第16話 旅館と露天風呂と……


 日が暮れ、俺たちは旅館の方へと足を運んでいた。

 宿泊予定の旅館はビーチからほんの数分の場所に所在し、歩いていると立派な装飾が施された如何にも高級そうな旅館が見えてきた。


「会長、あそこに泊まるんですか?」


 俺はさりげなく聞いてみる。


「ああ、そうだ」

「しかも貸し切りだぜ」


 会長の答えに正が補足をする。


「か、貸し切り!?」

「ああ、会長の粋な計らいでな」


 正が小声でそっと耳打ちをする。

 さすがは月花学園の最高権力者。こんなことまでできるのかと驚きつつ、改めて生徒会長という権力の強さを実感した。


「お待ちしておりました、向郷様」

「うむ」

 

 旅館の入り口に入るなり、沢山の使用人たちがぞろぞろと出てくる。

 代表で向郷会長が諸手続きを済ませて、荷物等を預ける。


 そして全てのチェックイン作業を済ませると俺たちは旅館の使用人に泊まる部屋へといざなわれる。


 今日泊まる部屋はこの旅館で一番お高いといわれる高級スイートルームだ。

 大人数で部屋に泊まれる上に、小さな部屋がいくつもあるので男女一緒に泊まることができる。


 元々高級旅館なのにスイートって……俺なら多分一生手に届かない未知の領域である。

 多分これが最初で最後の体験だろう。


「すごいな……俺こんな所に泊まるの初めてだわ」


 ポロっとこぼした俺に正が不思議そうに言った。


「ん、お前スイートルーム泊まったことないのか?」

「うん、ないよ」


 俺は真面目な顔で答える。

 すると正は、


「そうなのか。俺は企業関連のパーティーとかあると確実にスイートルームだったな」

「私もそうね」

「私もお父様のパーティーに招かれた時は一緒に泊まったかな」


 星宮さんも白峰さんも過去に泊まったことがあるようだ。

 その他の人もスイートルームに泊まったことがあるみたいだった。


 流石は現役の坊ちゃん令嬢の皆さん方だ。

 もう暮らしから何から比べようがない。


 割と普通の学園生活を送ってしまっていたためか俺は大事なことを忘れていた。

 この学園はあらゆる業界の御曹司やお嬢様がそろって入学してくる学校なのだと。


「でもまあ泊まったことないなら今日はよかったじゃないか」

「ま、まぁな」


 でもやはりこういうセレブな品格に溢れた場所はやはり緊張する。

 

 だがそんなことも気にせず俺の首に腕を回すと、「はやくいこうぜ」と言ってくる。

 俺は「おう」と一言返事をし、そのまま引っ張られるようにして部屋へと入った。


 そしてその傍らでは國松副会長と向郷会長が、俺たちのことについて話していた。


「よかったですね、会長」

「ああ、よかったよ。金山に良き友人ができて」

「心配していましたもんね」

「うるさい! ただあいつの素性を知っているのは私とお前しかいないからな」

「そうですね。私もホッとしていますよ」

「まあこれも國松、お前あってのことだ。礼を言う」

「ほ~会長が素直に頭下げるなんてらしくないですね。何かいいことでもありました?」

「お前は張り倒されたいのか?」


 微笑む副会長に会長は少しだけ顔を赤らめた。

 そしてその後、俺たちは豪華な夕食を食べ、部屋で少しくつろぐと、旅館のメインイベントとも言える露天風呂へと行くことになった。


「会長が言うにはここの露天風呂は最高らしいぜ」

「こんな豪勢なとこなんだからきっと露天風呂は相当なものだろうね」


 脱衣所でそんな会話をしながら服を脱ぎ、扉を開けるとそこは地下都市の絶景を背景に大きな露天風呂が姿を現した。


「うわあ~やべえなこりゃ」

「これは予想外だったな」


 あまりの絶景に俺たちはその場に棒立ちになってしまった。


「お、おい金山、早く身体洗って入ろうぜ!」

「そ、そうだな!」


 俺たちは早々と身体を洗い、貸し切りの露天風呂へとダイブした。


「いやっほ~! 最高だぜ!」

「ああ、来てよかった!」


 無数の星が輝く夜空に地下都市の絶景を見ながら露天風呂に入る。こんなに至福のひとときはないだろう。

 ここが全て人工的に作られた場所なんて初めて見る人は到底思わない。

 まさか風呂一つでここまで感動できる出来事が訪れるなんて思ってもいなかった。


(さ、最高だ……)


