Stage.017 フェアリィ・インベージョンⅢ

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 グラスランドミントベアの出現はアリスたちもすぐに察知した。この防衛戦におけるボスモンスターの一体であることは明白なものだから、サーニャもカムリもレアドロップ狙いですぐに向かうべく駆け出し――数歩で足を止めた。


「……アリス?」

「ボスだぞ、行かないのか?」


 やや後方に居たエンジュたちもボスへ向かおうとしていたが、前衛組の異変を察したようで進路を変更して駆け寄ってきた。


「どうしたの皆?」

「どっかやられでもした? そうは見えなかったけど」

「でもHPゲージは最大ですし」

「いや、私たちもボスへ行こうとしたんだが、アリスがな……」


 サーニャとカムリが戸惑いを見せるものだから、後衛組はますます訳が分からなくなる。

 攻めてくるエネミーをひたすら撃破して街を護る。ボスが出現すればそれを倒してレアドロップを狙う。たったそれだけのはずだ。それ以外に無いはずだ。

 黙りこくって何か思案しているアリスにエンジュは痺れを切らして、言う。


「あんた、何をぼさっとしてるわけ? まさか今更やる気無くなったとか言わないでしょうね?」

「やる気はあるよ? あるんだけど、なんていうか……うーん」


 アリスは気の抜けたような返事をするだけで動こうとせず、メンバーたちのボスへ向かいたいと逸る気持ちをさらに加速させる。


「ああもう、じれったい! どうしたってのよ。言いたいことがあるなら早く言いなさいってば!」


 中でも一番それが強いエンジュに捲くし立てられ、アリスはようやく重い口を開いた。


「その……変だと思ってさ」

「変って何がよ?」

「これだけプレイヤーとモブが居るのに、ボスが一体しか出て来てないんだよ。変じゃない?」

「まだ序盤だからってことでしょ」


 エンジュの返答は尤もで、周囲も似たような反応を示す。


「そうかもしれないけど……。でもこのクエストが発生した経緯って多分、私がエルフの集落で戦ってきたからじゃん? なのに、沸いてくるのは草原フィールドのモンスターばかりだからさ。何かおかしいなって」


 ワールドクエスト名になっているフェアリィ・インベージョン。直訳すれば妖精の侵攻となるそれから連想するに、エルフの軍団と対人戦染みた戦いをするのだろうと、クエスト開始後すぐに、少なからず彼女ら全員が思ったことだ。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。実際に今、自分たちが戦っているのはエルフとは似ても似つかない、獣の群れではないか。

 アリスだって彼女らの気持ちは分かる。この妙な引っかかりさえなければ、真っ先にグラスランドベアへ突撃していたに違いない。けれど、長年に渡って様々なVRゲームをプレイしてきた経験から来るこの違和感を、放置することも出来ず、続けて、言う。


「例えばこのモブ……特にボスなんかが分かりやすい目印になる陽動だったりして――」


 アリスの言葉が途切れる。そうせざるを・・・・・・得なかった・・・・・

 エネミーが押し寄せてくる、その――さらに向こう。生い茂る木々の隙間から孤を描くように、無数の矢と魔法が放たれたのだ。


「ちょ、何あれ!?」


 声に出したのはエンジュだけだが、違和感を感じていたアリスを除く全員が驚愕していた。

 明確にどこかを、誰かを狙ってはおらず、強いて言うなら最前線で戦闘が起きている付近一帯である。

 最初に攻撃目標となり、一番集中しているのはやはりグラスランドミントベアの周辺。それによって今の今まで余裕綽々だった最前線は阿鼻叫喚の巷と化す。唯一つだけ、不幸中の幸いがあったとすれば、飛来する矢と魔法はモブやボスにもダメージを与えているということか。

 おかげでエネミーから追加の攻撃が来ることはないものの、だからといって状況が好転するでもなし、変わらず殆どのプレイヤーは己の身を護ることを最優先にしている。それでもHPを全損してしまい、ユピテルへ強制送還される者が相次いでいる。

 イベントだから――ではない。このゲームには少なくとも今現在、蘇生の手段が全く、無い。ネット上では「リアルを追求しすぎた結果、蘇生手段無いとか草生える」などと、しばしば嘲弄されることもある。実際にゲームなのにこれはやりすぎという意見が多数あるのは事実だが、逆にアバターが初期化されないのは運営の優しさ、だなんて言い張る擁護派も居たりする。

