愛とか....

金田もす

第1話

遠くで、だれかの声がする。よくとおる声。リズムをたもった軟式庭球ボールのミート音、思い出したころに響く公式ボールを打つ金属バットの音にまぎれ、耳にからむ。

「おい、そんなところでさぼってんなよ」

新緑をなでる、さわやかな風が流れる窓際、心地よさを奪う聞きなれた声。

「部活はいいのかよ?」

小柄だが小柄なりにまとまった体つき。机にふしたまま、その声を耳にするだけで、のっぺりとした顔にはりついた太いまゆ毛が思い浮かぶ。

「文化部は週一しか活動しないのよ、あんたこそ練習はいいの?春の県体予選、終わったからって気をぬいてんでしょ、ぼっとしていると新入生に抜かれちゃうわよ」

幼なじみの光太郎。いつも絡んでくるわりには、ちょっと言い返すとのけぞり太いまゆを不自然に曲げる。が、今日は様子がおかしい。恐縮しているようでもある、なにかいいたげだ。

「なによ、どうしたの」

「ああ、ちょっとつきあってもらいたいんだけど」

「つきあう?」

「そう、いとこが、ああ、といってもずいぶん年上のいとこなんだけど、ハルミくらいの女子を探していて、よかったら一緒に来て欲しいんだ」

「なによそれ、わたしくらいの女の子って、女子高生ってコト?変態なの?その人」

「仕事だよ仕事、お前もいっていただろ、友達のミヨコと夏に千葉にいくからお金がいるって」

「夏フェスね、まあ、たしかに、けど、そんな変な仕事しなくてもなんとかするわよ、だいたいあんた、幼なじみの女子をそんなことに、ひきずりこんで平気なの、信じられないわ」

「変な仕事って....」

光太郎のいう仕事というのは、いとこが勤務する、きちんとした食品会社での純然たるアルバイト。新食品のマーケティングで若い女子の意見をききたいのだそうだ。光太郎の親戚の紹介ということと、1日4時間拘束で日当1万円というギャラにつられ、やってみることにした。


「本当に大丈夫なんでしょうね」

北東アジアからの移民が多く、出身国料理の店が軒を連ねる都心の駅に降り立つ。大丈夫なのか?確認するたび、泣きそうな表情になる光太郎。

スマホで場所を確認し、指定した場所にたどり着く。都会のど真ん中であるにもかかわらず、広大な敷地の工場。かなり年季が入り、敷地を巡る高い壁も建物は黒ずんでいる。壁が途切れた場所に「ケーエスフーズ」という社名を記したプレートを掲げたゲート。軍事基地の検問のようなゲート横の小屋で訪問の理由を伝える。

ゲートまで迎えに来た、広報部の20代お姉さんに先導され施設のなかでも際だって新しい建物へ。外面のほとんどがガラスに覆われた建物内は明るく靜かで、だれもいない音楽室のよう。ミーティングルームなる部屋にはすでに、数人の女の子が集まっていた。

教室くらいのスペース中央に巨大な白いテーブル。その上にポットと紙コップが置いてある。椅子はなく、まわりに10人くらいの女子。奧にはホワイトボードがあり、彼女達が商品に対して述べた意見らしきが箇条書きされている。ホワイトボードの横にはイケメン....その彼と目があう。軽く会釈をされと、肩がすくんでしまった。

ジャケットごとシャツをまくり上げ、片手をすらりとしたスラックスのポケットに突っ込み片手はホワイトボードに添えている。そのホワイトボードが小さく見えるほどの長身。

「もしかしてあの人がいとこなの?」

傍らの光太郎に尋ねるまでもなく、背後から、本当のいとこ、らしきに肩を叩かれる。だいたい初対面の年頃女子の肩を叩くところが光太郎のいとこっぽい。

「キミが光太郎のガールフレンドだね、来てくれてありがとう」

ホワイトボードの彼と違い、わかりやすいルックス。簡単にいうと光太郎に似ている。

振り返り面と向かうと、いとこらしきは、顔を寄せる。近すぎる。

「なんだ、ハルミちゃんか、光太郎についてくる女子がいるものか、と勘ぐってたんだよ、大きくなったね、覚えてる?」

思い出せない。しかし、相手は社会人なので、思い描く限りの社会人的な対応として、なんとなく曖昧な返事をする。いとこさんはこの集まりについて簡単に説明してくれた。

テーブルの中央に置いてあるポットには、とある液体が入っている。会社が女性向けに開発した液体サプリメント。アンチエイジングに作用がある成分を含み、その効用がうりだが、味も大切。ということで、パッケージなど、商品のイメージを事前に植え付けてしまう情報を明かさないまま、試飲してもらい純粋に味を評価させている。

