異世界運営は今日も戦い続ける

ST

第一章

第1話

 東京都北区の一角にそのビルは存在する。

 外壁のひび割れた陰気な雰囲気の四階建て。

 三階にとあるゲーム会社がテナントしている。

 会社の名前は『株式会社アルペジオ』。主な事業は社名と同名のスマートフォン向けゲーム『ARPEGIO』の運営。

 真夏の昼下がり、ビルの入り口に一人の青年がたたずんでいた。

 沢渡遊歩(さわたり・ゆうほ)は大学生とニートの中間のような存在だった。

 大学進学を機に福島から東京へ出てきて一人暮らしを始めたが、もともと社交的な性格ではなく、東京に物怖じしていたせいもあって新生活のスタートを完全に失敗、そのままずるずると大学の単位だけは取得していたが、他になにをするでもない虚しい暮らしを続けていた。

 三年生になり、周囲が就職の準備を始めると、さすがに焦りだした。しかし彼には趣味もなければ特技もない。この三年間続けてきたことと言えば、人並程度の勉強と、時間を持て余して手を出したスマホゲームくらい。

 これではいけない。

 なにか経験しなければ。実績を作らなければ。

 悩む青年の前に一つの希望が出現した。いくつも掛け持ちしているスマホゲームの一つが運営スタッフを募集していた。しかもユーザー限定、素人歓迎と条件されている。願ってもないチャンスだ。迷わず飛びついた。公式サイトで応募すると、数日後にメールで連絡があり、近いうちにいつでも事務所へ来てくれとあった。

 なんていいかげんなんだ。

 実に『らしい』対応だ。遊歩は苦笑した。

 ARPEGIOは大人気ゲーム――ではない。

 むしろマイナーゲームと言っていいだろう。

 今やスマホゲーム業界はゴールドラッシュが終わり非情な戦争時代に突入した。

 新作の一年存続率は10%を切る勢いで、さらに5年存続率ともなれば1%以下とも言われる。レッドオーシャンを超えたブラックオーシャン。もともとこの業界は山師のような連中が少なくなかったのだが、最近は財政的困難も伴って、直前まで課金煽ってから突然のサ終(サービス終了)など詐欺的なケースも目立ってきている。

 ARPEGIOの運営はそういう悪質業者とはまた違って意味で悪名高い。

 一言で言うと、やる気が感じられない。

 公式サイトはまるで90年代のような質素さ。ゲーム本編のテキストは明らかに校正されておらず誤字脱字だらけで分量も少ない。お知らせはメンテ明けから数日経ってやっと更新される。そもそもメンテが延長したり不定期だったり、緊急メンテも日常茶飯事。UIは使いづらく、一向に改善されない。そして一ヶ月に数日開催されるかどうかというイベント頻度。

 文句なしのクソゲーである。

 しかし長所もあった。

 ARPEGIOは王道RPGである。プレイヤーは精霊族を率いて悪霊族の侵攻を撃退する。ダンジョンで敵を倒し、アイテムを集め、ガチャで引いたキャラを強化して、より難しいダンジョンにチャレンジする。ゲームデザイン自体はありきたりだが悪くないし、それを支えるグラフィックとサウンドが素晴らしい。流れる水、生い茂る草花、吹き抜ける風の音、魔法が炸裂する爆音。どれもハリウッド映画顔負けのクオリティ。BGMは貧弱だが、それがまた硬派でいいという意見もある。キャラクターの多さも信じられないほど多い。攻略サイトを見ても、マイナーゲーで編集者が少ないということもあるが、極々一部のキャラしか掲載されていない。誰も見たことのないキャラクターのほうが多いとすら言われている。

 このゲームは無料石を滅多に配らないことでも有名だ。

 おかげでほとんどのユーザーが早々に離れていった。だが課金さえすれば、ガチャ単価はそれほど高くないし、キャラ数が極めて多いのでダブりの心配も薄い。つまりガチャ中毒者にとってはそれなりに魅力的と言えなくもない。

 総合的に判断して、ARPEGIOはいつサ終してもおかしくないゲームだった。

 課金ユーザーである遊歩ですら、それは認めていた。

 だからこそ、というのもあった。

 運営には言いたいことが山ほどある。

 素材はいい、素材はいいのに、マネジメントがあまりにもクソ。

 スタッフとして採用されなくても、運営に直談判したい。遊歩が求人に応募したのはそのためでもあった――とはいえ、実際に会社まで来てみるとやはり足がすくんだ。なにしろ相手はいくらゴミ運営とはいえプロ。自分はまったくの素人。それどころか半ニート。顔を合わせてビシッと言ってやる、なんてことできるだろうか。自信はみるみる枯れていく。真夏の太陽の下にいるにもかかわらず、遊歩は嫌な寒気すら感じていた。

