エッセイ「普通に考えてみると(八)」

@SyakujiiOusin

第1話

           普通に考えてみると(八)


                              百神井応身


1. 鬼にあったら


 ヲニに会ったらかえれ。漢文で一番最初に教わった。


 妖ヲ穿ち涼ヲ遮る。今日の車内も、たいそう暑苦しゅうございました。昼日中から妖しげな風体をしたのが沢山乗っておりました。

 アヤカシの術にて獲物を取り込まんとの下心があるのかないのか、いとオドロオドロした化粧が崩れそうに汗をかいて、ご苦労さまなこと。

 普通の化粧をしたら、さぞ魅力的だと想われるかおだちを、あたら夏の夜むきのヒュードロドロにしてたんじゃ、そばに寄って来る前に逃げるわな。

 昼間のユウレイ鬼よりこわい。どどっと迫れば人よける。


 心ある人や嗜みのある人は、カラーコーディネイトなどにも気を配っています。

 なんてったって、自分に合った色を使うことで、大統領選挙にも影響があったと言われるくらいなんですから。


 鬼に鉄棒

 なんですと、金棒っていうんですと?

 鬼門には、ご用心あってしかるべしと中国じゃなかった忠告もうしあげます。

 鬼門とは、丑寅の方向すなわち北東をそう呼ぶが、気学ではなく陰陽道からきているのだと思いますす。

 そもそもは中国の北東部が匈奴に侵略されたとき、出入り口が北東に開いている家の被害が大きかったというあたりから来ているようです。

 南西を裏鬼門といいますが、こちらに水廻り台所などがあると、中国では偏西風の影響で火災があったり食べ物が傷んだりするということからきているとの説もあります。

 鬼の姿は、牛と虎から角があって虎の皮のパンツをはいているということからだと言われております。カナボウはどうしてもっているのか知りません。


 鬼灯、又は「酸漿」と漢字では書きます。“ほおずき”のことでおじゃります。古くはカガチと読みました。

 日曜日に旅館をチェックアウトしたとき、お土産にどれでも好きな花束をくれるというので、サイが選んだのがホオズキのドライフラワーでした。

 「おお、アカカガチか。」というと、フロントの係が「なんのことですか?」と不思議そうな顔をした。日本人のくせして日本書紀を読んでおらんな?


 素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する場面で、目は赤カガチの如くして・・・って書いてあるように、赤いホオズキのような形の目をしたオロチだったということでおじゃる。

 「ヤマカガシって知ってるでしょ?」と聞くと「知っている」と言って大きく頷いた。

 そりゃそうじゃ。山梨に住んでいて知らないっていったら、そりゃモグリじゃ。

この、マムシの200倍ともいわれる猛毒をもった蛇の名からも知れるように、カガシ又はカガチとは蛇にほかならぬのでおじゃる。

 巳年の衆と同じ学年とはいえ、ヘビは恐ろしゅうございます。午の守り本尊は、猿っちゅうことになってますもんね。

 そんなことからも、日光東照宮の3猿が彫られている神厩舎は、すなわち馬小屋でありまする。

 尻の痔の、おっと字の尻馬に乗って、馬の話にうまく嵌りました。



2.宜しくない


 電話に出ると、「〇〇さんでよろしかったでしょうか?」と、のっけに聞かれた。

 こちらは受話器をとったときに「〇〇でございます」とその時点ですでに名乗っているのにもかかわらずである。

 聞きなれない声だし、どうもセールスらしいので「よろしくはないけど、どちらにお掛けになったんですか?」と尋ねると、自らを名乗りもしないでクドクドと無遠慮に質問してくる。

 「で、手短にいってご用件は何ですか?」「~~~~~」「そうですか、ご苦労様。その気はないので他所で頑張って頂戴ね。」

 受話器の向うで話を引き伸ばそうとしている声がしているが、もう相手をしてはいられない。


 私のところに電話したのなら、「〇〇さんですか?」とか「〇〇さんでいらっしゃいますか?」であって、「よろしかったでしょうか?」というのは何の許しを求めているんだかわからぬ。


 レジでも変な言葉遣いがされていることが多い。

 「1000円からお預かりします」とか「1000円からで宜しかったでしょうか?」「1000円からで大丈夫ですか」など。

 「1000円お預かりします」か「1000円からで宜しいですか?」が日本語。


 「れる」「られる」や尊敬語、謙譲語、丁寧語は、基本がわかればそんなに難しいことではないように思うのだけれど。

 若いうちに教養としてきちんと身につけましょうネ。

 日本語は素晴らしい感性を育ててくれることばなんだから・・・



3.恐れ入る


 【若者の使う言葉を「乱れ」というのは、大人の傲慢ではないだろうか。変化を受け入れなければ、進化は起こりえない。それを根本的に否定し、言語を押さえつけることこそが、「乱れ」ではないだろうか。】

 新聞の投書欄にあった高校生の投稿の抜粋。


 意見だから、真っ向から否定するつもりは毛頭ないが、なにをもって“進化”といっているのかがわからない。

 言葉の正しい使い方も、正しい意味もわかったうえで、自然淘汰的に生まれ変わるのであれば、それは進化といっても差し支えないと思うけれど、ごく限られた閉鎖社会のみでしか通じない符牒のような言葉や、正しく学んだらそんな使い方はしない即ち初歩的勉強をしなかったことにより違った使い方をしているものをこそ、われわれは「乱れ」と呼んでいる。


 現代語は古典と違うこともその論拠にあげていたが、古典は、時代をこえて立派に通用する文化であるし、それを乱れなどと呼ばないことに何故おもいをいたさないのだろうか。

 たしかに言葉は、時代とともに変わっていく。外来語のとりいれもそれを加速する。

 されど言葉は、自分以外のそとの世界とつながるための手段であってみれば、身だしなみや礼節と同じく他を慮った気持ちよいものであるに越したことはないと思うのである。



4.恐竜は痛かった?


  気分がいいから過憤はやめようと思ったけれど、これはちょっと酷過ぎた。

「押入れの“氷”のなかに詰めてある。」とのTVでの手紙を読むアナウンサー。

 なにごとならんと思うじゃありませんか。

 まだドルが360円だった頃のこと、いまのようにメールなんてないから、エアメールでしょっちゅう手紙を出した。その恋人が今の奥さんだといい、思い出の品だから“行李”に詰めて押入れにしまってあるとの話の紹介。

 「あなたは、若くて読めないかもしれないからと、“こうり”とフリガナをしました。」と書かれた投書を氷と読み捨てて憚らない無神経さ。ナッサケネーッ!!

