アマゾンの神

谷兼天慈

第1話「アマゾンの神と少年1」

 少年は密林を歩いていた。

 一歩一歩慎重に。

 あたりに注意しながら進んでいく。

 うっそうと生い茂る木々をぬって、彼の元に太陽の光が届き、まだ幼さの残る少年の顔に光の斑点を投げかけている。

 とそのとき。

 彼の表情が引き締まった。

 見ると前方に派手な色合いのヘビが、こちらに向かって進んできている。

 彼は手に持ったヤリをグッと握り締める。

 だが、ヘビは彼を襲ってはこなかった。

 彼はほっとする。

「助かった……ぼくだってむやみに生き物を殺したくないものな」

 そう呟くと、彼はまた用心深く密林を進んでいった。


 彼の名はライアン。

 南アメリカのアマゾン川流域で生まれ育った根っからのアマゾンッ子である。

 まだあまり開発の進んでいないアマゾン流域は、生き物にとっては絶好の住処だった。

 強い毒を持つ毒ヘビ、毒グモのタランチュラ、強暴な動物ピューマやジャガーなどといったものたちがたくさん住んでいた。

 だが、そういった危険極まりない場所にも、人間は住んでいたのだ。

 その部族の名は「アマネゾン」といい、大昔から伝わる伝説を信じながら生活している。

 そして、ライアンはそのアマネゾンの少年だった。

 動物の中の王さまから名誉ある名前を授かった少年である。

 ライアン少年は、その名に恥じない勇気と知恵を持ったやさしい少年だった。

 彼の父親も勇気あふれる人だったが、『アマゾンの神』に殺されてしまった。

 母親は、それが元で心に傷を受けてしまい、徐々に身体が弱くなっていき死んでしまった。

 ライアンがまだ小さな頃のことである。

 それだけに、彼の心は『アマゾンの神』に対して憎しみを持ちつづけていた。



 さて、このアマゾンには昔から一頭の伝説の動物が住んでいた。

 その動物が『アマゾンの神』なのであるが、その正体はジャガーであった。

 しかし、ただのジャガーではない。

 普通ジャガーは、リング状の斑紋の中に黒点があるのが特徴だ。だが、この伝説のジャガーは全身が真っ白な毛で覆われていたのだ。

 だからこそ『アマゾンの神』と呼ばれていたのだが、理由はそれだけではなかった。

 それは動物たちに危険を知らせる存在であるからなのだ。

 しかもそれは動物だけではなく、人間の危機にも助けたりするということで、それで『アマゾンの神』と崇められていたのだ。

 だから、なぜライアンの父親が『アマゾンの神』に殺されてしまったのか、当時誰も信じられなかった。

 しかし、それを目撃した男が部族にいて、皆はそれを信じるしかなかったのだ。

 ただ、最近になって人間たちの中にも悪い奴らが出てきだし、珍しい珍獣であるホワイトジャガーをしとめて外国に売ってやろうとする輩も増えてきた。

 そういうことで、『アマゾンの神』も昔のように人間に近寄らなくなってしまった。

「ぼくはアマゾンの神を許さない」

 ライアンは言った。

「ぼくの父さんは正義の人だった。アマゾンの神を敬い称え、彼のように生きるのだと言っていたんだ。そんな父さんが殺されなくちゃならないなんて、絶対間違っている!!」

 彼は怒りに包まれながら密林を歩いていく。



 しばらく行くと、突然前方の草むらがガサガサ揺れた。

 ライアンはパッと身をかわして背を低くし、ヤリを構えてじっと待った。

 すると───

「うわっ!」

 ライアンはびっくりして叫んだ。

 思わず情けなくしりもちをつく。

 彼の前方すぐのところに、全身が真っ白な一頭の動物が立っていた。

 それは見事なまでの白さで、このジャガーが神と言われるのもわかるような感じである。

 しかも、その黒い瞳ときたら。

 ギラギラと輝いてはいるが、理知的な輝きも見て取れた。

 まるで人間のような目だなと、ライアンはふっと思った。

 そして、そう思った瞬間、なぜか彼はぶるっと身震いした。

 それでも、いつでも飛びかかることができるように身構えた。

 だが、『アマゾンの神』はふいっと視線をそらすと向こうに歩き出した。

「なんだ?」

 ライアンは立ちあがるとそこに突っ立ったまま、ジャガーが歩き去るのを見送った。

 なぜ自分を襲ってこなかったんだ?

