カレーは生き物 第二章 料理×生物=クックリーチャー!! 4



          * 4 *



「本当いったい、これはどういうことなの?」

 オフィスで大きくしたエーテルモニタ二枚を見比べるミシェラは、頭を抱えていた。

 今日の朝方までに通報された分を含めて、料理魔術の暴走の報告は二〇〇件を超えていたが、そのうちクックリーチャーの発生が合わせて報告されているのは八〇件足らず。

 しかし、料理魔術を配信している会社から提出されたログを確認してみた限り、暴走が起こったと思われる件数は五〇〇を超えていて、その半数以上でクックリーチャーが発生している兆候がある。

 おそらく突然の事態に、発生したクックリーチャーを放置したりその場から逃げたりした人がいると思われるが、それだけではなかった。

 いまのところクックリーチャーの対処についてはWSPOの管轄に移され、執行部隊の派遣にハードルはなくなったが、発生の報告がされていない場所についてはまだ捜査を行うことはできない。

 WSPOと現地警務隊とは、旧世界のICPOと現地警察のような確執があった。

 そのためWSPOから依頼して、クックリーチャーが発生していると思われる料理魔術を使った人の元へ、現地警務隊に捜査を依頼して行ってもらっているが、あまり進捗が上がってこない。

 それでもある程度確認できてる中には、ログから確実に発生が確信できている場所でも、クックリーチャーなんて知らない、と証言している人が多数いた。

 ――秘匿してる人がいるわね……。

 ため息を吐きながら、ミシェラは机に手を伸ばす。

 スナック菓子の袋を手に取ろうとするが、一瞬ためらって、隣に置いてあるスティックフードを取ってひと口かじった。

 かなりの部分をバイオ素材にしていても、機械部分も少なくないミシェラの身体は、人間向けの食事だけでは維持できない。労働時間が長くなって、お菓子を食べて気分を発散していたが、そろそろ栄養の方が不足気味になってきていた。

「まったく、面倒な仕事を押しつけてくれて……」

 拳を握り震わせて、ロマンスグレーの爽やかな黒い笑みを思い浮かべるが、関わった事件を解決せずに下りるわけにもいかない。

 もう一枚エーテルモニタを開き、事件に関する進捗を確認する。

「まぁでも、けっこう進展したわね」

 昨日の約束通り、夜のうちにロリーナから送られてきた改良版の料理魔術用の解除魔術と、スペルコードの解析データにより、捜査は大きく進展した。

 WSPOの執行部隊は解除魔術を使って、早速凶悪なクックリーチャーの何体かを材料に戻すことに成功していたし、解析データからバグが制作者の意図したものであることがほぼ確定したため、料理魔術の配信は今朝方に停止命令を発することができた。

 ロリーナの解析データがなければ、あと最低でも一週間は暴走の原因が特定できず、その間ずっとクックリーチャーが発生し続ける状況になっていたはずだ。

「でもいったいどこにいるのよ! 長谷川蓉子!!」

 椅子から立ち上がったミシェラは、両手を頭の上に突き上げて叫んだ。

 バグが偶然ではなく意図的であることが確定したため、長谷川蓉子は重要参考人から容疑者となり、全自治体への指名手配が行われた。

 いまから三時間前の朝方、会社に登録されていた自宅、そして彼女が所有や借用している家屋に同時に踏み込んだが、その姿はなかった。

 すぐさま自治体警務隊と協力し、近日中の足取りを追おうとしたが、料理魔術配信開始時間の直後、ネオナカノのジオエリアにある自宅を出た後、行方をくらましていた。

「捜査の進捗はどんな感じだ?」

「課長ぉーっ!」

 そう声をかけてきたスミス課長にすがりつき、ミシェラはシワひとつないスーツをしわしわにしてやるつもりで強くつかむ。

 今日は少ないながらオフィスにいる他の捜査官が苦笑いを浮かべているが、無視する。

「長谷川蓉子の捜査、私にやらせてください!」

「なんだ、嫌がっていたのにやる気じゃないか」

「違います! さっさと解決したいだけです!! 警務隊から上がってくる情報では逮捕までどれくらい時間がかかることかっ! 事前通知なしで捜索できれば、もう少しマシに――」

