3話 奇妙な男
学校が終わる頃には、天気はすっかり下り坂になっていた。
「やべえ、夕方までは大丈夫だと思ったんだけどなあ」
「俺、傘持ってきてないんだよな。帰るまでに降らなきゃいいけど」
「コンビニで傘とか売ってねーの?」
中学から家までは徒歩で二十分。
その間に天気が変わることなんてザラにある。
スマホを見ると、夜半から雨の予報だった。だけど、もうすっかり曇り空だ。いつ降ってきてもおかしくない。朝は晴れていたし、テレビを見てないから、すっかり気付かなかった。
「コンビニで傘とか無いわー。それに、俺んちの近くのコンビニこないだ閉店したんだよ」
「えっ、あそこのコンビニ潰れたのか」
「おーい、コータぁ。今日お前そのまま帰んのか?」
「帰るよ」
素っ気なく答える。
本当はこんな時間さえ惜しい。すぐにでもあの交差点に行きたかった。
ひょっこりと愛奈が出てくるなんて思ってもみなかったが、行かずにはいられない。
いつまでも茜さんに任せっきりというわけにもいかない。俺だって愛奈を探したい。いや、探さないといけないのだ。
「お前、どうした? ここ最近、なんか暗いぞ」
「……知ってるだろ。愛奈が行方不明になったんだよ」
「マナ? 誰だ、それ」
友人たちは首を傾いだ。
「お前は知ってるだろ? 小学校の時、よくうちに来てたし」
あの頃の愛奈は物怖じしない性格で、兄の友人にも果敢に混ざりに言っていた。
母さんが死んで引きこもるようになってからは家に友人たちをあげることもなくなったが、当然覚えているだろう。
けれども、友人たちは顔を見合わせた。
困惑というか、変なものでも見るような顔だった。
「……ごめん、全然わかんねえ」
「……まあ何年も前の話だから、忘れてるだろうな」
少しいらいらしながら言うと、友人たちは再び顔を見合わせた。
「……お前、妹なんて、いたっけ……?」
怪訝な表情の友人たちに、俺はわざとらしくため息をついてやった。
忘れているだけなのはわかっているが、最初からいなかったかのように聞かれるのはさすがに気分が悪い。
「いるよ!」
今にも掴みかかりそうな衝動を抑え、クラスメイトを睨みつけながら教室を出る。後ろから何か言う声が聞こえたが、無視した。
あいつらに八つ当たりしたって何にもならないのはわかってる。だけどどうしようもないのだ。
本当に愛奈の存在そのものが消えてしまったようだった。
いまや、頼れる者は誰もいなかった。
足早に学校を出ると、まっすぐに交差点まで道をたどった。曇天の下の交差点は、どこか不吉でさえあった。俺の心を見透かしたようで、むしゃくしゃする。
手がかりは何もない。
思わず、ため息が出る。
無力感に苛まれながら交差点を渡ろうとしたとき、ふと近くに男がいるのに気が付いた。
奇妙な男だった。
しゃがみこんで、小さなノートに何かをメモしている。時折顔をあげ、交差点をじっと見つめるていた。鋭い目が射貫くように交差点を眺める。ぞくりとした。
だが、それだけならば俺の目にはとまらなかったはずだ。
何かがおかしい。
――なんだ? 刑事……でもなさそうだし……。
ただの変人にしてはあまりに眼光が鋭く、かといってまともかというとそうでもない。男は小さく舌打ちをして、何かぶつぶつと悪態をついているようだった。
そっと耳を澄ましてみる。
そうしたのは、本当に偶然だ。
他愛のない、もしくは本当に頭のおかしなことなら、ただの変人だと納得して立ち去ることもできる。ちょうど信号が青に変わり、ゆっくりとそれとなく歩き出す。
「――まったく。これで八人目か。あのトラックめ」
男のつぶやきに、思わず足が止まった。
八人目。あのトラック。
今、確かにそう言ったか?
男は目の前で立ち上がり、ノートとペンをポケットに突っ込むと、何事もなかったかのように道を歩き始めた。
くたびれたトレンチコートが風に揺れる様は、まるでこの世のすべてを悟りきったように見える。
振り返り、思わずその後ろ姿を呆然と眺めたあと、俺は声をあげた。
「待って! 待ってください!」
我知らず、うわずったような大声になっていた。
男はぴくりと立ち止まり、不審そうに振り返る。
「……あ?」
「ここで起こった事故のこと、何か知ってるんですか!」
男は四十代か五十代くらいだった。
コートは思った以上に薄汚れていて、髪はボサボサ。追いすがるように腕をつかむと、腕は太く、衣服の下は存外にがっしりした体躯なのではないかと思う。
「なんだ、お前――」
「妹が……妹が行方不明なんです! 信じられないかもしれないけど、ここでトラックに確かに撥ねられたんだ。それなのに妹はいなくなって……何人もの人が事故を見ていたのに!」
必死に訴える俺の姿は滑稽だっただろう。
何しろ唐突もいいところだ。
それでも今このチャンスを逃したら、何もかもがわからなくなってしまう。そんな気がしたのだ。
普段だったら――俺のほうが、男を胡散臭く見ていただろう。実際そうだったのだから。それがどうだ。現状はまったくの逆だ。男のほうが俺を胡散臭そうな目で見ていた。
「赤いナンバープレートのトラックなんです。なんならナンバーだって言える!」
そういったとたん、男の目が見開いた気がした。
「お願いします、何か知ってるんだったら教えてください!」
俺はなおも追いすがった。
それ以上にやり方を知らなかったからだ。
男は何度か腕を振り払おうとしたが、俺の勢いに圧倒されたのか、やがて諦めたように小さな声で言った。
「……諦めろ」
ぼそりと聞こえた言葉に、目を見開く。
「それはもう、諦めろ」
その言葉に、俺は逆に希望を見いだした。
なぜならそれは、目の前の男が何かを知っているという事実に他ならないからだ。
「何か知ってるんですね!?」
そう叫ぶと、男の頬がぴくりと動いた。
その隙に頭を下げる。
「お願いします、たった一人の妹なんです! 知っているなら教えてください!」
そうして膝を折って、冷たいコンクリートに座り込むと、そのまま手をついて頭を下げた。
男はぎょっとしたようだった。かまうものか。ずるいと思われようが、これが俺のできる最大限のやり方なのだ。
じろじろと通行人が何事かとみていくのを感じる。男はたじろぎ、やめろだとか立てとか言っていたが、俺はやめなかった。
男はやがて観念したように、ちっと舌打ちをした。
「おい、とにかく立て――やめろ、いいから立てって! 場所を変えるぞ――あそこに入るんだ」
頭をあげると、男は親指でどこかを示した。親指が向いた先を見ると、ハンバーガーショップが目に入った。
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