水瀬りのはアイドルであって異世界を救う者ではない
伊達 虎浩
第1話 水瀬りのはアイドルであって異世界を救う者ではない
【プロローグ】
西暦2055年2月14日。
バレンタインデーということもあり、秋葉原の街はカップルだらけである。
そんなカップルだらけの街の中を、一人寂しく歩く少女。
「・・べ、別に寂しくなんかないし」
3本ラインの入った、真っ黒いジャージ姿。茶色い髪はポニーテールで、白いシュシュでとめており、マスクなどはせず、大きなサングラスをかけている少女の名は、現役女子高校生アイドル、水瀬りのという。
秋葉原に何故彼女が真っ黒なジャージ姿なのかというと、声をかけられない為にである。
無論、サングラスも同じ為であったのだが、してもしなくても、声をかけられた事はない。
しかし、アイドルとして秋葉原を歩くのならば、変装をしなくてはと、りのは考えたのだった。
「バレンタインデーかぁ・・はぁ」
羨ましいとか、彼氏が欲しいとか、そういう事を思った事はないのだが、バレンタインデーの日に仕事かと思うとため息をついてしまう。
「ダメダメ。今日が何の日かを忘れたの!?」
りのは、首を振りながら今朝の事を思い出していた。
ーーーーーーーー
とても幸せそうだった。
抱き枕を抱きしめながら眠る我が娘を、母親である麗子は頬をピクピクさせながらおこした。
「いつまで寝ているの!!」
「フンギャ!?」
ベッドから落ちてしまい、何事かと目を覚すりの。
熊の着ぐるみを着て寝ていたりのは、母親に挨拶をした。
挨拶を大切にしなさいが、水瀬家の家訓である。
「あ、お母さん・・おはよう」
「ハァー。全くもうこの子は。もう、こんにちはだよ」
「嘘っ!!」
ガバっと起き上がり、パッと、時計を見るりの。
今日は大切な仕事の日であり、リハーサルが14時からある事を昨日母親に伝え、寝る前にアラームを3個セットしたハズなのだが…アレ?
「・・ねぇ?私には9時に見えるんだけど、電池切れか何か?」
「お
「だ、騙したわね!!」
「でも。目は覚めただろう?」
可愛くウィンクしてくる母親に、りのはちょっとキュンっとしてしまい、頬が赤くなってしまう。
「ところでアンタ今日仕事だろ?いい加減、辞めたらどうだ?」
「これから仕事に向かう娘に対して言う言葉は、それなの?」
熊の着ぐるみをベッドの上に脱ぎ捨て、シャワーを浴びる準備に取り掛かるりのは、母親にそう返事を返す。
(タオルに・・下着に・・それから)
水瀬家は母子家庭である。
りのが小さい頃に父親が亡くなり、それ以来麗子が一人でりのを育てている。
麗子は35歳と若く、18歳でりのを産み、りのが生まれた次の年に、未亡人になった。
りのは、貧しいと感じた事が一度もなく、他の友達に父親がいて、羨ましいと感じた事もない。
熱を出せばつきっきりで看病してくれるし、来なくていいと言っている授業参観にも必ず来てくれる。
そんな母親が、りのは大好きである。
「りの」「何?」
「愛してる♡」
「し、知らない!」
バンっと、扉を閉めたりの。
閉めた扉の向こうから、楽しそうな笑い声が聞こえる。
思わず、口元が緩むりのは、シャワーを浴びる為にと。浴室へと向かうのであった。
ーーーーーーーー
シャワーを浴びたりのは、麗子と遅めの朝食をとっていた。
「ところでアンタ、今日は一体何の仕事なんだい?」
麗子は食後のコーヒーを飲みながら、りのに話しかけた。
聞かれたりのは、ニヤケながら今日の仕事について話し始める。
「今日は、ゲームのアフレコなの」
「アフレコ?なんだいそれは」
「いいお母さん。アフレコって言うのはね」
りのは人差し指を突き立て、得意げに話し始めた。
アフレコとは、声をあてる仕事だ。
声をあてるとは、アニメのキャラクターや、ゲームのキャラクター、または海外ドラマなどの人の代わりに声を吹き込む仕事である。
解りやすく説明するのであれば、道端に猫がいたとして、猫はニャーとしか鳴けない。
そこで猫の代わりに自分が声を出し、まるで猫が本当に喋っているかのようにする。
これがアフレコみたいなものなのだが、これがかなり難しい。
何が難しいのかと言うと、ニャーっと鳴いている間に、決められたセリフを言わなくてはならないのだ。
ニャーと鳴いている時間は1、2秒だろう。
つまり、猫が口をあけている時間はそのぐらいであり、その間にセリフを・・・。
「・・解った解った。大変なのは解ったけど、何でそんなに嬉しそうなのさ」
「だって私の夢だったんだもん!!」
麗子はりのの説明を遮った。
終わりそうになかった為である。
りのとはどんな人ですか?っと聞かれ、一言で言い表すのであれば、オタクであった。
家ではアニメを見て、仕事の合間に漫画を読み、学校の通勤時に、ラノベを読む。
