Stage.027 妖精の女王Ⅰ

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 高さ二十メートルはあろうかという扉は軋みをあげながら、ゆっくりと……、ゆっくりと閉まっていく。外から入ってきて彼らの背を照らしていた光は締め出されていき、室内を照らす力が弱まる。

 一際大きな音を立てて扉が閉まった。外界からの光は完全に閉ざされておらず、五メートルから六メートルくらいの高い位置にある大きな窓から陽光が差し込んでいる。また、松明も壁際にいくらか設置されていて、その火と合わせて沢山の光源によって十分な明るさが確保されていた。

 室内は非常に広い造りになっていて、ゆうに学校の体育館二つ分くらいはあるだろうか。そこをぞろぞろと奥へ歩を進めるのはアリスたちを含む六人パーティーが六組――総勢三十六名からなるレイドパーティーだ。

 ここ、エリアボスの部屋の最奥には絢爛豪華な玉座があった。それも、かなり大きな、である。ラージサイズだとかの、あくまで人間が座るのを想定しているようなサイズじゃないのなら、座っている主だってそれに見合う体躯をしている。

 高まる緊張感の中、プレイヤーたちが息を呑んで近付いて来るのを座して待つそれ・・はただ沈黙して、彼らに蔑むような眼差しを向けていた。

 パーティーの先頭とボスとの距離が十メートルくらいまで縮まった時だ。唐突にそれ・・は、落ち着きのあるハスキーボイスで言葉を冷たく紡いだ。


「来たか、異端者共。この身がどういうものであるかを知った上での狼藉であろうな?」


 玉座に肘付きして、足を組んでふてぶてしい態度を崩さない薄緑のドレスを着た金髪の女性は返答を待っているのか、何ら動きを見せずにいる。皆、ボスに対して目立つ行為は避けたいのか、数秒間、重苦しい空気が流れるだけで誰も答えようとしない。


「そうだよ、皆であなたを倒しに来た」


 埒が明かないと、アリスが一歩踏み出した。ボスの眉がピクリと反応を示す。


うぬの顔……見間違えることなどあろうものか」


 玉座の主はアリスの顔を認識した瞬間、目を見開いた。アリスたちがモルフィンを撃破したあの日、彼女は遠見のスキルを用いて、その一部始終を目撃していた。追い詰められこそすれ、最後の最後にはモルフィンが勝利することを疑っていなかった。

 だが現実はどうだ。そのままモルフィンが敗れ去ってしまったではないか。ただ指を咥えて見ているしかなかった自分に腹が立った。モルフィンを失ったという事実は、これ以上無いくらいに鋭利な刃となって玉座の主の心へ筆舌に尽くし難いほどの傷を負わせた。

 憎い。憎い。憎い。

 ただひたすらに、下賤な奴らが忌々しい。憎しみの感情が殺意に変わるのに、そう時間は掛からなかった。そうしなければきっと、心を守れなかった。いや、もしかすると無自覚なだけで、もう、既に壊れているのかも知れないが。

 だから、あまりの歓喜に肩を震わせ、顔を歪めた。


「飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのこと。此方こなたから愛し子を奪った罪――万死に値すると知れ。女子供とて許しはせぬぞ」

「訳の分からないことをベラベラと!」

なげぇんだよ!」

「喰らいやがれ!!」


 言うがが早いか、レイドパーティーの後衛幾人かがソーサリーを放った。玉座の主がくつくつと狂気の笑みを浮かべ、怒りの矛先をアリスへ向けている間、隙だらけ――というより、隙しかなかったのは確かだ。

 真っ直ぐ飛んでくる攻撃に尚も玉座の主は微動だにしない。ボスであることの余裕を見せつけるように、ただ悠然と座っている。

 その時だ。

 直撃すると思われたソーサリーは成していた形から球体に変わってぐるぐると渦巻き始め、ほんの二秒か三秒間その場で停滞しながら激しさを増し――そのまま術者へ返還されるように跳ね返ってきた。