「それは難しいな、ミシェラ捜査官」

 魔法か奇術のような鮮やかな手つきでミシェラのホールドを外したスミス課長は、彼女のメカニカルアイを見据える。

「でも捜査協定では広域指名手配中の容疑者の捜査は――」

「確かにそうなのだが、あちらにはあちらの立場が、こちらにはこちらの立場がある。君の言うこともわかるが、凶悪事件の類いならばともかく、騒ぎの範囲は広くても本人に凶悪さが認められないいまの状況では、強引な捜査は今後の別の捜査に支障を来す可能性が出てくる。WSPOの立場はあまり強くはないのだよ」

 そんなことはミシェラもわかっていることだった。

 自治体に捜査に出れば、イヤというほど感じられる事実だ。

 しかし長谷川蓉子は、できれば早く確保したかった。

 たった二日ほどしか配信されていなかったというのに、料理魔術の人気は凄まじく、それの配信停止命令を出したWSPOには批判が集まっていた。

 後回しにしていたが、その批判に関する対応まで何故かミシェラの元に送られてきていた。

 料理魔術の配信を再開するにしても、膨大な量のスペルコードからバグを取り除くためには、長谷川蓉子本人がやらなければ短時間で行うのは無理だと判断されている。

 それに予感に過ぎなかったが、彼女は早めに捕まえなければならないような気がしていた。

「容疑者に関しては何かわかったか?」

「あまり。二十代半ばでいろんな自治体を転々としていたのは記録からわかっています。スペルクリエイターはたいていそんなものですが、彼女も主に自宅で仕事をしていたようです。所属していた会社の事務所にもほとんど顔を出していないので、人物像は判然としません」

 すでに事件に関する進捗報告にも掲載していることであったが、エーテルモニタを開いたミシェラは口頭でスミス課長に説明する。

 長谷川蓉子の軌跡については、すでにある程度情報が集まっていた。

 若い頃から天才的なスペルクリエイターとして注目され、数多くの魔術をほとんど独力で組み上げている。その能力に対する報酬はかなりのもので、二十代半ばながらかなりの資産を為していた。

 人づき合いは希薄で、性格を細かく知っている人は過去を含めて所属していた会社にはいない。学生時代も同様で、友達付き合いはほとんどなかったし、健在の両親は現地警務隊からの情報待ちとなっていた。

「ただ、ひとつの自治体から別のところに転居するときは、必ず恋人と別れたタイミングらしいんですよ」

「その恋人については?」

「名前と居所はわかっています。まだ聴取の結果は届いていませんが」

「ふぅむ」

 考え込むように顎を撫でるスミス課長。

「単純で簡単な仕事だと言っていましたよね? 課長」

「あぁ、言ったとも。長谷川蓉子を確保できれば、料理魔術のバグに関する事件は解決。言葉通り非常に単純で簡単な仕事だろう?」

「言葉尻ではその通りでも、いま彼女の捜索が困難を極めているわけですが?」

「なぁに、まだ捜査を開始して二日目じゃないか。そんなものだよ」

 飄々と言い放つスミス課長を、ミシェラは上目遣いに睨みつけていた。

「ただまぁ、ちょっと気になることがないわけではなくてね」

 言って課長はエーテルモニタを開き、ミシェラの方に向ける。

「なんですか? これ」

「見ての通り、ペットや魔導生物に関する捜索願や売買トラブルの案件をまとめたものだよ」

「それは……、わかりますが」

 ぱっと見てそれは言われなくてもわかった。ここ二日分、WSPOに寄せられたものをまとめたものだ。

 けれどそれを課長が見せてくる理由がわからない。

 売買トラブルは自治体を跨ぐ場合があるので、本人や現地警務隊経由でWSPOに連絡や協力要請が来るのはわかる。けれど捜索願は、ペットでも魔導生物でも自治体を跨ぐことは珍しく、WSPOの案件であることはまずない。