アニメを見るうちにりのは、いつしか自分も声をあてたいと考えるようになった。
そして遂にりのの念願の夢が叶い、2月14日にゲームのキャラクターの声をあてる仕事が入ったのだった。
「ハァー。バレンタイの日にチョコも作らず、男の陰も見えず、本当にアンタは女子高生かい?」
「う、うるさいわね。大体アイドルの私が、彼氏持ちだったらマズイじゃない」
「アイドルねぇ・・ま、頑張りな」
「・・・うん」
麗子は、りのがアイドル活動をするのを、嫌がっているようにみえる。
アイドルは楽な仕事ではない。
毎日気をはって、気を使って、陰でボロクソ叩かれる仕事である。
親としては、娘のやりたい事をやらせてあげたいのだが、傷つくかもしれないと思うと、複雑な気持ちである。
気をはるのは当然、ストーカーに合わない為であり、気を使うのは当然、先輩や番組のプロデューサーさんや監督さんにであり、ボロクソ叩かれるのはインターネット内である。
なら何故アイドルとして活動しているのかと聞かれたら、りのの答えは2つある。
1つは水瀬家の家計の手助けをしたいと考えたからであるが、麗子がお金を受け取ってくれた事は一度もない。
娘に助けてもらうほど、ヤワじゃない、万が一そうなったら、水商売でもはじめるさ。が、麗子の口癖である為、そうならないように、りのはコツコツ貯金をしている。
2つ目の理由は単純に、楽しいからである。
決して楽な仕事ではない。
しかし、こんな自分に会いに来てくれる人がいるのだ。
会って泣いてくれる人がいるのだ。
こんな自分でも、誰かに必要とされているのだと思うと、一生やる価値のある職業だと思っている。
その為、
「じゃぁお母さん行ってくるね」
「はいよ。しっかり働いてきな」
行ってきまーすと、元気よく飛び出したりのに、行ってらっしゃぁーいと返す麗子。
まさかあんな事が待ち受けているとは、この時のりのは知る由も無かった。
ーーーーーーーーーーーー
【1】水瀬りのはアイドルであって異世界を救う者ではない。
現場に着いたりのは、時計を見て深呼吸をする。
時刻は13時である。
14時からのリハーサル時間を間違えた訳ではなく、ワザと早く来たのだ。
りのは芸能界ではまだまだ新人であり、アフレコという仕事に関していえば、超ド新人である。
その為、先輩方より早く来て、あいさつだったり、アフレコのコツだったり、サインを貰ったりしようと考えて早く来たのであったが、何だか様子がおかしい。
「すいませーん。サクラプロダクションから来ました。水瀬りのです」
しかし、返事は返ってこなかった。
一度外に出て、場所の確認をするのだが、場所はあっている。
「奥の方なのかな?」
入り口に入り直して辺りを見渡すも、やはり誰も見当たらない。
普通であれば、こういった所には受付にお姉さんか、警備員の人がいるハズなのだが・・。
とにかく奥の方に行ってみるしかない。
そろそろ楽屋を見つけて着替えたり、台本をチェックしたりしたいと考えたりのは歩きだした。
「し、失礼しまーす」
そこは長い一本道であった。
キョロキョロしながら歩くりの。
楽屋があれば、自分の名前があるハズなのだが、部屋などない。
「おっかしいなぁ・・」
部屋どころか窓すらない廊下。
もしかしてドッキリなのだろうかと考えたが、だとしたらそろそろ何か起こってもいいハズである。
時計を見ると13時10分をさしていた。
引き戻そうかとも考えたが、引き戻した所で何もないのは解っている。
もしかしたら入り口を間違えてしまい、この先に誰かいるかもしれない。
「進む・・べき・・よね」
りのは左手で壁を触りながら、右手を胸にあてる。
自然と右手は、握り拳になっていた。
もしもドッキリだったら覚えときなさいよ!と、前野マネージャーの顔を思いだしながら、りのは先へと進んだ。
ーーーーーーーーーー
しばらく歩いていると、ようやく部屋が見えてきた。
ホッと一息ついたりのは、小さく深呼吸をする。
「楽屋かな?スタジオなのかな?」
りのは、部屋の扉の前でノックをする。
「こんにちはー。サクラプロダクションから来ました水瀬りのと申します。本日は・・」
失礼のないように、大きな声ではっきりと喋るりのの言葉を遮るかのように、プシューっという音とともに扉があいた。
「どうやらスタジオみたいね」
ジャージ姿であるが、コレは仕方がない。
楽屋が何処かを聞いて、着替えれば問題ないだろう・・それよりも。
りのはニヤケがおさまらなかった。
何故ならばこの扉の向こうに、憧れの録音スタジオがあるかもしれないのだ。
「写メっていいのかな?誰かいるかな?あーもぅ!緊張するぅぅぅう」
心臓が口から飛び出しそうだという言葉は、本当にあるのだとりのはこの時知った。
