詐欺師の逸話1
「俺が詐欺師になったのは、齢二十の頃だ。そん時は気力と漠然とした希望に満ち溢れて充実した日々だったよ。
いつの日かは忘れたが、父親から茶の間へ来いと厳命する目で言われた。そん時の俺は、両親に詐欺師として働いてることは言ってなかったから、ついにバレたのだろう、どう言い訳しようかなどと、考えながら茶の間の襖を開けた。
茶の間では父が座卓の前に正座でいた。
「座れ」
父に言われたまま、対面に腰を下ろした。もちろん正座だ。
「なんだよ、親父」
「あいつにはもう伝えたんだが……実に言いにくい話でな」
あいつ、ってぇのは親父の女房、つまり俺の母親だな。
「言いにくい話だってぇ、何を今更」
今思えばこの時点で、父が俺の生業を咎めるつもりはなかったことを、察するべきだったんだな。若い頃の俺は、早とちりが過ぎた。
「言いにくい話だが、息子にも伝えなければならない事だ」
「だからなんなんだよ、その話ってのは?」
「実はな、父さん末期ガンを患ってるんだ」
言葉も出なかった。父の口から末期がんなどと単語が出てくることなど想像もつかなかった。
親父は普段から冗談は言わない質だが、俺は親父の告白を悪い冗談だと本能的なところで思って、決めつけた。
「どうしたんだ親父、冗談なんか言って。それこそ頭がガンなんじゃねえか」
「……父さんは本気だ」
いつにもなく親父は、真剣な顔をした。
「まさかマジなのか?」
「そうだ、マジだ」
親父はしっかりと頷いた。俺からしたらよくもまあ、大病の身体でどっしりと構えていられるもんだ、と不思議に思ったよ。
「もう、行っていいぞ」
「えっ、ああ」
俺は親父の温和な容貌に見入っていた。普段の父と何ら変わりないが、それでも少しだけ毎日顔を合わせていないとわからないくらいに、頬がこけていた。
親父にかけてやる言葉も思いつかなかったから、俺は茶の間を出た。
茶の間から出てきた俺に、いつの間にいたのか襖の横に立っていたお袋が、縋るようなそれとも寂しそうな目で見た。
「父さん、あんたになんて言ったの?」
「うん、末期ガンだって」
「そう、他には?」
「他? まだ何か俺の知らない隠し事があるのか?」
「そういうわけじゃない」
そう言って安心したように口元を綻ばせると、お袋は居間の方に歩いていった。
次の日に、親父は急激に体調を崩して地元の大学病院に入院することになった。
担当医は親父にガンを診断したベテランの医師で、そいつは余命はあって三か月でしょう、と辛そうに宣告した。
「治す方法はあるんですか?」
俺は希望がないことを薄っすら気づきつつも、医師に訊ねた。
医師は首を横に振る。
「がんが様々な臓器に移植しており、手術は困難でしょう」
「困難? ならまだ可能性はあるってことじゃねーのか?」
若かった俺は幾らか斜に構えているところがあったから、医師の言葉にたてついた。実を言うと、そうすることで親父の病魔に侵されていることに対する憤懣を、紛らわせたかったのかもしれないな。
怒鳴るように問い詰めてきた俺に、医師はびくりと背を少し反らせたが、すぐに元にもどした。
「残念ですが」
それだけ告げると医師は、他の患者の検診もあるので後ほど、と気遣いもなく廊下を去っていった。
その日から親父が死ぬ四か月後まで、俺は五日に一度は必ず見舞いに行った。見舞い品を提げてな。
入院して二か月ごろだったか、見舞いに来た俺に親父が訊いたんだ。
「仕事の方は、順調か」
「あ、まあ、順調というか上手くやってるつもりだぜ」
「そうか、ならば父さんも頑張らなくてはな」
その台詞を聞いた時は、突然どうしたんだと思ったが、家に帰って母さんに話したら二日前まで、かなり体調を悪くしていたというんだ。俺はその時、親父の死が間近なのをひしひしと感じたよ。