 二人出てきてあんたらプロだろう。全国に放送してるんだぜ。どんなものか下調べくらいさえもしないでヤッツケ仕事じゃ、大切な気持ちが伝わるわきゃないだろうに。


 国語力の低下は、目を覆うばかりであるとの報道がございましたが、先日車で移動中にラジオを聴いていてばかばかしくも面白かった話。


1. 子供の頃、模型をつくるときに“のりしろ”というのがあった。子供のつくるものだから、「糊をしろ!」と命令語で書いてあるのだと信じて、長じるまで疑わなかったのだという。

 ある日、子供の模型を作るのを手伝っているとき、カミサンにその話をしたところ一瞬絶句して「何言ってるのよ。縫い代とか糊しろの代は、なにかをする為の余裕の部分のことよ。」といわれ仰天したのだと。


2. 「恐竜は、さぞ痛かったでしょうね。」と妻が言うので、何事かと思って問うたところ、恐竜が絶滅したのは隕石が衝突したことが原因だという説のことだとわかった。

 そこで、隕石が衝突したことによる急激な気候変動が原因なのだと説明したのだけれど、「何頭かは隕石が当たって死んだじゃないの?」と頑として言い張ったのだという。

 家でその話をしたところ、「わかるわかる。そういうのも居たんじゃないの?」ときたもんだ。恐るべし。



5.教えてお爺さん


 おし~えて おじいさん おし~えて おじいさん おしえて~アルプのもみのきよ


 むかし、倅がまだザルツブルグのモーツァリテウム国立音楽大学に居た頃の友人で、よく行き来していたハプスブルグ一族の侯爵家の御曹司が、TVで放映される「アルプスの少女ハイジ」を、日本の動画番組だということをどうしても納得できず、オーストリアで製作されているものだと頑なに言い張ったのだとか。

 「言葉は、ドイツ語の吹き替えができるとしても、出てくる小物やちょっとしたシキタリなど、こんなことが日本でできるわけがない。」と言って譲らなかったらしい。

 仕方がないから、「番組が終了してのクレジットで確認してご覧よ」ということになり、テロップで流れるスタッフやキャストを見たら、もう日本そのものだったというお話し。

 こういうものを作るときの微に入り細にわたるチェックにかけては、日本人が優れていることは疑いがありません。

 でも、このような完璧性というのは、知識や意欲や努力だけでは届かない部分があるようです。何故だかわからないけれど、どこかから不思議なエネルギー状態で流れ込んでくる助けがあるようなのです。


 この御曹司、流石貴族の出だけのことあって、食事のマナーがすごい。

 よく、倅のところにも訪ねてくるから、ザルツに行っていたとき彼の邸にも泊めてもらったこともあるし、バスでのピクニック旅行に一緒したこともある。

 “エーハー”で一緒にコーヒーを飲んだときのこと、熱いコーヒーを音も立てず吸い込むように少量ずつ飲むから、こちらのガブ飲みとスピードが合わず、「時間を合わせないと」と、後で倅に注意された。

 なにせこの御曹司、皿に乗せた葡萄を、ナイフとフォークでガチャリとも音をさせることなく食べることができるのだと倅から聞かされた。



6.どなたか教えて下さい


 どこかで読んで、気になっている詩があります。

 この詩が、どなたのなんという詩なのか。とても心を打たれます。

 全文読んでみたいと思うのですが、一部分しかわからないでいます。どなたかご存知の方がいらしたら教えて頂きたく存じます。


 むかしこどもがおりました

 いまはどこにもおりません

 ちちはひるねをしています

 はははちらしをみています

 (中略)

 いつかどこかでこどもらも

 ふりかえったりするかしら

 こんなしずかなひとときを

 ちちははのこでいたときを

 むかしこどもがおりました

 えがおをわすれられません

  ・

  ・

  ・



7.矯正不能


 匡整不能(共生?)

 私が若者に注意することが多いことを知っている友人が、私のことを心配してくれることがあります。そうなのです。私は、だれかれ見境無くではなくて、多少見所がありそうに思えるとき、それが恐ろしげなる風体をした相手であっても、救いの手(注意する)を差し伸べるようにしているのでございます。

 前掲のチカンがらみの話しは、例え話ともいうべきかと思います。

 確かに(見たことはないけど)卑劣なる痴漢行為をする者が居て、その被害に遭うのは性善なる人であってみれば、救済されるべきは当然のことであり、加害者は厳しく罰せられるべきでありましょう。

 しかし、逆には誣告の事例も多々あるやに聞き及び、ゆえなく社会から抹殺されてしまう危険もあることを思えば、その法的バランスを如何にとるかということも再考されねばならぬとも思うのです。

 いずれにしても、双方の破廉恥さを映し出す照魔鏡でもあったら、理不尽さから解放されるのかもしれません。(その前に、自ら省みて直くんばっていう教育か?)


 電車中で見たホントのはなし。

 ラッシュ時を過ぎて空席も目立つ車両後部の、座席を取り払った空間に、シコオとすこぶる顔色の悪いシコメが立っていました。(厚化粧ではありません。不健康度の問題)

 そのシコオは、後ろからそのシコメを抱きかかえ、公衆の面前で恥じることなく○チを揉んでいるのです。「てめ~ら~人間じゃねえ!」

 見るからに弱っちそうな連中ではありましたが、注意しませんでした。もうここまで来ちゃってるのは、なにしたって直らん。

 鉄は熱いうちに打てっていうけど、ジャージにサンダル履きを憚らぬ先生が、学校で何を教えたって、薫陶なんて夢のまた夢か。まあ、親が一番悪いんだろうけど・・・。

 せめて万物の霊長たる人間は、禽獣とは違うのだというくらいのことは自覚できるようにしてほしいものです。



8.減らず口


 オジイサンの会に行ってきました。私が最年少で、ふた回り以上若いから、お世話役みたいなものです。

 この会には、叙勲されている方が多い。

 少し遅れて来たオジイサンが、先に来て席についていたオジイサンに声をかけました。

 「あんた、髪の毛が真っ白になったねえ。」

 「俺は、白く染めてるんだよ。」

 「眉毛も染めてるのか?」(眉毛は、まだらに白い。)

 「そうだよ。」と、強気である。

 「だけど、頭のてっぺんは染まってないぜ。」(てっぺんは、禿げているのです。そりゃ、染まらないわな。)


 しばらくしてから、「2ヶ月前に会った時は、黒い毛もあったぜ。」と、またまた話しを蒸し返すと、「前から白いよ。あんたは黒も白も分からないからね。」と応じたので、みんなで大笑いになりました。

 この会に出席する人は皆仲がよいから、会うとすぐ憎まれ口から始まります。この二人は、会の最長老で、80歳を超えています。



9.甲羅を経ると


 亀を飼うより都市を買う。(カメの甲より年の功)

 ツルは羨年、亀は漫年。千年を生きずとも、流石に年配者はミウチに蓄えたものがおおきゅうございます。


 「風の積むこと厚からざれば、すなわち其の大翼を負うに力なし」とぞ申しはべるなり。

 なんじゃそれって?

 大鵬っていう体の大きさだけでも何千里という鳥がいるんだとか。(見たこたないけど)

 そんなぐらい大きな鳥だから、飛ぶについては翼の下に大層厚い風をたくわえねばなりませんが、それをちっちゃな鳥や羽虫が大袈裟だと言って笑うんだって。

 円弱(燕雀)いずくんぞ広告(鴻鵠)の志を知らんや。っていうようなところか?



