胸元の輝く薔薇

青山零二

第1話

 ダンボールをガムテープで留めて物がなくなった部屋を見渡す。短い間だったけど長い間お世話になっていた気もする。

 僕の名前は市川摩天楼いちかわまてんろう。今住んでいるのは祖父母の家、つまり父の実家だ。僕は幼い頃に母を亡くした。それから仕事ばかりで家のことを気にかけていなかった父は少しずつだが変わっていった。休みの日は昼まで寝ていたのを、午前中に起きて僕を遊びに連れて行ったりしてくれた。料理はうまくならなかったので、代わりに僕が頑張った。仕事先で子持ちの仕事仲間に色々なアドバイスをもらったりしていたそうだ。

 そんな父も去年の冬に亡くなった。父は親戚の集まりとかが好きではなかったので、葬式は祖父母に手伝ってもらった。僕も高校生なので父が亡くなった後はバイトでもしながら一人暮らしをしようと考えていたが、祖父母が僕を引き取ると言ってくれたのでお世話になることにした。

 そしてその数日後、父の大親友だった金村のおじさんが家を訪ねてきた。なんでも父は生前入院中に僕の世話を頼んでいたようで、その事を祖父母に告げに来たのだ。二人は少し戸惑っていたが、まだ働けるおじさんと違って自分たちは年金しかない。それで僕を大学などに行かせるのは少し無理があるだろう。という結論に至ったらしく(このことは二人が直接話してくれた)金村のおじさんの家にお世話になることになった。

 しかし転校の手続きや引越しの準備などもあるので、春休みまで祖父母の家にいて、二年生からはおじさんのいる地方の学校に転入する。ということに落ち着いた。僕は学校を調べて色々と考えたが、まあとりあえず家からそこそこ遠めの所にしておいた。僕なりに考えたのだが、近すぎるとついつい朝寝坊したりするだろうという理由から遠めの所にした。

 姫乃崎学校。進学校というわけでもないが偏差値が低いというわけでもない。まあ上の下程度の成績の僕にはピッタリなわけだ。あとはもともと男子校だったのだが、今年から共学になる。というくらいの知識しかない。そもそも姫なんて字を使ってるくせに男子校だったのがおかしいんじゃないだろうか。まあ通っているうちに慣れるだろう。

 部屋の隅でこれからのことを考えていたら玄関のチャイムが鳴った。きっと金村のおじさんだろう。荷物を持って玄関へ向かった。

「お父さん、おはようございます。摩天楼くんは起きてますか?」

「ああ哲郎くん。もう起きてると思うがね……ほら、出てきたよ」

「おじさん、おはようございます。これからお世話になります」

 荷物を置いて頭を下げる。おじさんは何も言わず僕の頭をクシャクシャと撫でた。

「そういうのは家についてからゆっくりやればいいんだよ。じゃあ荷物を車に持っていくから、お爺さんたちにお別れの挨拶してきな」

 おじさんはそう言うと置いてあった荷物を持ち上げて車に向かった。そうだ。お世話になった二人にちゃんと挨拶をしないといけない。まずは横にいた祖父から済ませることにした。

「おじいちゃん、今までありがとう。長期休暇にはなるべく帰ってくるようにするから」

「つらいことがあったらいつでも電話してきなさい……私たちはいつでもまーちゃんの味方だからねえ。ほら、ばあさんが待ってるから行ってきなさい」

 そういうと祖父は居間を指差した。僕は祖父の前に手を出して、握手をした。少し力は弱かったが、想いが伝わってくるようで僕も少し泣きそうになってしまった。握手を終えると僕は居間に向かった。そこでは祖母が黙ってテレビを見ていた。振り返らないので僕はそのまま声をかけた。