「それだけで1日1万円いただけるんですか」

「まさか、それは建前だよ」

いとこさんとは明らかに違う、かろやかで膨らみのある声のほうを向くと、先ほどの彼が微笑んでいた。

「斉藤といいます、今日は来てくれてありがとう、課長のいとこの幼なじみなんだってね」

「どうも」と、いおうとして息を吸うと、耳の後ろあたりが、しびれるようにこわばる。

「知ってる?うちの味噌、それで味噌汁つくると旦那さんが早くウチに帰ってくるってやつ」

「知ってます、CMでやってますよね、たしか、朝ドラとかにでてる女優さんがやってる」

CMのイメージのせいか、その味噌でつくった味噌汁を飲むと旦那さんが、寄り道せずに帰ってくるという都市伝説がある。

「その噂って女子高生も知っているんだ」

うなずくと、斉藤さんは耳元に顔を近づけ、つぶやいた。

「実はその噂って仕込みなんだ東南アジアで100人くらい雇ってSNSにかかせた」

「おいおい、斉藤、バラすんじゃねえよ」

「大丈夫ですよ先輩、彼女は」

そういうと、さらなる秘密を打ち明けた。

ケーエスフーズは今でこそお菓子、飲料、そして味噌のような家庭用調味料など、さまざまな食品を手がける会社ではあるが、もともとは素材から抽出したエキスを製造していた。野菜エキス、魚のエキスなど。いまだにケーエスフーズはエキス分野におけるリーディングカンパニー。また、世界中の大学との提携、共同開発により世界最高の技術とノウハウを持っている。いまや世界中の調味料にはケーエスフーズのエキスが含まれており、同社のエキスがなければ地球で料理はつくれないといわれるほどシェアを誇る。

「その味噌はウチの技術の限りを尽くしてつくった商品。エキス会社のエキスみたいなもの、大きな声ではいえないが、特殊なテクニックで飲んだ男を早くウチに帰らせることができる」

自慢話をするときの表情は光太郎にそっくりだ。

「先輩こそ大丈夫ですか、それ、ばれたら会社ぶっとぶ案件ですよ」

いとこさんいわく、会社ぶっとぶくらいの商品を開発できる会社がそう簡単につぶれないらしい。

「味噌に添加するエキスの組み合わせにより、味覚に特殊な刺激を与え、それで分泌される脳内物質をコントロールし、中毒性のある幸福感をたかめる、結果、旦那は早くかえってくる」

「そんなことできるんですか?」

「まあね、薬でやると、もっと簡単だけど、食べものでやるってのが大変だった、でもやれた、その技術をもっと応用するためのテストがこのバイトの本当の目的」

「もっと応用ってどんなことですか?」

「男ってのは意外と単純だよ、気持ちや、なんていうかな、パッションみたいなのをわりとマウント、つまりコントロールしやすい、けど女性って難しい、たとえば惚れ薬、男を惚れさせる惚れ薬は簡単につくれるが、女性を惚れさせるのは難しい」

「もしかして、あのポットに入っているのって......]

いとこさんがほくそ笑む。この手の表情は光太郎にはない。どうやら危うくわたしは、惚れ薬の実験台になるところだった。


公表すれば会社がつぶれる、どころか担当者が刑事告訴されるレベルの秘密。口外を厳禁され、そのぶん給料を増やすというのもなんだからと口止めに現在世界最強であるという合法惚れ薬をくれた。

ただし面倒なことになるので光太郎にだけは使うなと、いとこさんが条件をつけると、そんな薬がなくても光太郎はわたしに惚れていると斉藤さんがいった。

薬ならともかく、エキスごときで人が翻弄されるものか信じられなかったが、母親がつくった味噌汁に惚れエキスを入れたところ、早く帰ってくるどころではなく、母親の誕生日にプレゼントすら買ったことがなかった父親が、翌日花束を携え帰宅した。

