第7話 上に立つ者の責任
問題が起きた場所は、すぐに判明した。
台所──水周りの設備や火を扱う専用の魔機が備えられ、十数名もの人数が同時に立つことが可能な間取りを有した、もはや厨房と呼んでも差し支えないであろうアヴィル家の食卓を支える場所。その部屋の入口の前で、純白のコックコートを身に着けた何名かの男女が揃って顔を青くして床に座り込んでいるのを発見したからだ。
基本的に身の回りのことは極力自分でやる、と決めているアヴィル家ではあるが、それでもどうしても手が回らない部分もある。日々の食事の用意や食材の買い出しなど、一部のことに関しては支配者階級の家らしく使用人を雇って仕事を任せているのである。
「……何だ、今の変な音は。竈が壊れでもしたのか? 怪我はなかったか、お前たち」
「あ、ファズ様……」
使用人たちはやって来たファズの顔を見るなり、何処か気まずそうな表情になった。
「私たちは、大丈夫です……お気遣い恐れ入ります。……いえ、設備に問題が起きたわけではないのですが……」
ちらり、と意味深に室内の方を横目で見やる。
どうにも歯切れの悪い返答に、ファズは片眉を跳ね上げて、使用人たちが視線を向けている方へと顔を向けた。
ヒートテーブル──熱を操り上に載せた鍋やポットを熱することができる魔機を組み込んだ調理台の前に、二人の白い男が立っている。シュイとセトだ。シュイはクリームらしきものがたっぷり付いた木べらを左手に持っており、セトは破れてぼろぼろになった袋を両手で持っている。そしてどちらも生来の白さ以上に真っ白の粉まみれになっており、彼らの足下には大量の白い粉とクリームが飛び散って、逆さにひっくり返ったボウルが落ちていた。
「えふっ……な、何だこりゃ、小麦粉? ……あ、何か鼻痒……ぶぇくしっ」
「わ、ちょっとナギ、何マフィン抱えたままこっち来てるの、行儀悪いでしょ。……あーもう、ちゃんと飲み込んでから喋ってよ、汚いなぁ」
くしゃみと共に口の中に詰まっていたマフィンを盛大に吐き出してミラをぎょっとさせているナギを、頭を軽く小突きながらウルが叱っている。
ファズは三人を使用人たちの傍に残して台所の中に踏み入り、腰に手を当てて半眼になった。
「……今度は一体何をしでかした、お前たちは」
「しでかしたとは人聞きが悪いな」
ふん、と荒い鼻息を吐いたシュイが、体の正面はセトの方へと向けたまま視線だけをファズの方へと向けてくる。
「俺は普通にケーキを作ろうとしただけだ。それをこいつが妨害してきたせいでこうなった。俺に非はない。説教するならそいつだけにしろ」
「俺は手伝おうとしただけだろう!」
「手伝い? これが?」
粉まみれで真っ白になった眼鏡を外し、服の裾で無造作にレンズを拭って掛け直してから、シュイは持っている木べらで足下に飛び散った粉やらクリームやらを指し示す動作をする。
「俺は分量をきっちり正確に計ってから三回に分けて加えろと指示したはずだ。それを無視して一袋分丸ごと突っ込んでおきながら、そのような戯言をのたまうとはな」
「だから、違う! わざとじゃない! 袋の底が勝手に抜けたから中身が全部入ってしまっただけで……これは事故……」
「それは袋を持たずに台の上に置いてスプーンを使えば未然に防げることだろうが。この程度のことすら予測できずに一族の王の座に就くとか、寝言は寝てから言え」
「それは関係ないだろう!?」
「…………ああ、うん。分かった、もういいから黙れお前たち」
睨み合いを始める二人の様子に、ファズはげんなりとした様子で溜め息をついた。
「……で。シュイ。じきに夕飯の時間だというのに、いきなりケーキなんて手間のかかるものを作り始めた理由は何だ。ケーキは主菜にはならんぞ」
ケーキは、菓子の王様とまで言われている。作る手間がかかることもそうだが、何よりしっかりとした調理用の設備が整っている環境でなければ作ることすら叶わない料理なのだ。
一定の高温を長時間保つことができる魔機を組み込んだ竈。材料を低温状態で長時間保存することができる貯蓄設備。不純物の少ない上等な乳から砂糖、小麦粉を始めとする高価な材料。そして工程を熟知しており手際良くそれを進めることができる腕の良い料理人。これらが全て揃って初めて作ることができる。故に流通している完成品は高額であり、それを口にできるのはごく限られた上流階級の者だけ。