「おばあちゃんも今までありがとう。手紙、書くよ」

 そう言っても振り返らないので僕は居間を後にしようとする。扉の方を向かった所で祖母が声をかけてきたので振り返る。祖母は僕に背を向けたまま話し出した。

「哲郎くんが悪くない人なのは知っているけどね、あくまで他人だから……嫌になったらいつでも帰ってきなさいね。寂しくなるねえ……」

 声から寂しいのが伝わってくる。僕も寂しくないと言ったら嘘になる。でももう決まったことだ。僕がワガママを言ってもしょうがない。僕は振り返らない祖母に手を振って居間を後にした。

 玄関に戻り靴を履くと祖父がひとつの封筒を持ってきた。

「これ、私たちから。少ないかもしれないけど生活費の足しにしなさい」

 受け取った封筒は明らかに分厚かった。数十枚は入ってるだろう。こんな大金受け取れない、と返すことは簡単だったがこれを入れた二人の気持ちを考えるととてもそんなことはできなかった。僕は黙って封筒を鞄にしまった。

 じゃあ行くね、と告げて僕はおじさんの待つ車に向かった。振り返ると二人が涙ながらに手を振っていた。僕も思わず涙ぐんだが、ふき取り笑顔で手を振りかえした。僕の腕が疲れてきたのに二人はまだ手を振っていた。僕は振り返り車の助手席に乗り込んだ。

「ちゃんとお別れはできたかい?」

「はい。じゃあ運転お願いします」

 おじさんは車のエンジンをかける。住んでいた家がどんどんと遠ざかっていく。今生の別れという訳でもないのだからそんなに悲しむ必要はないんだぞ僕。会おうと思えばいつでも会いに行けるんだから。そう言い聞かせて僕は顔を前に向けてこれからのことを考えた。金村のおじさんの家には何回か行ったことがある。特におばさんが僕のことを気に入っていて、行くと僕の好物で得意料理のだし巻き卵をいつも作ってくれた。母が亡くなった時は僕を優しく抱きしめてくれたっけ。そんなことを考えていると僕の方を向かずおじさんが話しかけてきた。

「お父さん……おじいちゃんたちなんだって?」

「元気でって……それと、嫌な事があったら帰ってきて。と。あとこんなにお小遣い貰っちゃいました」

 分厚い封筒を見せてみる。おじさんは少し目をやるとその目を大きくさせて驚いていた。貰った僕も驚いたのだから当然だろう。

 車は高速道路に入りスピードを上げていく。僕の新しい家ももうすぐだ。


 サービスエリアで何度か休憩を挟みようやくおじさんの家、というかこれから僕が住む家に到着する。休憩中には何度か家の話をした。

 まず僕を引き取るとはいえスペースがあるのか。これはどうやら僕のために増築したらしい。それを知って僕は深々と頭を下げたがおじさんは「俺のとりえなんて金があることぐらいだから気にするな」と笑っていた。それを聞いた僕は笑っていいのかわからなかったので改めて父の遺言や関係を聞いてみることにした。

 父とおじさんは小中高なんなら大学まで一緒だったらしく、お互い「どちらかが女だったらお似合いのカップルだ」なんて冗談を言い合っていたらしい。家も近かったので何かと比べては勝った負けたと言っていたらしい。中でもいちばん盛り上がったのが女性の取り合いで、おじさんは大学生になるまで一度も敵わなかったらしい。もっとも父が勝ったとはいえ「付き合うなら市川くんだけどそういう対象で見たことはない」がお決まりだったらしい。その大学生になって初めて女性の取り合いで勝ったのが今の奥さんだそうだ。

 父はなんだかんだ言っておじさんを信頼していたらしく、入院してから僕が見舞いに来てないうちに僕のことを頼んだそうだ。なんでも僕は寂しがりだの不器用だの言いたい放題言ってくれたらしい。僕が聞いたら怒るかもしれないことまで話していたらしい。それは気になる。

 おじさんはお金持ちだと言ったが、これはどうやらずっと前の世代からそうらしく、金村だから金が集まるなんて言われてたそうだ。お金を持っているけど僕に自慢したり父がたかったりしたことはないらしい。「金を持ちすぎると心が醜くなる」が先祖代々の言い伝えらしく、おじさんもそれを肝に銘じているらしい。立派なことだ。おじさんは人の上に立つのも下に立つのも嫌いらしいので今は株で儲けているらしい。常人ならすぐ失敗しそうなのにそれでもお金が集まってくるのはやはり金村パワーなのだろうか。