「……もうどうにでもなれ!」

 数分ほど立ち尽くした末に、いよいよ意を決してビルへ踏みこむ。

 エレベーターを降りると社名が書かれた扉があって、ノックすると中から「どうぞ」としゃがれた声が聞こえてきた。扉を開けると、玄関脇に声の主が座っていた。

 一瞬、遊歩はおののいた。その老人は今まで見たどんな老人とも似ていなかった。鼻はとても大きく、まるでペリカンのくちばしのようだ。白い髪はビニールテープのような質感で、染みだらけの肌、顔面の半分以上を隠している。現実の存在というよりも、童話の登場人物みたいな雰囲気だった。

 受付には若い女性でも座らせておくものだ。印象がいいから。普通の企業はそうする。それがこんな老人を置いておくなんて。潔いと言えなくもないが。

「ではでは、そちらの部屋でお待ちくだしゃい」

 呂律の回っていない老人にうながされ、遊歩はオフィスの一室へ通された。不安はますます膨らむが、ここまで来てしまったら、もう引き返すことはできない。面接室はまた質素というか貧相というか、スチールの机が一つにパイプ椅子が二つ用意されているだけ。

 失敗した。来るんじゃなかった。

 そんなことを考えてもしかたないのだが、だからといって考えないようにしてもまたしかたがない。気がまぎれればそれでいいと開き直り、ひたすら後悔して次の展開を待つ。そうしていると話し声が聞こえて、ゆっくりと扉が開いた。

 場の空気が変わった。

 現れたのは若い女性だった。

 背は高い。平均的成人男性である遊歩と同じか、それ以上だ。足の長い、端正なプロポーションのせいでなおさらそう感じた。濃紺のスーツと対照的なプラチナブランドの髪。緑色の瞳と優しげな笑みも印象的。……などと、外見について言葉を尽くしたところで彼女の本質は語れない。なによりも彼女を特徴付けるのはその存在感だ。

 遊歩は東京に住んでいながら天皇どころか総理大臣も国会議員すら見たことがないのだが、偉い人間というのはこういう雰囲気なのだろう、と感覚的に確信した。寂れたビルに入っているゲーム会社の面接室という、まったく権威を付与しない舞台にあってなお、気品に溢れているというのは尋常なことではない。

 面接のマナーを意識したわけではない。

 自然と遊歩は立ち上がっていた。

「どうぞ、お座りになってください」

 彼女に言われると、遊歩はよく訓練された犬のように従った。

「私の名前はアルカナ。以後お見知りおきを、ユーホ」

「あ、こちらこそ」

 外国人なのだろう。

 いきなり下の名前で呼び合うのもそれなら自然だ。強引な理屈でむりやり自分を納得させるが、同時に、それにしては日本語が流暢すぎるという疑問も生まれる。

 アルカナとの会話はそういうことの連続だった。

「お住まいはどちらですか?」

「荒川です」

「ア・ラ・カワ……? ああ、トウキョーの、アラカワですね」

「……」

「お仕事はなにをされていらっしゃるのですか?」

「大学生です」

「ダ・イガク・セイ……? そんなクラス、あったかしら……」

「……」

 どうにも会話が噛み合っていない気がする。

 遊歩も女性と楽しくおしゃべりするスキルに乏しいが、それにしたって、この場に限っては確実に彼女のほうが元凶であった。遊歩の発する単語の多くが彼女にとって理解不能、あるいは知識としては知っているが馴染みのないものであるようだ。辻褄が合わない。なにも特別な言葉は使っていない。常識的な単語もわからないのに、なぜ彼女はこんなにも流暢に日本語を話せるのか。アルカナの発音には微塵も違和感がない。

 まったく不思議。不思議ではあるのだが、しかし、それは結局今日ここに来た目的とは関係がない。遊歩がこの会社に来たのは運営スタッフとしての面接を受けるためだ。面接官が不気味な老人であろうと不思議な美女であろうとそれは変わらない。

 話を本題に戻す。

 アルカナはいくつか質問した。

 たとえば、今回の面接に志望した動機。

 遊歩はオブラートに包んで答えた。

「御社のゲームをプレイしていて、そのクオリティに感銘を受けたからです」

 嘘ではない。

 ARPEGIOのグラフィックやキャラクターには本当に感心している。悪いのはすべてプロデュース。それを改善するために応募したのだが、さすがにそこまで単刀直入にはなれない。この女性こそおそらくはプロデューサーか、そうでなくてもそれに近い存在だ。いくら内心ではクソゴミ運営だと思ってはいても、初対面の相手にそれを直言するほど肝が据わってはいない。