 温度も丁度良く、時折吹く夏の風がとても心地よかった。

 疲れが身体全体からスゥーっと抜けていくのが身に染みて分かる。

 ホント、最強の露天風呂だ。


 で、そんな最高な環境の中で疲れを癒していると、女性側の露天風呂からは白峰さんたちの声がした。

 女性用の露天風呂との隔離は竹の柵一枚だけしかなく、声も全て聞こえる仕様になっていた。


 もちろん、俺たち男子側の声も向こうからでも聞こえる。

 

 そんな事実に気付いてしまった正は、


「おい……金山」


 真剣な眼差しでこっちを見てくる。


「な、なんだよ」


 俺もその事実に気付いた時、いや……露天風呂という時点で察していたが、それはズバリ的中してしまった。

 こういうイベントには必ず一人や二人は変な行動に出る奴が出てくる。

 特に正のような男はその典型だ。


 しかし俺は何も知らない風を装い、彼を見守っていた。彼は絶対にはしないだろうと信じていたからである。


 ……だが、どうやらそれは俺の思い違いだったようで、


「金山、もうここまで来たら俺たちは引き返せないと思うんだ」

  

 今までにない真面目な顔で彼はそう言う。

 俺は少し軽蔑したような目で、


「なにがだよ」

「決まってるだろ! の・ぞ・きだよ!」

「は? なんでそうなる?」

「愛の神エロースはこう言っている。『ここで覗かなくてどこで覗くのか』と」

「は、エロース?」


 正は完全に自分の世界に迷い込んでしまっていた。

 もうこれは俺が何を言っても彼の耳には響かなかった。


 まさかの事態が事実へと変わり、俺は困惑する。


 そして長々とオレ流哲学を語り上げた正は、俺の腕を強く引っ張る。


 そして――


「さあ、行くぞ金山! 俺たちのヘブンへ!」


 そういうと彼は竹でできた柵に手をかけた。


「おいおい、やめとけ!」


 必死に止めようとするも彼はもう止まらない。

 それにしてもなんていう力だ……振りほどこうにもビクともしない。


(やばい……このままじゃ……)


 俺の危険察知能力がビンビンに働き、色々と対処するが正の行動は依然として止まなかった。

 