 そんな増築したての部屋に案内される。家具の置き場所とかは自分で決めると言っていたのだが来て早々疲れることはしたくないだろうとおばさんが何度も動画や写真を送って僕の希望通りに置いてくれていた。うん、改めて見てもいい配置だ。我ながらセンスがいいんじゃないか?車に乗せていた荷物を運び終えると下の階から僕を呼ぶ声がした。ふと時計を見るともう夕食時だ。気づくとお腹が空いてくる。僕は返事をして急いで階段を駆け下りた。

 予想通りというか、期待を裏切らないというか、夕飯には当然のように僕の好物が並べられていた。

「なんだか気を遣わせてすみません……ありがとうございます」

「そんな他人行儀に言わないでちょうだいよ。私たちもう家族なのよ?子どもが好きなものは極力作ってあげないとね」

 そう言うとおばさんは僕にウィンクをする。僕はいただきますをしていちばんの好物だし巻き卵をほおばる。うんうん。やっぱりおばさんのこれは最高だ。

 そんな事を思いながらふと頭に疑問がよぎる。

「あの……やっぱりお義父さんお義母さんって呼んだ方がいいですか?」

 二人は驚いた顔をして顔を見合わせる。少し考えた後おじさんが口を開いた。

「気にしなくていいよ。君のお父さんお母さんは彼らだけだからね。でも、そうだな……君が大学に行ったり社会人になったりして、その時に僕たちをお父さんお母さんと思えるようになったら呼んでくれればいいよ。それに、今のは義がついてただろう?」

「そうそう。おばさんって呼ばれるのは少しイヤだけど……いつか本当のお母さんだと思ってもらえるよう努力するからね!」

 そう言いながらおばさんは僕の背中をバンバンと叩いた。痛かったけど、あったかかった。

 夕飯を終えてお風呂を済ますと、僕はすぐ布団に寝転がった。

 明日は休日だが、学校の案内がある。手続きはもう済ませたのだがその時に案内はしてもらえなかった。何が起こるかわからないしどこを使うかもわからないのでよく知っておきたい。図書室がどれくらい広いのかも気になる。とは言っても僕は読書家ではないのだが。流行りの本なんかが置いてあると買わずに済むから助かる。くらいにしか思ってない。

 今日はおじさんの車で座っていただけだけどやっぱり疲れたな……。急に眠気がやってきた。まぶたを閉じると、すぐに眠ってしまった。


 目覚ましの音より早く目が覚めてアラームを解除する。意外とよく眠れたな。制服に着替えて下りると朝食の準備がされていた。いつも僕がしていたので、というかこんな早い時間に用意されていることに驚いた。味噌汁に鮭。それに僕の好物のだし巻き卵。理想的な日本人の朝食だ。それよりだし巻き卵って作るの結構面倒なのに毎回作ってくれるつもりなんだろうか。

「おはよう摩天楼ちゃん。今日は学校案内だけだったわよね?」

「はい。あの……ちゃんはやめてもらっていいですか」

「……おじいちゃんたちにはまーちゃんって呼ばれてたくせに?」

 それを言われると弱い。おばさんは勝ったと言わんばかりに得意げな顔をしている。聞かなかったことにしようとして朝食を食べ始めるとおじさんが下りてきた。

「おはよう摩天楼くん。学校までは自力で行ける?車出そうか?」

「大丈夫です。僕結構乗り換えとか得意なんで」

 おじさんに挨拶を済ませて朝食をまた食べ始める。うーん。どうやったらこんなにおいしく作れるんだろう。人のために作るという点は満たしているはずなんだけどなあ。そんなことを考えながら食べていたらあっという間に食べ終わってしまった。ごちそうさま。と、いうタイミングで時間もいい感じだ。僕は玄関に向かい新品の靴を穿く。学校の指定は特にないので自分の好きな靴を買った。まあまあ似合ってると思う。

