第8話 明日を棄てた占術師

 薄く引き延ばした香草の香りと煙の匂いが混ざり合った、そんな不思議な芳香で満たされている薄暗い部屋。

 四方の壁を覆うように並んでいる木の棚に所狭しと並んでいるのは、黄銅の天秤やら掌サイズの壺やら随分と丸っこいフォルムの鳥を象ったぬいぐるみやら、骨董品ともがらくたとも取れる謎の品物ばかり。

 部屋の中央には小さな丸いテーブルが据えられている。一般的な大きさの皿を三枚円形に並べればそれで面が埋まってしまうほどに小さな一脚の卓だ。四方に黄金のタッセルが付いた群青色の花を模したらしき模様を刺繍されたクロスが掛けられており、中央には香を焚くための小さなポットが置かれている。

 そこから少し離れた場所──部屋の奥側の位置には椅子がひとつ置かれている。随分と古めかしい木製のロッキングチェアだ。背凭れと座面にテーブルクロスと同じ色柄の布が掛けられており、そこには一人の少年が座っていた。

 純白の髪、純白の瞳、色白の肌。白いブラウスに群青のベストとニッカポッカに似たズボンを身に着けた小柄な少年だ。年の頃は十かそれくらいに見える、まだ声変わりもしていない子供である。

 彼は口に咥えていたパイプを右手に取ってふーっと香りが付いた息を吐き出しながら、入口付近に設置された棚の上を懸命に物色している二人組の青年──ナギとウルに投げやりな視線を送っていた。

「……普段あんなにやかましいって思えるくらいのレベルであの子の話ばっかしてるくせに、大事な日のことは記憶からすっぽ抜かすって、アホだな。お前ら」

「あーもうくっそ、何なんだよこの店! 何でも屋って名乗ってる割にろくな売り物置いてないじゃん!」

「お前、何でも屋をよろず屋と勘違いしてるだろ。……大体此処は何でも屋じゃないぞ。占術屋だ。そのついでに情報屋を兼任してるってだけで」

 悪態をつくナギに肩を竦めて、少年はパイプをふかした。

 何処かアンニュイな雰囲気を漂わせた彼は、容姿の割に口調や挙動が年寄りじみていて、一言で言うなら年季の入ったおっさんのようだった。

「年頃の女を喜ばせるための贈り物を探してるならマルクト商店に行った方が早いぞ。あそこは服飾や宝飾関係なら何でも扱ってるからな。あの子に似合うアクセサリーのひとつくらい、すぐに見つかるだろ」

 マルクト商店とは、世界各地に支店を構えているこの国一番の大店の名だ。

 因みに創業者は竜人ドラゴノアの一種族であるマルクト種の者であると言われており、商店の名も種の名から取って付けられたとされている。

 少年の提案に、ナギはあからさまに嫌そうな顔をした。

「えー。俺は御免だわ、マルクト商店だけは。あそこの連中、事ある毎にミラちゃんにちょっかいかけてきやがるし。そんな野郎共が経営してる店の売り上げに貢献するなんて冗談じゃないっての」

「単にネブラんとこの馬鹿息子がミラちゃんにベタ惚れで口説きに来てるってだけの話だろ。……一応ケテルとマルクトは同盟を結んでる間柄なんだから、あまり邪険にするんじゃないぞ」

「心配しないでよ、そのくらいはちゃんと分かってるから、俺たち」

 邪険にするなと釘を刺しておきながら馬鹿息子呼ばわりするのはいいのか、と独りごちるウルだったが、敢えてこの場では何も言わなかった。

 面倒臭いな、と頭を掻いてぼやきながら椅子から下りる少年に、彼は問いかける。

「……ねぇ、父さん」

「此処ではオレをそういう風に呼ぶなって言っただろ」

 パイプを持った手をひらひらさせながら、少年は店の奥の方へと歩いて行く。

 空間の隅の方にある棚を漁り始める彼に、ウルは小さな溜め息をひとつ吐いてから再度口を開いた。

「ル・ニア。何故貴方は、老いたわけでも力が衰えたわけでもないのに、当主の役目を放棄してこんな商売に身を窶しているのですか。そのような姿で」

 何処か皮肉めいたニュアンスを含んだ丁寧な物言いの言葉に、少年──ニアは棚の一番下の段に押し込まれるようにして置かれていた小箱を手に取りながら、しれっと言葉を返した。

「何でって……前に言っただろ。面倒臭いって」

 黄金のヘデラを象った縁取りを施した翡翠色の箱。蓋を開けて中身を確認して、その箱を手に彼は再び定位置でもあるロッキングチェアへと戻る。

 椅子に腰掛けて、再び箱の蓋を開けて中身をかちゃかちゃと弄りながら、彼は微苦笑を漏らした。

竜人ドラゴノア一族第一等種ケテルを束ねるル氏族、その創始者家系の長……つまり、この世界を統治する王の冠を戴く資格を与えられた者。オレにとっちゃそんな椅子、座り心地が悪いどころの話じゃない。オレは自分の意思で自由気ままに暮らしていたいのさ。だからお前たちにその席を譲って家を出たんだよ」