失礼しますという言葉と共に、きちんとお辞儀をするりの。
顔をあげたりのは、その光景を見て固まってしまう。
そこは不思議な部屋であった。
ーーーーーーーー
アフレコ現場。
通称、録音スタジオと呼ばれる部屋で、声優さん達が収録を行うといえば、椅子がL字に並べられ、マイクが3本立っていて、マイクの前に大きなモニターがあり、映像に合わせて代わりにがわりに声を吹き込んでいくイメージである。
灼熱大陸というテレビでもやっていたし、声優さんを題材にしたアニメなどで、何度も見ている光景だ。
しかし、そこには椅子など置いていなかった。
「…ま、間違えた?」
辺りを見渡すと、壁にはハードディスクみたいな物が大量にあり、目の前にはキーボードと、パソコンらしきモニターがあるだけである。
もしかして、個別収録か何かなのかとりのは思ったが、それなら無くてはならない物、マイクがないのはおかしい。
しかし、入り口からここまで歩いてきたが、ここ以外に部屋はなかった。
りのは不安そうにしながらも、部屋に入ってキーボードの前まで歩いていく。
りのが歩き出すと同時に、部屋の扉が閉まる。
ひっ!?っと悲鳴をあげてしまったが、自動ドアなら閉まるのが普通である為、特には気にしないりの。
まさか、閉じ込められたなどとは、夢にも思わずりのは、キョロキョロしながら語りかけた。
「す、すいませーん。サクラプロダクションから来ました。水瀬りのと申します。本日はファイナルクエスト3のアフレコに来たんですが・・」
りのが喋りだすと、目の前のモニターが起動する。
りのは触ってもいないのだが、電源が急にオンになったのだ。
「誰か見ているのかしら?それとも・・」
それともセンサーか何かがついているのだろうか?
モニターを除きこむと、モニターには文字が書いてある。
《welcome!!》と。
「ようこそ!!・・か。一応、歓迎されてる・・のよね」
りのはアゴに手を当てながらブツブツと呟き、キーボードのEnterキーを叩いた。
キーを押すと文字が変わって、新たな文字が出てきた。
《you are name?》
「貴方の・・お名前は?・・そうか!」
りのは結論を出した。
誰もいなかった受け付け。
何も無い長い廊下。
そして、訳の解らない部屋の中でのこの作業。
これが、この会社なりのセキュリティであり、きっと、入力が全ておわったら、何処に向かえばいいとか指示がでるはず。
りのはモニターに出てくる文字(質問)に、片っ端から答えていく。
入力スピードは尋常じゃない。
何故ならりのは、2chの申し子でもあるのだ。
「名前は
順調に質問に答えていたりのの、手の動きがピタリと止まる。
「ちょっと待って。声優さんの仕事にコレは必要あるの?」
だとしたら、声優さんは毎回答えているのだろうか。
モニターにはこう書かれていた。
《3size?》と。
ーーーーーーーー
サイズと聞かれたら、身長か足の大きさかのどちらかであろう。
しかし、3はスリー。
すなわち今聞かれている質問は、プロポーションについてである。
そもそもthreeではなく3と書いてある所に、悪意を感じてしまう。
「お、落ち着けわたし!アイドルなら良くある質問じゃない」
プルプル震える右手。
この質問になると、いつもこうであった。
上の方から答えるのが普通だろう。
つまり、胸の大きさから・・。
バッっと、辺りを見渡すりの。
当然、誰も見てなどいない。
「少し・・ぐらい・・少しくらいなら・・」
震える右手人差し指で、8のキーの所へと手が伸びる。
りのの胸は7●ぐらいなのだが、少しぐらいサバをよんでもいいのではないかと、心の中で葛藤する。
自分は今高校生。
すなわち、成長期である。
何か聞かれたら、成長しました!と答えて…嫌、メジャーを持ってこられたら困る。
待てよ。
入力を間違いました!ならどうだ?
8のキーを押して、バックスペースキーで消して、また8のキーを押してを繰り返すりの。
「待つのよりの!これは夢への第1歩。嘘ついてどうするの」
声優の仕事にスタイルは全く関係はないのだが、女性として、譲れないものがあるのだ。
しかし、これで夢が叶わなくなってしまうのは嫌だと、りのは正直に7のキーを叩いた。
一通りの入力が終わり、次の質問にうつるりの。
質問はこうであった。
「職業は何がいいですか?か……アイドルよね?」
何がいいですか?と聞かれても。恐らく、声優か、女優か、タレントか、アイドルかと聞いている質問だと思ったりのは、アイドルと入力をし、キーを叩いた。
最後の文字を、りのは今でも忘れない。
《good luck》
幸運を祈るという意味である。
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