「それじゃあ行ってきます」

 いってらっしゃい。と二人の声がする。駅まで歩いて三駅乗り継いでそこで乗り換えて……まあ心配はないだろう。

 案の定失敗や戸惑いなく姫乃崎に到着する。問題なさすぎて張り合いがないな。どうせならこの辺で驚きの事態が……と考えていると下駄箱前の木から人が降ってきた。降ってきたというよりは降りてきただが。僕は驚き尻もちをついてしまう。

「……見ない顔だな。新入生?それとも転校してくるってやつ?」

「あ、ああ……。二年生に転入する市川って言うんだけど……」

 僕は思わず聞かれてないのに名乗ってしまう。降ってきた子はどうやら女の子のようで、僕に興味はなさそうだった。それにしても、この子、なんというか……。

「可愛い……」

 驚いたせいか思わず思ったことを口に出してしまった。でも、この子は可愛い。お人形みたいというかなんというか……。とりあえず可愛いんだ。一目惚れというやつだろうか、僕はすっかり彼女に目を奪われてしまった。僕は何も言わなかったように振る舞ったが彼女には聞こえてたみたいだった。

「初対面のやつに言うことがそれ?」

「あ、ああ。ごめん。でも……思わず言っちゃって……。君、本当に可愛いね」

 もう開き直って直球で褒めてみる。彼女は少し照れくさそうに髪をいじった。ううん、いじらしい……。

 と、僕の今日の目的を思い出す。学校の案内をしてもらわなきゃいけないんだった。せっかくなので彼女と会話がしたくて知ってる職員室の場所を尋ねることにした。

「ん。あっち」

 彼女はそれだけ言って顎で左の方を指した。それで終わり。……塩対応だ。ひょっとして僕は彼女の攻略フラグが折れたのだろうか。それとも誰に対してもこうなのだろうか。後者であってほしい。これ以上質問しても仕方なさそうなので彼女に礼をして職員室に向かった。

 今日は休日なので人が少ないだろうから強めに職員室の扉を叩く。中から聞こえてきた声は確かに遠かった。僕は扉を開けていちばん近い職員に尋ねた。

「すみません。今日学校案内をしてもらうことになってる市川という者ですが……」

「ああそれ?悪いんだけど生徒会室に向かってくれる?西館行って三階まで上って端の部屋だから。そこで生徒会長に話を聞いて。それじゃ」

 そう言うと職員は机に向かって知恵の輪をやり始めた。うーん、たらい回しか。ぼやいても文句を言っても何も変わらなさそうなので素直に生徒会室に向かうことにした。

 生徒会室に向かう途中に図書室らしきものがあった。狭そうだったから流行りの本を入れてくれるとかそういうのはなさそうだ。逆端の生徒会室に向かっていき、また扉を強めに叩く。すると中から「どうぞ」と綺麗な声が聞こえてきた。さっきの美少女を思い出す。声だけで判断するのは危険ではあるがこんな綺麗な声をした人が綺麗な顔をしていないはずがない。僕が出会った声が綺麗な人はみんな顔も綺麗だった。僕は少し緊張しながら扉を開いた。

「やあ。話は聞いてるよ。私の名前は薔薇咲宮美ばらさきみやび。そして君の名前は市川摩天楼くん。今日は休日なのにわざわざ学校案内のためにやってきて職員室に向かったけど生徒会室に向かうよう言われてここまでやってきた。といったところかな?まあ座りなよ」

 やっぱり顔の綺麗な人は僕側の椅子を引くと向かい側の椅子に座った。この人男だよな?男子校だもんな?顔が思ったより綺麗すぎて緊張がほぐれない。と言っても黙って扉の前で立っているのもおかしな話なので椅子に座る。向かい合うと余計に緊張する。僕は思わず目を逸らしてしまった。そもそも『バラサキミヤビ』なんて名前がおかしいだろう。薔薇が咲いて雅だなんて。顔が美しくなければ許されない名前だ。黙っている僕を少し心配そうに顔を覗き込むと薔薇咲さんは話し始めた。

