた。

「持ち込む穢れを最小限にする為に、お荷物を預からせていただきます」

「どうしても必要な物がある様でしたら、今お取り出しください」

 赤と黒の女が言う。葵日と椿が顔を見合わせ、椿だけが荷物を探り、中から螺緒らおという麻紐のついた法螺貝を取り出す。もう二人が何も取り出そうとしないのを見て、二人の男が葵日と椿の荷物の前に立ち、二人に「よろしいですか?」と再度確認すると、二人は男たちに頷いた。それを見た男が荷物を持って、それを運んで行く。

「では、こちらでございます」

 一連の作業が終わったのを見届けた赤と黒の女が、再び先導する。

 沈黙のままの一行の前に、離れの様な建物が見えてきた。その前に一人の男性の姿も見える。始めは全員誰だろうくらいにしか思わなかったが、彼の顔立ちが解かる距離になると、二人の女はその黄色い狩衣に身を包んだ男が誰か思い当たり、驚きの声をハモらせた。

主上おかみっ!!」

「主上?」

 葵日が怪訝そうな声をかける。それもそのはず、「主上」とは、お役所などに使うこともあるが、基本的には天皇を指す言葉、しかし目の前の彼はテレビなどで、事あるごとに拝見するあのお方とは似ていない。大体年齢が違う。目の前の男性は男の盛りだが、テレビで拝見する天皇陛下は老年の域だ。

 その主上と呼ばれた男は、二人に微笑むと正体を明かした。

「お初にお目にかかります、前鬼殿、後鬼殿。私はこの一族の当主をしている者です」

 二人も男に会釈を返す。

「さて、今回の仕事内容は聴かれましたかな?」

「いえ、まだです」

 当主の質問に椿が答える。

「では、私から説明させていただきましょう。

 二人とも、下がりなさい」

 女たちはそれを聴くと、葵日たちに会釈をして去って行った。

「では、ご説明申し上げます」

 当主はそう言って、二人の意識を自分に戻すと、話し始めた。

「守っていただきたいのは、この離れの中にいる、一族の中でも位の高い分家の姫君です。期間は五日間。何も無ければ良し、もし何かが襲って来る様ならば、何としてでも姫を守っていただきたい」

 椿が一つ質問する。

「五日とは、今日を入れて、ですか?」

「えぇ、今日を入れてです」

 今はすでに、午後に入ってしばらく経っている。つまり実質は、四日と半日弱だ。

「解かりました」

 椿が返事をし、葵日も了解したことを頷きで示す。

「それと、一つ注意が……」

 当主はそう言って、二人の注意を再び自分に寄せる。

「姫の名前は、呼ばない様にお願いいたします。姫にも名乗らぬ様、言ってございますので」

 二人は何故か解からぬまま、とりあえず頷いた。

「では、また五日後に」

 そう言って、当主が頭を下げたので、二人も会釈し、垣根の中の離れへと姿を消した。




 二人は離れの玄関で草履を脱ぐと、奥の部屋へと入って行った。距離の長くない、細い廊下を抜けた所に広がる二十畳ほどの畳の部屋の真ん中に、一人の幼女が座っていた。二人の気配を感じたのだろう、振り返った彼女の風貌を見て、二人は驚いた。幼女は整った顔立ちをしていたが、それより二人を驚かせることになった要因は、尼削ぎにされるには些か不自然な黄緑色の髪と、真ん中分けにされ、そこだけが少し現代っぽさを漂わせる前髪から覗く、少し不安げに潤んだ青と緑という左右で違う瞳だった。

「あの…前鬼様と後鬼様ですか?」

 少し舌足らずだが、まさしく鈴を転がす様な愛らしい声で、幼女は二人に話しかけた。

「あ…あぁ」

 その声に、我に返った葵日が答える。

「どうして解かったんだ?」

 そう問えば、花が開く様に笑って幼女が答える。

「わたくし物忌み中ですもの、ここに入っていらっしゃるのはお二方だけだと伺いましたわ」

 舌足らずとは似合わず、難しい言葉をしっかり自分の物にしている調子で話す幼女に疑問を持った椿が訊く。

「君、幾つだい?」

「もうじき満五歳ですわ」

 そう笑って答える幼女に、二人はさらに度肝を抜かれる。幼女が言った年齢は、幼女の身体的外見から見れば高く、そして話している言葉遣いなどで考えるには幼過ぎた。

 二人は「え~と……」と呟きながら若干現実逃避を開始する。そこで椿が彼女の言葉の中に、他にも引っ掛かる点が有ることを見出した。

「さっき物忌みって言ったけど、おれたちと会うのは良いのか?」

 物忌みとは、神事の前の一定期間などに、身を清める為に行うお籠りのことだ。潔斎された物のみと口にすることは勿論、人と会うことも基本的には禁じられている。

「貴方がたなので良いのですわ。貴方がたは鬼であり、人間ではないのですもの」

 それを聴いた二人が思ったことは一つ、むしろ鬼だから駄目なのでは。そして、その思いを察した様に、幼女がさらに言葉を紡ぐ。

「本来鬼というと、穢れに近いイメージがありますが、今回重要なのは人間ではないという一点だけですわ。わたくし、物忌みの為に人間とは会えませんけれど、いくら主上の結界があるとは言え、一人にはしておけないのですって。誰か守る者が必要だと……」