「な、何っ!?」

「うわっ!!」


 想定外の事態に誰もが動けず、後衛のプレイヤーたちは自らが放った攻撃をその身に受けた。本来なら、HPが何割か削れるくらいで済んでいたはずだ。なのに、彼らのそれはたったの一発で全損し、この場から姿を消した。更に悪いことに着弾時、すぐ傍に居た無関係なプレイヤーが巻き込まれていて、結果的に攻撃した人数よりも多い被害を出した。

 まだまともに戦闘も始まっていないというのに、既に五人が退場する事態となった。

 プレイヤーたちに動揺が走る中、心底鬱陶しそうに玉座の主が言う。


「たかがリフレクション・ソーサリー程度でいちいち騒ぐな。フン、妾が気分良く話している最中に無粋な真似をしおってからに。身の程を弁えよ、異端者共。そう死に急ぐ必要もあるまいて。心配せずとも妾が手ずから真心を込めて一匹ずつプチプチと潰してやろういうのだ、楽しみであろう?」

「黙って聞いてりゃいい気になりやがって!」

「ぜってー倒してやる!」

「行くぞ、皆!」


 ここへ押し入ったのはプレイヤーたちだし、つい今しがたも先に手を出したのは彼らだ。とはいえこれはゲームなのだから攻略のために敵を倒すのは当たり前のことである。

 血気盛んな攻略組みプレイヤーたちが倒すべき敵から挑発されて、仲間をやられて、はいそうですかと大人しくしていようものか。誰からともなく己を鼓舞し、奮い立たせ、伝播して、レイドパーティーの士気がみるみる内に向上していく。

 前と左右、それぞれに二つのパーティーで陣形を整え、最前列ではタンクがボスを取り囲むように防壁を成し、その後ろへアタッカーが散って武器を構える。

 戦闘意欲の高まったプレイヤーたちに呼応するように、玉座の主も重い腰を上げた。やはり遠近感が狂っていたわけでなく、本当にその体は大きかった。立ち上がった彼女は普通の人間のサイズから逸脱していて、四メートルくらいはあろうかというほどだ。


「汝らが拝謁するは妖精の女王たるティターニアなるぞ! せいぜい足掻いて妾を楽しませてみよ、異端者共」


 ティターニアが正面のパーティーへ軽く手を翳した。一呼吸のチャージで風が球状に収束し、すぐさま炸裂音がしてエアカッターが放たれた。

 けれど、事前にアリスからボスはソーサリーが凄いらしいという大雑把な情報は聞いていたものの、プレイヤーのチャージ時間を鼻で笑うような攻撃速度をいざ体験してみるとギョッとしてしまう。けれど、驚いてばかりはいられない。ティターニアがどれだけ強かろうが、これを突破しなければ先に進めないし、なにより泣き言なんて言おうものなら攻略組プレイヤーの名折れだ。

 発動速度が異常に早く、威力も高いエアカッターだったが盾役たちは襲い来るそれを見事耐えてみせた。次はアタッカーたちの腕の見せ所だ。

 幸い、モルフィンのように一度の圧縮で形成されたスフィアから複数回の連続発動はしてこなかった。現段階ではわざとしていないのか、ティターニアにはその技能が無いのかは不明だが――とにかく、攻撃のチャンスである。


「――チッ」


 ティターニアが舌打ちした。

 初手からプレイヤーの能力を遥かに上回る攻撃速度を見せたというのに、期待していたほどの効果が得られず――どころか、怯むことなく向かってくる彼らに苛立ちを覚えていた。

 アタッカーたちが三方向から強襲する。


「全員でアーツぶち込め!」

「一気に削るぞ!!」

「硬直は気にするな、守りは任せろ!」


 次々と武器にアーツエフェクトを宿し、色とりどりのそれらが向けられてもティターニアは余裕を崩さず、両手を左右へ広げる。


「――ウィンドブロウ」


 彼女が呟いた途端、もの凄い衝撃波が生まれた。二十人以上は居たであろうアタッカーと、硬直が起きた後の彼らを守るために続いていたタンクの全てが為す術無く吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるが、彼らの心配をしている暇は無い。

