DuAL

いっくん

第1話 宮本武蔵

数多の常を覆せし銘ある偉人たちよ、汝らに悔いはないのか。その生涯、世を変えることのできなかった己が弱きに悔いはないのか。もしその人生に悔いあるならば、今宵汝が力を解き放つ時なり。我に、そして世に汝が名を知らしめせ。


*

 戦争、差別、環境汚染、汚職・・・。いつの時代にもこういった問題は起こってきた。いやむしろ、時代が進むにつれ、技術が進歩するにつれ、次々に新しい課題は増え続けている気がする。そう、アダムとイヴが善悪の木の実を食べてしまったあの日から、世界は平穏を失った。歴史の教科書はそういった人間の過ちを現代まで記録した、ある意味黒歴史書といっても過言ではない。人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか。いや、仮にそれが分かったところで、無意味なのは誰もが知っている。悪夢のような日常を繰り返すのが人間という生き物なのだから。そしてこれからもきっと人間はもう後戻りできない過ちを繰り返していく。そう、今日もまた一つ黒歴史が更新されていく。偉人達よ、お前たちは本当に歴史にその名を遺すことができて幸せだったのか・・・。



 *

「ここの問題は、アメリカの独立に関わりの強かった人物って書いてあるから答えはリンカーンだな。後、この選択肢だけど、巌流島の戦いのうちの一人は宮本武蔵な」

 個別塾で講師をしている俺、都立総合大学二年の宇多川礼人(うたかわあやと)は大学受験間近の女子に間違っていた問題の解説をしていた。


 「あー、もう全然覚えらんないっ。せんせー、歴史なんて将来絶対使わんじゃん。なんで勉強しなきゃいけないの。だいたい宮本武蔵なんて二刀流使いってことしか知らないし。」

 受験特訓授業で連日勉強漬けの女の子は気だるそうにそう言った。

 「はいはい、そんな文句言う暇があったら年号の一つでも覚えてくださいねー。ほら、受験まで半年切ってるんだからさ。それから、二刀流なんて漫画みたいな設定、絶対試験には出ないから、覚えるならこの戦いの名前とセットで覚えとけよ。」


 俺は受験生のあるある文句を適当に流し、勉強に集中するように促した。だが彼女の集中力はとっくに切れているようで、

「せんせーがそれ答えてくれなきゃやる気でなーい。おーしーえーてー。」

と駄々をこねる子供のように言い始めた。あー、めんどくせぇ。俺だってわかんねーし、第一俺がっつり理系だし。ってか、それが分かったってどうせもう今日は勉強する気ないだろ・・・。でもまぁ、このままだといつまでもらちがないし。

「そーだな、歴史を学ぶことで過去に起きた失敗を予測したり、逆に成功方法を真似て楽に賢く生きていくことができる、とかかな。」

 ととっさに思い付いたそれっぽいこと言っておいた。だが彼女は腑に落ちない顔をして、

「なんか学校のせんせーとおんなじ事言ってるじゃん。歴史を学ぶはこれからの生き方を学ぶに値する、とか言ってたけど毎日どっかの社長の不正とか戦争とかテレビに出てるよね。頭のいい人だって汚職とかしてでも捕まってんじゃん。」

 まぁそれは間違ってないんだけど、最近の子って、こういうことに関しては意外にも賢いな。俺が中学の頃なんてやる気こそなかったもの言われたとおりに暗記したのに、歴史。


「それよりせんせー、明日英語の単語テストなんだけどそっちやっていい?」

お前何のために塾に金払って勉強しに来てるんだよ・・・。そんなの家でやればいいだろ。まぁ、家だと勉強する気にならないのは認めるが。

「はぁ、後ちょっとで授業終わるんだから今は社会の勉強に集中してくれ。」

えー、とまたしても文句を言いたそうな顔をしてふてくされている女の子。

「じゃぁ、これだけ、この単語だけ意味教えて。」

と言って女の子は単語帳の真ん中あたりにあるsageという単語を指さした。

「んー?それは偉人とか賢人って意味な。」

仕方ないのでしぶしぶ答えると女の子は満足した顔でありがとうと言いつつ単語帳・・・と社会のテキストをしまい始めた。

「おいおい、英語は片づけてほしいけど、社会はまだ・・・」

ピーンポーンパーンポーン・・・。社会はまだ終わってないぞ、と言い切る前にチャイムが鳴ってしまった。結局女の子の屁理屈に付き合ってその日の授業は終わった。

はぁ、この子、もうすぐ自分の人生を左右する試験があるのに危機感あるのかな。生徒の合否は本人の将来だけじゃなくて、塾長とか親御さんの俺への信頼にもかかわってくるんだから、もうちょっと真面目に勉強してほしい。