「なるほど、まぁこじ付けに近いが解かった。とにかく物忌み中守れば良いんだろ?

 これからよろしくな、おひいさん。俺は前鬼の血筋の鬼頭葵日だ、前鬼ではなく葵日って呼んでくれっと嬉しいな」

 半ば無理矢理の様な解釈で納得した葵日が、幼女の頭を撫でながら自己紹介する。椿は幼女に恭しく跪くと、葵日に倣い名乗る。

「後鬼の血筋の鬼尾椿と申します」

 名乗りを聴いた幼女は嬉しそうに笑うと、答える。

「よろしくお願い致しますわ、葵日様、椿様」

「にしても、だ」

 和らいだ雰囲気に、葵日が水を差す。それに椿が面倒臭そうに反応する。

「なんだよ、一体」

「姫さんのこと、なんて呼べば良いんだ? 名前じゃ呼べねぇんだろう」

 葵日の言葉に、椿と幼女が顔を合わせる。

「なんてって……」

「別に姫で構いませんわよ」

 そう言う二人に、葵日は解かっていないとばかりにビシッと指を差し、言った。

「それじゃあ芸がねぇだろ!」

 そう言った葵日は、椿の「呼び名に芸はいらねぇよ」という言葉は届かなかったのか、はたまた無視を決め込んだだけか、とにかく反応せず、一人で悩みだした。その様子を見た椿は溜め息を吐きながら、

「じゃあ、『お雛様』っていうのはどうだ?」

「おひなさま?」

 葵日の頭に浮かんだのは、兄弟が女だらけの鬼頭家で、毎年桃の節句に飾られる七段の階段状の所に飾られる人形だった。

「『雛』というのは『小さい』とか『可愛らしい』という意味を持つ、さらに雛人形から『姫』のイメージもあるだろう?」

 その場で思い付きを言っただけなので、些か安直感は否めない。しかし、その呼び名を聴いた葵日の反応は浮かれたものだった。

「良いね、それ。それで行こうっ!

 改めてよろしくな、お雛さん」

 いたく気に入った様子の葵日に、椿は「これもあんま芸がねぇだろう」と溜め息とともに漏らす。その光景を見た幼女…いや、お雛様は笑いを禁じえなかった。

「素敵な呼び名を、有り難うございます」

 花がほころぶ様な笑顔でそう言われては椿も自然と、微笑まずにはおれなかった。

「ところでさお雛さん、一つ訊いても良いか?」

 またも、椿が和んだとたんの葵日の問い。実に間が悪いこと、この上無い。だがお雛様は、苦笑しながらも反応する。

「なんでしょうか?」

「答えられなかったら別に良いんだけどさ、五日後ってなんかあるのか?」

 五日後、その日まで二人はお雛様を守ることになるのだ。

「わたくしの、五つの誕生日ですわ」

 その答えは、二人にとって予想外のものだった。

「誕生日前に、なんでお籠りしてるんだ? この一族では、そういう風習でもあるのか?」

 そんなことは無いと解かっていつつも、葵日が言う。その疑問は椿も持っていたので、答えを促す様にお雛様を見つめる。

「いいえ、今回は特別ですわ。

 わたくし、今度の誕生日に大切な儀式を行いますの、……少し恐いのですけれど……」

 最後の呟きが本物であることを物語る様に、お雛様の瞳が不安げに潤んでいる。二人にはその恐怖の理由など、当然解かるはずもなく顔を見合わせる。

「まさかとは思うが、生け贄とか人柱とかそういう……」

「葵日っ!!」

 率直過ぎる問いを発する葵日を、椿が窘めるが、お雛様はさほど表情を変えず、俯き加減に首を横に振る。

「違いますわ、わたくしの為なんですの、わたくしを守る為……」

 その言葉に、二人は尚解からなくなった。何故お雛様を守る為の儀式を、その本人が恐れるのだろうか。

「申し訳ございません、これ以上は言えませんわ」

 苦しそうに言うお雛様に、椿が慰める様に言う。

「仕方ありませんよ、おれたちはどうしたって部外者なんです、言えなくて当然ですから、お気になさらないでください」

 その椿の言葉に、お雛様が弱々しく頷いたその時、玄関の方から鈴の音が聞こえて来た。

「何だ?」

 葵日が怪訝そうに振り返る。無言で玄関を見る椿も、その表情から同じように感じていることが窺えた。困惑する二人と違い、お雛様はそれまで顔に浮かべていた不安な色を消し、二人に説明する様に言った。