 アルカナは優雅にうなずいた。

 その所作一つとっても実に上品だ。

 ますます本音で話しづらくなる。

 質問はさらに具体的な件へ移っていった。

「当社のゲームをプレイしていただいでるようですが」

「僭越ながら、かなりのヘビーユーザーだと自負しています」

「あらあら、それはありがとうございます」

「さらに他のスマートフォン向けゲームも数多くプレイ経験があり、このユーザー目線が御社で活かせると信じています」

「頼もしいですね」

 これは厳しい面接だ。

 いわゆる圧迫面接のようなわかりやすい障害はないが、アルカナの反応はなにを言ってもまるで響いている様子がなく、手応えがない。相手の出方を見て、こちらの態度を変えるということができない。自分の持っている手札をすべて切っていくしかないが、それが的外れていたら万事休す。

 幸いにも時間だけは十分にあった。

 面接は三十分ほど続いた。

 それがなおさら遊歩を焦らせてしまった。そもそも彼はそんなに面接の上手な人間ではない。最後の最期で、ついに勇み足から大失敗してしまう。

「あのっ……それで――結局、俺は採用してもらえるんですか?」

 終わった。

 口に出してすぐに後悔した。面接で最もやってはいけない失敗のひとつをやらかしてしまった。遊歩の顔が青ざめる。だがアルカナは笑みを崩さなかった。その上、とんでもないことを言い始めた。

「実を言うと、この面接は形式的なもので、合格不合格は最初から決まっているのです」

「な、なんですって!?」

「今回の募集に応募してくれた地球人は、実を言うと、あなただけでした。もうすこし、集まると思ったのですが……それでも、たった一人の希望者があなたのような人でよかった。我々も喜んで結果を言い渡せます」

 なんだか奇妙な単語が聞こえた気がするが、もうそんなことはどうでもよかった。

「ユーホ、あなたは合格です。ようこそ我々の世界へ。歓迎します」

 採用だ!

 採用されるならば面接の過程などどうでもいい。

 思わず立ち上がって拳を握りしめて喜んだ。

「よしっ! ありがとうございます!」

 アルカナは柔和な笑みを崩さない。

 感情的になってしまったことを遊歩は恥じて、また座った。

「すみません。それで、採用なら、具体的な仕事内容についてですが」

「ええ。これから説明したいのですが――言葉で説明しても信じてもらえないでしょうから、体験してもらうつもりです」

 ガチャリ、と扉の鍵の閉まる音がした。

「……ん?」

「確認ですが、ユーホ、あなたは一人暮らしですね」

「え、はい」

「つまり、一日や二日、自宅に戻らなくても平気ですね」

「それは――大丈夫と言えば大丈夫ですけど」

 訪ねてくる友達もいないし。

 いや、そういう問題ではない。

「よかった――今は星の位置が悪いので、次に地球世界へ戻ってこれるのは二十八時間後になってしまうのです」

「地球世界……?」

「さあ、そろそろ揺れるので、口を閉じていてください」

「は――うわっ!?」

 いきなり激しい揺れが襲った。

 遊歩は尻もちをついたが、アルカナは慣れた様子で静かに立っている。

 唐突に始まった揺れは唐突に収まった。地震の揺れでないことは明らかだ。

 息を乱した遊歩に手を差し伸べるアルカナ。戸惑いながら手を取って立ち上がる。アルカナは彼の手を引いて扉を開いて部屋を出る。ゆっくりと開かれた扉の先には信じられない光景が広がっていた。

 目をくらませる眩しい太陽の光。

 延々と広がる草原の向こうに聳える山脈の尾根には雪が積もる。

 この雄大な大自然には見覚えがあった。

「いや、だって、これって……」

 見覚えがあるからこそ信じられなかった。

 そういえば、アルカナを始めて見たときから既視感があった。そもそも、その名前に聞き覚えがあった。もしかしたら、遊歩はとっくに彼女の正体を見抜いていたのかもしれない。けれども、無意識のうちに抑圧していた。あまりにもありえないことだったから。

 傍らに注意を移すと、もう彼女の服装は変わっていた。

 アルカナは完全に彼が知っている姿になっていた。

 プラチナブロンドの髪は腰まで伸びて、服装は白い豪奢なドレス。

 ただし気品溢れる雰囲気だけはそのまま、彼女は威厳を伴って言った。

「ようこそ『アルペジオ』の世界へ」

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