 それにも関わらず、少ないながらもWSPOに捜索願が提出されていた。

「これになんの意味があるんです?」

「このすべてが、未登録のペットや魔導生物の案件だけで、この数だと言ったら?」

「ん?」

 ペットは未登録で飼う人は少なくないが、魔導生物は機能や性能の大小に関係なく、外に連れ出すものについては自治体への登録が必要だ。

 生まれたばかりの魔導生物なら未登録なのは不思議ではないが、そう考えると全世界からにしても数が多すぎる気がした。

「では、捜索願を提出した人の住所を見てみようか」

 案件データが住所データに切り替わり、もう一枚開かれた大きなエーテルモニタには、分割してそれぞれの住所データを元に各地の簡易地図が表示された。

「あ!」

「関連性については不明だがね」

 縮小したエーテルモニタを渡され、ミシェラは受け取った。

「料理魔術のバグについては単純で簡単な事件だが、それと並行して、もっと大きな事件が起こりそうな気がするよ」

「どうしてそう思うんです?」

「長年の勘だよ」

「……だったらあと何人か、人を回してください!」

 言いながらオフィスの中を見渡すと、すでに人影はひとつもなかった。隠れたか、逃げたかしたらしい。

「空いてる人員がいないんだから仕方ない。頑張ってくれ」

「課長!」

 ぽんぽんとミシェラの肩を叩き、スミス課長も出て行ってしまう。

「今回の件が解決したら、絶対一週間は休みもらいますからね!」

 他に誰もいなくなったオフィスで、ミシェラの空しい声が響き渡った。



            *



「降りられた!」

 今日も学校に登校して、発着場に降り立った僕たち。

 コツをつかんだのかひとりでバイクから降りられたキーマは、僕に得意げな笑みを見せてくれた。

 彼女の頭を撫でてあげてから、バイクを駐機場に入れるために歩いている間も、キーマはおとなしく着いてきてくれる。

 昨日までだったら、興味のあるものに向かって走って行ってしまったりしていたのに。

 朝もおとなしく起きてきたし、食事もけっこう行儀良く食べていた。

 基礎インプリンティング学習を施すってことは、そうした知識も得るってことだけど、笑顔や口調はいままで通りなのに、キーマは以前よりおとなしくなった。

 ――なんか、寂しいな。

 おとなしい方が扱いやすいのはわかってるけど、走り回って手を焼かされたときは泣きそうだったのに、そのときがなんだか懐かしく感じてしまう。たった二日のことだったのに。

「どうしたの? 克彦」

「うん。パパ、元気ない?」

 駐機場まで着いてきてくれたロリーナとキーマに指摘されて、僕は微笑む。

「大丈夫だよ。キーマがいい子にしてるから、嬉しいだけさ」

「えへへ」

 頬を赤く染めてはにかむキーマは、やっぱり僕の知ってるキーマだった。

「んー? 今日のホウキ、どうしたのぉ?」

「そう思えばいつものと違うね」

「あぁ、ママのお古。予備のジュエルつけたんだけど、本体もこの前のでガタ来ちゃってね。わたしのはオーバーホールに出しちゃった」

 ロリーナが今日乗ってきたホウキは、ずいぶん古風な、形だけなら掃除をするのに使いそうなものだった。

 いつも乗り回してるのはメカメカしい奴だけど、なんとなく彼女にはいまの奴の方が雰囲気的に似合うような気がする。

「これは秘密だけどね、カテゴリー六のマナジュエル搭載してるんだよ」

「……」

 登校中の他の生徒との距離を気にしながら、潜めた声でロリーナが教えてくれた。

 そりゃあロリーナの母親は現役魔法少女。

 あの人ならば魔法少女として出動するときはカテゴリー一〇オーバーの魔法が使える、代々受け継がれてる魔法具があるし、法律的な制限も魔法少女だけに緩いから、一般人では許可申請すらできないカテゴリー六のホウキを持っていても不思議じゃない。

 でも市販されてる魔術具はカテゴリー三まで。理由があって申請して買えるものでも一般人にはカテゴリー四が最大。

 カテゴリー五以上は自治体管轄か、軍事用途でしか使わないような大きな魔術用だから、一般人が買えるものではないし、持ち歩いていいものでもない。

「しーっ」

「しーっ」

 ロリーナが唇に人差し指を当てて言うのを真似て、キーマも同じようにしている。

 ――あれ? なんかちょっと違うな。

 昨日までは、キーマはロリーナを敵視している様子があって、少しずつ打ち解けてきた気はしてたけど、今日は何だか仲良くなってるとこまで来てる。

 ――何かあったんだろうか。

 いつもキーマは僕と一緒にいるから、何かあったんだとしたらわかるはずなのに、と思いつつ、三人で並んで昇降口から校舎に入った。ホウキ用のロッカーにお古のホウキを収めたロリーナと一緒に教室に向かう。

 と思ったら、僕たちの行く手を遮る人物が現れた。

 ――なんだあれ?