「たらい回しにされたところ申し訳ないんだけれども私は案内できないんだ。君を待っていたのもあの子からの頼み事で……まあ後はあの子がやってくれるだろうから」

「あの子……ですか?」

 男子高校生捕まえて『あの子』はないだろうからきっとさっき出会った美少女のことを指しているのだろう。いやでもこの人は校内生徒全員を愛しててみんな『あの子』なのかもしれない。出会ったばかりの人を神格化しすぎか?それもそうだな。じゃあやっぱり彼女のことだろう。彼女がえーっと、薔薇咲生徒会長に頼んでここで待ってもらうように言って彼女は結局僕に案内をしてくれるってこと?なんか回り道をしたみたいだけどまだ攻略フラグは折れてないみたいだ。生徒会長に見えないようにガッツポーズを小さくする。

「それじゃあいきなりで悪いんだけど私はもう行くね。あの子はきっと……そうだな。高い所にいると思うよ。じゃ、申し訳ないけど失礼させてもらおうかな」

 そう言うと席を立ち扉から出て行ってしまった。高い所か。やっぱり好きなんだろうな、初コンタクトも木から降りてきたし。じゃあ外に出てみるのがいいだろうな。あ、しまった名前を聞くのを忘れていた。これじゃあ名前を呼ぶことができないから彼女から出てくるのを待つしかない。今日の僕、うまくいったの乗り換えぐらいじゃないか。

 仕方がないので下駄箱から外に出て叫んでみることにした。

「すみませーん!学校案内をしてもらえることになってるんですけど!えーっと……生徒会長さんの紹介してくれた方出てきてくださーい!」

 僕の声がこだまする。……やっぱりこんな方法じゃだめか。そんな風に考えて一旦戻って薔薇咲さんを探して名前を聞こうとしたタイミングで木が揺れる音がする。おっ、これは……。

「……お前、結構バカだったりする?普通は名前呼ぶだろ」

 思った通り彼女が降りてくる。鋭い言葉をセットで。いや名前知らなかったから仕方がないじゃないか。けど呼んだ条件とこの鋭い言葉から推理して薔薇咲さんが言っていた『あの子』は彼女なのだろう。いやあ、一日に何回も美少女に会うとは運が良いもんですねえ。

 僕はそんなことを考えていたので腑抜けた顔をしていたのだろうか。彼女がマヌケを見るような顔で僕に話し始める。

「学校案内だっけ?メンドーだしやりたくねえや。宮美が俺に案内してもらえるって言ったの?」

 お、俺っ子。最初の方の明らかに僕が聞いた話と違う発言はともかくそこに引っかかってしまった。この可愛さでこの乱暴な言葉遣い……ギャップってやつだ。僕はもう彼女に骨抜きにされてしまいそうだ。ここは元々男子校だったのでもうすでに骨抜きにされたやつがいるのだろう。そしてきっと僕と同じように腑抜けた顔をしてしまうのだ。

「……ま、あいつの頼みなら仕方がないな。借りを作れるしいいぜ。案内してやるよ。っても自分の教室がわかれば良いだろ?二年生って言ってたけど何組?おんなじクラスかもな」

「えっと……D組だったな、確か。僕のいた春斗万学園では数字だったからちょっと違和感だな」

 僕の発言に彼女が目を丸くして驚く。あれ、何か変なこと言ったかな。

「春斗万って……確かめちゃくちゃな進学校だろ?ここじゃなくてもっと良いとこ行けばいいのに……」

「ああそれかあ。僕受験戦争とかに疲れちゃって……OBだった父さんも亡くなったし今度は自由に学校選ぼうと思ったからここにしたんだよね。家からはそんなに近くないけどちょっと遠いくらいがちょうど良いって思ったんだ」