新緑に水をさす梅雨の季節がやってきても両親は仲むつまじく、傘をさしてまででかけることが多くなり、平日の夜など、ひとり残されることが多くなった。学校へいけば、あれほど、うっとうしかった光太郎も、先日のマーケティング調査会で知り合った女子と交際をはじめたらしく、最近は疎遠になった。開放感がほとばしる季節にむけ皆がこぞって浮かれているのに、自分だけが取り残されているようだ。

両親の新婚旅行先だったハワイ諸島近辺、北東太平洋上にある太平洋高気圧が西に張り出しオホーツクの乾いた空気との間にある前線を押し上げる。押し上げが、ある程度の場所まで達すると、その境目があやふやになり梅雨があけ、本格的な夏がやってくる。一点の曇りもない輝かしい未来のような初夏の日曜日、都内にある大学を訪問した。

大学が高校生を招き、施設を案内したり摸擬授業をしたりするオープンキャンパスなる行事。本来は翌年冬に受験を控えた高校3年生を対象としているのだが、2年生でも参加することができる。

希望校どころか、いきたい学部すら決まっていなかったが友達に誘われ、都内大学のオープンキャンパスに参加した。私たちが通う東京近郊の公立高校の生徒が進学先として検討するにはおこがましく、あまりにも高い偏差値と学費で有名な名門校。ついでに都心で遊べることと、そんなエリート大学の雰囲気だけでもあじわってみたいと応募した。摸擬授業は薬学部と国際関係学部、食品工学部のうち、なんとなく食べものに関係があるほうが授業内容も理解でき、あわよくば、おいしいものが試食できるのでは、と食品工学部を希望した。

地下鉄駅から歩いて3分。目的のキャンパスはごみごみとした都会のど真ん中に、こんな空間がっていいのだろうかと、だまし絵でも見せられているように広い敷地。日曜日だからか学生も少なく、低層の校舎がゆったりと建ちならんでいる。まずは案内された教室で「消費者にもメリットのある高品質かつ低価格な食品の加工プロセス開発」なる授業を受講した。

摸擬授業のあと、在校生が登場。キャンパスツアーと称し、デザイナーが設計した礼拝施設のような図書館、こぢんまりとして温水プールとジムを併設した体育館などを見学。宇宙ステーションのミーティングルームのようなカフェテリアでBランチ、牛筋シチューとカルボナーラのセットをご馳走になった。

ランチで、その日のキャンパスツアーは終了。あとは自由にキャンパス内を散策してくれということになる。食堂のある建物から沿道に芝生をしきつめた程よい広さの通りを歩いているうち、学生の園では否が応でも目についてしまうシュッとしたビジネスマンをみかけた。斉藤さんだった。

赤レンガ風の校舎の入り口付近、長身の彼にとって、ほどよい背丈、白衣をまとった女性と立ち話をしている。年齢は斉藤さんよりちょっと大人、30歳くらいだろうか。声をかけることを躊躇してしまうのは、斉藤さん、というより無駄を排したインテリジェンスさがにじみ出るスレンダーな彼女のせい。この場所が大学だからか、会社のミーティングルームでの斉藤さんとは違い、わかりやすい表情も大げさな身振りも、なんだか大学生のようだった。