 僕たちの前に腕を組んで立ち塞がったのは、カグヤさん。

 それからいつも通りにこやかな笑みを浮かべて少し後ろに控えてるツクヨさん。

 そのふたりよりも、僕はカグヤさんの肩に鎮座している、見慣れぬ生き物の方が気になっていた。

 白いウサギのように見えるけど、翼が生えてる。

 装飾ではなく、広げてパタパタと羽ばたいているのを見ると、そういう生き物らしい。いままで見たことなかったし、こんな生き物がいるというのも知らなかった。

 ――イヤな予感しかしない。

「かわいいーっ」

 僕の予感をよそに、キーマは羽ウサギを見て声を上げた。

 ロリーナも同様らしく、緩みそうになるのを必死で押さえているようで、頬が引きつってるのが見えた。

「料理魔術の配信が停止されているのは、知っているか?」

 挨拶も前置きもなしに言い出したカグヤさんに、ロリーナは一気に表情を曇らせた。

 それは僕も確認していた。

 今朝早く料理魔術はバグが発見されたため、改善されるまで配信を停止すると発表があった。

 ネットでは早速再配信を求める声と、もう数百件になっているらしい暴走の件が話題になっているのは見ていた。

「知ってるけど?」

 応えながらため息を漏らしたロリーナ。

 カグヤさんの後ろに控えているツクヨさんは、噴き出しそうなほど頬を引きつらせている。

 ツクヨさんをひと睨みしたカグヤさんは、言葉を続ける。

「WSPOがクックリーチャーを駆除して回っているという話は?」

「まぁそうなるだろうと思ったけど、やっぱりね」

 それについては情報はなかったけど、予想通りと言えば予想通りだった。

 クックリーチャーを完全駆除するなら、解除魔術で材料に戻すのが手っ取り早い。

 ミシェラさんは対応については検討中と言ってたけど、ロリーナから受け取った解除魔術でWSPOの執行部隊は手っ取り早い対処に乗りだしたってことだろう。

 でもそこまで言われれば、羽ウサギの正体もわかってくるというもの。

「その肩の、クックリーチャーよね? 料理魔術の暴走で生まれた生物」

「うっ」

 苦々しそうに顔を赤く染め、カグヤさんは大きく一歩後退りながらうろたえる。

「そっ、その通りだが、それがどうした!」

「やっぱりね……」

 肯定されなくてももうわかっていたことだけど、羽ウサギはクックリーチャーだった。

 額に手を当てて呆れてるロリーナは言う。

「昨日のうちに全校生徒に注意勧告はしてもらってたはずだけど? 魔法力の高い人が料理魔術を使うと、暴走する可能性が高いって。それなのになんで使っちゃうわけ? 貴女は」

