短編集

@Midoriha

おやすみ、人形

暑い夏の日だった。

「もう行くのか。」

父の寂しそうな、悲しそうな声が背中から聞こえた。

「うん、もう行く。」

できるだけ無機質に答えた。

母は玄関に見送りには来ない。


小さなスーツケースをもって、眩しい空を見上げる。

うん、元気に、笑顔で。

「じゃあ、さよなら。」


もう、父にも母にも会わない。

私はそう決めた。事実上の縁切りだ。


私は小さい頃から母に厳しく育てられた。

ビンタもあったし、怒鳴りつけられることもしばしばあった。

母は、私が母の言う通りに生きない事を酷く嫌がっていた。

私の将来なりたい夢の話をすれば、よく怒られた。

次第に私は母のために自分は生きているのだと、思うことにした。

そうすれば辛いことなど何も無いのだから。


しかし、高校生になり、

友達が将来の夢に向かって目を輝かせて頑張る姿を見るようになって、

自分の置かれている境遇に腹立たしさを感じた。


何故、自分は自由に生きては行けないの?

なぜ自分の人生を諦めなければいけないの?


そう思うようになってから、何度も母と衝突した。

正直、殺意さえ湧いていた。

お前さえいなければ、そう思った。


嫌だった。

母のために生きてきた自分を、否定する事も、

自分がこのまま母のために生きていくことも。


全てがぐちゃぐちゃだ。

そして家を出ると決意した。

それこそ、今までの喧嘩の比にならない位、揉めにもめた。

大泣きされたし、怒鳴られもした。

しかし、全てはねのけた。

怖かった。また流されて昔に戻るのが。


1,2年生の間にバイトで金を貯めて、

3年生で就職先を見つけた。


小さな工房の事務と接客をすることになった。


とても晴れやかだった。

1人というのが、こんなにも清々しいものなのか。


給料は少ないが、老舗の工房の老人夫婦は優しく、孫のように可愛がってくれる。


しかし、愛情を持って優しくされるという事に慣れていなかった私は、ひたすら困惑した。

気持ち悪いとさえ思う日もあった。

なぜ私に、優しくするのか理解ができなかった。

いつか、慣れることを祈るばかりだ。


しかし、私は程なくして、眠れない夜が続いた。最初は、慣れない環境だと思った。

だが、いつまで経っても、頭の中は騒がしく寝れない。それからしばらくして、逆に起き上がれない日が続いた。眠たい訳では無いのに、起き上がれなかった。


そして、

自殺未遂をした。


理由は簡単だった。

生きる理由がない。

眠れない夜も、仕事のふとした時も、起き上がれない朝も、気がつけば私は母のことを考えていた。

母のために生きてきた私は、自分のために生きたいと思うには、あまりにも、あまりにも長い間母に依存していた。

母が喜ぶことをし、その笑顔を見るために私は生きていた。

母を愛していた。母を、異常なまでに愛してしまっていた。


工房へ行って仕事をし、帰ってくると喪失感に苛まれ、何もしたくなくなった。


人形は、人間にはなれない。

人形が、人間になれる筈などなかった。


人形には戻りたくなかった。

でも、もはや人間にもなれないとするなら、

私は何になれるのだろう。

母から離れたところで、私はまた、生きるために、拠り所となる誰かを探すのだろうか。

そして、その誰かが居なくなれば、また他の誰かを…


そんなことを考えるのが数ヶ月続いた。

やりたいことを書き出してみても、

挑戦してみたい料理の材料を買ってきても、

気がつけば途中でやめていた。


歌を歌った。絵を描いた。写真を撮った。講演会に行った。snsをやってみた。遠出をしてみた。思い切り泣いてみた。映画を見た。本読んだ。英語の勉強をしてみた。ネイルや化粧をした。可愛い服を買った。金魚を飼ってみた。


こんなにも沢山、やりたいことをやってみたのに、

私はなにも楽しいと思えないのだ。幸せだと思えないのだ。

そう、悟った。

そう悟ったら、もう、覚悟ができた。


夕焼けの綺麗な日だった。

自分の命を謳歌する生き物になれなかった

私を、憐れむかのようだった。


眠たくて、目を閉じた。

このまま、ずっとずっと眠ってしまおう。


覚めない事を祈りながら。


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