「夕餉が運ばれて来たみたいですわ」

「夕餉?」

「えぇ。お籠りの間は人と会えませんもの、あぁして食事を運んだことを知らせることになっているんです」

 訝しむ二人に、お雛様が説明する。それを聴いた二人はなるほどと、納得した顔になった。

「じゃあ、おれが取って来よう」

 そう言って椿は立ち上がると、玄関の方へと吸い込まれていった。





 椿が持って来た食事は、所謂お寺で出る様な精進料理といった内容だったが、味はとても良く、三人を満足させてくれた。

「ほぅ」

 食後、可愛らしい欠伸をしたお雛様は、眠そうに目をこしこしと擦り出した。いかに大人びてるとはうえ、まだほんの四歳児、幼稚園児をしている年齢に過ぎないお雛様には夜更しは難しい話なのだ。

「眠くなったのか、お雛さん?」

 葵日が訊けば、こくんと首を縦に振る。

「んじゃぁ、飯も食ったし、風呂入って寝るか」

 その葵日の言葉に、再びこくんと首を縦に振る。

「一緒に入るか、お雛さん」

 その言葉にも、お雛様は何の躊躇いも無く頷く。それに椿が慌てた様子で割り込む。

「ちょっと待て、何故一緒に入る必要がある!?」

「んだよ、こんなに眠そうなんだから、湯船の中で寝られても困るだろ?

 大体、なんでそんなに慌ててるんだよ、四歳っつたらまだ普通に父親と風呂に入る年齢だろ? 問題ねぇじゃん」

「知っている。銭湯でも、大体十歳くらいまでは異性の風呂に入ることが許されている。だがな、お雛様はお預かりしているお嬢さんなんだぞ? 親族とはわけが違う」

 尚も言い募る椿に呆れながら、葵日が言う。

「銭湯で入って良いなら、親族だろうと血が繋がっていなかろうと、関係ねぇじゃん。

 変に意識してんじゃねぇよ、ロリコンか?」

「違うっ!」

 もうこれ以上待てないという様に、一方的に白熱する言い合いを尻目に、お雛様が立ち上がり浴室へと向かい始める。それを見た葵日も、話を切り上げてそれを追う。残された椿は、舌打ちして虚しさを紛らわせた。



「い~ち、に~い、さ~ん、し~い、ご~お、ろ~く、し~ち、は~ち、きゅ~う、じゅう」

 葵日とお雛様はすっかり身体を洗って、湯船に浸かって数を数えていた。

「おっまけ~の、おまっけ~の♪」

 葵日が歌い始めると、きょとんとした顔でお雛様が訊く。

「なんですの? その歌」

「お雛さん、知らないのか? 十数えた後のおまけの歌だよ」

 それでもお雛様はきょとんとした顔だ。

「なんかの絵本に載ってる歌らしいぞ。つっても、俺もちっちゃい頃友達に教わったんでよく知らないけどな」

「ふ~ん……どんな歌ですの? 歌ってくださいます」

 その言葉に、葵日は笑顔で勿論と答える。

「おっまけ~の、おまっけ~の、汽車ぽっぽ~、ぽ~っとなったら、あっがっりっましょっ、ぽっぽ~♪」

 そして、そんな楽しそうな声が、独り淋しく部屋にいる椿の耳へと入って来た。




「で、どう思う?」

 縁側と畳の敷居に座り、襖にもたれていた葵日に椿が話しかけた。

「何が? お雛さんが性対象になるかどうか?」

「茶化すなっ!

 ……お前も、不自然に感じているんだろう?」

 真剣に問われたので、葵日も茶化すのを止め、ちらりと部屋の中央で布団に包まり眠っているお雛様を見ると、再び夜空に目を向けながら言う。

「何故護衛が必要なのか…か?」

「ああ」

 けして自分の方を見ようとしない葵日を気にすることなく、椿は葵日の横を通り縁側に腰を下ろす。

「普段ならさして不思議でもない。しかし、よりによって物忌の時に、しかも直接の護衛。外で護衛するなら解るが、人と会うことを断ち、身の穢れを落とす最中に接触しての護衛は、普通有り得ん」

