初恋――その先の二人

🎈パンサー葉月🎈

第1話 前半

 今日は結婚式だ。

 今、僕の目前に佇む彼女はとても綺麗だ。


 どれだけ美しいかって?

 例えることなんて出来やしないけど……そうだな。


 例えば彼女の美しさはかの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチでも描くことは困難だろう。

 どれだけ高級なカメラでも、今の彼女の美しさを映し出すことは不可能だと思われる。


 宝石のような輝きを描くことも写真に収めることも、かの巨匠たちをもってしても無理なのだから。

 彼女はそれほど美しい。


「とても綺麗だよ」


 姿見を前に用意された椅子に腰掛ける彼女に僕は穏やかに微笑んだ。

 彼女は頬を少し桜色に染めて、照れくさそうに微笑み返してくれる。


「シンもとてもかっこいいよ」


 僕は一言二言彼女と言葉を交わして、緊張をほぐすために式場外のベンチに腰掛け、缶コーヒー片手に空を見上げる。


 思い出すのは彼女との出会い。

 そう、あれは確か15年前……まだ僕たちが小学5年生の夏のことだった。




 ◆




 照りつける日差しで教室は蒸し風呂状態と化し、僕は溶けたスライムのようにひんやりとした机に頬を押し当てて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 聞こえて来るのは風の音とグラウンドではしゃぐ楽しげな声――それに教室でコソコソと恋の話に花を咲かせる女子たちの嬉しそうな笑い声。


 それはいつもと何ら変わらない光景だった。

 だけど、そんな当たり前の毎日を、僕の世界を一変させる出来事が起きたんだ。


 そう、ホームルームを告げる予鈴が騒ぐ同級生たちの喧騒をかき消して席に着かせると、担任の小林先生が「お~い、ちゃんと席に着けよ~」と声を響かせながら教室へと入って来る。


「もう着いてるって」


 と、陽気な声を返すクラスメイトの声音に笑いが起き、小林先生が優しく笑って頭を掻くと、先生は入ってきた入口に向かって手招きをする。


「入っといで」


 その声に引き寄せられるように見慣れない少女が強ばった顔で教室へと入ってきた。


「今日はみんなに新しい仲間を紹介するぞ。さぁ、自己紹介して」


 小林先生が隣に立つ少女を促すようにポンッと背中を叩くと、緊張した様子で少女が口を開いた。


荒川千佳子あらかわちかこです。お父さんの仕事でこっちに引っ越してきました。好きな食べ物はプリンです。嫌いな食べ物はピーマンです。誕生日は10月20日、血液型はA型です。それから……えーと、あやとりが得意です。これからみんなと仲良くなりたいです。よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げる荒川千佳子に、僕はハッと息を呑み、時が止まったように彼女を見入っていた。