「どうしたんだ? なぜ? ぼくのことが怖かったのか? いや、そんなことはないはずだ。じゃあなぜ?」

 彼には『アマゾンの神』の行動が不可解に思えてしかたなかった。



 それからライアンは、意気消沈して部落に帰っていった。

「?」

 部落に帰ってみると、何だか騒がしい。

 皆がワアワアと騒ぎ立てている。

「出ていってやる!」

「マフィーの声だ」

 ライアンは部落一のヤリ投げの名人であるマフィーの声を耳にした。

 マフィーは彼と同じ歳の少年なのだが、ヤリ投げではライアンよりも名手なのだ。

「ふんっ、アマネゾンなんか潰れちまえっ!」

 聞き捨てならない言葉だった。

 ライアンは人だかりをかきわけてマフィーの元に行った。

 そこにはマフィーだけでなく、部落の族長でもある長老もいた。

「長老、どうしたのですか?」

「ライアンか……」

 長老は難しい表情で、ライアンを迎えた。

 ライアンは今度はマフィーに向かって、

「マフイーもマフィーだ。ここを出ていくなんて…バカなことはやめろよ」

「いいのじゃ。マフィーなぞこのアマネゾンから追放じゃ。さっさと出てゆけ」

 顔を真っ赤にして怒る長老。

 ライアンはそんな長老を押しとどめて、

「なぜなんです、長老? マフィーが出ていかなければならない理由を教えてください」

「こやつは掟を破ったのじゃ。アマネゾンは昔から言い伝えを守ってきた。『アマゾンの神』を殺してはならぬと。それをこのバカ者は、神を殺して毛皮を外国に売ろうと計画しておったのじゃ。愚か者め」

 長老はマフィーを睨みつけた。

「……………」

 マフィーはふんっとそっぽを向いた。

 ライアンは、そんな二人を見て、先ほどの出来事を思い出していた。

 確かに憎い相手であるホワイトジャガーではあったが、自分の心に染み付いている昔からの因習『アマゾンの神は殺してはならぬ』という教えは、どうしようもなく彼の心にも刻み込まれていた。

 しかも、憎いから殺すとか自分の身を守るためなら殺すということならまだ心情的に理解できるとしても、ただ毛皮を売るだけのために殺すということは、彼には納得もできないし、またどうしても許せないことだった。

