対症的植物園

@whispering

栂瀬 映は子供っぽいという話

 

「いただきます」

「……いただきます」


 溶かした味噌の匂いが鼻をくすぐる。目の前には箸を持って、よく味の染みていそうなじゃがいもを一口で口に放り込んだ栂瀬サンの姿が。

 箸の持ち方だとか、配膳の仕方だとか、食卓の彩りだとか、そういうところは細かく綺麗にしているくせに、いざ食べるという時にはマナーが吹っ飛ぶらしい。

 かく言う俺も、そんなマナーだとかは知らないけど。


「……食べないの?」


 大きめに切られていたじゃがいもを頬張って、飲み込んで。開いた口から問われた言葉には首を振り、味噌汁を啜る。ほどよい味噌の塩気が美味しい。具は長ネギだった。


「なんかほっとするんすよね。味噌汁」

「うんうん。じんわり温かくなる感じが良いよね」


 今は食事の時間。晩御飯。

 出されたものは食べなければ。なにより、普段からカップ麺やらレトルト食品で済ませてしまう俺にとって願ってもないことだ。

 ……食事を作ったのが栂瀬サンでなければ。


 栂瀬サンは人を食べる。

 人を殺したことは無いらしい。孤独死したおばあちゃんを処理して、その時から人を食うことを覚えたとか。ぶっ倒れていた俺を助けてからは、俺が殺した人を食っている。

 老若男女、味だけで言えば子供が良いらしい。丁寧に処理して作られる料理はそこらにある一般的な料理と味は変わらないと思う。

 信用していないわけじゃない。

 でも栂瀬サンは少しおかしいから、こうして出した料理に人が使われているのかもしれない、なんて不安になる。それに今日の晩御飯に誘ってきたのは栂瀬サンからだ。その時断ればよかったのに、なんで夕方の俺は頷いたんだろう。

 まあ、人殺しが人食いを非難するなんて、それこそおかしな話ではあると思うけど。


 今日のメニューはご飯、味噌汁、肉じゃが、ほうれん草の胡麻和え。

 ご飯や胡麻和え、味噌汁はともかく、肉じゃがに手を出す勇気が今ひとつ足りない。

 あまりのうるささにやけを起こして人を殺したのは、確か二日前。大柄で臆病な、筋肉質な男だった気がする。そういえば栂瀬サンって、一人を食べ切るのにどれだけ時間をかけて食べるんだろう。人一人、骨や頭髪なんかを差し引いたとしても、それなりの量は採れるはず。見たところ平均よりか弱そうな見た目をしているし、すぐ消費なんかできないはずだ。


「石榴くん?」

「えっ、あぁ、な、なんすか?」


 昨日見たホラー映画が悪かったのかもしれない。人を食う家族が出てくる映画だった。内容はB級にもほどがある、なんならZ級でもプレゼントできるかもしれないそれ。

 最後は警察に追い詰められて、家族みんな互いを食いあって終わった。呆気ないエンディングを迎えたそれと今の状況がダブることはないんだけど。


「安心してね。ちゃんと、普通に作ったから」


 何も言えなかった。

 どことなく寂しそうに、困ったように笑う栂瀬サン。まるで俺が考えてることを見透かしていたんじゃないか、そう思えば自然と口に唾が溜まる。味噌汁で温まったはずの身体が冷える気がした。


「ご飯は温かいうちに食べるのが一番だよ」


 そう言って、栂瀬サンは粒の立ったご飯を口に運ぶ。まだ湯気の立つ温かな白米を熱そうに、口元を押さえながらほくほくと食べる様子は至って普通の女の子だった。

 同じようにご飯を口に。やっぱり見た目通り熱い、温かい。僅かに甘みのある米を何度か咀嚼して、味噌汁を啜る。

 栂瀬サンに目を向けると、やっぱり少しだけ困ったような微笑みで肉じゃがに手をつけていた。人参なんかも味が染みて美味しいんだろう、白滝だって美味しそうに色を染めているし、彩りに添えられたさやえんどうも鮮やかだ。

