第10話 竜人は理想を乞う
ファズと、ミラ。そして六名の使用人。計八名もの大人数を招き入れてもまだ余裕のあるそのテーブルには、彼らが着席するなりすぐに人数分の水が運ばれてきた。
同時にメニューを渡されて、ファズたちはめいめいが好きな料理を注文していく。ファズはキャベツ多めのシュークルートを、ミラは茸とベーコンをたっぷり詰めたアーティーチョーク、使用人たちはやはり身分の都合上ファズたちに遠慮しているのか具は玉葱とチーズのみというシンプルなタイプのタルトフランベを大皿で注文していた。六人で一枚を分け合って食べるつもりらしい。
ミラは随分と緊張した様子で、肩を小さくしながら控え目に水に口を付けていた。
というのも、先程からこの席に招いてくれた
ミラに注がれている視線の存在に気付いたらしく、手にしたカップをテーブルに置きながら、ファズが二人にミラの紹介をする。
「お前たちは実際に会うのは初めてだったな。彼女がミラ・ユッタ。セトの婚約者だ」
「ああ、話には聞いてたから、容姿からひょっとしてと思ってはいたが。……想像していたよりも可愛い子だな」
「え……ふえぇっ!?」
思わず飲みかけの水を噴き出しそうになり、ミラが素っ頓狂な声を上げる。
青の
「挨拶が遅れてすまない。私はヤ・セレスティア・ヴェンブリード・ケセド。ケセド種ヤ氏族ヴェンブリード家の者だ。気軽にセレスと呼んでくれ。……そこに座っているのがヴ・アズロスケルディス・ラーライン・ゲブラー。名が長いので、私たちはアズールと呼んでいる。見ての通り……ゲブラー種の者だ」
「…………」
アズロスケルディス──アズール、と紹介された男は、無言のまま控え目に頭を下げた。
癖の強い
顎の先端と鼻筋に沿うようにして、艶のある臙脂色の甲殻のようなものが肌に貼り付いている。
これは、鱗だ。竜の子孫である
互いに自己紹介が終わっても、アズールの視線はミラに向けられたままだった。随分と熱心な眼差しなので、彼が何かを伝えたそうにしていることは何となく理解するミラであったが、肝心の言葉が何もないため彼の意図が読めずに困惑しっぱなしだった。
それを察したらしいセレスティアが、説明してくれる。
「すまない……アズールは、喋れなくてな。じっと見られて何だと思っただろう」
「あ、え……喋れない、んですか?」
「ああ。昔、病が原因で喉を潰してしまったんだ。歌が上手くて綺麗な声だったんだが……あれをもう二度と聞けないというのは淋しいものだな」
彼は若かりし頃、悪性の腫瘍に喉を冒されてしまい、命を救うために腫瘍を取り除く治療を受けた。しかし声帯ごと摘出する以外の方法がなかったため、声を諦めざるを得なかったのだ。
幼き日のセレスティアは、アズールが紡ぐ詩歌や民謡、朗読してくれる書などと共に育った。彼女にとって、彼が与えてくれる音の芸術は最も身近なところにあるものであり、安らぎそのものでもあったのである。
セレスティアはアズールの眼差しにじっと注目した後、言った。
「君からは、魂そのものを引き寄せる不思議な美しさと魅力を感じる……だそうだ。セトは君のような者を娶れて幸運だと」
「う、美し……!? そんな、私、別に美人でも何でもないですから! 胸だって、その……ちっちゃいし……」
「……外見的な美しさのことを言っているのではない、と言っている。私もアズールと同意見だ。……ミラは知らないかもしれないが、
確かに、
しかし。だからこそ。
ミラは、一層首を傾げるばかりなのだった。
「それは……知ってますけど……でも、私、『素質』なんてこれっぽっちも……儀式で司祭様にもそう言われてしまいましたし。あの儀式に間違いがあったとも思えませんし……」
「何も『素質』だけがその人の価値全てを決めるわけじゃない、ということだよ、ミラちゃん」
水で口を潤しながらファズが静かに唇を開く。