「年齢から考えれば、淋しがって結界から出ない為ってのもある程度考えられるが、他でもないお雛さんに関してはそれも有り得ねぇだろうし……」

 しばらく考えるが、答えは出て来ない。

「ああ~っ、もう解んねえ!! 頼まれたから守る、もうそれで良い!」

 元々考えるのが苦手な葵日が考えるのを投げ、椿が呆れた溜め息を吐いた、刹那。

「っ! 葵日」

「解ってる。何だこりゃ?」

 舞台の上をスモークが埋め尽くす様に、寒気を誘う禍々しい霊気がその場に広がっていった。傍らに置いてあったまさかりを取り、葵日が庭へと飛び出した。先に縁側から降りていた椿が手始めにと九字を切る、刀印で縦横に切るだけの早九字ではなく、一つひとつ印を結ぶ正式なものだ。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前っ!」

 椿は一文字一文字力を込め、それぞれの印が示す神仏への尊敬と畏怖の念を持ち、破魔の呪法を行う。禍々しい気は一瞬収まったが、邪気は九字をも凌駕して、すぐに勢いを取り戻す。

「チッ、九字くらいじゃあどうにもならんか」

「まぁそうだろうな、何せこの結界の中に入って来れてんだもんよ」

 葵日はそう言い、ふと夜空を見上げる。その目には、見えざるモノを見ることの出来る者にしか捉えられない半透明の「幕」が、しっかりと収まっていた。その「幕」から溢れる気から考えるに、おそらく一族の当主御自らお雛様を守る為に張った結界らしい、それだけに強力なのだ。

 にも関わらず……、

「こんだけの結界の中に潜り込めるって、どんなんだよ!? しかも、結界壊してねぇからご当主も気付いてねぇだろうし。そんな知恵と力のある奴だ、俺らにどうにか出来るか?」

「出来る、出来ないじゃない、やるんだっ」

 弱音を吐く葵日に、椿が喝を入れる。とはいえ、そんなことは葵日とて百も承知だ、「そりゃそうだ」と呟き、白みを帯びた邪気に鉞を叩きつける。

 本来霊気が刃物で切れるはずもないが、生憎と葵日の持つ斧は普通の斧では無い、初代の前鬼、つまり本物の鬼が使っていた斧だ。人間の作った物でも「童子斬り」と呼ばれる様な太刀を始め、見えざるモノを切る刃物は存在する。ならば鬼の斧が切れないはずは無い。葵日が振り下ろした所で禍々しい気はざっくりと切られた。勿論一太刀浴びせて止める様なセコイ真似はしない、幾度となく鉞を振り下ろし、邪気を細切れにしていく。その間に椿は咒を唱える。

「ナマクサルバタタギャテイ・ビャク・サルバモッケイ・ビャク・サルバタタラタ・センダマカロシャナ・ケンギャキギャキ・サルバビキナン・ウンタラタカンマンっ!」

 椿が火界の咒を唱え終えた瞬間、葵日は心得た様に椿と邪気の間から退いた。その刹那、葵日が退いたことで出来た通り道を迦楼羅焰かるらえんと呼ばれる不動明王の纏う火炎が通り、邪気を燃やし尽くした。やがて、炎が消えたそこには何も残っていなかった。

「やったか?」

 葵日が訊く。椿は結界内の気配を探り、答える。

「解らない。ただ、もう結界内にはいない様だ」

「何だったんだ、あれ?」

「それも解らん、だが一つ解ったことがある。おそらくあれが……」

「そう、護衛が必要な理由ですわ」

 思わぬ所から言葉の続きが飛んで来て、二人は同時に後ろを振り向いた。そこには、寝ているとばかり思っていたお雛様が立っていた。

「あれが何なのかは、わたくしは勿論、主上たちでさえもお解りになりません。ただ、わたくしたちが生まれた頃から、常に付き纏って来ますの」

「まるでストーカーだな」

 茶々を入れる葵日の足を、椿が思いっきり踏み付ける。

「いっでぇっ!!」

「訊いて良いか?」

 痛みに喚く葵日を無視して、椿が問う。

「何ですか?」

「『たち』とは、誰のことを指す?」

「え?」

 二人の疑問を含んだ瞳を受けつつ、椿がさらに言う。

「今、「わたくし『たち』が生まれた頃」といっただろう? 『たち』とは誰を指す?」

 お雛様は合点がいった様子で、少し淋しそうに答えた。

「双子の妹ですわ。狙われているのは主にわたくしの様なので、とばっちりを受けない様に別々に育てられますけど……。

 そう、あれの所為なんですの、護衛が必要なのも、あの子の顔をまともに見たことが無いのも、今度の誕生日に儀式を受けることになったのも……」

 常に小さく見えるお雛様に、二人は声を掛けられずにいた。

「もう、今夜は来ねぇだろ。とりあえず寝ようぜ!」

 葵日が、無駄に明るい声でそう言った。

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