10.旨い汁


 旨い汁は吸うで、毒は盛るが慣用となっていて、どちらも飲むとは余り言わない。

 まあ、自分で飲むのは呷るっていうけどネ。

 官庁の館長が間諜で捕まると、その刑は浣腸。ウソです。

 つかまる前に、毒をあおって痔尻(自決)するからです。旨い汁を吸うのは命がけです。


 うまい汁といえば、マツタケのお吸い物。

 今年は不作と言われていたのに、実は豊作なんですと。何がかというと松茸が。

昭和10年代には、年間6000トンもとれていたのに、最近は24トンしか採れないんだとか。

 口に入らないとなると、香も味もわからない人が多くなる。

 即ち、旨い汁が解る人が少なくなるということ。甚だしくは、土臭いなどと言う。

 子孫のためにも赤松を大事にしなくてはなりませぬ。松茸は、赤松の根元に出るのですから。



11.弱冠


 古代中国では男子の20歳を「弱」といい、その歳になると元服 して冠をかぶったことから、男子の20歳を「弱冠」と言うようになった。

 だから弱冠といえば二十歳のことである筈が、最近は若いという形容に変わって使われているようです。


 それはそれで時代の移り変わりの変遷として受け入れるとしても、明らかに間違った使い方をされるのがTVなどで聞かされると、本当にアナウンサーの採用試験を通ってきたのかと疑問に思ってしまう。

 「就職が無い。」

 職が無い、就職先が無い、就職できない、というのが普通の用法。

 「全身の体が痛い。」

 全身が痛い。体全身が痛い。これも同様。


 これらは、本当に放映されたものの一部ですが、国語はセンスを身につければ、変な言葉遣いは口調がおかしくなるから避けられる。



12.蝶々


 穏やかな秋の陽射しの中で、羽を休めているチョウチョが居ました。

 遠くダッタン海峡を渡って来ました。(ウソです)


 蝶々が、ダッタン海峡を渡ることや、台湾からはるばる海を越えて日本に飛来するというのは驚きです。

 渡り鳥が、何千キロもの旅をすることや、鶴が8000メートル級のヒマラヤ山脈を越えるということも聞きます。


 さすれば、万物の霊長たる人間が越えられない困難など無いはず。と思うのであります。



13.食物連鎖


 友人がこんな話をした。

 風邪っぴきの孫をあずかって、夕方、テレビ(教育テレビ「にほんごであそぼ」)を一緒に見ていたら、こんな詩が、偶然にも、流れてきました。

 ”朝焼け小焼けだ大漁だ/オオバいわしの大漁だ/浜は祭りのようだけど/海の中では何万の/いわしの弔いするだろう”

 金子みずずの詩なんだそうですが、何んやようわからへんけど、強烈ですね。好き嫌いは別にして、頭にこびりついて、ようはなれまへん。この詩の力なんでしょうか。

 昨日の晩飯は素材が秋刀魚だったので(鰯ではなかったですけど)、この詩のせいでどうも妙な感じでした。という内容のものであった。


 この星に生まれた不幸?か、生き物は全て、他の生き物を食べることなくして命を永らえることはできない。クロコーディアル ティア(鰐の空涙)ではないが、可哀想だ可哀想だと言って餌を食べるある種の残忍さから逃れられないのも、やむをえない事実である。

 鯨や海豚が可哀想だという異見をもつのも良かろうが、それが人間の命にかかわるような過激な攻撃活動に至ることへの正当性というのをいずこに求めるのだろうか。

 趣味の為だけに狐狩りその他の狩猟を行い、殺戮を楽しむのは許容範囲に入るのだろうか?

 自分の側から耳障りの良い綺麗ごとを言うのもよいが、翻って自らの行いや考えに齟齬がないかということまで意識を及ぼすことも、人たるには必要なことに思える。

 先人は、必要以上に他の命を奪わないようにということで殺生を戒め、命というものを粗末にしないでわが身に穫り入れるときの挨拶として「いただきます」と言うようにした。

 貴方の命を私の命として頂きます。


 その友人が現役時代、南米の牧場で牛肉をご馳走になったとき、言われたんだそうです。

 「どうだ、うまいだろう。我々は食べる為に牛を育てている。それに引き換え、日本人は海で育ったものをただ捕ってきて食べるというのはケシカラン。」

 働かざるもの食うべからず

 手塩にかけて飼育し、或いは栽培したものだから、食べる権利がある。

 なるほど・・・

 そこにいるもの、あるものを食べるのにだって、採取や捕獲に汗を流さないで済むということはありませんが・・・


 「ブタがいた教室」では、手塩にかけて飼育するうちに情が移ってしまい、とてものこと食べるには忍びないということになったけれど・・・という話だったと記憶します。


 グリム童話集かなんかにもありましたっけ。子供を捕え、太らせてから食べようとしたというお話しが・・・

 ものを言うからには、その人たちの根拠というものがあるのでした。

 その逆の行いをする人たちにも、主張というものがあるから、双方の折り合いをつけるのは難しいということですか。

 理解するためには、まず聞くということからなのでしょうが、これがまた困難を極める。

 聞く耳を持つというのは、簡単ではない。

 であるから、人間性を高め、精神性を高めなくてはならないのに、なかなかそれができませぬ。

 修行の道は遠い。



14.生誕百年


 ショパンが今年生誕200年だというのをご存知の方は多いと思いますが、キューピーさんが生誕100年になるのだということを知っている人は少ないと思います。

 昔は、セルロイド製のものをよく目にしましたし、どこにでもありましたが、セルロイドが使用できなくなってからは、あまり出回っていないようです。


 私の持っているキューピーさんは、焼き物です。

 どのような経緯で私が持つようななったかの話をすると長くなりますが、家にある私のパソコンの横のテーブルに可愛く飾られています。

 背中にはセルロイド製と同じように、目立たないけれど翼もあります。

 私の家族は、一人ひとりが自分のキューピーさんを持っていて、大事にしています。



15.望みを簡単に叶えている人


 それは誰でしょう?

 言うまでもなく、それは赤ちゃんです。

 親(先祖)にとってみれば、文句なく可愛いからです。持てる力をフル稼働して、先回りしてでも面倒をみます。

 それはそうでしょう。経験上、赤ちゃんよりも圧倒的にこの世的な能力をもった親が、可愛いと思ったら何でもしてあげたくなるのは、理屈ではありません。

 大人だって、来世で修行を積んだ先祖に可愛がられれば同じこと。

 子供だったときのことを、長じると忘れてしまい、親や先祖を大事にしないから、この世の幸せに近づけないことが多いように思うのです。



16.オオオニバス


 植物園などに行くと、池にオオオニバスの大きな葉っぱが浮かんでいます。

 小さな子供であれば、その上に乗ることができるのだとか。


 手入れのためなのか、葉っぱを引き上げて、一部裏返し状態になっているものがありました。裏は棘だらけでした。

 見物人から声があがりました。

「うわー、コイツめっちゃ裏表があるやん!」

 関西方面からのお客さんらしかったが、正直な感想であると、こちらも思わず笑ってしまいました。



17.濡れ衣の語源


 書き込みに「濡れ衣をきせられた」というのがあって、そういうことは有りうるだろうと思いながらも、そういう無実の罪をきせられることっていうのは普通恐いことです。

 面白く読んで、で、なんでそういうのを濡れ衣っていうんだろうと気になりました。

 聞くところによると、濡れ衣という言葉が使われはじめたのは平安時代ころらしいのだが、諸説あるのだとか。

 有力なのが、継母が先妻の娘の美しさを妬んで、漁師の濡れた衣を寝ていた娘の枕元に置いておいたところ、漁師との関係を誤解した父親が、娘を殺してしまったという昔話によるという説なんだと。

 おっかねーはなしであります。



18.語彙数


 美しい日本語は、言を待つまでもなく大切であるということに否やはありません。

 しかしながら、その前にもう少し語彙力をつけることも必要なのではないでしょうか。


 最近の若い人たちの会話を聞いていると、すげ~、おいし~い、かわい~い なんて変に引っ張った言葉や、きもい、うざい なんていう創作形容詞の飛び交いが殆どで、ほかの単語が聞こえてこない。もっと国語を勉強しましょうネ。

 なかにゃあモロ哲学っぽい議論をしているむきも少しはあるが、言葉を取り戻すのは今のうちなんじゃないだろうか。なんてったって、ものを考えるのには言葉の力がもとになくっちゃどうにもならないんだから・・・若爺心ながら。