 ニアは現王の実の息子である。つまり、本来ならば次の王としてその席に就くはずだった男だ。

 しかし彼は、その権利を放棄して家を出た。容姿を魔法で自らの少年時代のものへと変え、実名を隠し、裏通りの一角で寂れた占術屋を始めてしまったのだ。

 空席となってしまった次期王の席──竜人ドラゴノアとして最も優れた個体が王であるべきという考え方を持つ竜人ドラゴノアたちにとって、次期王が不在という状況は困るどころの騒ぎではなかった。現王が存命中に次期王を選出しなければ、最悪王家の滅亡へと繋がってしまうのだから。

 一族は急ぎ新たなる次期王を選出した。現王に最も近い血筋を引き、個体としても優れた能力を有する者──


 それが、セト。そして彼と四つ子の関係にあり、彼と同じく現王の血を引くナギ、シュイ、ウルの三人。

 彼らは兄弟であり、ライバルでもある次期王候補たちなのだ。


「……こんな一族の未来も家の責任も放棄したろくでなしのことなんか、早いところ捨てた方がお前たちの身のためだぞ。此処に来るな、とは言わないが、オレがお前たちの父親だってことはさっさと忘れるんだな」

 弄っていたものを箱に戻して蓋を閉め、ほら、と自分に注目している二人の方へと投げて寄越す。

 ニアの手を離れた箱は緩やかな速度で自ら翼で羽ばたいているかのように宙を飛んでいき、ナギの手中にぽんと収まった。

「……丁度いい髪飾りがあった。試作品であまり出来がいいもんじゃないから、タダでやるよ。持ってけ」

「試作品、って……そんなガラクタを贈り物にしろって、お前、どういう神経してんの?」

「性能面の話だよ。作りに関しては何も問題はないから安心しろよ。ただのアクセサリーとして使う分には、その辺の高級品にも負けやしないさ」

 眉を潜めるナギに、ニアは肩を竦めてパイプを咥えた。

 ナギとウルは渡された箱の蓋を開けてみた。

 中に入っていたのは、掌に収まる程度の小さな蝶の形をした髪飾りだった。青味を帯びた銀の地金で本体を成形しており、羽の部分は青と緑がグラデーションを成したステンドグラス風のデザインになっている。髪に留めると羽を閉じかけた蝶がそこに留まっているように見える、かなり手の込んだ細工物だ。

「そいつの羽の部分には転移魔法を封じた魔水晶を使っている。その髪飾りに魔力を込めると、魔力を込めた奴のところに転移することができるようになっている。……でも、さっきも言ったけどそいつは試作品で性能が微妙でな、一度魔法を発動させるとチャージした魔力は空になってただの飾りになる。つまり、魔法を発動させる度に誰かが魔力を込めてやらなきゃ使い物にならないってことだな」

 例えば、この髪飾りにセトが魔力を込めたとしたら、ミラが髪飾りに宿った転移魔法を発動させると彼女は一度だけセトの元へと転移することができる、ということなのだ。

「あの子が次期王候補の婚約者だってことは世界中の人間が知ってることだ。欲深い奴や嫉妬深い奴がその座を狙ってあの子を……なんてことも、起こらないとは限らないだろ。かといってセトだって四六時中あの子に張り付いてるわけにもいかないし、護衛を雇ったとしてもそいつが絶対的に信用できる奴とも限らない。例え粗末でも緊急の自衛手段くらいは持たせておいた方がいいぞ」

「……そりゃ、まぁ……」

「そんな代物でもないよりゃマシだ。持ってけ」

 しっしっ、と手を振られ、一応はニアの言い分に納得したのか、ナギは素直に箱の蓋を閉じて大事そうにそれを抱えた。

「……ありがと」

「礼なんぞいらん。ほら、用事が済んだならさっさと帰れ」

 ふーっと煙をわざとらしく吐きかけられて、ナギは微妙そうな顔をしながらも大人しく部屋から出て行った。

 ウルもその後を追おうと踵を返し──戸口のところで立ち止まると、肩越しに振り返ってきた。

「……挙式を挙げる時は、ちゃんと来てよね。父さん」

「……だから此処ではオレを親父と呼ぶなと……」

「父さんだよ、貴方は」

 布当ての下に隠された、ごく一部の者しか見たことがないという瞳。

 それで、彼はニアのことをまっすぐに見つめていた。

「どんな姿をしていても、何処で暮らしていても、例えアヴィルの名前を捨てたとしても……貴方は俺たちの、たった一人しかいない父さんだよ。ル・ニア・アヴィル・ケテル」

「…………」

 静かに去っていく息子の背中を見送って、ニアは床に視線を落とし、何かを考えるように沈黙して。

 煙草の煙を一杯に吸い込んで色付いた息を、肺の中が空っぽになるまで深く深く吐き出したのだった。

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