 とても美味しそうな肉じゃが。でも、だけど、そうだとして。

 人って美味しいんだろうか。


「栂瀬サンは、どうして人を食べるんすか?」

「急だね。なんで?」

「聞いてるのは俺っすよ」


 胡麻和えに箸を伸ばす。ほうれん草の芯が少し残っていて、それがしゃきっとして美味しい。胡麻の風味だって香り高く、ちゃんと活きている。料理がほんとに上手いんだな、栂瀬サン。


「うーん、美味しいものを食べるのが好きなだけだよ。人って一番近くにあるけど、食べちゃいけないものだから、食べてみたかったの」


 それがどうかしたかと、そう後付けでもするんじゃないかってくらいに淀みない答え。間違ってるとは露とも思っていないんだろうな。


「同じ形の生き物なのに」

「でも自分ではないよ」


 ぴしゃりと投げられた言葉。

 遠い国の人は四本足のものは椅子以外食べると言うけど、栂瀬サンは椅子すらも食べるんじゃないかと思う。言ったら「流石に食べないよ」と言うんだろうけど、さっき浮かべていた目は、自分以外を食べ物として見ているような、底の見えない目だった。

 人が野生動物にでも見えているんだろうか。


「それに、誰だって幸せになりたいって欲求はあるし、私にとっての幸せは美味しいものを食べることだよ」


 そういって肉じゃがの肉を掴む栂瀬サン。サシの入った薄切り肉は、見るからに味がしみて、美味しそうだった。甘めの汁をふんだんに吸って、柔らかく舌の上で崩れ、溶けてくれそう。そんな想像を頭に思い描けるほど。


「石榴くんの幸せとはきっと違うから、石榴くんに私と同じものを無理やり食べさせるなんてしないし、私の幸せを分けてくれって言っても簡単にはあげられないよ」

「本当に?」

「本当に」


 そう語る栂瀬サンは笑っていた。

 幸せを分けることは出来ないと。

 人を食べることがが栂瀬サンにとっての幸せだと、そう言って笑っていた。


「だから、冷めないうちに食べてほしいな? 気が向いてるうちに」

「……はいはい」


 四文字の簡単な台詞。もはや少し冷めてしまっているけど、味が落ちるなんてことはない。

 肉じゃがは思った通り美味しかった。

 柔らかく崩れるじゃがいもやにんじん。ぷるりと弾力のある白滝。しゃきしゃきと歯触りを残したさやえんどう。ほろりと崩れる柔らかな肉。

 ジャンクフードに慣れた身としては薄味のような気はするけど、それでも優しくて懐かしい気がする味だった。


「ごちそうさまでした」

「……ごちそうさまでした」


 食べ始める時と同じように、食べ終わるのも二人一緒に。栂瀬サンは最後に水を飲んで俺を眺めていたり、たわいない雑談を振ってくれたりしていたから、ぴったり同時にというわけじゃない。


「ところで、なんで今日飯に誘ってくれたんすか?」

「今日は質問が多いね。……普段、ご飯って一人で食べてるから、誰かと食べたいなって思ったの」

「人恋しい時が栂瀬サンにもあるんすね? 家畜と同じ食卓で飯を食う趣味があるとは思わなかったんすけど」

「家畜って、石榴くんのことそう思ってないよ」

「犬猫?」

「違います」

「じゃあデザートとか」

「違うって」


 少しだけむくれたような顔を作る栂瀬サンに首を傾ける。栂瀬サンは自分に素直でわかりやすいと思っていたけど、イマイチ意図が読めない。

 あ、もしかしてこれからの取引で優位になれるよう恩を売っておくとか。


「ご飯、美味しかった?」

「え?」

「質問してるのは私だよ。……美味しかった?」


 少し気恥ずかしそうにそっぽを向いて、頬を掻く栂瀬サン。その耳が赤くなっているのは目の錯覚ではないはず。

 一人で食事をしているのだと、栂瀬サンは言っていた。それが嘘でないのなら。


「……美味しかったっすよ。めっちゃ」


 その言葉を差し出せば、栂瀬サンは俺を見る。少しだけ頬を赤くして、嬉しそうに微笑んで。

 少しおかしい栂瀬サン。でも今は普通の人のようで、調子が狂う。感想が欲しいだなんて、小さい子供みたいな、いや実際俺らは子供の範疇だけど、そうだとしても。

 でも。


「それは、よかった」


 そう言って深くなった笑みに、俺は何も言えなくなった。

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