10話 再会

 ぽかんとした顔の愛奈を見ると、胸の内からあついものがこみあげてきた。


「愛奈、愛奈!」


 生きていた。

 嗚呼、生きていた!

 今すぐ抱きしめてやりたい衝動を抑えながら、目を丸くする愛奈の肩に手をかける。


「愛奈!」


 愛奈はしばらく俺を見上げていた。


「ば……」

「ば?」

「ばっっ……かじゃないのお!?」


 唐突な罵倒に、今度は俺がぽかんとする番だった。


「なんでお兄ちゃんまでこっちに来ちゃうのよ! 何考えてるの!?」

「ば……馬鹿ってなんだよ! 俺はお前のことが心配で!」

「会えなかったらどうするつもりだったの!? 帰り道は!?」


 けれどその剣幕は、母親が死ぬ前の、まだ明るかった頃の愛奈そのものだった。

 怒りたいやら嬉しいやらで、涙が出てくる。


「それは……考えてなかった、けど」


 しどろもどろに答えると、愛奈はわざとらしい大きなため息をついた。目の前の人間に見せつけるためだけのものだ。


「やっちゃった事を今更言ってもね……。でも、どうやって来たの?」

「というより、それは化野って人に協力してもらって……」


 俺は途中で言葉を噛みながら、弁明のように言った。


「化野っていうのは四十代か……五十代くらいの男の人で……異世界トラックの運転手に用があるって言ってたかな。都市伝説を調べてたみたいだけど、よくはわからない。あ、異世界トラックっていうのは、お前が此処にきた原因になったトラックで」


 あまりに現実的でない説明だけれど、こんな状態だ。きっと愛奈だってわかってるだろうに、言い訳のように続けようとしてしまう。

 愛奈はそんな俺を遮るように、鞄をひったくって中身を検分していた。

 クシと帽子を見つけ出すと、一瞬、目を細めてみせた。それから、物言いたげな目で俺を見上げる。


「あ、化野さんに言われただけだよ。髪に近いものがあったほうが、探し出せるって」

「…………そう」


 それから再び鞄の中に手を突っ込んでいたが、一度びくりとしたように手を引っこ抜いた。どうしたのかと尋ねる前に、また手を突っ込んだかと思うと、そろそろと小さな袋を取り出した。


「これも?」


 ここへ来る直前、化野が渡してくれた袋だ。


「うん。たぶん、お守りかなんかじゃないかと思うんだけど」

「……そう」


 愛奈は小さく呟いた。

 どうしたのだろうと思う間もなく、すぐに顔をあげる。


「じゃあ、これはすぐ使えるように持っていて」


 愛奈はそう言うと、小さな袋を俺の手の中へ落とした。


「それから、これもね」


 帽子とクシだけを残して、あとのものは鞄の中へとしまいむ。


「……何するんだ?」

「これが武器になるのよ。……ってか、早く鞄持ってよ。お兄ちゃんのでしょ」

「あ、ああ」


 俺は困惑しながら小さな袋をズボンのポケットに突っ込むと、返してもらった鞄を手にした。

 それからクシも受け取る。


「というか、これが武器って……」

「後でわかるよ。とにかく今は……。話を整理しなくちゃ」

「あ、ああ。そうだな。化野さんが指定した時間まで、まだあるし……」


 そのとき、外からガタンと音がした。

 俺も愛奈も動きが止まる。ぺたり、ぺたり、と妙な音が近づいてくる。俺たちは居間の奥のほうへと移動し、やってくる足音の先を見つめた。

 入ってきたのは、人影だった。


「……なんだ」


 人の家に入ってくるのはともかく、こいつらは別に何かしてくるわけじゃない。

 ホッとしたのも束の間、突如人影が俺たちのほうを向いたかと思うと、手を突き出した。まるで俺たちを指さしているようだ。困惑していると、人影の顔がぐにゃりと歪み、脚を引きずりながら此方へやってきた。


「な……」

「お兄ちゃん、逃げるよ!」


 愛奈の声で我に返る。後ろでは愛奈が庭に続く窓の鍵を開け、そこから飛び出した。慌てて同じように庭へと飛び出す。


「嘘だろ! なんで!」


 あいつらは今まで何もしてこなかったはずだ!

 それとも小さいだけで、あのでかいのと同じような奴なのか?


「お兄ちゃん、それ折って!」

「折る? 何を?」

「あたしのクシ! 歯を一本折れって言ってんの!」


 クシの歯のことを言っているのだ、ということに気付くのにしばらくかかった。どうして、と聞いている暇は無い。

 折ろうとしても、なかなか手が滑ってうまくいかない。顔が赤くなるほどクシの歯を曲げてもだ。素材のせいだろう。


「くそっ!」


 ズボンで手の平を何度も拭い、何度目かで勢いよくクシの歯を折った。パキンと音がして、折れたところが滑り、わずかに手の端に白い線がつく。


「折ったぞ!」

「それを投げて!」

「え? な、投げる!?」


 困惑しながらも、ふりかぶって人影に投げる。

 へろへろと飛んでいった小さなクシの歯を、呆気にとられて見守ってしまった。まるでスローモーションだ。だが人影の上で、突如としてクシの歯はその姿を変えた。

 折れた歯は槍のように巨大化したかと思うと、そこから別の力によって打ち出されたかのように人影を貫いたのだ。驚く暇も無く槍に貫かれた人影は、そのまま膝をついた。


「す、すごい! なんだこれ……!」


 本当になんだこれ!

 俺の力なのか?


 異世界ファンタジーとは違うと思ってたけど、こんなものを自らやってしまうと期待のようなものが湧き上がってしまう。

 形も折れた歯そのものではなく、らせん状のような模様のついた細い槍に変化している。引き抜こうかとも思ったが、槍はすぐさまさらさらと消えてしまい、人影も同じように消えてしまった。


「一度きりなんだな。で、でもすごいぞ。この力があれば……」

「……」


 ところが、愛奈はどこか神妙な顔つきでそれを見ていた。

 でもすぐに顔をあげると、俺を見上げる。


「……とにかく、外に行こ。ここは危ないから」

「外のほうがよけいに危ないだろ!」

「どこにいても同じよ。さっ、早く!」


 俺は何かを尋ねることもできないまま、愛奈に連れられ、庭の隅に置いてあるテーブルにのぼり、石垣の上から道路へとジャンプした。

 その向こうをのったりと歩いていた人影たちは一人また一人と俺たちの姿を見ると、じっとこちらを見てきた。手を伸ばし、俺たちを捕まえようとしてくる。

 愛奈は俺の手を取ると、人影の合間を縫うように走り出した。

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