「うっ……。ウルサいウルサい!」

 ウルトラロングの黒髪を乱しながら、カグヤさんが地団駄を踏む。

「いったい料理魔術で何をつくろうとしたの?」

「それは……、その、クッキーをつくろうと……」

 もじもじと言うカグヤさんに、片眉を跳ね上げたロリーナが重ねて問う。

「何のために?」

「……」

 何故か僕のことを恨めしそうに見てくるカグヤさん。意味がわからない。

「それはもちろん、克彦さ――」

「え?」

「うわーっ! うわーっ!」

 大声で遮って、カグヤさんはツクヨさんの言い出した言葉を口ごと手で塞いだ。

 なんでか納得したらしいロリーナは、深く深くため息を漏らしていた。

「お、主は失敗したかも知れないが、わらわならば成功すると思ったのだ……」

「それで失敗してたら世話ないでしょ。まったく」

「そ、そんなことより、お前たちのやっていることに一枚噛ませろっ」

「えぇっと?」

 深呼吸して表情と気持ちを引き締めたらしいカグヤさんは、キーマのことを見て言った。

「お主たちはその子を住民登録できるよう、新種申請を行うつもりなのであろう?」

「そうだけど……」

「わらわもこのクッキーを住民登録したいのだ。そのためにお主たちに協力すると言っている!」

「クッキー?」

 どうやら羽ウサギの名前らしいクッキーは、翼を広げてカグヤさんの肩から舞い上がった。

「え?」

 翼を羽ばたかせたのではなく、ふわりと浮いたクッキーは、そのままロリーナまでふわふわと飛び、その柔らかい胸に飛び込んだ。

「……この子、もしかして?」

「その通りだ。クッキーは魔術が使える。それくらいには頭がいいのだ」

「基礎インプリンティング学習は施せたのですよ」

 よく見ると、クッキーの首には首輪がついていて、そこには赤い宝石がぶら下がっている。たぶんカテゴリー二のマナジュエル。

 ロリーナの問いに答えたカグヤさんと、それを継いで話してくれたツクヨさんの言葉の通りなら、魔法生物のペットにしか見えないクッキーの脳は、人間並みに発達しているということだ。