 そんなわけで日々、論争が絶えないわけだが、ゆくゆくは回復系の上級ソーサリーで蘇生出来るようになるのでは――と、予想されている。

 事態が急変した後、それを防ぎきれない、逃げ切れないプレイヤーがものの数秒で次々と脱落していく中、やや時間差があって、そこからさらに飛んでくる範囲が広がった。圧倒的物量は最早、超広範囲攻撃魔法のようですらあった。

 当然、アリスたちのほうにだってそれは来る。

 どうするべきか。解決策を悠長に考える暇も無く――突然、本来は後方で護られる側であるはずのマナが前へ飛び出した。


「皆さん、私の後ろへ!」


 マナが首から提げている自信の武器――十字架ロザリオを握り締めると、足元には魔方陣が展開する。

 敵の攻撃が迫る中、ギリギリ、発動は間に合った。


「ライトプロテクション!」


 マナが左手を突き出すと、前面を起点として後ろへ流れて半球を描くようにして、魔力で生み出された白く明るい障壁が出現した。それはカムリと形は違えど、彼女同様に仲間を護るための力だ。

 狙ったわけではなくとも、やたらめったら放ちもすれば自然と狙い澄ましたかのごとく飛んでくるものだ。次々と着弾する矢と魔法。まだライトプロテクションが低レベルなこともあってか耐久力もそれ相応のようで、亀裂が生じ始める。


「くっ!!」


 マナは苦悶の表情を浮かべる。この防御魔法が突破されれば皆が危険に晒されてしまう。高プレイヤースキル持ちのアリスや、耐久力の高いカムリはまだしも、他の三人はひとたまりもないはずだ。だから何としても護りきらなければならない。そんなプレッシャーを感じているのか、彼女の頬を冷や汗が伝う。


「マナ……」

「マナちゃん!」


 皆、それが分かるから。中でも特に付き合いの長いエンジュや椿は、手に取るように分かってしまうから、如何ともし難いこの状況が、ただ歯痒かった。

 けれど、マナの想いも虚しく、無常にもライトプロテクションはガラスの様に砕け散った。


「きゃっ!?」


 衝撃で尻餅をついたマナから小さく謝罪の言葉が漏れる。


「ごめ……なさ……」


 メンバーの中で一番小さな体だというのに矢面に立って仲間を護ろうとした彼女に、敵は温情など微塵も与えてくれない。飛んでくる風魔法がマナに直撃するまで、もう幾許の猶予も無い。

 盾一つではマナほどの防御範囲は無いが、それでも可能な限り護るためにカムリが踏み出す――


「カムリはそこで三人を!」


 その瞬間、もの凄い勢いでアリスが前へ躍り出た。

 突進アーツ・アンスロートンで加速したアリスは、マナに向かう風の刃へ剣を突き出し、相殺する。


「へっ……」


 マナが目の前で起きたことをすぐには理解出来なかった。

 気力、体力、そしてMPも十分。背後には小さい体で頑張ってくれた大切な仲間が居る。ならば、アリスが今、ここで踏ん張らない理由がどこにある。一瞬にして高めた集中力で以って、魔法を斬った爆裂音や矢を壊す鈍い音をさせながら、次から次へと飛んでくる攻撃を的確に打ち払っていく。

 しかも、ただそれだけではない。

 ソーサリーと、アーツ効果を持った矢には自身のアーツで、そうでない矢には通常攻撃を用い、攻撃手段を使い分けた上で、だ。

 それから数秒後――攻撃の雨が止んだ後には、尻餅をついたまま呆けているマナの姿があった。


「大丈夫?」


 美しい金髪を靡かせてアリスが振り返り、ニカッと笑いながら問う。彼女はアーツと通常攻撃を合わせて実に十七もの連撃を繰り出し、ただの一度も後ろへ抜かれること無く、マナを護りきったのである。

 マナが反応しないものだからアリスが自然と首を傾げてみせると、ようやく我に返った彼女は少したどたどしく立ち上がって、言う。


「あ、ありがとう……ございます。あの、凄かった……です」


 言葉とは裏腹に、マナの気分は晴れない。

 アリスが自分たちよりも上手いのは分かっていたことだが、先のトンデモ技を見せられれば一体何のためにライトプロテクションを使ったのか。下手なことをせず最初からただ護られていればよかったではないか。そう、自虐もしたくなる。

