第11話 竜人が持つべき品格

 食事を終えたミラたちが同席したセレスティアたちと別れて帰宅した頃には、辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。

 視界の中央に現れた屋敷の窓からは、白々とした明かりが漏れている。

 室内用の照明器具としては、獣脂を燃料とした燭台や吊りランプなどが一般的だが、アヴィル家には照明専用の魔機が各部屋にひとつずつ設置されている。天井にランプのように備えられたそれは、必要に応じてその場所を昼間のように明るく照らしてくれるのだ。

 流石にこれだけ時間があったのだから、あの大惨事になっていた台所も綺麗に片付いているはず。

 そう信じてミラたちを引き連れ門をくぐったファズの耳に、


「頭の悪い男だな。帰れ。燃やすぞ」


 いつにも増して音が低くなったシュイの声が入ってきた。

 シュイは、基本的には他人に対して語気を荒げたり罵声を浴びせたりといったことはしない。すぐに騒ぐナギとは正反対の、一言で表すなら自若が服を着て歩いているような男である。……とはいえ癇に障ることをされれば流石に怒るし、一度相手に敵視を持てば、その溜飲を下げるか相手自体が消滅するまで恨み続ける陰湿で面倒な性質を持っている。四つ子の中で敵に回すと最も恐ろしい存在だと言われているのが、彼なのだ。

 そんな彼が、こうして声音を低くするのは、大抵の場合は彼が『自分にとっての敵対者』と認定した何かが目の前にいる状況。言葉の内容からしても、何者かが彼の前にいて喧嘩を売っている、ということは分かるのだが──

 こんな時間に何処の馬鹿だ、と胸中で溜め息をつきながら、ファズは一同を連れて玄関の前へと赴く。

 そこには、何故かズボン一丁姿で上半身は裸、更に普段はきっちりと整えている髪がざんばらになっているシュイと、彼よりも頭一個半分ほど背の高い男が真っ向から向き合う形で立っていた。

 根元はレモンイエロー、先端はオリーブドラブという見事なグラデーションを持った短い髪は、癖があるのか全体的に毛先が跳ねている。肌は漆黒に近い赤墨色で、両耳の上には肌と同じ色の大きく歪曲した長い角が生えている。眉は太くきりっとしており、まさに男の眉と言わんばかりの雄々しさを感じさせる。

 体格はかなり良い。ウルも立派な体つきをしているが、それを凌駕する、まさに筋肉の塊のような肉体だった。日頃から何を食してどういう鍛錬をすればここまでのものに育つのか、それが想像つかないほどの分厚い筋肉だ。その筋肉のせいで、折角美しく仕立てられた宮廷装束が随分と窮屈そうに生地を膨らませている。あれはひょっとして服のサイズが体に合っていないのではなかろうか。少し力んだら一瞬で生地が弾け飛んでしまいそうだ。

 筋肉男の後ろ姿を目にしたナギが、小さくげっと呻いて眉間に皺を寄せた。

「うっわ……何であいつがいんの、こんなとこに、しかもこんな時間に」

「こらこら、そうあからさまに嫌そうな顔しないの」

 とナギを叱りつつも、ウルもさり気なく前に出てその大きな体でミラの姿を男の視界から隠す。

 そんな兄弟二人に呆れが滲んだ溜め息を漏らすと、ファズは毅然とした態度でシュイたちの前へと出て行った。

「こんな時間に一体何の用なんだ、ホルス。シュイもその格好は何なんだ、お前らしくもない」

「おう、ファズ。丁度いい時に帰って来たな。この頭でっかちを何とかしてくれや。俺様はお前に用があるんじゃねぇって再三言ってるってのに全然人の話を聞きゃしねぇ」

「貴様なんぞに我が家の敷居を跨がせてたまるか、この脳筋が。そのピーマン頭にきっちりと礼儀を叩き込んでから出直して来い。そうすれば茶の一杯くらいは出してやる」

「あぁ!?」

 顎ほどまで伸びた前髪を鬱陶しそうに左手で掻き上げながら筋肉男を挑発するシュイ。

 血気盛んそうな見た目通りに気が短いタイプなのか、あっさりとその言葉に乗せられてこめかみに青筋を浮かべる筋肉男。

 普段通りといえば普段通りすぎる様子の二人に、ファズは疲れの滲んだ息を吐いてこめかみの辺りを掻いた。

「……一応アヴィル家の当主代理として言っておくぞ。彼女はセトの正当な婚約者だ。それはもう正式に決められていることだし、世間にもそういう形で認知されている。お前も誇り高きマルクト種の次期長なら、その肩書きに恥じないように行動してくれ」

「へっ。ユーモアのひとつも言えねぇ残念野郎なんかにゃあの上玉は勿体無ぇよ。……そもそも今までにろくな働きもしてねぇ受け身主義のケテルが第一等種だってのも、前々から気に入らなかったんだ、俺様はよ。率先して矢面で身を張ってきたマルクトが、何で最下等種認定されてなきゃならねぇ? マルクトあってこその平和、世界の秩序を保ててるってもんだろが」

「誰も最下等種だなんて言ってないだろう。確かに形式上マルクト種は第十等種だってことになってるが……俺は別にお前たちマルクト種を卑下してるつもりなんてこれっぽっちもないぞ。少なくとも俺は、お前たちと対等な立場で向き合っているつもりだが」


 竜人ドラゴノアには全部で十の種が存在しているが、その種にはそれぞれ『等種』という階級のようなものが定められている。

 ファズを筆頭とした白の竜人ドラゴノアケテル種は『第一等種』で、ホルスが血を引くマルクト種は『第十等種』とされる。何を持ってして定められた等種なのかは不明ではあるが、世に竜人ドラゴノアが誕生して十の種が生まれた時から定められている階級であるとされていた。