 肩口で切り揃えられた髪は風にサラサラと揺れて、鈴の音のような澄み渡る声音は僕の心の奥にスっと入り込み、何かをそこに突き立てられた感覚を覚えた。


 瞬間――僕の心臓はドクンッドクンッと高鳴り、風邪でも引いてしまったのか、頭がぼーっとして顔が少し熱くなってしまった。


 彼女は僕の隣の席に座るように言われて、ゆっくりとこちらに向かってくると、席に着くなり僕を見て微笑んだ。


「よろしくねっ」

「う……うん」


 頷くことしか出来なかった。

 だって彼女の笑顔を見た途端、今まで以上に僕の顔はカーッと熱を帯びていくんだもん。

 鏡を見なくたってわかるよ。


 きっと僕の顔は大嫌いなトマトのように真っ赤になっていたと思う。

 正直恥ずかしかったよ。


 それから僕たちは隣の席ということもあり、すぐに仲良くなったんだ。

 ちなみに家も意外と近くてご近所さんだった。


 それから僕たちは一緒に登下校するようになり、小学校を卒業して中学へと進学した。


 中学では僕はサッカー部に入り、彼女はテニス部に所属していた。

 千佳子は中学に入ると一段と綺麗になり、クラスのマドンナ的存在になっていたんだ。


 ちょうどこの頃からだろうか。

 互いに思春期に入りあまり口を効かなくなったのは。


 小学校の頃とは違い、僕たちは別々に登下校するようになっていた。

 ま、お互い部活の朝練なんかで登校時間も帰宅時間も違っていたからというのもあるのだが……。


 僕は大好きなサッカーに打ち込み、彼女は大好きなテニスに青春を捧げていたのだ……。

 と、思っていたが。

 それは僕の勘違いで。


 万年補欠だった僕とは違い。千佳子は次期テニス部のエース兼部長と呼ばれていた。

 彼女の姿を見ようとテニス部の練習風景を覗きに来るやからがいるほど、千佳子はモテていた。


 そんな中学二年の夏の終わり、練習を終えた僕が部室に歩いていると、どこからともなく上ずった声が聞こえてきた。


「お、俺と付き合ってくれないか、荒川!」


 僕はその声に驚き、校舎の影に身を潜めながら声の方角を覗き込んだ。

 駐輪場の手前で同じテニス部の先輩に告白されている千佳子がいたのだ。


 この時、僕は内心焦っていた。

 もしも千佳子が目の前の先輩と付き合ってしまったらどうしようと。

 だけど……それを止める権利は僕にはない。


 千佳子は僕に背を向ける形だったので、その表情までは窺い知れなかったけど、少し固まってしまっているように見えた。


 そして――。


「ごめんなさい」と言う千佳子の声が聞こえて、僕はその場で座り込み安堵の溜息を吐き出した。


「私、好きな人がいるんです。その人はまるで運動神経なんてないのに、サッカー部に入って、いつか10番を着るんだって意気込んでいるんですよ。万年補欠なのにおかしいですよね?」

「……」

「でも、諦めずに腐らずに、一生懸命な彼のことが好きなんです。だから……先輩の告白はお受けできません。ごめんなさい」

「そうか……」


 僕はその場で蹲り、両手で口を塞いでいた。

 鼓動は早鐘のように鳴り響き、茹で上がったタコのように顔は真っ赤になった。


 今の千佳子の言う彼って……ひょっとして僕のことじゃないのか?

 僕はその場で小さくガッツポーズを取り、思わず顔がにやけてしまう。


 すると、誰かの影が僕に覆い被さる。

 僕はビクッと肩を震わせ、恐る恐るその影の主を見上げた。


 そこに居たのは、紛れもない千佳子だった。

 千佳子はムッとした顔で腕を組み、鼻からふぅーっと息を吐き出して、呆れたように口を開いた。


「コソコソ覗き見るとか……いい趣味だとは思えないわね」


 明らかに不機嫌そうな声と表情に、僕は手を合わせて頭を下げた。


「ごめん! 見るつもりじゃなかったんだ。でも歩いていたら声が聞こえてきて、それで……」

「それで?」

「千佳子が……告白されてるから……」

「わわ、私が告白されたら……シンに何か都合が……悪いわけ?」


 千佳子はつんけんした声と共に慌ててそっぽを向いて、頬を染めた。


 そして僕はもうここしかないと立ち上がり、千佳子に向かい合って言った。


「ぼっ、ぼぼ、僕と……」


 不味い、声が上ずってしまった。

 はっ、はずかしい。


 千佳子は『ん?』と小首を傾げて僕を見やる。

 だだだ、だいじょうぶ、バレていない……と思う。


 数秒――見つめあったままの僕たちの間を沈黙が流れた。


 どうしよう……言っても大丈夫だろうか?

 さっきの先輩みたく振られたらどうしよう。


 脳裏に一抹の不安が過ぎるが……。

 だけど言わなきゃ、誰かに奪われる前に想いを伝えないと、きっと死ぬほど後悔することになる。


 僕は意を決して再び口にする。


「僕と付き合ってください!」


 千佳子の表情は見えない。

 僕は腰を折り、ギュッと目を瞑り右手を差し出している。


 そして――柔らかな指先がそっと僕の手に触れる。


「はい」


 夢ではなかろうか。自分の耳を疑うように僕はそっと顔を上げた。

 そこには真っ赤な顔でどこか別の方角に顔を向ける千佳子がいた。


 千佳子は僕を見るなりハニカミ笑った。


 この日のことを……僕は生涯忘れはしないだろう。




 ◆




「おっと、式が始まっちまうな」


 僕はゆっくりとベンチから起き上がり、式場に入って行く。



 式は進み、モニターに映し出される思い出の数々に千佳子は笑った。

 映し出された写真は高校三年の頃のものだ。



 僕はその写真を見て思い出す。

 あの日のことを――。

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