 続いてソーサリーをチャージしていた後衛組が一斉に攻撃を放った。


「リフレクション・ソーサリーを見た上で尚これか。学習能力の無い異端者共よの」


 ティターニアという共通の目標を目指して飛ぶいくつものソーサリーは最初と同様に、彼女の付近で拘束され、激しく渦巻いた後に術者へ向かって跳ね返った。


「ちょ――」


 エンジュの放ったブレイズランサーも例に漏れず、反射されて彼女へ降ってくるように飛来する。


「やはりか!」

「リジッド!」

「こんなの反則でしょうよ!?」


 こうなる事態を頭の隅に入れていたカムリがエンジュとブレイズランサーの間に割って入った。盾で受けた瞬間、カムリの周囲で弾けるように風が吹いた。先日、モルフィンから獲得したリダクション・エアだ。意図せずとも上手い具合に効果が得られたおかげで、リフレクション・ソーサリーの際に元より増幅された威力を見事半減させ、さらにマナからの支援もあって最小限のダメージに留まった。

 他の後衛プレイヤーたちも反射の可能性が頭をチラついていて、なんとか急所への直撃は避けられたおかげで戦闘不能に陥らずに済んだようだ。


「てぇぇぇええいっ!!」


 アリスが雄叫びを上げて跳んだ。それに続くサーニャと椿。彼女らはモルフィンとの戦闘経験から、より上位の存在であるティターニアが彼女と同様にウィンドブロウを使える可能性を鑑みて、他のプレイヤーたちと攻撃のタイミングをずらしていたのだ。

 伝えなかった理由は二つあった。

 一つ目は、確信が無かったこと。モルフィンと戦えたのだって結局初回の一度きりだったし、他のプレイヤーたちはそもそもモルフィンと戦えてすらいなかった。だから根拠を示す手段が無く、変な混乱を与えないため。

 二つ目は、仮に伝えたとして全員が同じように警戒して攻撃の手が鈍れば、それこそティターニアがソーサリーを連発しかねない。実際、彼女のチャージ時間は異常なくらい短く、こちらが攻撃を止めればソーサリーのオンパレードで鏖殺されてしまうことだろう。

 ティターニアの胸部辺りまでジャンプしたアリスがグランドクロスで斬り付け、落下しながらもクレセントムーン、スパークルムーンとアーツを繋いでいく。


「レングスワイズ」

「月下!」


 アーツコンボして派手に攻撃するアリスの影でサーニャと椿もアーツを用い、しっかりダメージを与えていく。

 すげぇ……。と数人から声が漏れた。アリスらの連携も然ることながら、このレイドパーティーを組んだ時、大半のプレイヤーは運営が公式サイトで公開した動画の一つ「絶対守護天使」に映る、とんでもないことをやってのけたアバターは彼女だろうとほぼ確信していた。

 もとよりアリスが異質なのは分かっていた。それでも実際、この光景を目の当たりにした彼らは酷く衝撃を受けていた。


「やはり汝らだけは読んでいたか。しかし、分かっていても忌々しいものよ」


 ティターニアが苦々しく言葉を発し、着地したアリスに向けて右手を翳すのに合わせて彼女が叫ぶ!


「エンジュ、今っ!!」

「アタシがやられたらちゃんと責任取んなさいよねっ! ブラストッ!」


 高速チャージが完了するよりも先に、エンジュの座標攻撃がティターニアの翳した手にピンポイントで炸裂する。ダメージによって・・・・・・・・チャージが中断・・・・・・・され、攻撃は不発に終わる。普通なら大きなアドバンテージとなる場面だ。

 しかし、今アリスたちが相手にしているのは尋常ではない――チャージ時間など有って無いような異常とも言える敵である。

 それでも、だ。

 彼女らはこの瞬間に、ティターニア攻略の希望を見出した。

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