親父は俺とお袋が来た時は元気そうに振舞っていたが、それでも親父は入院から四か月で、帰らぬ人となったわけだ。
親父によく頑張ったと称えたいよ。三か月と宣告された余命より、一か月も長く生きたんだからな。
親父が死んだあとも俺は職を鞍替えせず、詐欺師を続けた。それが過ちの始まりだとは、当時は思いもしなかった。
親父の死から早十年が経っていた。
俺もまだ現役の詐欺師で、キャリアの長さと相手に詐欺と思わせない少額を騙し取る手口から詐欺師界では、鼠小僧って呼ばれてたんだ。
しかしまあ、ここで詐欺の手口はどうでもいい。それよりそん時の俺の、社会的貢献が大事なんだ。
詐欺師だった俺だが、表向きはものすごく善良な小金持ちっていう体裁で暮らしてたんだ。
俺は詐欺で貯めた私財の一部を、地元の老人ホームに寄付した。それも一回限りではなく分割でな。
他にも様々な寄付や援助金を出資した。
そんなある日、日頃の善行のおかげか俺に好意を寄せてくれる女性に出会った。
俺は詐欺師の知人から一人の女性を紹介され、予定を合わせて会うことにしたんだ。
喫茶店で待ち合わせ、俺はアイスコーヒーを啜って彼女を待っていた。
「初めまして」
俺の座るテーブルの前に立って、丁寧にお辞儀しててくる女性がいた。
「おう、初めまして」
俺が応じると彼女も椅子に腰かけ、ハンカチで額の汗を急いで拭いた。
彼女はウエイトレスに俺と同じものを頼んで、ウエイトレスが離れると俺に話しかけてきた。
「椎名緑です、お願いします」
「そんな畏まるなよ」
俺は恭しいのは好きじゃない性分だから、第一印象の彼女は扱いにくい女だな、と思っていた。
「園部さんから聞いたんですけど」ちなみに園部は彼女を紹介した知人の名前だ。「柏崎さんって、三河出身なんですよね」
「そうだよ」
「私も三河の豊橋出身なんですよ」
彼女は表情を輝かせて、自分の出身地を明かした。
俺はその嬉しそうな表情に、感じたことのない胸のざわつきを覚えた。いわば惹かれたわけだ。
三河で過ごした懐旧談で会話が弾むに弾んで、俺と彼女がすぐに打ち解け、連絡先を交換してその日は別れた。
その後、俺は買い物や食事に誘ったり誘われたりして彼女と度々会うようになった。
恋愛経験なんぞ高校生での片思いくらいだったが、彼女との距離が程よく縮まった頃を見計らって正式な交際を申し出た。
彼女からオッケーの返事を聞いた時は、年甲斐にもなく跳ねて喜んだよ。
そうして初デートは水族館へ行った。
彼女は最初は俺の誘いに応じただけみたいに、静かに付き添ってたんだが、いざ水族館の中を回り出すと、抑えていた興奮が弾け出たようにはしゃいだ。
この魚可愛いね、とか。これ大きい、とか。このやつはあんまり好きになれない、とか。様々な感想を様々な表情で口にしていたよ。俺からしたらそうやって楽しそうにしている彼女が一番可愛かったけどな。へへ。
水族館からの帰りに車中で彼女は、こんな質問をぶつけてきた。
「私の事、好きになった?」
「当たり前だろ、そのせいで胸がうきうきだ」
正直俺はぞっこんだったね。彼女の魅力に骨抜きされたんだ。
「私もあなたのこと好きだよ。今度もデートに連れてってね、一緒にいると安心もするし」
俺が生涯ここまで褒めそやされたのは、一度もなかった。
それから俺は夢想するようになった。彼女と自分が幸せな時間を過ごしている光景を。ひどい時には、彼女が新妻になって登場することもあった。
彼女といる時だけは自分が悪徳な詐欺師であることを忘れていた。俺は彼女との幸せに酔いしれていたんだ」
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