「親父さんが亡くなって……そっか、そうだったのか……だから転校を?」

「そう。それにしても転校して早々良いことばかりだよ。薔薇咲先輩みたいな人とお近づきになれるし……それに、君みたいな可愛い子に案内もしてもらえるんだし」

 ちょっと口説いたみたいな言い方になったな。それに言うほどお近づきになってない気もしたがまあもう口にしてしまったことはしまうことはできない。そんなことを言った矢先彼女の足が止まる。あ、やっぱり口説いたみたいで嫌だったかな。人間可愛い子を目の前にすると必死になるもんだなあ。と反省どころか開き直る僕に彼女は振り返り信じられない一言を言い放った。

「あのさ、言いにくいんだけど……俺、男なんだよね」

「……は?今なんて……?」

「だからさ、可愛い可愛い言ってくれんのは嬉しいけど……男だから、俺」

「は、はあああああああああああ!?!?!?!?!?」

 さっきと同じように僕の声がこだまする。彼女は「突然大声出すなよな」と耳を塞いでいた。いや、彼女じゃないのか。彼なのか。いや嘘だろ?だってどっからどうみても女の子だし声だって……骨格から違うじゃないか!信じろと言う方が無理がある。

「そ……そうだ!女の子の制服じゃないかそれ!僕を騙そうったってそうはいかないぞ!」

「その件に関しては……まあここは制服あるけど私服登校もオッケーっていう緩い学校だからこんな格好させてもらってるってワケ。今年から共学だから女子制服もできたんだよな~。可愛いって散々言ってるからわかってるけど改めて……俺、可愛いだろ?」

 ああもうまったく可愛いでございます。こんなに可愛い子が男だなんて信じられない。何かハッキリさせたい。何か確かめる方法は……僕は彼女のスカートに一瞬目をやったがそれは人としてどうなんだ。反省と崩れそうな精神も相まって壁に頭を打ち付ける。目線には気づかなかったのかそれともどうでもいいのか僕のことに構わず話を続ける。

「あと、宮美のこと『薔薇咲』なんて呼んでたら親衛隊が黙ってないぜ。この学校にも男なのに親衛隊やってる奴はいるけど他校にもいるんだよな。いやあ俺もだけど顔が良いって得だけじゃねえよなあ。大変だよ。だからあいつのことはみんな『宮美様』って呼んでるからお前もそうした方がいいぞ」

「あ、ああ……わざわざありがとう……じゃないよ!とにかく、僕は君が男なんて認めないぞ!何か……そうだ!証拠がない!」

 証拠なんてあるわけない。あるとしたら……彼女のスカートの中だろう。それを僕から提案するのは最低すぎたので言わず彼女に任せることにした。すると彼女は僕の手をとって自分の胸に当てた。

「な?スカスカだろ?一応パッド入れてるけど」

「あ、ああ……男の胸板だね……ハハ……」

 あっさり証明されてしまった。彼女、いや彼か。めちゃくちゃ失礼だけどかなりの貧乳ってことは無いようだ。パッドって本人が言ってるしな。……ってパッド?

「あのさ、すっごく失礼で最低な質問なんだけど……下着も女性物なの?」

「なんだよ、エッチ。まあそうだけどもう文句はないか?」

 僕はもうその場にうずくまってしまう。彼女……いい加減慣れろ僕。彼はとにかく男なんだ。こんなにも可愛い男なんだ。下着まで女物を使用しているどこかおかしい男の子なのだ。

 ……どこかおかしい?そう決めつけるのは簡単だ。だけれど今時精神が女の子の男性だって珍しくない時代だ。……おかしいのは彼の風貌から勝手に勘違いして舞い上がった僕の方だ。突然手のひら返しをするような態度を取るのは失礼だろう。僕は彼、いや彼女と言った方がいいのかもしれない。彼女にとっても。