19.好循環


 昨日、久しぶりに区役所の出張所に印鑑証明を取りに参りました。

 窓口にいた女性は、私が申請書を書いているうちからにこやかに立って待ちうけ、今後同様の手続きをすることがあるようであれば、自分でプリントアウトすることができるようになっており、手数料も100円少なくてすむし時間外にも対応しているから、今時間があればそうしたらいかがかと、どのように手続きするか懇切丁寧なる説明があった。

 「役所も随分親切になって、気持ちがいいね。」と言ったところ、カウンターの中にいた全員が嬉しそうに笑った。

 そのあと、発証機のところまでついてきて、親切に説明してくれました。お互いが気分良く仕事ができることって、ちょっとした気遣いでできるんですよね。日本の将来は明るい。 



20.弘法筆を選ばず


 と言われますが、どんな道具でも良いのかというとそんなことはなくて、道具はよいものを選ばねば、上達に影響があることは間違いありません。

 弘法大師さまくらいの名人達人となると、どのような筆でも使いこなせたということなのだと思います。


 中学校時代の担任教師が習字の時間に私の字を見て、どうしても新しい筆を買えという。

 確かに使い古されて穂先が跳ねてしまったような筆を使ってはいたが、なかなか新しいものを買ってくれとは母に切り出しにくい時代に育った。

 筆が変るとほどなく、見違えるほどに字が上達したように思う。

 それにしては、未だに字がうまくないねって?


 道具といえば、侍の表道具の刀にしても、職人さんの扱う刃物にしてもそうです。

 息子のピアノは、人前で弾くようになった最初のころからずっと聴き続けてくれている私の友人が流石よく見ておられ、コンサート会場に設置されているピアノの差によって音楽が違ってくるといいます。

 小学生のころは、メロディーも和音も全て耳から入ったままで覚えてしまい、トルコ行進曲くらいまでは聴いただけで弾いていたように思います。

 その頃から、「ショパンは、良い楽器で練習しないと上達しないと言っている。」と、楽器へのこだわりをもっていました。


 今も、ステージにのせる曲は、曲解釈まで含め自分で書いた細かな指示まで全て暗譜です。

 ここでこの音、というように出したい音を連ね紡いでいくには、自分が思い描いた通りに反応する良いピアノと良い調律が必要だから、SウエイとかBドルファなど弾いた通りにしか音が出ない楽器で普段から練習しなくてはならないのだと彼は言います。

 作曲家が何を望んだかを伝えるためにもそこは譲れないというから、昔に立ち返っての筆ではないが、楽器はこちらが頑張って提供するよりなかった。



21.髪は長い友達


 近所のコンビニに煙草を買いにいきました。

 20年以上もやめていたのに、1本吸ったら元の木阿弥。あっという間に1日に2箱吸うようになってしまいました。ストレス恐るべしです。


 「長いのと短いのとどっちがいいですか?」と聞くから、「どっちでもいいよ。」と答えると、「長いほうが同じ値段ならお得です。」と言って、長い方を渡してくれた。

 「長いといえば、髪は、なが~い友達っていうけれど、白髪がふえちゃってね。」と言うと、「男の人はいいじゃありませんか。女は染めるのにお金がかかるんです。」などと慰めてくれた。

 「墨かマジックインクを塗ったんじゃ駄目かね。」と冗談を言ったら「駄目です。」と笑っていた。

 このオバチャンとの会話は、息抜きになる。



22.こうはなりたくない


 帰宅時に電車に乗るのに、疲れていて座席に座りたいとき、列に並んで3台ほど待つと、乗車時最前列になるから、空席を得ることができる。

 昨日もそのようにして、何台か通り過ぎるのを待った。

 ようやく電車が入ってきたので乗り込もうとしたところ、横からおばあさんが素早い身のこなしでサッと割り込んだ。

 「割り込みですか?」というのに耳もかさず、降車客を強引に掻き分けてさっさと座り込んでしまいました。

 席を確保すると、これ以上いやな顔はできないという悪相をして、恥知らずにもこちらを睨みつけてきました。

 こんなに元気なおばあさんでは、誰かに席を譲ってもらうことはないでしょうし、日常でも一時が万事この調子であろうことを窺わせた。


 列を守るという最小限のマナーさえないがしろにし、「年寄りなんだから」と言いたいのであろうが、自分でも忸怩たるものがあるのか、流石に文句をつけてはきませんでした。

 若い人がこんなのばかり見ていたら、世の中改まるわけがない。



23.小言は大事です


 よ~くかんがえよう、なんて言わなくったって、教育は大事です。

 朝の通勤時間、混雑する電車の優先席に丈夫そうな女子高生が足を投げ出して座っておりました。

 風邪でも引いているのか鼻をグスグスいわせていたのですが、ティッシュを取り出して鼻をかむや、あろうことかかみ終わった紙をまるめて座席の隙間に押し込んだのです。 

 周りで見ていた大人は見て見ぬふりを決め込んで、(ないしはソレがイケナイことだとは思わないからなのか)誰一人として注意を与えるということをしませんでした。


 たまりかねて「きみ、どこにゴミを捨てたの。そういうことをしちゃ駄目だよ。」と窘めたところ、マズイことだと認識する位の判断力はあるのか、意外に素直に「すいません」と反応した。

 「なんで悪いんだ。」なんて居直るようなことがなかっただけまだましだったが、言われなきゃなんでもありってことにしてしまっている風潮は、どっかで断ち切らないと、理性があることをもって動物とは違うことを任じる人間としてはいかがかなものかと思うのです。

 ゴミを捨てない、散らかさないのは、お掃除の前段階。

 整理・整頓・清掃と、身の回りを綺麗にすることで感じる幸せということにもっと大人の自覚がなくてはならないと思うのです。

 親が悪い。その親を育てた教育が悪い。わかっていて直さない奴はもっと悪い。



24.言葉を越えて


 たいして信心深いわけではないけれど、そうかといって粗末にするなんてことは決してなくて、神社であれ仏閣であれ教会であれ、社、祠、石像に会えば、恐れ畏まって拍手を打ったり、手をあわせたり、礼拝したり、恭しく頭をたれたりするのが常です。


 手水の作法は、村の鎮守、麻積神社の氏子総代にその昔おそわった。自然に躾られたといえる。

 寺院などでは仏像なども拝観するけれど、名前が書いてないと、それがなに如来なんだか何菩薩なんだかわからない。

 仏師はどのように彫りわけ内面まで浮かび上がらせたのだろうか。


 仏像の形は経典で決められていて、そのフォーマットともいうべきものを「儀軌(ぎき)」というのだそうです。

 この儀軌に則って仏像の大枠がつくられ、表情・印相・持ち物・衣などによって仏の個性は表現され、時代を超えて共通項をもつのだという。

 これらのことに、昔は作る側にも見る側にも共通の認識というか素養があったのだと思うが、生憎その素養が私にはないままでいるのは残念なこと。


 同じく西洋では、ゼウスだアポロだガイアだダビデだとわかるってことだと思う。

 神話なり民話なりが語りつがれて内面に残り、精神面を支えているのに違いない。


 音の世界でもそれはあって、たとえば鐘のネを表す音があって、夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴るなんてのもそれで組み立てられていると、昨年末初めて目の前で弾いて聞かされた。

 言葉は、乱すことなく使うことが大切なのは、共通認識の根幹をなすものとしてのことだと思うけれど、ほかの表現方法もたくさんあるのかも。

 昔、TVでやっていたけど「黙って抱きしめてあげてください。」なんて・・・



25.コンビニにて


 今日は多少忙しいし、雨も降っているしするから、近所のコンビニで弁当を買って済ますことにしました。

 レジに居た馴染のおばちゃんに「これじゃ、栄養が足りないかね~?」と聞くと、ダイエット中のこのおばちゃんが「これで充分です。机に座っているんでしょ?」とキッパリ言いました。

 で、こちらもキッパリと答えました。

 「机に座るなんて、そんなバチアタリなことはしていません。ちゃんと椅子に座ってます。」

 レジ待ちをしていた他の客も一緒になって大笑いでした。


 でも、慣用句になっているみたいだけど何で「机に座る仕事」っていうんでしょうね?