厨房から、彼らが注文した料理が運ばれてきたのはそれから幾分もせずしてのことだった。
「確かに、君には『素質』は全くない。もしもセトとの子を儲けたとしても、その子はおそらく
「え……セトさんから、ですか?」
「ああ。君が選定の儀を受けると知った時、あいつは俺のところに来て言ったんだ。俺は彼女以外の女性を番に選ぶ気はない、もしも反対するのなら、俺は名前と家を捨てて出て行く、ってな。……皮肉なことに、俺たちを置いて家を出て行った親父と全く同じことを言い出したんだ。俺たち兄弟の中で親父に一番似てたのはあいつだからな、そんなところまで似ちまったのかってつい親父に文句を言いたくなったよ」
ふ、と脱力気味に肩の力を抜いて苦笑を漏らして、ファズはフォークを手に取った。
酸味の利いたキャベツを一口頬張って美味いと呟いて、言葉を続ける。
「……まぁ、最初はあいつの言い分には呆れたが、君を見ていたらあいつがああも頑なな理由も理解できた。君は確かに魅力的だよ。もしも君に将来を約束した相手が誰もいなかったら、きっと他の奴が君を口説いてただろうさ。ナギに、ウル……シュイはああだからどう出るかは分からんが、あいつはあいつなりに君に好意を持っているみたいだしな。俺だって……もう少し若ければ、正式に交際を申し込んでいたかもしれん」
「むぐっ……ちょ、っ、そ、そんなからかわないで下さいよ! ファズさん!」
「いや、別にからかってなんていないぞ? まあ、君からしてみたら、セトたちはともかく十以上も歳が離れている俺みたいなおっさんなんて冗談じゃないって思うかもしれないけどな」
うっかりアーティーチョークを喉に詰まらせかけたミラの抗議の声を笑いながら横に受け流して、ファズはとりあえず料理が来たし冷める前に食べようと皆に促した。
ファズの話を微笑ましげに聞いていたセレスティアたちも、各々の料理にフォークを付け始める。
「ちょっと! 俺たちを置いて夕飯食いに行くとか酷い!」
と。突如として入口の扉がばぁんとけたたましい音を立てながら全開になり、二人の青年が大声を上げながら店内に入ってきた。
扉が勢い良く開け放たれた際の衝撃で外れたのだろう。扉に掛けられていたベルが床の隅で淋しく転がっている。
「ファズ! すぐ帰るから夕飯取っといてって言ったじゃん! 何俺たちのこと置いてけぼりにしてんの!? 外食なら外食って先に教えてよ!」
「あー、そういえばお前たちもいたんだっけな。すっかり忘れてた」
「ひっど!」
「もう、ナギ。此処は家じゃなくて店なんだから静かにして。他のお客さんの迷惑になっちゃうでしょ」
突進する勢いでファズに詰め寄るナギを、後から遅れてやって来たウルが嗜めている。
彼は厨房の奥から慌てて飛び出してきた店員に謝りながら拾ったベルを手渡して、ちゃっかりと自分たちの分の席を追加で用意してほしいと頼んでいた。
「あれ、セレスとアズールも来てたんだ? 珍しいね」
「元々は私たちの席だぞ、此処は。……それに、私たちがこの店に来るのは特に珍しくもない。割と此処にはよく来ているからな」
「ああ、そうなんだ。うちだと頻繁に外食するのってファズくらいだからね。……折角だし、俺たちも同席していいよね? まだ席を増やす余裕ありそうだし」
「とか何とか言いながら割り込む気満々だろう、お前たちは。勝手に追加分の椅子を頼んでいるのを見てたぞ、私は」
「あ、バレた?」
「……まあ、特に断る理由もない。お前たちの好きにすればいい」
「うん。ありがとねー」
総勢十名に増えた
といっても、機嫌良く喋っているのは専ら
店側も、大食いのナギが見境なく大量に料理を注文しまくったお陰か、その日の収益はかなりのものとなり大喜びだったという。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます