第10話 竜人は理想を乞う

 ファズと、ミラ。そして六名の使用人。計八名もの大人数を招き入れてもまだ余裕のあるそのテーブルには、彼らが着席するなりすぐに人数分の水が運ばれてきた。

 同時にメニューを渡されて、ファズたちはめいめいが好きな料理を注文していく。ファズはキャベツ多めのシュークルートを、ミラは茸とベーコンをたっぷり詰めたアーティーチョーク、使用人たちはやはり身分の都合上ファズたちに遠慮しているのか具は玉葱とチーズのみというシンプルなタイプのタルトフランベを大皿で注文していた。六人で一枚を分け合って食べるつもりらしい。

 ミラは随分と緊張した様子で、肩を小さくしながら控え目に水に口を付けていた。

 というのも、先程からこの席に招いてくれた竜人ドラゴノア二人からやたらと注目されているからだ。

 ミラに注がれている視線の存在に気付いたらしく、手にしたカップをテーブルに置きながら、ファズが二人にミラの紹介をする。

「お前たちは実際に会うのは初めてだったな。彼女がミラ・ユッタ。セトの婚約者だ」

「ああ、話には聞いてたから、容姿からひょっとしてと思ってはいたが。……想像していたよりも可愛い子だな」

「え……ふえぇっ!?」

 思わず飲みかけの水を噴き出しそうになり、ミラが素っ頓狂な声を上げる。

 青の竜人ドラゴノアは胸元に右手を添えて軽く会釈をした。

「挨拶が遅れてすまない。私はヤ・セレスティア・ヴェンブリード・ケセド。ケセド種ヤ氏族ヴェンブリード家の者だ。気軽にセレスと呼んでくれ。……そこに座っているのがヴ・アズロスケルディス・ラーライン・ゲブラー。名が長いので、私たちはアズールと呼んでいる。見ての通り……ゲブラー種の者だ」

「…………」

 アズロスケルディス──アズール、と紹介された男は、無言のまま控え目に頭を下げた。

 癖の強い深緋こきひの長髪を幅広のカーディナルのリボンで緩く結った、顎の細い美丈夫である。年の頃は、セレスティアよりもかなり上──見た目通りならば三十代に片足を踏み入れかけている頃合い、といったところだろうか。肌は朱色で、何処かまどろんでいるような雰囲気を湛えた瞳はガーネットのようだ。

 顎の先端と鼻筋に沿うようにして、艶のある臙脂色の甲殻のようなものが肌に貼り付いている。

 これは、鱗だ。竜の子孫である竜人ドラゴノアの中には、竜の名残として肌に鱗や、滅多にはいないが角や尾を持つ者がいるのだ。鱗や角や尾があるからより特別な存在であるというわけではないが、基本的に肌や髪の色以外は人間と全く同じ容姿をしている者よりも、それらの特徴を持った者の方が竜の血が濃いと言い伝えられているらしい。

 互いに自己紹介が終わっても、アズールの視線はミラに向けられたままだった。随分と熱心な眼差しなので、彼が何かを伝えたそうにしていることは何となく理解するミラであったが、肝心の言葉が何もないため彼の意図が読めずに困惑しっぱなしだった。

 それを察したらしいセレスティアが、説明してくれる。

「すまない……アズールは、喋れなくてな。じっと見られて何だと思っただろう」

「あ、え……喋れない、んですか?」

「ああ。昔、病が原因で喉を潰してしまったんだ。歌が上手くて綺麗な声だったんだが……あれをもう二度と聞けないというのは淋しいものだな」

 彼は若かりし頃、悪性の腫瘍に喉を冒されてしまい、命を救うために腫瘍を取り除く治療を受けた。しかし声帯ごと摘出する以外の方法がなかったため、声を諦めざるを得なかったのだ。

 幼き日のセレスティアは、アズールが紡ぐ詩歌や民謡、朗読してくれる書などと共に育った。彼女にとって、彼が与えてくれる音の芸術は最も身近なところにあるものであり、安らぎそのものでもあったのである。

 セレスティアはアズールの眼差しにじっと注目した後、言った。

「君からは、魂そのものを引き寄せる不思議な美しさと魅力を感じる……だそうだ。セトは君のような者を娶れて幸運だと」

「う、美し……!? そんな、私、別に美人でも何でもないですから! 胸だって、その……ちっちゃいし……」

「……外見的な美しさのことを言っているのではない、と言っている。私もアズールと同意見だ。……ミラは知らないかもしれないが、竜人ドラゴノアの男は人間の番を選ぶ時に容姿の善し悪しに関してはそこまで重要視はしないものなんだ。まあ、中には面食いな奴もいるが……最も重要視しているのは『素質』、そこに尽きるんだ。誰もが、自分の血を濃く継いだ子を産んでくれる女性を求めている。幾ら器量が良くても『優れた竜人ドラゴノアの子』を遺せない人間には魅力を感じないんだよ」

 確かに、竜人ドラゴノアの考え方はそうだ。神の末裔たるかの支配者たちは、己が引く種の血を少しでも濃く良く後世に遺すことを願っている。そのことは、人間も幼少期から嫌と言うほどに教わりながら大人になっていく。