「僕が間違ってたよ。君はアレだろう?精神は女の子ってやつで、男だけど女の子の格好をしたいからしてるんだろう?理解が足りなくて申し訳ない」

「いや、俺ってお前が勘違いしたとおり可愛いだろ?だから可愛いやつは可愛い格好しないとなーって思ってやってるだけだけど」

 深々と頭を下げたのが馬鹿らしくなるほど自分勝手な理由だった。でもまあ……間違ってたのは僕のほうだろう。それはそれでいい。

「あの……今まですごく失礼な態度だったと思う。反省するよ。家に帰って日記に書くよ。……そういえば君の名前を聞いてなかった。僕はさっきも名乗ったけど市川、市川摩天楼っていうんだ。よろしく」

 そう言い手を差し出す。彼女は僕の話を聞きながら手を頭の後ろにやっていたが手を握り返してくれた。

古都鏡花こみやこきょうか。鏡花でいいよ。じゃ、これからよろしく」

 僕はとりあえず適当な席に座って外を眺めた。外は雨が降ってきそうな空になっていた。そういえば傘を持ってきていなかった。朝の天気予報では降水率が低かったので油断していた。そんな風にぼんやりしていると彼女が声をかけてきた。

「あのさ、お前春斗万ではどんな生徒だったの?」

「普通の生徒だよ。成績は上の下で家に帰ったら家事と予習復習して……」

「進学校では普通だと思うけど普通の生徒は成績上の下じゃないし予習復習もしないだろ」

 真面目な顔をされて言い返される。え、でも成績が上の下なのは事実だし予習復習も……しないのかな。彼女がそうなだけじゃないのかな。そりゃクラスに一人くらい自称勉強無しで受かって学生生活を過ごしてるやつもいたけど、絶対嘘だろう。家事はしないかもな、普通の家庭なら親がやることだもんな。そう言われてみると結構変わった人間なのかもしれないな、僕。

「まあいいや、お前が変なやつならすぐに噂が広まるだろうし。女子ってのはきっと噂好きだからな。お前は知らないかもしれないけど今年から共学になって、女子がめちゃくちゃ入ってくるんだよ。元男子校なのにだぜ」

「へえ……それは確かに珍しいことだね。ここってそんなに立地が良いわけでもないし、制服は君が着てるのだろう?まあ可愛いとは思うけど制服目当てで入るほどかな?」

「違う違う。宮美目当てだよ。他校ならまだしも同じ学校ならワンチャンあるだろ?それに近くで見るだけでもいいってやつもいるんだよ」

 なるほどな。あの人本当にすごいんだな。にしてもワンチャンってことは宮美さんと付き合おうって魂胆ってことだろう?すごいプレッシャーありそうだな。親衛隊もいるみたいだし、嫌がらせとかされそうだ。……お近づきにならない方がいい人なのかもしれない。

 そういえば宮美さんの話をして思い出したことがある。彼は胸元に赤い薔薇をつけていた。その一方で彼女は青い薔薇をつけている。学年によって違う色の薔薇をつけるのだろうか。僕に薔薇なんて似合わなさそうだからそうだとしたら少し嫌なので確認をしてみた。

「ああこの薔薇?なんか六月に生徒間で学校の代表を決める習わしがあって、それに選ばれちまったんだよ。迷惑な話だよな。宮美が赤い薔薇で生徒会長、俺が青い薔薇で副会長ってワケ」

「へえ……代表をねえ。それで生徒会長も決めるのか。一応確認だけど宮美さんって昔から代表だったの?」

「俺が聞いた話だと一年生の頃から赤い薔薇だったそうだぜ。今まで結構適当にやってたらしいけど入学直後に『すげえ顔立ちのやつがいる』って話題になってそっからずっとらしい」

 ははあ、顔が良いとやっぱり噂になるもんだな。その理論で言えば顔が可愛くて女子にしか見えない彼女も注目を集めて投票が集まった。というところだろうか。それにしても彼女も一年生から薔薇に選ばれている訳だけどこれからずっとそうなるのだろうか。