 一方、女子側の露天風呂では――


「す、すごい……これ全部人が作ったものなんて」

「本物さながらのクオリティよね」

「この施設につぎ込んだ資産は相当なものらしいからな」

「こんな綺麗な星空の下でお風呂なんて贅沢ですわね」


 彼女たちは体を洗い、ゆっくりと露天風呂に浸かった。


「やばい、凄く気持ちいい」

「ええ、本当。疲れがどんどん引いていくわ」


 白峰さんと星宮さんが満足気な表情で言う。


「ここは美肌効果や肩こりやハリにも効くというな」

「他にも疲労を取ったり、病気を予防したりするのにも良い効果を発揮すると聞きましたわ」

「そうなんですか! お肌スベスベで疲れも取ってくれるなんて最高じゃないですか。ありがとうございます会長」


 星宮さんが嬉しそうに体をさすりながら礼を言う。


「私も近頃は身体を休める時がなくて疲れを癒せないでいました。向郷会長、今回はありがとうございました」


 白峰さんはいつもの如く冷静に会長に礼をした。


「気にするな。金山のこともあるしな」

「金山君がどうかしましたか?」


 すると会長は少し下を向きながら、「いや、なんでもない」といった。


「それにしても翼ちゃん、体の大きさに似合わず立派ですわね」


 香恋先輩がこう言いながらいきなり会長の胸を触りだした。


「か、香恋先輩!? どどど、どこ触っているんですか!」


 会長が顔を真っ赤にして抵抗する。


「いいじゃないの、長い付き合いなのだし」

「そういう問題じゃ……きゃっ!」


 すると今度は白峰さんや星宮さんまでもが標的にされた。


「夕ちゃんと芽久ちゃんはどんな感じかな?」


 そう言って星宮さんの胸も触りだした。


「や、やめてください先輩。んっ……」

「あら、芽久ちゃんは形がいいわね」


 両手で押し込むようにして触り、星宮さんの大きな胸に手が吸い込まれていく。


「ところで白峰はどうした?」

「夕ちゃんならさっき上がっちゃたわ」

「そ、そうか。それならよかった」


 会長が白峰さんまで被害に遭わなくてホッとしたような姿を見せる。


 そして時を同じくして再度男子側――


「お、おい聞いたか今の」

「あ、ああ……もちろんだ」


 いつの間にか俺も彼の言いなりなってしまっていた。

 彼の怒涛の説得が俺の脳に一種のマインドコントロールを植え付けたのである。


「やっぱり星宮さんのあの胸は本物だったんだな」

「偽物ではないだろう」

「いや、でもいるだろ? パッドして盛ったりさ」

「盛ってもあそこまでいくのは無理だろ」


 同級生の女の子の胸の話ばかりしてなにをやっているんだと後々考えたら思うことだが、今はそのことに夢中になってしまっていた。


「これはいくしかないんだ。そうだろ友よ!」

「ああ……! もちろんだ友よ!」


 手と手をガッチリと握り合い、互いの気持ちを共有する。

 そして俺たちは本能に任せるように柵に手をかけ、登ろうと試みる。


 ……が、その時だった。


「君たち、何やってるんだい?」


 俺と正はいきなり話しかけられてビクッとした。

 後ろを振り返るとそこには國松副会長の姿があったからだ。


「しょ、彰吾か……脅かすなよ」

「なんで見られたのが僕でホッとしているんだよ」

「こんなの他の人に見られたら終わるだろ! なあ、彰吾。このことはもちろん黙っておいてくれるよな?」

「さて、どうしようかな」


 國松先輩がいじわるそうな顔をする。


「た、頼む……」

「俺もすみませんでした。出来心とはいえやりすぎました」


 すると先輩はいつもの爽やかな表情に戻った。


「まあ、今日の所は見なかったことにするよ。でもポイントは結構持ってかれたんじゃないかな」


 俺たちは私利私欲の走りすぎたせいかポイント制度のことをすっかり忘れていた。

 急いで脱衣所に戻り、学生端末を見てみると未遂とはいえ50APも減らされていた。


「ま、まじか……」

「これもし仮に覗いていたとしたらこんなんじゃ済まなかったな」

「犯罪レベルの行動を起こしたときは最悪の場合、処刑の対象になるからね。ポイント関係なしで」


 これを機に俺たちは下手な行動はしないと誓った。

 俺も我に返った時にはもの凄く後悔をした。


 まさか自分もこんな行動に出るなんて……と。


 俺たちは風呂から上がり、皆が出てくるのを待っていた。


「ち、ちくしょう……こんなくだらないことでポイントが」

「まあ、完全に今日は俺たちが悪い」

「そ、そうだけどよ。厳しいよ本当にこの学園」

「なんたって次世代の国を背負う人間を育成する場だからな」


 こう表現すると凄く壮大に感じるが、実際は高校時代という一度限りの青春を高度教育で束縛されている気がした。


「あ、二人とももう上がっていたんだね」


 星宮さん一行が女子脱衣所から出てきた。


「ん? 國松の姿がないが」

「國松先輩ならまだ入っていますよ。先に行っていていいと言ってました」

「そ、そうか」


 会長はどこが不安そうな顔をした。


「会長もそんな顔をするんですね」


 会長はいきなりこう言われて驚いたようだった。


「な、なんだ金山。私がどんな顔をしていたというのだ?」

「いや、なんかちょっと不安そうというかなんというか」

「何に対してのことだ。考えすぎだ」


 会長は少しだけ動揺した雰囲気を見せるも最後は冷静にまとめた。

 

 だがその時だった。


 俺はなにやら人の気配を感じる。

 まるで誰かに自分を見られているような感覚だった。


 だけどこの感覚は初めてじゃない。

 前にも、似たようなことが……

 

(いや待てよ、この気配……まさか)


 ハッと思い、俺はその人影を追いかけるために皆に先に行っているようにと告げた。

 この感覚は前に味わった時の感覚とかなり似ていた。


 俺をこの学園に誘った張本人であり、そしてこの学園の秘密を知るための唯一の存在であり、キーパーソン。


 そう……あの長身の黒ずくめの男、KDと初めて会した時と同じ感覚だったのだ。

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