 しかし。だからこそ。

 ミラは、一層首を傾げるばかりなのだった。

「それは……知ってますけど……でも、私、『素質』なんてこれっぽっちも……儀式で司祭様にもそう言われてしまいましたし。あの儀式に間違いがあったとも思えませんし……」

「何も『素質』だけがその人の価値全てを決めるわけじゃない、ということだよ、ミラちゃん」

 水で口を潤しながらファズが静かに唇を開く。

 厨房から、彼らが注文した料理が運ばれてきたのはそれから幾分もせずしてのことだった。

「確かに、君には『素質』は全くない。もしもセトとの子を儲けたとしても、その子はおそらく竜人ドラゴノアとは呼べないだろうな。……でも、セトはそんなことなんて全く気にしていない。あいつは、例え君が子を産めない体であったとしても、君のことを選んでいたと思う。血がどうとか関係なく、純粋に君という人間を愛したからこそ、君に求婚したんだよ。……実際に、あいつからそう言われたからな」

「え……セトさんから、ですか?」

「ああ。君が選定の儀を受けると知った時、あいつは俺のところに来て言ったんだ。俺は彼女以外の女性を番に選ぶ気はない、もしも反対するのなら、俺は名前と家を捨てて出て行く、ってな。……皮肉なことに、俺たちを置いて家を出て行った親父と全く同じことを言い出したんだ。俺たち兄弟の中で親父に一番似てたのはあいつだからな、そんなところまで似ちまったのかってつい親父に文句を言いたくなったよ」

 ふ、と脱力気味に肩の力を抜いて苦笑を漏らして、ファズはフォークを手に取った。

 酸味の利いたキャベツを一口頬張って美味いと呟いて、言葉を続ける。

「……まぁ、最初はあいつの言い分には呆れたが、君を見ていたらあいつがああも頑なな理由も理解できた。君は確かに魅力的だよ。もしも君に将来を約束した相手が誰もいなかったら、きっと他の奴が君を口説いてただろうさ。ナギに、ウル……シュイはああだからどう出るかは分からんが、あいつはあいつなりに君に好意を持っているみたいだしな。俺だって……もう少し若ければ、正式に交際を申し込んでいたかもしれん」

「むぐっ……ちょ、っ、そ、そんなからかわないで下さいよ! ファズさん!」

「いや、別にからかってなんていないぞ? まあ、君からしてみたら、セトたちはともかく十以上も歳が離れている俺みたいなおっさんなんて冗談じゃないって思うかもしれないけどな」

 うっかりアーティーチョークを喉に詰まらせかけたミラの抗議の声を笑いながら横に受け流して、ファズはとりあえず料理が来たし冷める前に食べようと皆に促した。

 ファズの話を微笑ましげに聞いていたセレスティアたちも、各々の料理にフォークを付け始める。


「ちょっと! 俺たちを置いて夕飯食いに行くとか酷い!」


 と。突如として入口の扉がばぁんとけたたましい音を立てながら全開になり、二人の青年が大声を上げながら店内に入ってきた。

 扉が勢い良く開け放たれた際の衝撃で外れたのだろう。扉に掛けられていたベルが床の隅で淋しく転がっている。

「ファズ! すぐ帰るから夕飯取っといてって言ったじゃん! 何俺たちのこと置いてけぼりにしてんの!? 外食なら外食って先に教えてよ!」

「あー、そういえばお前たちもいたんだっけな。すっかり忘れてた」

「ひっど!」

「もう、ナギ。此処は家じゃなくて店なんだから静かにして。他のお客さんの迷惑になっちゃうでしょ」

 突進する勢いでファズに詰め寄るナギを、後から遅れてやって来たウルが嗜めている。

 彼は厨房の奥から慌てて飛び出してきた店員に謝りながら拾ったベルを手渡して、ちゃっかりと自分たちの分の席を追加で用意してほしいと頼んでいた。

「あれ、セレスとアズールも来てたんだ? 珍しいね」

「元々は私たちの席だぞ、此処は。……それに、私たちがこの店に来るのは特に珍しくもない。割と此処にはよく来ているからな」

「ああ、そうなんだ。うちだと頻繁に外食するのってファズくらいだからね。……折角だし、俺たちも同席していいよね? まだ席を増やす余裕ありそうだし」

「とか何とか言いながら割り込む気満々だろう、お前たちは。勝手に追加分の椅子を頼んでいるのを見てたぞ、私は」

「あ、バレた?」

「……まあ、特に断る理由もない。お前たちの好きにすればいい」

「うん。ありがとねー」



 総勢十名に増えた竜人ドラゴノアと人間が相席する食事の席は、それは和気藹々とした賑やかなものとなった。

 といっても、機嫌良く喋っているのは専ら竜人ドラゴノアたちばかりで、人間組は緊張で萎縮してしまい、終始固まった表情をしていたようだが。

 店側も、大食いのナギが見境なく大量に料理を注文しまくったお陰か、その日の収益はかなりのものとなり大喜びだったという。

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