 だから、彼は言った。

「マフィー、それはお前が悪いよ」

「ライアン、お前までもがそう言うか」

 すると、マフィーは驚きと怒りに燃えた目で、搾り出すように言った。

「お前は憎くないのかよ。父さんを殺されてるくせに……俺はお前のために……」

 彼はまだ何か言おうとしたが、考え直し、叫んだ。

「ああっ、出ていってやるともっ。二度と帰ってくるものかっ!」

 だっと駆けていく彼を、心配したライアンは追いかけようとした、が、

「追いかけるんじゃない。勝手にさせておけ」

 長老の言葉に立ち止まる。

 しかし、これが元で部落の者たちの間に、マフィーに同情する者が出始めた。

 確かに古くからの因習は彼らの間にも染みついてはいる。

 だが、時代は移ろい行くもの。

 若者はとくに因習を嫌うものである。

 しかも、『アマゾンの神』はかつてライアンの父親を理由もなく殺したということもある。

 あのジャガーを信仰の対象として見ることができなくなってきていることも確かだった。

 だんだんと古い考えを持つ長老を、敬い慕う者たちがいなくなっていくのにそう時間はいらなかった。



 それからほどなく。

 長老は重い病で床についた。

 ライアン以外、それを悲しむ者たちは誰一人いなかった。

「ざまあみろ。早いとこ死んじまえ」

「そうだ、そうだ。マフイーだって喜ぶぞ」

 そう言ってなじるだけ。

「みんな、あんなに長老を慕っていたのに……」

 ライアンは悔しかった。

「いいんじゃよ、ライアン」

 それを苦しいながらも慰める老人。

「言いたい奴には言わせておけ。お前が悔しがることはない」

 だが、それから数日後、長老は病気が悪化してとうとう亡くなってしまった。

「やった、これで俺たちは自由だ!」

「そうだ、そうだ」

「お祝いだっ!」

 部落の人々は、長老の死んだ夜、あろうことか祭を始めて浮かれ騒いで祝った。

 あまりの騒々しさに、ライアンは嘆いて怒った。

「あなた方には良心というものがないのか。長老が何をした。悪かったのはマフイーのほうだろう!!」

 彼は吐き捨てるように叫んだ。

 だが、彼らは、

「悪いのは長老だ。いくらマフイーが掟を破ったからって、あんなに冷たい仕打ちはないじゃないか」

 違う───とライアンは思った。

 長老は、掟を破ったから冷たかったわけじゃない。

 掟を破ってしまうことは、時に誰にでもそういう可能性はあるはず。

 だが、一番大事なのは、その掟を破ってしまった後のことだ。

 人間は反省するときは素直に反省しなくてはならない。

 決められたことを守れなかった───それを反省することは大事なことだ。

 マフィーはそれがなかった。

 破ることは当たり前という心しか持っていないようだった。

 掟とは、昔の人たちの知恵の結集でもある。

 守るには守るだけの意味があるのだ。

 むやみやたらに破っていいというものではない。

 断じてない。

(それに……)

 彼は最期の長老の言葉を思い出す。

 そして、

「長老は、死ぬ間際にこう言った。『マフィーが帰ってきたら迎えてやれ。ワシはお前が反省するなら許すと』長老は決して冷たい人ではなかった。そんなこともあなた方はわからなくなってしまったのかっ!!」

 彼はそう叫ぶと、後も振り返らず部落を後にした。



 ライアンは真っ暗な森林をふらふらとさ迷っていた。

 あれから何も持たずに出てきてしまった。

 だが、彼はもう部落には戻らないつもりだった。

 戻っても、もう心を許せる長老はいない。

 このままもう一人で生きていこうと彼は決心していた。

「この木の上で寝よう」

 明かりもない真っ暗な中、本当ならこんなに危険極まりない場所で、たとえ木の上だからといっても寝るなんてとんでもないことだった。

 だが、ライアンは自分の腕と運に自信がある少年だったので、大胆にもこの密林の中で浅い眠りについた。

 朝───眩しい光がライアンの目を射た。

「う…ううん……」

 彼は木の上で大きく伸びをすると、あたりを見まわした。

 彼のいる場所は川からそれほど離れていない場所に立っている木だった。

 木から下りると川で顔を洗い、彼は再び歩き始めた。

 自分が定住できそうな場所はないかと。

 いろいろな場所を散策し、検討しつつ歩いていたのだが、どうもいい場所が見つからない。

 と、そんな時。

 またしても彼の前方に大きなガラガラヘビが立ちはだかった。

 チロチロと舌を出しながらライアンをじっと見つめてくるヘビ。

「…………」

 彼は腰に差していた短刀に手をかけて、ガラガラヘビの動向を探った。

 と、次の瞬間。

 ヘビが彼に襲いかかってきた。

 彼はさっと短刀を抜いた。

 ヘビの攻撃に備え、いつでもはらえるように短刀をかまえた。

 すると───

「あっ!」

 彼の目の前を白い大きなものが通り過ぎたかと思ったとたん、それはあっというまにヘビをくわえ、遠くに振り飛ばした。

 ライアンは目を見張った。

「アマゾンの神……」

 そう、その白い物体は『アマゾンの神』であった。

 呆然と立ちすくむライアンの目に、すっくと立つ白く気高いジャガー。

 ホワイトジャガーは、ゆっくりとライアンに顔を向けると、じっと黒い瞳で見つめてきた。

 その瞳はとてもやさしい色をたたえていて、ライアンは、なんて慈悲深い瞳なんだろうと思った。

「アマゾンの神……本当に君はアマゾンの神なんだね……」

 彼は、自分の父親が殺されたことなど、すっかり忘れ去っていた。

 というか、何かきっとこれには自分にはわからない理由があるのだと思った。

 そう思わざるを得なかったのだ。

 彼は静かに『アマゾンの神』に近づいていった。

 始めは、向こうも彼を警戒しているようだった。

 だが、ライアンの無防備なまでの態度に気を許したのか、手を伸ばしてくる彼に応えて、その手をペロペロなめたのだ。

(なんと……)

 ライアンは夢ではないかと思った。

 まるでジャガーはかわいい動物のようにしか彼の目には映らなかった。

「ホワトジャガー『アマゾンの神』よ。今日からぼくたちは友達だ」

 ライアンはそっと囁いた。

 それを聞いたジャガー。

 ふっと顔を上げ、ライアンに視線を向けると、「オオオ───ン……」と吠えた。

 その遠吠えは、密林の奥深く響いていった。

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