 「お疲れ様です。お先に失礼します。」

 生徒たちを見送って、俺も早々と塾を出た。普段なら生徒と遅くまで雑談したり生徒記録に時間がかかったりして二十三時前に出るのに今日はコメントも適当に書いて、生徒にも今日は用事あるからと断った。

今日はこれから俺の誕生日を友達が祝ってくれるらしいので、友人の家に行くのだ。多分俺以外は皆もうそろって準備してくれているだろう。祝ってもらう側とはいえ、手ぶらで行くのも何なので、何か買うものがあるか聞いたら、主役に気を使わせたくないからそのまま来てくれたら大丈夫と言われた。しかし、さすがに申し訳ないのでコンビニで菓子と飲み物でも買っていくことにした。

 


 「ありがとうございましたー。」

友人の家からそう遠くないコンビニで適当にお菓子等を買って、彼の家に向かうことにした。もう夜の十時。いくらこの時間でも、さすがに七月なので、外はかなり暑かった。早くクーラーの効いた彼の家に向かおう。

そう思った矢先の事だった。突然の強風に目を閉じた次の瞬間、目の前、といっても前方十メートルくらいの位置にさっきまではいなかったはずの人影がこちらを見ていることに気が付いた。いや、見ているというのは少々語弊があるのかもしれない。なぜならその人物は頭から足元まで全身を黒のマントで羽織っているので目線など見えるはずもなかったのだ。しかし、この人間は明らかに俺を見ている。なんというかわかりやすく言えば殺気を感じるのだ。よく小説や刑事ドラマで被害者が同じようなことを口にするがそんなフィクションをはるかに上回る悪寒と緊張感を全身が感じていることに一瞬で気づいた。先ほどまでの厚さが嘘のように冷や汗がどっとふき出した。


 逃げなきゃ。脳が瞬時にそれを察した。しかしそこはフィクションもノンフィクションも変わらないようだ。足が全く動かない。金縛りにあったように全く体が動かなかった。頭では分かっていても現実離れした得体のしれない恐怖の前では体はいう事を聞かないらしい。向こうは微動だしない。このまま立ち去ってくれ、と願いつつもその確率はほぼないに等しいと思った。


少し冷静になって、ようやく体が動き始めた。人気のいるところに逃げよう。人前に出られれば向こうも追ってこないはず。そう思い、先ほどのコンビニに全力疾走しようと振り返ろうとした瞬間、その男は突然腰に両手を添え、何かを呟いた。次の瞬間、男の両手の内が光だし、それはやがて二本の鞘のような形になった。

剣・・・?

鞘以外の部分は明らかにそれの姿ではないが、そのあまりにも素人の俺から見てもわかるくらい様になっている佇まいを見て、現代にいるはずのない一人の人物の名を思い浮かべた。


『だいたい宮本武蔵なんて二刀流使いってことしか知らないし。』


ハハハ・・・。ごめんな、○○さん。やっぱ、覚え方はこの組み合わせだよな。なんてこんな時にのんきなことを考えている場合じゃない。武蔵をパクったこのキチガイから早く逃げなきゃ。でもあの光はとても手品なんかには見えない。まるでリアルな・・・。


「知恵の拍子よ、汝が力を以って空の拍子へ返り咲け。二刀流奥義、空前絶後。」

男が不思議なことを呟いた次の瞬間、男の姿が視界から消えた。そして直後腹部に激しい痛みに襲われるのを感じ、たまらず地面に倒れた。


「あああああああああ゛ぁっ!!」

待って、なにこれ、痛い。痛い痛い痛い痛いっ。斬られたのか!?

