4
信乃と彼――
家にいるだけではつまらないからと、信乃はときどき人間の子供に化けて遊んでいた。子供というのは不思議なもので、生まれも育ちも基本的に関係ない。信乃がたとえ「憑き物の家」の子だとしても、一緒に遊ぶくらいはできてしまうのだ。信乃は、そんな彼らと数年付き合っては姿を消して、また小さい子に化けて同年代と一緒に遊ぶを繰り返した。やることは缶蹴りだったり鬼ごっこだったりで、言葉通りの山育ちの信乃は誰よりも強かった。この村は小さく、小学校は隣村にある。信乃と遊んだ子供たちは大きくなれば自動的にそちらに向かい、そちらで新たな友達を作る。この村から直接通っている子もいるにはいたが、大半は隣村の親戚やらに世話になることが多かった。小学校が隣村にある分、中学校はこちらの村にあるのだが、その頃には信乃のことなど忘れている子が大半だ。だから、人間の子供の小学校進学は、信乃にとっては好都合な縁の切れ目だった。
そんな遊びを何十年と繰り返していた信乃にとって、その日も特別なことは何もなかった。いつも通り五歳前後の子供に化けて、みんなの遊び場に姿を出した。そこで初めて、信乃は石倉悠太郎という子供に出会った。
特になんの印象にも残らない子であった。足が速いわけでもなく、かといって逆に遅すぎるわけでもなく、平凡のど真ん中をいくような子で、遊んでいる間、信乃の意識の中に悠太郎は存在しなかった。みんなと遊んで、夕暮れ時になって、みなの親が迎えに来る前に帰ろうと信乃がバイバイをしたときになって、初めて悠太郎はその存在を信乃に示したのだ。
「一緒に帰っていい?」
そんな唐突な言葉に、信乃はもちろん、ほかの子たちも驚いたように悠太郎を見た。
「ゆーたろう、知らないのか? こいつの家は『あの』家だぞ」
「そうだぞ、ゆう。そもそもお前の家、あっちじゃないじゃんか」
「やめた方がいいよ、ゆうくん。しのちゃんは悪い子じゃないけど、おうちまで行ったらさすがに怒られちゃうよ」
別に取って食うわけでもないし、怒る怒らないは人間の事情だから信乃の知ったことではないのだが、しかしかといって悠太郎に来られるのもそれはそれで困った話なので、信乃はじっと様子を窺うことにした。いざとなれば、ここにいる誰より早く信乃はこの場を立ち去れる。子供たちが漂わせるにしては少し重すぎる空気。
しかし悠太郎はそんな周囲の子らの言葉にも空気にも頷かなかった。頷かずに、当然のように信乃の手を取って「帰ろう」と笑った。
「え、え」
「じゃあね、みんな」
戸惑う信乃を半ば引っ張るように走り始めながら、悠太郎は呆然とする子供たちに大きく手を振っていた。
悠太郎に引っ張られながら信乃はこの後どうしようかを考えた。遊び場を抜け、舗装された道も抜け、横断歩道を渡ってしまえば、もう子供たちの姿は見えない。渡った先の道路は歩道のない車道で、脇には舗装されていない道が伸びている。この先が信乃の家だ。そして、この先にあるのは信乃の家だけ。ほかの人家はない。車通りは元来少なく、歩いているのは信乃と悠太郎の二人のみ。
信乃は前を行く悠太郎の背を見る。所詮は人間の子供。信乃が少し本気を出せば、簡単に振りほどいて姿も消してしまえる。
けれど、同時に興味もあった。どれほど子供たちが信乃を遊び仲間に入れてくれたとしても、家まで来る子はひとりもいなかった。好奇心で聞いてくる子は何人かいたけれど、実際に足を運ぶまでに至る子はひとりもいなかった。信乃はそれを臆病とは思わないし、情けないとも思わない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、とは言うが、入る必要のない虎穴に挑むのはただの愚か者だ。信乃の家に来たところで、虎の子など手には入らない。無論、そもそも信乃の家は虎穴と言うほどに危険に満ちた場所でもないのだが。
「ねえ」
声を掛ける。しかし、これから行く先のことに頭がいっぱいなのか、聞こえていないようだった。信乃は一層声を張り上げて悠太郎を引き留める。
「ねえ!」
「! あ、ごめん」
信乃の声に気付いた悠太郎は、慌てて信乃の手を離した。それに信乃は肩を竦め、それからゆっくりと悠太郎の隣に並ぶ。そのまま二人で歩調を合わせながら、丘の上を目指す。
「……ねえ、本当にうちに来るの?」
「うん!」
問いに返ってくる声は元気いっぱいで興奮が抑えきれないのが垣間見えた。
「……おうちの人に怒られるよ?」
「平気だもん」
いや、多分、平気ではないと思う。信乃は楽観に過ぎる悠太郎の返答に呆れながら、何もないよ、と言葉を続けた。それに悠太郎は、きょとんとした顔で信乃の顔を振り返る。
「しのちゃんの家には、きれいなお姉さんがいるでしょ?」
「……?」
悠太郎の言葉に、信乃は家にいるのは自分と母だけなはずだと記憶を辿る。そう、自分と母だけなはず。信乃自身は悠太郎の前では人間の子供の姿をしているから、悠太郎の言う「きれいなお姉さん」には該当しないはずだし、母は、確かに美しい毛並みをしているがあれは狐である。きれいなお姉さんにはなりようがない。
「――あ」
しかし、家の門が見えてきたところで、信乃は足を止めた。それに悠太郎が不思議そうに信乃の顔を見、それから信乃の視線の先を見、パッと顔を輝かせた。
信乃の母は、家では狐の姿でいることが多い。もちろん、人前に出るときは人の姿をしているが、母は信乃と違って家の外に出ること自体がほとんどない。そのために、信乃は悠太郎の言葉にぱっと母の姿を思い浮かべることができなかった。信乃にとって母はあくまで妖狐なのだ。
その母が、珍しく門の前に人の姿で立っていた。おそらくは、この異常な事態を耳に聞き付け、表に出てきたのだろう。黒い髪を束ねた、和装の女性。悠太郎の姿に少しだけ驚いたように目を開き、それから隣に並ぶ信乃に笑って手を振った。そんな母に、信乃はどう説明したものかと頭を悩ませたが、当の悠太郎はそんな信乃など見向きもせずに、信乃の母のもとに駆け寄った。
「はじめまして!」
「初めまして、信乃のお友達?」
母の言葉に力強く頷く悠太郎。あとを追いかける信乃は、今日知り合ったばかりだろ、と思わず突っ込みたくなるが、子供の世界では一緒に遊んだらもう友達という謎の決まり事があってもおかしくはない。何せ彼らは、相手の名前すら知らないまま遊べるのだから。
「あの、あの、お姉さん」
「はい、何かしら?」
「あの、ぼく、石倉悠太郎っていいます!」
追いついた信乃の前で、興奮した悠太郎が顔を赤くして母を見上げていた。母はそんな悠太郎に視線を合わせるように屈んで、にこやかに笑っている。信乃にはその目がいつになく優しいものに見えて、母は子供が好きだったのだろうかと首を傾げた。
しかし、そんな信乃の疑問など吹き飛ばすように、悠太郎が次に放った言葉は信乃の想定を超えていた。
「あの、好きです! 結婚してください!」
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