彼女が傍らの建物に入っていき、斉藤さんがひとりになったところで声をかける。

「うちのエキスの研究でお世話になってんだよ、官民共同事業ってやつだな」

斉藤さんは偶然会ったことに照れているように頭をかいていた。

女性は薬学部の三島さんという助教授らしい。

「斉藤さんって薬学専攻だったんですか、なぜ就職は食品会社に入ったんですか?」

「親父がバブル期に苦労した人なんだけど食品業界なら食いっぱぐれがないとすすめられて」

「お父さんにすすめられて....」

「そんな風に進路とか決めるようにみえないでしょ、進学するとき、反対を押し切って薬学部に進んだんだけどね、奨学金借りて」

しかし、卒業間際にその父親が亡くなった。彼の遺志を継ぐというわけではないが、成り行きで食品会社に入ったという。

「それに、さっきの三島さんに薦められたんだ、ああ俺ここの卒業生で、彼女のゼミ生だった」

「ずいぶん綺麗なひとですね」

そういいかけてやめた。

「共同事業ってどんなことしてるんですか?」

「なかなかききづらいことをきいてくるね」

「ああっ、別にものすごく知りたいわけではないのでやっぱりいいです」

とはいったものの、斉藤さんはケーエスフーズと大学の共同事業について教えてくれた。

目的は「夫が早く帰ってくる」物質など人の意識をコントロールしたり中毒性のある物質の臨床実験をしたりその技術を応用した食品を開発すること。大学がギリギリ食品の範疇に入る物質の情報を提供し、ケーエスフーズがその物質を含む食品の臨床データを大学にフィードバックする。臨床データとはわたしが参加した商品試食会のように一般の人に食べさせた前後の生体情報。

「そのデータって、なんか医療器械的なものに入れられ、管やら電極をつなげられたりするんですか?私たちのときはそんなのなかったけど」

「そんな怪しまれるやり方はしないよ、めん棒でほっぺたの奥を擦るだけ」

ちなみに、ケーエスフーズは技術協力の見返りとして、臨床データの提供以外に、多額の寄付金やゼミ生の就職先斡旋、定年した大学関係者を社外取締役などに迎えるなどの利益供与をしているらしい。

そんなディープな会話を初夏のキャンパスを歩きながら、笑顔がまぶしいやり手ビジネスマンとかわしているうち、そのさわやかな斉藤さんが突然立ち止まる。

「あれ、キミの幼なじみじゃない?」

光太郎はさきほど三島さんが入っていった建物に向かい歩いていた。


それから1週間後の夜、光太郎の母親がわたしの家にやってきた。両親はあいかわらず仲むつまじく映画にでかけて不在だった。どうやら光太郎が3日くらい帰ってこないらしい。

長い付き合いなのでよく知っているが、もういい年齢とはいえ母親に理由を告げず外泊するタイプでない。したがって光太郎にとって、かなりイレギュラーな行為なのだが、飼い猫が晩御飯に帰ってこない温度で話す光太郎母。

女子である自分だったら、いくら際どい物質にやられてしまった両親でも映画どころではないだろう。

光太郎母は連絡があったら叱っておくこと、のみ依頼し帰っていった。

最後に光太郎をみかけたのが大学であることが気にかかり、斉藤さんに電話するがつながらず、ショートメールを送ったが返信もない。

翌日まで待ったが返事はなく、大学へいってみることにした。

大学の受付で三島さんの研究室を教えてもらう。それは、やはり光太郎が入っていったあのレンガ風の建物にあった。夏休みが始まってしまい、学生どころか、お掃除おばさんの気配もない廊下。すすむうち、その階の奥から、うめき声が聞こえてきた。

その部屋ドアに示されたプレートによると、そこは三島さんの部屋らしい。うめき声は聞きなれた幼なじみのものだった。

もちろん踏み込む勇気はなく、斉藤さんへ電話する。その時にかぎって昨夜よりならなかったコール音がした。「出てちょうだい」祈るように首をすくめスマートフォンを耳に押し付ける。

ふと気づく、それは耳元だけでなく、ドアの向こうでもなっていた。

「遅かったじゃない」

高校の教室とほぼ同じくらいの広さ、窓はなく照明が落とされた室内。まず目についたのは、歯医者の診療椅子らしきで意識を失った光太郎。向かって左側には斉藤さんが放心したまま立っている。右側には三島さんがタイトスカートにステンの白いシャツを白衣ごと肘まで、まくった腕を組み、こちらをにらんでいる。とにかく一時この場を立ち去るべきだが足がすくんで動けない。

「その調子じゃ腰が抜けちゃったみたいね、抜けてなくても逃げられないわよ、この建物、いろいろとヤバイ情報格納していて保安機能が半端なく、入り口をロックできるの」

そういってカード状のリモコンらしきをひらひらさせた。

なんとか声を絞りだし斉藤さんを呼んでみるが反応がない。

「むりよ今の彼は、今日はちょっと惚れ薬投与しすぎちゃったみたい、ごめんね、あんたの彼氏もちょっと借りちゃったわ」

手術灯に照らされた光太郎。口もとに泡のようなものが光っている。

「光太郎に、なにをしたの?」

「世界の男を代表してわたしの野望を手伝ってもらってるのよ、あなたには悪いけど」

どうして人は秘密を打ち明けたがるのだろう。

野望とやらを延々と説明されたあと、あまりにもの荒唐無稽ぶりに直感的な恐怖さえリアル感がなくなってしまった。彼女は人類を消滅するための化学兵器をつくっているという。