思わず腹部に手を当てると、生暖かい感触とぬるっとした液体のような感触を覚え、見ると手には、べったりと真っ赤な血が付着していた。その瞬間、先ほどの痛みがより鮮明になり、さらなる痛みに変わった。

やばい、体が熱い。でも逃げなきゃ、逃げなきゃ。

ザクッザクッ・・・。


横目でぼんやりと音の方角に目をやると、先ほど俺を斬りつけてきた宮本武蔵もどきがこちらに向かって歩み寄ってくるのに気づいた。どうやら一撃では物足らず、止めも刺そうという根端らしい。

こいつ、確実に俺を殺しに来てんな・・・。さすがにもう一発あんなの食らったらマジでやばい。何とかしないと・・・。


チャキ・・・

男は一本の刀を振り上げ、そして風を切るように俺の首めがけて振り下ろした。

俺、今日誕生日なんですけど。まだ青春も謳歌してないのにこんなあっさり死んじゃうのかよ。


『フッ、お前の理屈はまったくもって根拠に欠けるな』


突如どこからか声が聞こえた。そして次の瞬間、斬られた時の痛みだけではなく、あらゆる感覚が消え、代わりに体が無重力で浮き上がるような感覚を覚えた。

な、何が起きたんだ・・・。

しかし、思考は上手くまとまらないまま眠るように無重力の中で意識を失った。



*

「・・・ぃ。・・ぉい。・・・おい。・・・おい!礼人!」

誰かからの声で俺は目が覚めた。白い天井が目に入ってきた。

ここは・・・病院か?

「あ、あやと、目が覚めたか!」

横に目をやると、そこには親友の神楽雅人が心配そうな顔で俺を見ていた。

「よ、よう、雅人。どうしてここ・・・にっ、いててて」

そう聞こうと体を起こそうとすると腹部から激痛が走って、俺は思わずうずくまった。

「お、おいおい、無茶すんな。傷口が開く。」

そう言って、雅人は俺に横になるよう指示した。

「・・・どうしてって、俺だってわかんねーよ。おまえが来るのを待ってたら外から救急車のサイレンの音が聞こえてさ。気になって行ってみたら丁度お前が血まみれで救急隊に運ばれるのを見つけたから、知り合いってことで一緒に同伴させてもらったんだよ。」

と、雅人は言った。

 そっか。俺はあの時武蔵もどきに斬られて、逃げようとしてそれで・・・。

 そこから先の記憶がない。俺は確実にあいつに殺されたと思ったけど・・・。そうだ、確かどこかから誰かの声が聞こえたんだ。あの後何が起きたんだ・・・?

「いったい何があったか説明してくれよ、礼人。なんでそんなケガをし・・・」

雅人がそう言いかけた時、病室の扉が開き、同時に知ってる女子の声がそれを遮った。


「それはお医者さんに診てもらってからにしてよね。」

と大人びた声のするほうを見ると、そこには純粋な性格を誇張するようなきれいな黒髪ロングで、けれど見た目は大人っぽさがにじみ出ている女子大生、霧ヶ咲美奈が心配そうな顔で病室の入り口に立っていた。

「み、美奈!?なんでお前までここに・・・?」

思わず声に出る俺。

「なんでじゃないよ!部屋から出て行ったきり雅人も帰ってこないしさ。部屋で待ってたら雅人から連絡来て私もすぐここに向かったんだから。一時はどうなるかと思ったわよっ。」

と美奈は今にも泣きそうな顔をしている。

「ご、ごめんごめん。でも俺も礼人もよく状況が分かってないみたいなんだよ。」

と雅人が美奈をなだめた。


・・・。

沈黙が続く。


「ま、まあ、とにかく俺ちょっと医者呼んでくるわ。」

沈黙に耐え切れなくなった雅人がそう言って病室から出て行った。

あいつ、ほんと昔からちゃっかりしてんな・・・。


「あー、ご、ごめんな。せっかく誕生日会の準備してくれたのに、こんなことになっちゃって。」

とりあえず何か話そうと、美奈に謝った。

「そんなのは別にいい。それより今はしっかり休んで早く元気になって。話はそれからじっくり聞かせてもらうからね。」

心配そうな声ながらも、しかしはっきりと美奈は言った。

「あぁ、分かった。」

と言いつつも、俺もよくわかっていない。

結局、俺がその病院から退院したのはそれから1週間後だった。

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