 机の前に座るというのが省略されたのかしらね。


 食べ物の話ですが、

 昔は、住んでいるところの200m内で取れるものを食べるのが身体に良いのだと言われていました。旬のものというのも、そういう意味で大事だったと思うのですが、今はどんな野菜果物であっても1年中食べられます。

 交配によるF1の種の問題のほかにも遺伝子操作された動植物というのがあって、今後どんな影響がでてくるものやら・・・

 遺伝子操作されたトウモロコシと、普通のトウモロコシを混ぜて鳩に撒き与えると、遺伝子操作された物だけ鳩は食べ残すのだという。

 私は、食いしん坊だから何でも食べちゃいますけどネ。



26.ザルツブルグから


 ザルツブルグは、salz(塩)burg(都市・城)ということなのですが、まさか建物が塩を固めた壁でできているわけじゃなくて、塩の交易で得た財がなした都市ということだそうです。


 その岩塩は、日本で売られていないことはなくて、自然食品屋さんでバードイシュール産のものを見かけたことがあります。

 ザルツ(オーストリア)とドイツの境目にあるウンタースベルク(ベルクは、山とか丘とかの意味だったっけ?)という大きな塊のような山に登ったことがありますが、下るだけで4時間余かかり、薄暗くなってようやくドイツ領の街にたどり着いたことがありました。

 そこにあったスパというかドイツ風温泉に浸かったときにはほっとしました。

 混浴だったんですぜ。もっとも、残念ながら水着着用だったけどネ。


 今スキーの滑空世界選手権が行われているガルミッシュパルテンキルヒェンから、ドイツ最高峰ツークシュピッツェに登ったのは、かなり昔のことですが、9月だというのに雪だった。余りの積雪量に、頂上は諦めた。

 そのあとに回ったのが、ノイスバインシュタイン。

 山の上に立つドイツの名城ノイスバインシュタイン城は、北のだか新しいだかの白鳥の石ということなんですが、なんか謂れがあったようにも思うけれど、覚えておりません。

 その城を見下ろす裏山に登ってみましたが、眺めは良いがけっこう急で、足元がオッカナカッタ。



27.ジャンボジェット


 JALのジャンボジェット機が最後の就航を終え、退役するのだそうです。

 最終便が成田空港にランディングしたときには、機内から拍手が沸き起こったと、降りてきた乗客がTVで話していました。


 最近ではそういう光景を目にすることがなくなりましたが、円がまだ1ドル360円の頃、飛行機が空港の滑走路に着陸すると、畿内の皆が大きな拍手をしたものでした。


 もっと古い話を、ラジオで聞いたことがあります。

 水泳の山中選手といえば、泳げば連戦連勝、それは強かった。

 その彼が急にオリンピックだか世界選手権だかの選手に選ばれ、海外に行くことになったとき、先輩が言ったのだそうです。

 「いいか山中、飛行機に乗るときには靴を脱ぐんだぞ。」

 それで彼は搭乗口で客室乗務員に聞いたのだそうです。

 「下駄箱はどこですか?」

 これは、本人の口から出た話ですが、昔はみんな純朴でした。



28.マスク


 花粉が鳶牛(トビカーウ)じゃなかった飛び交う季節と相成りました。

 オマケに黄砂まで加わってくるんだとか。黄砂が混じってあたりが霞んで見えるのを、ヨナ曇りという。

 風流に、ムメの句なんぞ詠んでいられないのでおじゃる。

 タイガーマスクじゃなくってタイガーホース(トラウマ)なのでおじゃるよ。


 こっち拭かば 匂い移せよ倦めの鼻 有る痔無しとて 腫れナ忘れ阻(亭主現金で留守通い)


 話は「タイガーマスク現象」のことである。

 匿名の人の善行は、心温まるものとして次に繋がるものと素直に受け止めれば良いものだと思っていたら、一度だけ思いつきで善い事をするのは、その人の一時の楽しみに過ぎない、という意見もあると聞いて驚いた。継続的にやるのでなければ意味がないということであり、その意見を言った人は現にそうしているらしいのだが、それは自我の主張に思えてならない。

 どんなささいな善行であっても、できることをやった人に「よかった」と言った方が、心の広さを感じる。


 前にも書いたことがあるが、カンボジアに学校を建てようという志を立てた人に感銘を受けて、倅がその一助になればということで、ピアノのチャリティーコンサートをしたことがある。

 何回か催したことで、建設資金の一部ではあったにしても、立派に学校は竣工できた。

 その際のチケット販売のときのことであるが、「何でカンボジアなんだ。ラオスだって同じだろう。」と言って、チケット購入をしなかった人がいた。

 「クラシックは、どうも苦手で。」ということでも、「その日は、都合がつかなくて。」ではなくて、一方的に非難されたのです。

 無理やり買ってくれと言った訳では勿論ない。

 自分がそれをしないのは自由であるが、善意を形にしようとしている人たちのことを兎角言うことではないと思う。

 全てにいきわたらせることは難しくても、できることをまずやるというのも、一つの姿勢だと思うのです。



29.トイレのお掃除


 福の神がいるといわれるトイレは、会社であってもお店であっても住まいであっても、気持ちよく綺麗であることが重大な意味を持ちます。

 汚れていたり臭かったりしても、他人はなかなかそれを指摘してはくれませんし、自分が気づかないままでいると、お客様も人も寄り付かなくなり、運も去っていってしまいます。

 商売をしていたら大変なことです。


 毎日お掃除をしているのに・・・

 どうして汚れが段々ひどくなっていってしまうのか、どうして臭いがひどくなってしまうのか、綺麗好きの人には耐えられないことです。


 そこで、臭いだけでも何とかしようと消臭剤や芳香剤を使うことになるのですが、ちょっと待って下さい。

 消臭剤はまだしも芳香剤を使うと、臭いが入り混じって余計ひどいことになります。


 やっかいなトイレの臭いの原因

 臭いの最大の原因は、尿石です。

 便に含まれて排泄されるアンモニアが空気に触れ、細菌の活動によってアンモニア臭を発するようになります。

 そして尿中のカルシウム分が固まって「尿石」になるのです。

 「尿石」の出来始めはドロドロした感じの物ですが、放置しておくと固まって、最終的にはガチガチの石のような塊となって固着してしまいます。

 尿石は多孔質で、軽石のように小さい穴が沢山あるため、細菌などが繁殖しやすくなります。

 尿石は一旦できてしまうと、取り除かれるまで加速度的に肥大化します。

 固着してしまった尿石を除去することはとても困難であり、塩酸や硫酸などの使用に危険を伴う強酸を用いざるを得なかったり、高圧洗浄をしたりする結果、材質によっては排水管を傷めたりして、最悪時には設備ごと交換する工事になってしまうことがあります。