ケイエスフーズから得た臨床データにより旦那が早く自宅に帰りたくなるのとは逆、いがみ合うような物質を開発し、それをケイエスフーズの商品に含み世界へ拡散することで世界を滅ぼすのだ。

「そんなことできるわけないじゃない馬鹿じゃないの」

「あなたね、人間のDNAには38億年分の人類の歴史が刻まれているの、その年月だけ、抗えない事情というのが蓄積されている、今の時代で数十年生きているだけの個々の人間がそれに勝てるわけないでしょ、小娘にはわからないのね」

「その手ごわい事情をあなたはコントロールできるっての?」

「わかめ、こんぶ、人類よりはるか長い歴史を含み、この世界を形作るさまざまな生き物を煮詰め濃縮し、かつブレンドした、私のエキスはいわばこの地球の結晶よ、かわいらしい人間のかわいらしい脳をマウントする分泌液をださせるなんて朝飯まえだわ」

「むりだはそんなの、そんなものに持って行かれない強さが人にはあるわ、それに対抗する、道徳心とか倫理観とか...あと」

「あとなによ?」

「愛とか...」

目の前で人類が滅ぼす企てがなされているのに、口にしたあと、ちょっと照れた。

「愛情という自然性を否定することによって成り立つ技術的介入によってそれを成すの、ロマンチックでしょ?」

狂ってる。そうでなくとも彼女の口にすることは、女として生を受け、たかだか17年くらい生きてきただけのわたしにとって、理解の限界をはるかに超えていた。

「だいたいどうして、世界は滅びなければならないのよ」

「わたしを捨てた男に復習するためよ」

「捨てたって...まさか斉藤さん」

「わたしが、世界をメルトダウンさせるくらい愛したのは、惚れ薬にあっさり骨抜きにされる、うすっぺらい男じゃねえよ、斉藤なんかより1000倍かっこいいわ、好きなのよ、あの人が、わたしが眼中にない彼しかいないゴキブリみたいな世界なんて、価値ねえわ、殺しあって滅亡しちまえ」

そう言い放つと、薬品庫のような棚から庭先のプールで子供が遊ぶ巨大な水鉄砲のようなのを取り出し、銃口を光太郎の首筋にあてた。

「まずはお前の彼氏から狂わせてやる、経口摂取より効用があるから、すぐにお前に飛びかかるぞ、お前のいう愛というやつを試してみるか?」

その時だった。

一度は閉まったはずの背後の扉が開け放たれ、野太い声が研究室に響いた。

「やめろ、彼女も彼氏も人類も関係ないだろ」

三島さんの表情は凍りつき、そしてわかりやすく崩れた。鼻汁がだらしなく「へ」の字になった上唇をつたい顎まで流れ、目じりから涙がとめどなくほとばしる。その場にへたりこみ、伏せ、おいおいと泣いた。

「だって好きだったんだもの、ずるいわよあなた、この世のどんな美しい生き物のどんなに繊細なエキスよりも素敵なの、口当たりも、風味も、すべてが、あなたに愛されないわたしなんて、生きる価値ない世界にいるようなものだわ」

「わかった、キミがそんなに僕のことを好いてくれていたとは知らなかった、いいよ、おれは世界のためにキミの愛の受け皿になるよ、この先、道ゆく人すべてが振り返る絶世の美女が僕のことを好いてくれても、後悔はしない、僕を好いてくれる美女がいる世界をこっぱみじんに否定してしまうまで、僕を好いてくれるキミのために」

実験台がどうして光太郎だったのか。一件落着したところできいてみたかったのだが、きくまでもなかった。目の前で世界が救われたというのに、ある意味世界が崩壊していくような複雑な思いで、抱き合い人目もはばからず睦みあう、三島さんと、いとこさんを眺めていた。なぜ彼なのか?


そして、さらに思う、だったら最初から惚れ薬を使えばよかったのに。

大人というのは、じつにまわりくどく、なかなか複雑なものらしい。

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愛とか.... 金田もす @kanedamosu

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