 マナは自分が下手だとは思っていないが、決して上手いとも思っていなかった。どんなゲームをする時だってエンジュや椿を後ろから手助けするばかりだった。だからマナが最初からずっと、自分のことをアリスのお荷物だと思っていたのは自然なことだろう。

 初めて共にプレイしたエリアボス戦に於いて、華のあるプレイで魅せるアリスに淡い憧れを抱きもした反面、自分は到底出来ないことだとすぐに諦めていた。


「マナだって凄いじゃん! おかげで全滅せずに済んだしね」

「で、でも結局はアリスさんに助けられましたし……」

「私のMP見てみなよ」


 その言葉に釣られてマナが簡易ステータスウィンドウを確認すると、もうアーツの一つも出せないほどにアリスのMPは尽きかけていた。


「分かった? マナが前半を凌いでくれたおかげだよ」

「は、はい……」

「だから、もっと自信持ちなよ!」


 凄まじい剣技を放つ凛々しさを見せたかと思えば、子供のように屈託の無い笑顔を浮かべる。そんな彼女が認めてくれるから。諦めてしまっていた弱い自分を吹き飛ばすほどの、強い憧れを抱いてしまったから。

 この先も、マナがアリスと同じことを出来るようにはならないだろう。でも、確かに――


「はい!」


 彼女の心にはまだ小さくとも、強い火が燈ったのだ。


「い、いい感じのところすまないが、助けてはもらえないだろうか……」


 綺麗に場が収まろうとした矢先、カムリの随分と情けない声が上がった。

 アリスとマナが二人して視線を向けると――なんと哀れなことか。全身至る所に刺さった矢をサーニャ、エンジュ、椿の三人掛かりで抜かれている、仰向けに倒れた彼女の姿があった。


「二人とも、手伝ってもらえると助かるわ」

「マナちゃんは急いでヒール掛けてもらえるかな」


 それだけ矢が刺さっていれば、ダメージもかなり受けていることに他ならない。マナが慌ててHPゲージを確認すると、既にカムリのHPは二割を下回っており、矢が刺さっているせいか今尚、緩やかに減少を続けている。


「す、すみません! すぐヒールします!!」


 マナが回復に取り掛かる傍ら、アリスがカムリの傍まで近付いて、言う。


「おかげで三人は無事だったよ。カムリのことは忘れないから……」


 言いながら、空になったMPを回復すべくポーションを呷る。


「いや、死んでないぞ! 私のHPはちゃんと残っているからな! しかもポーション飲みながらとか冥福を祈る気、無いだろう!?」

「そんなことないよ、真面目だよ。アーメン」

「いいから早く手伝いなさいよバカアリス!」

「私はさっきいっぱい働いたからね、回復するのに忙しいんだよ」


 言って、二本目のポーションに口を付ける。


「私の扱いが段々酷くなってないだろうか……?」

「気のせいだよ。それよりカムリ」

「何だ?」

「お疲れ様。おかげでサーニャたちも無事だった」

「あ、ああ……君もな。凄かったぞ」


 さっきまで茶化されていたかと思えば、急に真面目に言われてムズ痒くなったのか、カムリは視線を逸らして鼻先を掻いた。


「はい、抜けた!」


 エンジュが重労働をやりきったと言わんばかりに、ぐでっと仰向けに寝転がり、入れ替わるように立ち上がったカムリが、言う。


「助かった、ありがとう」

「それは私たちの台詞よ。ありがとう」

「うん、カムリちゃんのおかげだね。ありがとう。ほら、エンジュちゃんも!」


「分かってるって」と、エンジュは別に大して疲れていないというのに、重い感じに演技して起き上がった。


「助かったわ。この借りはいずれ――ね」

「貸しなどないさ。私は私のすべきことを全うしただけだからな」

「男前なこと言うじゃん!」

「ふっ、騎士だからな」


 変な方向に盛り上がり始めた一同へ、近付いてきた何者かが低い声で発した。


「あれをこうまで凌ぐとは見事なものだ――と、言いたいところだが、お前であれば当然といったところか」


 全員が、一体こいつは誰だ。お前なんか知らないと、疑問符を浮かべる。ただ一人――アリスだけは、聞き覚えのあるその声に、この上ない歓喜の表情を浮かべていた。

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