 ◎  臭いが気になったら、メンテナンス業者にチェックしてもらい、早めに除去するようにお奨めします。


 尿石の発生の予防


 1. トイレ使用後、キチンと水を流す。

 2. 日々のお掃除(日常清掃)をする。

 3. 市販されている尿石を防止する薬剤を使う。


 それでも、汚れや臭いは貯まっていってしまいます。

 ご商売をしていて、「何だかわからないけれど客足が落ちてきたな。」と思ったら、トイレをチェックしてみましょう。



30.プロフェッショナル


 ここしばらく、といっても何年かスーツを作りにいってないが、買うときはそこでと決めているお店がある。

 半年や1年ぶりくらいで行っても、そこの担当のオニイチャンは「〇〇さん、少し太ったんじゃありませんか?もう限度だから気をつけてくださいね。」な~んて気軽に声をかけてくる。


 このオニイチャン、私の特殊な体型のサイズをちゃんと覚えているから話が早い。

 関連した糸や織、色のバランスなどなどの知識も広く、話していて楽しい。

 そういえば、いったいいつからのことなのだろうか。買い物をするときに対面して話しを聞きながらというのがなくなってしまったのは・・・

 八百屋も肉屋も魚屋にも滅多に行かなくなってしまったばかりでなく、それらの店数も減ってしまって目立たない。

 これじゃ毒がはいったってわかりませんぜ。彼等は自分の扱っている商品に詳しかった。


 スーパーやコンビニでは、店員はマニュアル通りの会話しかしないし、人と人の血の通った話なんてのがあっての買い物をする機会は“滅法”少なくなった。

 そりゃそうだよね。このあいだもTVで街頭アンケートってのをやっていたが、食料だって安けりゃ何も国内のことなんか考えなくて輸入すればいいじゃないか、と言う人が大半なんだから。

 検討材料は値段だけ、そういう情報しか与えられないで、自分さえ良けりゃの判断をすれば、いきおいそうなるわな。

 農業政策、田圃の保水能力、食料安全保障に関連する自給率、などなど数え上げればきりがないほど出てくるが、やっぱり普段からそういう問題点を俎上にあげて人目にさらしておくべきで、判断すべきことから目を逸らさせるようなことは避けるような体制づくりは必要だと思う。


 確かに情報は調べればオープンになっているのだろうが、目立たないようになっているし、一般人は目の前に問題点としてつきつけられなくては、なかなか意識できない。

 今朝、駅のホームの売店のおばさんと話を交わしていて、そんなことを感じたのでございます。



31.ヤバイ


 おじいさんの会の今年の新年会初詣は、一泊で江ノ島・鎌倉の神社と寺院巡りでした。

 夕食時にワインを一人で1本近く空けた84歳になるYじいさんは、酔っ払って強気にも「オンナを呼んで来い」などとオダをあげていましたが、草臥れて80歳になるOじいさんとツインの部屋に引き取っていきました。

 翌朝の朝食会場で顔を合わせるなり、Oじいさんが「〇〇さん参ったよ。夜中の3時頃Yさんが俺のバッドに潜り込んできたんだよ。」という。

 「えっ夜這いですか?どっか大事なところでも触られたんですか?」と聞くと、「いや、そうじゃなくって寒い寒いといってだよ。寝るときに布団を掛けずにベッドの上にそのまま寝たせいなんだけど。」

 「な~んだつまらない」というと、「潜り込んでくるなり、邪魔だからお前はあっちに行け。と押し出されちゃったんだよ。」とのこと。

 Yさんはシレッとして、「腹を枕にすると気持ちよかったんだ。」などと言っていた。

 年寄りの我がまま、ここに極まれりということですが、マチガイが起こらず良かったというオソマツ。



32.一こま漫画


 この間お誘いを受けて、原宿は竹下通りの入り口近くの画廊に参った次第。

 雪山に2本のシュプールを引き滑走する女性スキーヤーの絵がありました。

 ところがシュプール中央に立ち木がありまして、それを真ん中に分けて通り過ぎ滑走している画なのであります。

 「こりゃ裂けちゃうぜよ。」と私が言うと、すかさず「避けて通れないの。」と友人。

 も~酒手を弾んじゃいますよ。


 みんなが集まってくる前、一人で100数十枚の一こま漫画を見ていたのですが、意味が読めない画がありました。

 雪山の洞穴の出口から熊の足跡と思しきものが少し続き、其処から急に人間の裸足の足跡に変わって先に続いているのです。

 どう考えてもわからないので、作者に尋ねてみました。

 「ああ、それは狸の足跡のつもりなんです。狸の足跡はこんなんじゃないって言われますけど・・・」

 なるほどそれでわかった。途中で人に化けたってことですか。


 狸は自分が化け、狐は人を化かすんだとか。たんたんたぬきのしまのこは ひとをばかすのうまいとな そんなこたうそうそうそうそ



33.印籠


 水戸のご隠居さんのキメ台詞「この紋所が目にはいらぬか!」と言って見せる印籠に描かれた紋所。


 私のウチにも紋所がいくつかあるのですが、表紋影紋というらしい。

 洋服での正装はテールで済むが、こと日本ということになると“染め抜き日向紋、黒の五つ紋”ということになる。

 紋付の着物ということになると、なかなか保管管理が難しいから、どうしてもテールか略装のタキシードかということになる。というより紋付は持っていないというのが正直なところ。

 礼装っていうのは、うるさいことをいう人によるとかなりうるさい。黒のダブルなんてのでは許してくれない。

 しかしながら、真面目な顔で出かけて行くということをもって、ほどほどのところでご勘弁願わないととてもじゃない。

 それこそヘクサムシのご年始状態になっちまう。

(カメムシが、四角張っているのが更に畏まる状態の比喩)

 何ごとも中庸が大事っちゅうことです。(なにごとも、過ぎれば民の嘆きなり=八大竜王)



34.外見


 正装に威儀を正してとか、衣紋を正してとかいいます。

 大切な人や初めての人に会うときは、身じまいを整えます。

 粗相があってはならないという礼儀上の意味も勿論あるでしょうが、別の捉え方もできます。誠意の表し方は、まずそこから始まるのですから。 

 心理学者アルバート・メラビアンが提唱したので「メラビアンの法則」といわれますが、人の言動のうち、他人に影響を及ぼす要因としては、話の内容などの「言語情報」が7%、口調や話す速度、声色などの「聴覚情報」が38%、見た目など「視覚情報」が55%を占めるのだといいます。

 わざわざだらしない格好をしたり、不潔にみえるような支度をあえてしていている人がいますが、多分なにもいいことはありません。 

 正装は清掃に通じます。見た目だけで判断されて運を逃がしていてはならないのです。

 本来輝いているはずの本質を、自分で曇らせていては、生まれ出てきた本来の役目が果たせなくて残念なこと。



35. 気づきというツキ


 心に不安や恐れ、悲しみや悩みが生じたり、実際に病気や事故などのトラブルが起ったとき、「これでよかったんだ。これで原因を消すことができるんだ。」と、宗教をやる人がよく言います。

 そう言っていながら、そういう本人がとらわれたままの姿を変えることができずにいるので、それを見ている人は、宗教というものを胡散臭く思ってしまう。

 「それでよかった」なんて思うことはなかなかできませんが、プラス方向に受け取ることができるようになることが必要だといわれます。

 なぜなら、それらは成功やツキのための宝庫である潜在意識が、その人に気づきを与えるための試練として現しているのであるから、顕れれば必ず消すことができるのであるということに他ならず、有難うと感謝すればツキが巡ってくるというのです。

 そうはいっても、凡人はなかなかそうはいきません。


 そう思えるようになるための入り口というのがどこにあるのかということなのだが、身の回りを綺麗にしていないと見つけられないのだと昔の人はいいます。

 ご先祖様が教えてくれているのだという人もいるが、実際にどうやって教わるのかと聞くと、「感謝の気持ちを現そうと思ったときどうするのか」と考えて見れば、誰だって良くわかっていることなのだと言われます。

 それは、社会生活のどんな場所にいても同じだということなのですが、なかなか難しい。

 できることから一つずつでも、先ずやってみると早いらしい。



36.金のなる木


 昼食の時間となったが大して食欲もないから、近所のコンビニでパンと牛乳で軽く済ますことにした。

 例のおばちゃんが、「随分少食なんですね」というから、「ここんとこ体重が増えてしょうがないからダイエットだよ。でも、食欲もでないんだよね。どっかに金のなる木がないもんかね~?」と聞いたところ、「お金があれば、大体の病気は治っちゃうもんね。」とのことであった。

 このおばちゃん、悟りを開いたのかな?