「それがさ、今年からは薔薇の候補を増やすらしいぜ。黄色い薔薇と黒い薔薇だそうだ」

「ふーん。黒い薔薇ってすごく目立ちそうだな……僕は選ばれたくないけど」

「それがさ、高校での転校って珍しいだろ?もう結構注目集めてるぜ、お前」

 げ、迷惑な話だ。現状の薔薇に選ばれた生徒が生徒会に入っていることを考えると僕も生徒会入りすることになる。すると宮美さんとも親しい関係になる。彼女といい顔の良い人間の側にいられるのはいいことだけど妬まれたりするのは嫌だ。

 というか、現状僕は彼女と宮美さんしか生徒を知らない。上級生の宮美さんはともかく彼女は教室案内の時に「同じクラスかもしれない」と言っていたから同級生だろう。つまり新学期が始まって友だちができるまでは彼女を頼ることになるだろう。青い薔薇の側にいれば嫌でも目立つだろう。うわあ、八方ふさがりだ。で、でも投票は六月らしいし、きっとそれまでに溶け込めるだろう。溶け込むしかない。頑張ろう。

 そんな風に考えていて、ふと外を見るとついに雨が降ってきた。僕の気分も雨が降ってきそうだ。彼というか彼女みたいな存在にも会うし、転校早々代表に選ばれるかもしれないし、本当に今日うまくいったのは乗り換えまでだ。そんなこんなで僕の新しい学生生活は難ありのスタートとなりそうだ。

「なに、傘持ってきてねえの?入れてやろうか?」

 ぜんぜん別のことで悩んでいたのだが確かに傘は持ってきていない。新品の制服をいきなり濡らすのも嫌だし駅近くまで入れてもらおうかな。

 ここであることに気づく。知らない人から見たら男女の相合い傘に見えることだ。なんだ、その、僕はいいけど彼女は迷惑じゃないんだろうか。それこそ噂になったりしたら恥ずかしいし、なんというか……なんというか。だけれど彼女はぜんぜんそんなこと気にしてなさそうだ。こっちだけ恥ずかしがってたらなんだかマヌケだな。よし、ここは堂々と入れてもらおう。

「本当?じゃあ駅まで入れていってくれないかな」

「駅?ああ悪い。俺の家逆方向だわ」

 直前までの葛藤はなんだったんだ。結局マヌケが残るというわけだ。思わずうなだれると彼女が肩を叩いてきた。

「そんな落ち込むなよ。ほら、折りたたみ傘ならあるから。乾いたら返してくれよ」

 濡れることに落ち込んでいるわけではないのだが。まあありがたく借りておこう。

 彼女はそれからも僕のことを尋ねた。どんな親だったのか。今の親はどうなのか。得意不得意な教科。そんなたわいもない話をした。というか思ったより質問ばかりされて驚く。彼女は意外と他人に興味を持つタイプみたいだ。

 しばらく話していたら、雨が弱くなってきたので僕は帰ることにした。彼女にそれを告げて席を立つと裾を引っ張られてまた座り直す。なにかまだ聞きたいことがあるのだろうか。

「そういや名前聞いてたけど、なんて呼んだらいい?一応確認」

「呼び方なんて、自由でいいよ。まさか『市川くん』なんてよそよそしい呼び方しないだろう?」

「なんでだよ。そこまで親しくなったわけでもないだろ?ぜんぜんアリだろ」

 え、ここまで話して親しくなってないのか……。まあ確かに僕のことは話したけど彼女についてはぜんぜん話してない。確かにいうほど親しい関係になってはないな、矛盾はない。

「冗談だよ。ま、ここはまあまあいいとこだぜ。俺のことを変な目で見てくるやつがいなければな。お前なら大丈夫だろ。よろしくな、摩天楼」

 結局名前呼びか。まあ彼女も自分のことを名前で呼ぶよう言っていたし、みんなそうなんだろう。変な目で見られるのは……仕方ないんじゃないかな、彼女に至っては。

 改めて帰ることを彼女に告げて今度こそ席を立つ。彼女も特に確認したいこともないみたいだ。

 これから僕の生活は良くも悪くも退屈しなさそうだ。彼女のおかげで。そんなことを考えながら小雨の中を走って帰った。

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