 飛び込まれて思わず抱いているロリーナの胸に、気持ちよさそうに顔を埋めているクッキー。

 その顔は、ウサギだからわかりづらいけど、何となくいやらしい表情をしているような気がした。

「可愛いーっ!」

 胸を揉むように顔を動かしているクッキーに、さすがに腹が立って僕がつまみ上げようとしていたとき、先にキーマがロリーナから奪い取るように抱き締め、頬ずりを始める。

 ――いい気味だ。

 力加減なしに抱き締められてるクッキーは苦しそうにしてるけど、助ける気にはなれない。

「まぁだいたい言いたいことはわかったけど、新種申請の方はこっちのツテを使うつもりだから大丈夫。念のためクッキーの詳しい情報を送ってもらえる?」

「わかりました」

「ツテならこちらもかなりあるぞ。わらわも手伝えるであろう?」

 データの入ったモニタを弾いて僕とロリーナに送ってくれるツクヨさん。

 キーマからクッキーを抱き上げて肩に戻したカグヤさんは食い下がってくるけど、ロリーナの表情は硬い。

「貴女のツテが強力なのはわかるけど、自治体とかWSMとかに使うわけにはいかないでしょ? 月下人からの干渉はけっこう問題になると思うけど?」

「うっ。それはまぁ、そうだが……」

 地球人と月下人は決して敵対してるわけではないけれど、それなりに軋轢があるのも確かだ。

 古くから独立して月の地下で生き、魔法力の高い月下人はプライドも高く、地球は地球で異星人はもちろん、元々地球育ちでない月下人からの政治的な干渉は嫌う傾向が強い。

「貴女にはこの人の捜索をお願いしたいんだけど」

 言ってロリーナがエーテルモニタで表示したのは、昨日ミシェラさんに見せられた長谷川蓉子の写真。

 データは渡されてなかったはずだけど、いつの間にコピーを取ったんだろうか。

「これは誰だ?」

「長谷川蓉子。料理魔術にバグを仕込んで、クックリーチャーを生み出すようにした張本人。貴女のツテなら、そう難しくないと思うけど?」

 多少軋轢はあれど、月下人と地球人の行き来はいまはかなり活発だ。

 地球には数十万人の月下人がいろんな街で生活している。プライド高く愛国心の深い彼らは、カグヤさんの号令があれば一斉に動いてくれるだろう。

 カグヤさんの底知れないツテは、人捜しにはうってつけだ。

「人捜しなど容易いが、クックリーチャーの新種申請の方が先であろう? クッキーの生存が最優先だ。こんな可愛い生き物が生存できない世界などあり得ぬわっ」

「それはこっちでどうにかするって。まぁそれができないって言うなら、他に手伝ってもらうことはとくにないから。おとなしく待ってて」

「なっ、なんだとぉ?!」

 薄笑いで冷たく突き放すロリーナを、カグヤさんは瞳に怒りの色を湛え、睨みつける。

「その長谷川蓉子という方が、何かしそうなのですか?」

「まだわからないけどね。何か企んでいそうなのよ」

 ツクヨさんからかけられた質問に、ロリーナは表情を曇らせながら答えていた。

「ふんっ。わかったわ! それくらいのこと、簡単にこなしてやろう!」

 まだ怒ってる様子のカグヤさんは、何故か僕に近づいてきて、顔を指さしてきた。

「克彦! お主のためにやるわけではないからな!! あ、あくまで、クッキーのためにわらわは動くのであるからな!」

「あ、うん。わかってる」

 耳まで赤く染めて言ってくるカグヤさんに、僕はそれ以上なにも言えずに何度も頷いていた。

「くっ……。ふんっ。行くぞ、ツクヨ!」

「はい。カグヤ様」

 何故か楽しそうに笑っているツクヨさんを連れ、カグヤさんは行ってしまった。

「はぁ……。乗せやすくていいんだけどねぇ」

 微妙な表情でそれを見送ったロリーナに、僕は訊いてみる。

「やっぱり、何かありそうなの?」

「まだわからないけど、バグを仕込んだ理由と、トリガーがどうしても気になってね。イヤな予感がするのよ」

「そっか」

 その辺はロリーナがどんなことを考えているかは、僕にはわからない。

 キーマと、そして僕を助けるために考えているんだ、ということはわかる。

 そしてキーマは、いまの話がわかっているのかどうなのか、ロリーナと同じ複雑そうな表情を浮かべていた。

「キーマ?」

「うん? パパ。教室行こっ」

「あぁ、うん」

 キーマが伸ばしてきた手を繋いで、僕は教室に向かって歩き始めた。



            *



「まさかここまで早いとは……」

 女性がエーテルモニタで表示しているのは、料理魔術の配信停止を告げる告知。

 薄暗く、広さのつかめない部屋で、唯一の光源であるエーテルモニタの光に照らされた女性の顔は、歪められていた。

 女性の予想では、料理魔術の配信はあと一週間は続けられるはずであった。

 暴走すればクックリーチャーが生まれることはすぐに認知されるであろうが、暴走の原因が仕込んだバグにあることは、膨大なスペルコードを解析しなければわからない。

「もうコードの解析が終わったとでも言うの?」

 怪獣をジャガイモに戻したのは魔法少女であったようだから、汎用の解除魔術であっても、魔法少女クラスの魔法力を使えば解除は可能なはずだった。

 だがバグの特定となれば、魔術の解析に長けているだけでなく、自分と同じ天才的なスペルクリエイターでもなければこんなに短期間には不可能だと、その女性、長谷川蓉子は考えていた。

「これはマズいわね……。もしかしてここも突き止められちゃうかしら?」

 振り返って見たそこにあるのは、円柱状の水槽。

 床に設置された基部にも、上部にもたくさんのケーブルが接続された水槽は、エーテルモニタの光が届く範囲に十数基が置かれている。

 その中には、様々な形の、自然に生まれたものではない動物が、眠るように浮かんでいた。

 クックリーチャー。

「WSPOにも解除魔術がもう回ってるらしいし、本当にマズいわね。このままでは最終作戦の発動が危うい? そんなわけにはいかないのに……」

 そう言って軽く曲げた人差し指を口元に寄せた長谷川蓉子は、軽く噛みついていた。

「ん?」

 ポケットの中に入れてある携帯端末が、メッセージの着信を告げる振動をしたのに気がついて、長谷川蓉子はエーテルモニタでそれを開いた。

「これは……」

 現れたのは、褐色の肌をし、金色の髪をした幼い女の子。

 添えられていたのは、彼女を調査したものらしいデータ。それから、短いメッセージ。

「これなら計画を完遂できるわ」

 モニタを閉じた長谷川蓉子は、唇の端を歪めて微笑んだ。

 しかし少しうつむいた彼女は、首を傾げる。

「これは、いったい何に使うものなんでしょう?」

 白衣のポケットから取り出したのは、何かのスイッチ。

 白い円柱状の筐体の先端に、赤いボタンがひとつ。

 それを見つめて、長谷川蓉子はいつまでも首を傾げていた。




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