37.言葉の波動を大切にしないと


 私の住まいのすぐ前には、庭を隔てて戸建賃貸住宅が十数件ありました。何年も前から家主は建替を望んでいたようですが、入居者全員が立ち退くのに年月を要したようです。

 取り壊された後は視界が開け、しばらくは伸び伸びできそうです。


 その引越しをする前に、時々大声で子供を口汚く罵る母親の声が聞こえてきたものです。

 悪戯をしたか言うことを聞かなかったかして外に出されたらしい子が「ゴメンナサイ、もうしません。中にいれて。」と言うのに対し、

「テメーら何回言えばわかるんだよ~!その手はくわね~んだよ!」と答えるのがいつものパターンでした。

 一時は虐待を心配したのですが、どうもそういうことではなくて、常々の口調が基本的に乱暴な母親なのだと知りました。


 別の話ですが、私は気がむくと近所の銭湯に出かけます。

 風呂上りの母親が、小さな姉妹を連れてロビーで涼んでいたのですが、父親が風呂から出てくると、「お母さん、荷物を持ってきて~。」と言いおいて駆けていったのですが、その背中に向かった言った言葉がスゴイ。

 「なんでテメーで持って行かね~んだよオ!」


 勘違いしていないだろうか。乱暴な言葉遣いは決して格好良くはない。

 荒い波動の言葉は、ブーメラン現象で自分のところに悪い結果を連れて戻ってくる。言葉の持つ波動は、実体化するみたいです。



38.合歓(ねむ)


 このところ、やたらに眠い。

 とーくにちらちら宵あかり ねんねんねむのき葉をとじた おねむになったらおやーすみ グンナーイ グンナーイ


 こんな歌を小学校だか中学だったかの音楽の時間に習ったっけ。

 不思議だね~。昨日一昨日のことは思い出せなくても、昔のことは突然合歓の花を見ても思い出せるし歌えちゃうんだから。

 一所懸命思い出そうとすることは、脳の働きにとって良いことだそうだから、頑張ってみるべ~。

 

 まだまだ、ご飯まだ~?っていうことにはならない。

 倅が新式の体重計を贈ってくれた。体の各部位の重さ脂肪率などが計れるのだが、体内年齢というのも表示できる。

 それによると、私はまだ41歳だそうです。ヨロコバシイことでおじゃるよ。



39.国語力の低下は


 金沢のホテルでの夕食には、若いコンパニオンさんがやってきて、お酌をしてくれました。

 私の少し先に座っていたオジイサンが「〇〇さん、このこが聞くから、人を食うってどういうことか教えてやってよ。」と声をかけてきました。

 このこと言うのは、健康そうに発育した21歳だというムスメ。

 「本当に知らないの?」と聞くと、「本当に知らない。」という。

 「じゃあ、帰ったらちゃんと辞書を引くか、インターネットで詳しく調べてね。で、簡単に言うと、人を食うっていうのは、人肉をナマで食うことなの。」

 そばで聞いていた仲居さんが転げまわって笑っていた。

 その女の子が、口をとんがらせて「ほんとはセイジとかなんとかの話なんでしょ?」と聞くから、「そうそう、リッシンベンにナマって書くセイジのこと。」って重ねて冗談にしたのだが、仲居さんはなかなか学があるらしく、ふるえながら笑っていました。


 例によって、コンパニオンさんは皆私の回りに集まってしまいました。

めでたしめでたし。



40.採血


 会社の定期健康診断があった。

 今年から腹の周りも測るようになった。例のメタボなんとかってやつ。

 何センチあったかは内緒。

 昔は胸の辺りにあったお肉が、段々下がっていってお腹の辺りに行ってしまったのだが、どうせならもうちょっと下までさがればいいのにネ。何の話しかって?


 で、血液検査の為に採血ってのもするのだが、綺麗な看護婦さん(今はそういう呼び方はいけないんだっけ?)が、「針を刺すところをアルコールで消毒しますが、アルコールのアレルギーはありませんか?」って聞くから、「大丈夫です!飲むくらいですから。」と大きな声で答えたら、大笑いされました。おかしいかな~?



41.最後っ屁


 案山子の字の由来は分かり申さぬが、カガシならわからぬでもありませぬ。

 ケダモノが嫌がる臭いをつけたものをぶら下げて、嗅がしたらしいですから。

 でも、髪の毛を燃やすことは避けたようです。この臭いは蛇が寄ってくるといわれています。


 犬饅頭(犬が喜んで集まるという、ミミズが原料らしい)や、猫が好きだという股足袋(痔が違うって?)ほか、匂いの使い方にもわが国は文化があるようです。

(余談ですが、船饅頭はちとアブナイのでございます。)


 なんてったって「香を聴く」っていうくらい繊細な神経を有したヤマト民族ですから、匂いには敏感なのでしょう。

 そういえば、正倉院の御物、ランジャタイと呼ばれる香木を切り取ってしまったのが、信長さんとか。



42.鷺


 石神井公園を散歩していると、たくさんの鳥を見ることができます。

 白鷺・青鷺・鵜・鴨・カワセミなど、池の水辺近くにいるものも多い。


 子供のころ、父親が田圃に鯉の稚魚を放ったことがありました。

 稲の根元に生える草を農薬を使わないで育ちにくくさせることと、秋には大きく育った鯉を獲ることもできるという一石二鳥の目論見があったようです。

 しかしながら、水田というのは水が浅いから、鼠に食べられたり夜烏(五位鷺)に食べられたりして、秋に水を落としたときには数匹を残すのみでした。


 カラスが好きだという人は少ないが、大昔には荒地を開墾してようやく作物が取り入れできるようにると、カラスガどこからともなくやって来るというので、その飛来を喜んだとも聞く。

 神話の世界に出てくる八咫烏(やたがらす)は、三足のカラスで太陽の中に棲むとかいわれ、崇められる。


 まあ、いろいろあるが、カラスはどうもね。

 石神井公園の遊歩道でカラスに餌付けをしていたおばあちゃんは、注意を受けてそれを取りやめたということだが、むべなるかな。なにせ、何十匹ものカラスが喧しくそのおばあちゃんの周りを飛び回るのだから、堪ったものではなかった。



43.三態


 東横線渋谷駅に、折り返しの急行が入ってきました。

 乗り込むと、横浜方面から来た乗客は全て降りたというのに、イギタナク眠りこけている若者がいたので、親切に「終点ですよ」とお節介にも起こしてあげたというわけです。

 薄目を開けたその若者は、別段礼を述べることもなく、今度は足を思い切り投げ出して再び眠りに入り、横浜に着いても降りることはありませんでした。

 本当に余計なお節介だったかも知れません。


 駅から会社までの途中に交差点があります。

 足取りもおぼつかないジイサンが杖をついて道路を横切っていました。

 4~5メートル先には横断歩道があるにもかかわらずです。まわりの車や人にはたいそう迷惑なこと。

 そこから少し歩いたところに、電柱が張り出していて歩道が狭くなっているところがあります。

 向うから乳母車を押した若いお母さんが来たので、急いではいたけれど立ち止まって道を譲ってあげたのですが、一言の挨拶も無しに擦れ違っていきました。

 世の中、自分のことばっかりで、人様のことにまで配慮がいかなくなってしまったのは、一体いつからのことなのでしょう?