 余談だが先程料理屋で食事を共にしたセレスティアのケセド種は『第四等種』であり、アズールのゲブラー種は『第五等種』である。それはさておき。

 竜人ドラゴノア十種の関係性を描き表す際には、それぞれの種の名を刻んだ円を定められた位置に並べて線で結んだような特徴的な図形を描く。その時に十ある円の中で最も頂に近い部分に位置するのがケテルであり、最も底辺に近い部分に位置するのがマルクトなのだ。

 等種が高いほど地位が高い、というのが人間のみならず竜人ドラゴノアたちの間でも一般的な認識だが、実のところ、等種と地位は必ずしもイコールというわけではない。先にも述べた通り、最も個体として優れている竜人ドラゴノアが種全体を、そして世界を統治すべきという考えを持っている彼らは、最も地位が高い者が最高権力者になるべきとは考えてはいないのだ。……とはいえ遺伝上の問題で大抵の場合は王となった者の子が王に次ぐ能力を持っているため、王家の一族に王の称号が継がれていく、という形が長らく続いてきたのだが。


「──とりあえず、だ。俺はアヴィル家の当主代理として礼節を持ってお前の応対をしているつもりだが、お前が俺個人じゃなく『アヴィル家』そのものに対して目に余る態度ばかり繰り返すつもりなら、俺は当主代理として相応の対応をしなけりゃならん。……それが何を意味しているのか、流石のお前にも、理解はできるだろう?」

「……ちっ」

 ホルスは眉間に皺を寄せて舌打ちをすると、がりがりと後頭部を太い指で掻きながらシュイから離れた。

 そのまま彼は一同に背を向けて、ずんずんと大股で門へと向かって歩いて行く。

 途中一度だけ立ち止まり、肩越しに振り向いてきて、言った。

「今日のところはそこの当主代理様の顔に免じて帰ってやるよ。……だが覚えとけ、あいつはこの俺様が必ず貰い受ける。あれはてめぇらみてぇな天然ボケ野郎共なんかよりも、竜人ドラゴノアとしての力と品格に溢れた俺様にこそ相応しい女だ」

「あーもう、うるっさいなさっさと帰れよこの筋肉団子! ミラちゃんは誰にも渡す気なんかねぇっての!」

「……お前のものでもないでしょ、ナギ」

 いーっと八重歯を剥き出しにしてホルスを威嚇するナギの様子を、ウルは呆れた様子で小さな溜め息を漏らしながら見つめている。しかし彼もまた相手の視界に背後のミラの姿を一ミリも入れさせまいと胸を張って立っているのだった。

 ミラはウルの陰からホルスの姿を覗こうと懸命に首を伸ばそうとしているが、ウルのガードが固すぎて顔を出すことができずにいるようだ。

 ホルスの姿が門の外に消えた後、ファズは大きく息を吐きながら肩の力を抜いて、傍らのシュイに問うた。

「……で、お前、服はどうしたんだ」

「俺が風呂から出たところにあいつが来た。俺だってこの格好で外に出るなんて冗談じゃなかったんだがな、粉まみれのセトを出すよりかは俺が出た方がまだマシだったからな。……全く、裸で人前に出るとか、世間に痴態を晒すにしても限度というものがある。今が夜で助かった」

「……そうか」

 おそらく、ホルスは強引に屋敷の中に押し入ろうとしたのだろう。それは先の彼らの遣り取りから何となく想像はつく。

 あの男が周囲に対して遠慮しない性分だということは前々から知ってはいたものの、改めて相手にすると無駄に疲れるなと独りごちるファズだった。

「まあ……災難だったな。今回の件に関しては、俺の方から一筆書いておくから。とりあえず、中に入って服を着て来い」

「ああ」

 額に垂れた雫を掌で拭いながら屋敷に入ろうとして、ふと、視線の存在に気が付きシュイは歩を止める。

 自分の顔をじっと見つめているミラに、彼は左の眉尻を僅かに跳ねさせて、問いかけた。

「……俺の顔に何か付いてるのか、ミラちゃん」

「あ、い、いえ、そういうわけじゃないんですけど……」

 ミラはそっと顔を俯かせ、目線だけをシュイの方へと向けたまま、小声で答えた。

「……シュイさん、前髪があった方が優しそうな感じがするから、そっちの方が素敵に見えるのに何だか勿体無いなって……あ、すみません、私なんかにスタイルのことを言われるの、嫌ですよね! 気にしないで下さい!」

「……別に嫌だとは思わないよ」

 本当に、気にしていないのだろう。シュイは僅かに肩を竦めると、そのまま皆を残して先に屋敷へと入って行った。

 へぇ、とナギが目を何度もぱちくりさせながら、閉じた玄関扉の方を見つめている。

「めっずらし。あいつ、人一倍容姿のことは気にしてるのに。俺がからかった時なんて目茶苦茶睨んできたってのにさぁ。不公平じゃね?」

「お前の場合はからかい方があくどいから癇に障るんでしょ。寝てるあいつの髪に蜜蝋塗ってエスカルゴヘアー、なんて悪戯したらそりゃ怒るよ。あの時、蜜蝋落とすの手伝わされたんだけど、大変だったんだからね? もう二度とやらないでよ、あんなしょうもないこと」

「……お前の仕業だったのか、ナギ。補修用の蜜蝋の在庫がごっそり減ってたから妙だとは思ったんだが……何やってるんだ、お前は。いい年して」

 言葉を交わしながらシュイの後に続くようにして屋敷に戻って行く兄弟たち。

 ミラも周囲の使用人たちに部屋に戻りましょうと促され、明るい光で満たされた憩いの場所へと帰って行くのだった。

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