料理が趣味であるシュイは、一流の料理人顔負けの調理技術を持っており、レシピも下手な料理書以上の数を記憶している。頭脳明晰のこの男は、体を動かすことはさほど得意ではないが、こういう頭や手先を使う事柄に関しては誰よりも秀でた才能を持っているのだ。彼の知識と技術、そしてアヴィル家に備えられた設備があれば、ケーキひとつを作ることくらいは容易いだろう。
ファズの問いかけに、シュイは何を言ってるんだお前はとでも言いたげに眉間に皺を寄せた。
「お前、忘れたのか? 明日でミラちゃんがこの家に来て丁度一カ月目になる。記念日の祝い席に出す料理にケーキは欠かせないものだろうが」
『……あ』
記念日。その一言に、ナギとウルが同時に声を漏らして顔を見合わせた。
「ケーキはクリームを馴染ませたり生地を寝かせたり、本格的なものを作ろうと思ったら一日はかかる。今から作り始めなければ、とてもじゃないが明日の夕方までに間に合わん。材料用に買い付けた果実酒がようやくさっき届いてな……全く、注文したのは何日も前だというのに、随分と待たせてくれたものだ。お陰でこんな時間から作業を始める羽目になってしまったじゃないか」
「……なぁ、ウル。お前、覚えてた? 明日が記念日だって」
「ううん。ここ最近慌しかったから、すっかり記憶から抜けてたよ……」
「やっば! 一大事じゃん!」
ぶつぶつと愚痴を漏らすシュイの声に混じって、ぼそぼそと囁き合っているナギとウルの声が聞こえる。
二人は口元をひくつかせて同時に顔を青ざめさせると(といってもウルは目元の布当てのせいで顔が半分隠れているので、あくまでそういうニュアンスが伝わってくるというだけなのだが)、弾かれたようにその場を飛び出していった。
その様子に呆気に取られたファズが思わず叫ぶ。
「おい、何処に行くんだお前たち!」
「急ぎの買い物! 飯は取っといてー!」
「ごめんねー! 超特急で用事済ませて戻って来るからー!」
「…………」
ピィィ、と甲高い笛の音がしたのを聞き取って、ファズは溜め息を漏らした。
近場に買い物に行くのにワイバーンを使うって慌てるにも程があるだろ、と独りごちて、面倒臭そうにシュイとセトに言葉を投げかける。
「……ひとまず、お前たちの主張は分かった。説教はなしにしておいてやるから、とりあえず散らかしたものを綺麗に片付けろ。今日の夕飯は料理屋で外食にする」
「却下だ。俺は庶民向けの食事処は好かん」
「何を言ってるんだ。お前とセトは飯抜きだ。台所をこんなにして使用人たちに迷惑をかけたんだから当然だろうが。いいか、掃除はお前たち二人だけでやれよ」
「……は!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれファズ! 俺はわざと此処をこんなにしたわけじゃない……」
「わざとじゃなかろうが何だろうがお前たちが騒動を起こした張本人だという事実は変わらんだろうが。まがりなりにも上に立つ者なら責任はきちんと持て」
不服そうな声を上げるシュイと慌てた様子で声を上げるセトをじろっと一瞥し、ファズはさっさと踵を返して台所を出た。
そこで困り顔のまま固まっているミラと使用人たちに順番に視線を投げかけて、彼は、
「……そういうことになった、すまんな、お前たち。ミラちゃんも。あの馬鹿二人は放っておいて食事に行こう。全員着替えて玄関前に集合な」
「え……わ、我々も、ですか? そんな、使用人の身分でファズ様方と同じ食事の席に着くなど……」
「別に法で禁止されているわけじゃないんだから、構わないだろ。俺がそうしようって言ってるんだから、何も問題ないじゃないか。代金は俺が払うから何でも好きなものを好きなだけ注文していいからな」
「あ、ありがとうございます……」
行くぞ、と困惑気味の使用人たちを引き連れてこの場から去っていくファズ。
ミラは彼と台所でぎゃあぎゃあと何かを言い争っている粉まみれの二人とを幾度となく見比べて、胸中でセトたちにごめんなさいと頭を下げると、ファズの背中を追いかけて台所を後にしたのだった。
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