 そんなヤツには次からバチでもあててやろうか?

 なんてったって、私は神様からバチをあてるお許しを頂いているんだから・・・



44.山でも遍路でも


 山に登る機会はここのところありませんし、単独で或いはカミさんと登ることもこのところ少なくなっております。、ときどき参加していたグループのリーダーは、手術を要するほどのヘルニアで、通常人なら動きもできないほど重症だと思われましたが、何年も皆の面倒をみながら登ってました。

 いよいよしょうがなくなって、先般手術を受けたのですがすぐに復帰して、コルセットはしているものの、とても腰痛もちには見えません。登っていると良くなるのだといいます。

 同行するパーティーの中には、ガンまたはその経験者が何人もいますが、本人がいうまではそんな気配すら感じなかったくらい元気に登り続けていて、仰天したことがありました。

 良い空気の中にいるということもありましょうが、真剣にならないと命にかかわるような場面に遭遇することで、それを乗り越えようとする意思は、多少の不具合くらいは癒してしまうのではないかと思います。

 岩のどのデッパリにつかまって、足をどこにかけ、身体をどの方向に移動させるかを瞬時に判断して対応するということを繰り返していれば、生存本能が否応なく働いて、すくなくとも脳の詰まりはとれて、ボケなんざ治っちまうに決まっている。

 お遍路さんもそうだと思いますが、極限状態になると出てくるものがあるようです。



45.始祖鳥


 青二才ということを言うことがあります

 嘴が黄色いうちに、とも・・・


 1億5千万年ほど前にいたというこの鳥は、鋭い歯をもっておりました。

 なんですと?骨格的には爬虫類のトカゲそのものなんじゃないかって?

 なにをおっしゃるウサギさん。

 飛べようが飛べまいが、羽毛があるのは鳥なのです。

 それにコイツは、空も飛んでいたらしいですぜ。

 なに?そんな大昔の鳥じゃなくって今の鳥はどうだっていうんでありますのかな?

 調べたわけじゃござんせんが、歯の名残のようなザラザラが口中にあるんだとか。


 しかし、嘴の黄色いのは、いつとれて親鳥というようになるのかは尻馬栓。(青竪子)



46.思い出し笑い


 先日なぜだか「謎かけ」のことを思い浮かべ、思わず笑ってしまったことがあります。


 子供の頃、父が出した問題で「目が3つ、手が1本、足が6本な~んだ。」というのがあった。

 どんなに考えても解らないので降参して答えを聞くと、「馬に乗った丹下左善」だという。

 そのとき自分がどう反応したんだったかの記憶はないが、今思うと余りにばかばかしいのだけれど笑える。

 小学校低学年だったのに丹下左善は知っていたから、昔の子供は偉い。(なんのこっちゃ)


 父は小学校5年のときに亡くしたから、覚えていることがさして多いとはいえないが、記憶の大部を占めるのは厳しく怖かった場面で、やさしくしてもらったことも沢山あった筈なのにそれが少ないのはなぜなのだろう。

 父より20年以上長生きしているが、まだまだ元気でいる。

 今更わからずとも良いのだが、私のことをどう思っていたのだろうか。



47.試験問題


 「ここんところが、期末テストに出るということだから。」なんて言葉を真に受けて、ヤマをかけた報いという経験は多々あります。

 ししくったむくい《獅子じゃございません》。


 獅子と言えば、むかし柳亭痴楽の落語、たしか「青春手帳?」かなんかにありました。

 「私はお獅子と獣を持っていくわ。」=私はお寿司と果物を持っていくわ。


 化学反応のゆっくりなのを酸化、激烈なのを燃焼とぞもうしはべるなれど、年少者には、すす→ししはむつかしふおじゃりまする。

 擂り粉木で重箱を洗うように大雑把なもんですが、こういう話題に参加するのも、頭の体操になる。


 ついでの報告

 友人のお誘いに随い「六本木男性合唱団倶楽部演奏会」なるものが催されるというので行ってまいりました。(これも、催しへの参加)

 旦那衆の道楽、学芸会に毛が生えたくらいのもんかと鷹を九九って(多寡をくくって)参りましたところ、本当に参りました。

 日本フィルの演奏に負けない見事なる迫力。かぶってもいないシャッポを脱ぎました。

 わが老年合唱団も負けちゃぁいられないと思いました。来年は気合を入れて花坐留守ホール(ホールっちゅっても穴じゃありません。)かなんぞで公演したいもの。

 そんなわけで(どんなわけかは、いつもと一緒)終電とは相成りました。

 上戸は毒を知らず下戸は薬を知らず。なにごとも中庸が大事であります。



48.取り巻きと常連


 ある受賞記念パーティーの招待状が届いたので出かけました。

 たいそうな盛況で喜ばしいことではあったのですが、一言挨拶してから帰ろうと思っても、取り巻きが囲んでいて、自分達の話をいつまでも途切らせないから近寄れない。

 やむを得ず、遠くからそっと礼をして帰ることにした。


 いろんなお店に、常連と呼ばれる客が他の客を押しやって我が物顔に振舞っていることがある。

 大切なお客様だとなれば、店側でも無下にはできないから、我慢して対応しているらしい様子が見て取れることもある。

 私は、馴染みの店に行っても、なるべく目立たないようにしている。

 取り巻きも常連も、自分が目立ちたいがために、その行動が贔屓の引き倒しになっていないだろうか?と気を配らないと、不愉快に思わせてしまうことで新規の客を失う。



49.手土産に添える


 手土産を持って他家を訪問するとき「つまらない物ですが」と言って手渡すのが、昔風の挨拶でした。

 何時のころからなのか知らないが、「つまらない物を手土産にするのは如何なものか」と文句をつける人が出てきて、それに同調する意見が多くなった結果、使える言葉が狭められた。

 “つまらない物”と言っても、それなりに気を使ったものであることは確かであり、「何でも揃っている貴方様にとりましては、つまらない物かも知れませんが。」という言葉を省いて、日本の美徳である謙遜の気持ちから、そう表現されてきたのである。

 受け取る側もそれは判るから「それはご丁寧に」とか「わざわざすいません」とか感謝の言葉で答えるのが通例になっていた。

 そこに惻隠の情というものが介在しない世の中というのは、殺伐としたものになりかねない。

 字面に現れたものしか判断できないような素養では、奥ゆかしさなぞ望むべくもない。

 しかし、ラジオで聞いた「くだらない物ですが」というのは、流石に耳を疑った。



50.重箱読み


 女優さんだからしかたないか?

 朝のTVで、自分が出演したドラマの仕上がりを紹介していました。ジュウアツな内容になっていると・・・

 それって「重厚」のこと?


 日本語は、音読み・訓読み・重箱読み・湯桶読みと、いろいろあって難しゅうおじゃる。

 あっそうそう、CMなどで防黴を「ボウカビ」って読むのも気になるんだよね。

「ボウバイ」と正しく読んでいるのを聞いたことがない。

 防錆だって、サビじゃなくてボウセイって読まないのが殆ど。

 肉汁も、ニクジルと読む人が普通になってしまって、ニクジュウと言える人を滅多に見なくなった。






















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エッセイ「普通に考えてみると(八)」 @SyakujiiOusin

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